ハードボイルド・メモリー
野木 康太郎
1.迷子のロボット
都会から遠く離れた農村では、月が雲に隠れてしまえば1メートル先も見えない闇に包まれる。村で養鶏を営む福満キヨは、懐中電灯を紐でくくりつけたヘルメットを被り、竹ぼうきを長刀のようにかまえて、命よりも大切にしている鶏たちの鶏舎の前で仁王様のように立っていた。
「おキヨさん、いくらなんでも無茶ってもんだ」
傍らで立ち尽くしていた身長が2メートル近くはある顔中に髭の生えた熊のような中年男が、巨体に似合わない心配そうな表情を浮かべて老婆に話しかけた。
「人ん家より自分とこを心配おし、ゴンゾ。あんたとこの犬はまだほとんど仔犬みたいなもんだろう。返り討ちにあうよ」
若い頃から少しも精彩を欠かない切れ長の目で睨まれ、大男は怯んだ。キヨの隣家に住む熊田権三はキヨから養鶏の手ほどきを受けた弟子のようなもので、強面ではあるが面倒見がよく、村の人々からはゴンゾと呼ばれていた。
先日、別の家で数羽の鶏が襲われる事件があった。イタチによる獣害は珍しいことではなかったが、今回、無惨に食いちぎられた鶏の死骸を見た村人が言うには、犬の仕業らしかった。
野犬への恐怖が、瞬く間に村を覆った。
飢えた犬は鶏どころか人すらも襲いかねない。人々はできるだけ暗くならないうちに家へ戻り、こどもらにも決して外を出歩かないよう命じた。
しかし、間の悪いことはあるものだ。
キヨの家ではシロという忠実な番犬を飼っていた。野犬などものともしない強さと頑健さを備えた犬だが、数日前、膀胱に結石が見つかって手術のために入院してしまった。守り手がいなくなり、キヨの鶏たちはほとんどいけにえのようなものとなった。
普通ならその不運を嘆くところだが、キヨは違った。何も言わず、ほうきを得物に自ら番人を務め始めたのだ。ゴンゾでなくても無茶だと言うに決まっている。だがキヨに言わせれば、
「鶏が食われりゃあたしゃ日干しさ。犬に食われるのとなにが違う」
ということだった。
せめて村の若い衆か長男の太一に来てもらうことをゴンゾは勧めたが、
「他の人も大変なときに自分だけそんなことはできない」
と、とりつくしまもない。
「ほれ、いつまでもそんなとこに突っ立ってないで、とっととおかえり」
ゴンゾはあご髭をなでながらしばらく思案していたが、どうも今のキヨを動かすことは軍隊でも無理そうだという結論に至った。
「わかった、一度帰るよ。携帯は持ってるな。何かあったらすぐに呼べよ」
そう言って、彼は肥大した体をゆすぶりながら車に乗り込んだ。
ゴンゾの家は、隣りといっても、車で五分はかかる距離だ。
「自然」に近いことは同時に「死」が近いことでもある。
生まれてこのかた農村に暮らすキヨはそのことを痛いほど知っていた。だが、村に舞い戻って日の浅いゴンゾにはその認識がうすい。その「何か」が今日に限っては起こらないだろうと心のどこかで思っていた。
ゴンゾが去って半時も経たないうちに、キヨは闇の中でうぅという唸り声を聞きつけた。その方向へ顔を向けると、頭のライトが耳のとがった狼のような犬を照らし出した。キヨから二十メートルほど離れたところで低く身をかまえ、こちらを睨んでいる。ほうきを持つ手に力が入った。すると、さらにぐるるという声が片方の耳に入ってきた。首を横にずらして見ると、そこにはもう一頭、耳のたれた犬が立っていた。
(2頭)
野生の生き物たちは、守りのうすい家を的確にかぎつけてきた。
とがり耳の犬が白い目を光らせながらじりじりと近づいてくる。キヨはひるまず、犬を十分に引きつけたところでその頭めがけて思い切りほうきを振りおろした。
とがり耳は半歩後ずさっただけで鼻先すれすれにその一撃をかわした。容易に反撃できるはずだが、犬は濁った瞳でキヨを見上げるだけだった。獲物を弄ぶかのようだった。
そのすきに、たれ耳の犬がキヨの横をすりぬけて鶏舎の方へ近づこうとした。
キヨは振りおろしたほうきを水平に横へ払い、先端を犬の尻にぶつけた。たれ耳はきゃんと声をあげたが、当然たいした効き目はない。怒った犬は方向転換してキヨの方へ向きなおった。自然、キヨは挟み撃ちされる状態となった。
覚悟はできているつもりだった。というよりもこれ以上長く生きることに意味はないとキヨは考えていた。
早くに死に別れたものの、夫はキヨの仕事ぶりを大いに認めてくれた。息子は有名大学へ進み、一流企業に就職した。気立てのよい嫁が来て、元気で可愛い孫も得た。公平に言って幸福な人生だったはずだ。もうここで死んでもかまわないはずだった。
どちらかの犬がぐおんと吠え、その牙にライトの光が反射した。その刃物のようなきらめきが、キヨの心の奥底に閉じ込めた箱の鍵をこじ開けた。彼女自身が固く封印し、二度と思い返すまいとした記憶が胸の中にあふれ出した。まだやり残したことがある。とたんに抑えきれない恐怖がキヨの全身を襲った。
「ちくしょう」
キヨは発作的にほうきをブンと振り回した。しかし、やみくもに振るったほうきは虚しく空を切り、キヨはその反動で自らの足をひねった。仰向けに倒れ、ヘルメットが脱げ落ちて白髪があらわになった。ライトは地面に落ちた衝撃で消え、真の闇がキヨを包みこむ。
何も見えない中でキヨは犬が飛びかかってくる気配を感じ、思わず両手を交差させて顔をかばった。その次にキヨが聞く音は、自分の喉笛が喰いちぎられる音のはずだった。しかし耳に入るのは、ぐわうぐわうという犬の悲鳴ばかりだ。
老婆はおそるおそる目を開くと、ひっと声をあげた。数十センチ先でとがり耳の犬がじたばたもがきながら宙に浮いていた。犬の背後には赤い2つの小さな光が並んで輝いている。何かが野犬の首ねっこをつかんでいる。
その時びゅうと強い風が吹き、雲の切れ間から見事な満月が顔を出してささやかな光を放った。キヨは、月の照らし出したものが、銀色に輝く鋼の体を持った人型ロボットであることに気づいた。
突如出現したロボットは捕まえた犬を片手だけで数メートル離れたところへ投げ飛ばした。地面にたたきつけられた犬はぎゃんと悲鳴をあげてその場にうずくまった。
もう一頭の犬がキヨの体を飛び越えてロボットに襲いかかり、腕に噛みついた。だが鋼鉄の身体には文字通り歯が立たず、たまらず口を離したところでロボットに喉元を掴まれ、さっきの犬と同じところへ投げ飛ばされた。ニ頭は互いの身体をしたたかにぶつけ、その場に重なりあった。
両目から発する赤い光を揺らしながら、ロボットは犬たちに一歩ずつ近づいていった。脚を踏み出すごとに身体のそれぞれの関節からキュイインというモーター音が響いた。
戦意喪失した犬たちはくぅんと頭を垂らして降参の意を示し、身をひるがえして柵を飛び越え一目散に逃げていった。
ロボットはそれを追わず柵の近くでしばらく佇んで様子を伺っているようだった。そしてもう戻ってこないと判断したのか、振り返ると、うずくまる老女を赤く輝く両目で捉えた。
キヨは戦慄を覚えた。このロボットが、こんな農村をうろついているわけがない。一般にも流通し始めたとはいえ、所有できるほどの財力があるのは、ほんの一握りの富裕層だけだ。
ほうきを支えに立ち上がろうとしたが、腰に激痛を感じその場に膝をついた。ロボットはその無機質な光をキヨの体から決して逸らさず、一歩また一歩と迫った。
「近づくな」
気丈な老婆はロボットを睨みつけた。意外にもロボットは彼女の言葉に従い動きを止めた。
「あたしをどうするつもりだ」
恐怖と憎しみの入り混じった声でキヨは言った。
「別に、どうもしない」
ロボットの発した声に、内心キヨは驚いた。言葉を話せることは知っていたが、これほど流暢とは思っていなかった。彼女はできるかぎり平静を保ちながら、
「嘘をつけ」
と言った。
ロボットは握った拳を顎にあてて、しばらく思案するような仕草をしてから答えた。
「そうだな、厳密に言うなら『お前に対して危害は加えない』だ」
「それが嘘だと言うんだ。人殺し兵器め」
「人殺し」という言葉を浴びせられた瞬間、ロボットの両目の光が瞬いた。
ロボットは何も言わずその場に少し立ち尽くしたが、再び足を踏み出してキヨに近づき、かがみこんで両手で彼女の体を抱え上げた。
「な、何をするんだい。離せ」
「無理だな。俺に指示ができるのはアドミニストレーターとして登録された人間だけだ。今は誰もアドミニストレーターに登録されていない。お前の指示は受けない」
「馬鹿言うんじゃないよ。離せ」
「アドミニストレーターが登録されていないときは、状況を客観的に判断して最善の行動を取ることとプログラムされている。つまり今俺がやるべきことは、お前を家の中に連れていって布団に寝かせ、傷の手当てをしてから温かい味噌汁を出してやることだ」
「ふざけるな。お前なんかに」
キヨはロボットの腕から逃げ出そうともがいたが、腰の激痛ですぐに大人しくなった。
「ババアのくせに無茶をするやつだ。死に急ぐような年でもないだろう」
ババアと言うなとげんこつで頭を叩いてくるキヨを無視し、ロボットは彼女の家を観察しながら歩き出した。「福満」という表札のかかったその家は、赤茶の壁に白い屋根という造りで、欧米の農家を彷彿とさせるデザインだった。アメリカかぶれだったキヨの夫、元吉の趣味だ。
家の前へたどり着いたロボットは玄関のドアを器用に開け、赤外線カメラで確認した2階の寝室までキヨを運んだ。
(続)
ハードボイルド・メモリー 野木 康太郎 @Nogiko0419
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