より鳥みどり!
大鳥風月
始まりは翡翠(ひすい)から1
春の日差しは暖かい。
ひと月前までは、外に出ると身震いするほど寒かったが、入学式を迎える頃には、太陽がぽかぽかと優しい温もりを与えてくれていた。外に出るのが楽しみになるくらい、心地いい。春の陽気に促されるように、小鳥がさえずり、桜も咲き、花粉も春風に乗って元気よく流れていった。最後のだけは、迷惑極まりないけれど。
でも、いくら心地いい暖かさだったとしても、一時間近くも歩いていれば、それは不快な蒸し暑さと変わる。汗はワイシャツを濡らし、接着剤となって、私の肌に貼り付ける。生まれてこの方運動部に入ったことがない私は、自分のキャラクターである体力の無さを、今まさに、存分に発揮しているところだった。
いったい私は何のために、息を切らして歩いているのだろうか。
その答えを知っているはずの前の背中は、私とは違って、るんるんと陽気に歩を進めている。リュックの他に黒く四角いケースと、長細い巾着に包まれたものを肩に掛けて、私より大荷物なのに、その足取りは軽やかだった。
「ねえ、ちょっと、どこまで、歩くん、ですか?」
本来なら一息で言える言葉を細かく分けながら、前を行く背中に話しかける。
くるりと振り返ったその人は、汗一つかかず、にこりと笑った。
「ほら緑、早くしないと置いていっちゃうよ」
「うへぇぇ」
情けない声を上げようと、金子さんは歩みを止めない。
重い足を引きずりながら、彼女の背中を、ただ必死で追いかけるしかなかった。
桜川高校は、その名の通り、桜川と呼ばれる川の付近にある高校だ。名前こそ綺麗だが、いたって特徴のない、強いていえばやたら桜の木が多いってくらいの、普通の公立高校である。先週末の入学式からそこの一年生となった私、
両手に花、ではなく、大量のチラシを抱え、あの手この手で勧誘してくる先輩たちの手を逃れながら、放課後、目的の美術部に向かっていた。人の波に翻弄されながら、やっとの思いで西棟に入る。こんな時に姉のような力があれば掻き分けて進めるのだろうけれど、人より頭1個分は小さい私にはなかなか酷だった。
そんなこんなでようやくたどり着いた美術室。
「入部希望の宇賀地緑です。よろしくお願いします。」
小さな声で、三回復唱。朝から何度も繰り返した二言を、もう一度口の中で練習する。こういうのは第一印象が肝心なのだ。噛まないように、笑顔で、朗らかに。
息を整え、よしっと気を引き締める。意を決してドアを開けた。
あれだけの人が必死に勧誘しているのに、美術部のチラシが一枚も渡されなかったことに気づくべきだった。
緊張と期待感に満ちながら訪れた美術室は、しんと静まり返っている。それもそのはず。だって誰もいないから。
「今日は休みの日?」
いや、と自分で自分の言葉を否定する。部員を増やすこのチャンスに、わざわざ休みになんてするだろうか。
いくら首を回しても誰も見当たらないので、取り敢えず、廊下に出る。賑やかな声が、東棟からここ、西棟まで届いている。
西棟にも部室はあるだろうが、みんな勧誘のために出払っているのか、活気が全くない。両手とカバンにみっちり入ったチラシが、ひどく重く感じる。
「誰かいないのかな」
辺りを見渡してみる。すると、隣の教室の表札に、”第二美術室”と書かれているのを見つけた。
再び希望が舞い戻る。美術室は二つあるのだ。もしかしたら、メインで使っているのはこっちなのかも。
予想を裏付けるように、中から物音が聞こえた。
よかった。ひょっとして美術部は無いんじゃないかと、ほんのちょっと思ってしまったけれど、そんなわけないよね。だって美術部だもん。絶対あるはずだよ。
今から思えば、なんだその根拠は、とツッコミを入れたくなるけれど、ともかく目的の部活が見つかって安心していたのだろう。
そしてまた緊張と期待感が沸き上がる。
「入部希望の宇賀地緑です。よろしくお願いします。」
もう一度、挨拶を練習する。噛まないように、笑顔で。よしっ。
左腕のチラシを抱え直し、気を引き締めて、ドアに右手を伸ばす。
ふっと息を吐き、ドアをスライドさせる。
ばあん、と勢いよくドアが開いた。その勢いで風が巻き起こり、クセのついた前髪が揺れる。チラシが二、三枚左腕から舞い上がった。
目の前には、何やら大荷物を背負っている女子生徒が仁王立ちしていた。右腕がぴんと、スライドしたドアの方に伸びている。ドアを開けたのは、私ではなく、目の前の彼女だ。
おやっ? と、私を捕らえた目が、そう尋ねている。
大きな音。突然の対面。飛んでいったチラシと、セリフ。
「あ、あの、にゅうぶきびょうのっ」
朝からの努力が無駄に終わった瞬間だった。
「もしかして、入部希望者?」ぱあっと、彼女の顔が明るくなる。
「は、ひゃいっ」ああ、もうだめだ。
「そっかそっかあ。これは新年度始まって、幸先いいぞ」
むふふと彼女は笑い出す。それに合わせて、背負っている荷物が音を鳴らした。
「しっかし、すごいチラシの量だね。カバンにもぎっしり。まさか全部見学に行くの?」
「こ、これは先輩たちが勝手に押し込んできたからっ」
「まあいいや。貴女、名前は?」
全部言い切る前に、私の声はかき消される。
「宇賀地緑です」
「緑ちゃんね。私は
高速で終わった自己紹介を頭にインプットする前に、元気よく彼女が言う。
「い、行くって、どこへ?」
「せっかくだし、部活見に来なよ。ほら、カバン教室の中に入れていいからさ。そのチラシも」
「ええっと」
「出発しんこー!」
完全に彼女のペースに巻き込まれている。私の返事も聞かないまま、彼女はすたすたと廊下を歩いて行った。
あらゆる疑問が沸いて出たが、脳の処理が追いつかなかったのだろう。私の頭は、付いて行く、という行動しか導き出さなかった。
言うことを聞かせるには、とりあえず頭をパンクさせて、思考停止に追いやればいいのだと学ぶ。これ、詐欺の一手段なんじゃないか?
ともかく、そうやって冷静さを奪われた私は、貴重品だけ持って、金子さんを追いかけていくことになった。
そして、今に至る。
学校を飛び出してからこの小一時間の間で、気づいたことがある。いや、金子さんの大荷物を見た時点で、なんとなくはわかっていた。なぜその時に言わなかったのか。当時の私を平手打ちしたい。
この部活、絶対美術部じゃない。
途中で金子さんに断って、引き返せばよかったのだろう。でも今の彼女の様子だと、私の声がちゃんと耳に入るとは思えなかったし、そもそも彼女に付いていくのにいっぱいいっぱいで、話しかける余裕がなかった。
景色が住宅街から、緑の多い道に変わっている。上り道下り道の揺さぶりを乗り越えると、立ち止まっている金子さんの元に、ようやく追いついた。
「はひぃ」
金子さんの横に並ぶと、変な声を出して座り込む。なんだはひぃって、初めて言ったぞ。
「お疲れ様。ほら、着いたよ」
すぐそばの自販機で買ったのだろう。金子さんがペットボトルのお茶を私にくれる。
金子さんに導かれた場所は、どうやら緑地のようだった。中央には楕円状の細長い池があり、それを囲うように、平らな道が続いている。その周りをさらに木々が、森のように取り囲っていた。
「この一番奥が、今日の活動場所だよ」
金子さんに促されて、奥へと向かっていく。
道なりに進んでいくと、ちょうど楕円の頂点から道が二股に別れており、池に沿わない方へと入って行く。池の周囲の開けた所と違い、ここは草木が茂っていて、薄暗い。
いったいこんな所で何をしているのか。そもそも、これは何部なのか。想像が出来ないことで、不安が一層増す。
「おーっす」
金子さんが、前方に声をかける。そこには既に、三人の女子が待っていた。みんな学校指定のジャージもしくは制服姿で、腰を居るように屈んで、何かを覗き込んでいる。
金子さんの声に気付き、顔を上げて返事をする。
「遅かったね」
「どうせいつもみたいに歩いてきたんでしょ」
ごめんごめんちょっと仕事がさー、と謝りながら、金子さんが荷物を地面に下ろす。一人が、いや、チャリで来ればよかったんじゃないの、と言うが、当然のように無視される。
その人が、私の存在に気付いた。
「羽美、この子は?」
「そうだそうだ、紹介しなきゃね。皆の衆、よく聞け。彼女は緑ちゃん。なんと入部希望者だ!」
おおーと、歓声があがる。
「え、何。あんた新人を徒歩で連れてきたの? 馬鹿じゃないの?」
「鬼だ。鬼部長だ」
「きちくきちくー」
「いきなり非難轟々!?」
入部希望者とかじゃないんで、と、ここで言えれば良かったのだろう。
でも私は彼女たちが覗き込んでいたものに釘付けになって、それどころじゃなかった。
三脚に乗っけられたそれらは、どう見ても、バズーカにしか見えない。その銃口は茂みの向こうの、小さな池に向いている。
「よいしょっと」
金子さんがリュックから、もう一機のバズーカを取り出した。
私の顔が青ざめる。
これはまさか、今流行りのミリタリー系の何か? それともサバイバルゲーム?
現にバズーカのうちの一つは迷彩柄だし、ジャージの人なんか首にも掛けている。それに、金子さんのあの体力……。
「今日こそはとりたいね」金子さんが言った。
「待ち伏せてからそこそこ経っているから、もうそろそろだと思う」迷彩バズーカの人が時計を見る。
「また照準器ずれてる」
「今度新しいの買いに行こう」他の二人も、自機を微調整し始める。バズーカの根元からワイヤーが伸びていて、恐らくそれが引き金なのだろう。多分。
今日こそ捕りたい?
待ち伏せ?
照準器?
引き金?
そうか。今から始まるのは、きっと戦争だ。向こうの茂みにも誰かが隠れていて、ドカンズドンと打ち合うのだ。そしてそれを、楽しくてしょうがない、というように、満面の笑みでやるのだ!
だめだ。打ち始める前にここから撤退しないと、流れ弾が! 血が!
「あ、そうだ」
そろりとその場から離れようとすると、金子さんに呼び止められる。
はわわわと慌てふためくと、ずいっと、随分立派な双眼鏡を渡された。
「今日のところは、緑はコレな」
探索役をやれと!?
私を巻き込んで、逃げられなくさせる気だ!
「あああの! 私こういう激しいのはちょっと!」
「静かに!」
抵抗虚しく、迷彩バズーカの人に一蹴される。
その声に合わせて、みんな一斉に自機を覗き込む。ワイヤーに手をかけ、息を殺す。
今のうちに逃げなきゃ。
そう思うも、疲労しきった足は、うまいこと動いてくれない。
まさか、これもの策略か!?
その時、キィ、キィ、と声がした。
「来た!」
金子さんが静かに叫ぶ。
そして、ワイヤーの先端に、親指を当てる。
ちょっと待って! ちょっと……!
ワイヤーが押される。私は咄嗟に耳を塞ぎ、固く目を閉ざす。
暗闇に、バズーカの音が鳴り響いた。
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