トラオム

しゃる

第1話 精霊のお仕事

 髪型よし!

 服装よし!

 お金よし!

 身支度を声に出して確認し部屋を出て家の階段を駆け下りる。

「亮~? 今日、何時に帰ってくる?」

 廊下にいる俺に母さんがリビングからドア越しに訪ねてきた。

「十時くらいには帰るよ」

「じゃあ、ご飯はラップしとくから食べたかったらチンして食べてね~」

「わかった」

 母親との短いやりとりを終えて玄関に足を進める。

「気を付けてね~」

 母さんはいつものようにリビングの扉から顔を出して、そう告げた。

「りょうかい、いってきまーす」

 外に出てもう一度忘れ物がないことと今日の予定を頭の中で確認する。 

「よっしゃ!」

 俺は顔を両手でパチンッ! と叩き家を後にした。

 亮というのは俺の名前で杉野亮すぎのりょうがフルネーム。

 なぜこんなに気合が入っているかと言えば、今日は高校3年のとき同じクラスになって一目惚れした吉野蛍よしのほたると先日、付き合うことになり付き合ってから初めてのデートだからだ。

 しかし、もう今は春休みである。

 情けないことに一目惚れしたのはいいが中々話しかけることが出来ず、まともに会話したのが半年後の文化祭のときだった。

 それからの交流も学校で少し話すか何気ないLINEを交わす程度で、大きな進展はなかった。

 俺も彼女も進学組で受験勉強が忙しかったのもあるが、一番はクリスマスも年末年始など大きなイベントで何も出来なかった俺のヘタレさが原因だろう。

 志望校に合格したら告白をするという大義名分を掲げ、勉強には必死になれたので、見事に第一志望校の合格を勝ち取ることが出来た。

 しかし、彼女の受験結果が出るのが遅く、期間がずるずると伸び、告白をしたのは卒業式の日になってしまった。

 あの日のことは一生忘れられないだろう。



_____________________________________



 涙を目にためている生徒や写真を撮り合う生徒、年上の彼氏が彼女の卒業を祝うために花束を持って校門のところで待っている。

「あぁ、卒業したんだなぁ」

 急に吉野の事が頭の中を駆け巡る

「これから、会えなくなるのか……」

 そう言葉に出してみると、いても立ってもいられなくなって、気付いたら俺は走っていた。

 そして友達と話している吉野を見つけた。

 こちらに気付き何かを話している。吉野の友達が何かを言ったとたん吉野の顔が赤くなったように見えた。

 告白しに来たんじゃない?とか言われているのだろうか。

 しにきたんだけどね!!

「吉野っ! ……ちょっと、話いいかな?」

 声が少し変になったが気にしない。 

 そして吉野は何も言わずに頷いた。

 話していた吉野の友達が「行ってきな」と笑顔で背中をトンっと押す。

 二人だけになり静かな時間が少ししか経っていないと思うが俺にはとてつもなく長く感じた。

 俺が最初に口を開く。

「あの……えっと、高校3年で初めてクラスが一緒になったとき一目惚れしました!

 好きです! 俺と付き合ってください!」

 俺は、いつか見たお見合い番組のように深くお辞儀をして手を伸ばしていた。

 やっちまったぁぁぁぁ。いきなり色んなことを口走ってしまった。

 しかもどストレートに言い過ぎだろ!恥っず!

 噛まなかったことだけはよかったけど恥ずかし過ぎる!

 頭がショート寸前の俺の手が静かに握られた。

「よ、よろしくお願いします」

 顔だけを上げると目をつむりながら恥ずかしそうに下を向いていた。

 俺の目線からは彼女を見上げる形になっていた。

 髪の間から垣間見える彼女の顔は赤く染まっていた。


 _____________________________________



 あの時の吉野の可愛さは、もう俺は死んでしまうんじゃないかってくらい可愛かった。

 いま思い出しても頬が緩んで少しにやけてしまう。

 ふと、我に返って恥ずかしくなる。

 近くに誰もいなくてよかった。

 集合時間は午前十時で場所は最寄り駅の改札。

 現在時刻は九時前で最寄駅は家から徒歩で三十分程度だ。

 どう頑張っても、だいぶ早くついてしまう。

 急いでも仕方がないので、少しゆっくり歩いていた。

 いつもなら気にならないような駅までの道のりが、今日はとても色鮮やかに見えた。春を感じさせる風と木々が心地良い。

 今日の天気は雲一つなく天候も気温も最適だ。

 万が一、雨でも楽しめるようなデートプランを考えていたが必要なかったようだ。 今日は水族館と都心の方のレストランに行こうと考えている。

 最初のデートから水族館は重いかと考えたりもしたが、俺が前々から行きたかった場所でもあるし、何よりも吉野も長いこと行ってないらしく「行きたい!」と言ってくれたからだ。

 ちょっとお高めのレストランは、俺の精一杯の背伸びした賜物だ。

 楽しんでくれるといいなぁ。



 駅への道のりも半分くらいに差し掛かったころ、車のクラクションのような音が遠くから聞こえてきた。

 あたりを見回すが、クラクションを鳴らしているような車は無い。

 五秒くらい鳴り続けた後、その音は何もなかったように消えていた。

「朝からイライラしてて大変そうだな」

 そう吐き捨てて前を向くと、ものすごい大きいダンプカーが向こうからやってきた。

「うーお、すげぇ。 世紀末覇者かよ」

 そんな怪物モンスター級のダンプカーに見とれていると、俺の真横に差し掛かったところで、本当に怪物モンスターのような咆哮を上げた。

 後ろを振り返ると猛スピードの車が、すぐそこにまで迫っていた。


 轢かれる


 そう思った。 

 その時、車の速度が急に遅くなった。


 よし、これなら何とか避けられる


 だが身体が思うように動かなかった。正確には動いているが車と同じように俺自身の動きも鈍い。

 車がどんどん近づいてくる。避けられないと確信した時、色々な映像が頭の中を駆け巡った。


 初めて吉野を見つけた三年の始業式

 見ているだけじゃなくなった文化祭

 一年かけて思いを伝えられた卒業式

 俺は今日、吉野の待つ場所まで辿り着けないのか?

 今日の予定は俺のせいで潰れるのか?

 

 まさか


 このまま死ぬのか?


 いやだ

 やめてくれ

 なんで今日なんだ


 車が俺の身体に触れた瞬間、感じたことのない衝撃が襲い掛かってきた。 

 その瞬間、時間が息を吹き返したかのように、いつもの早さを取り戻す。

 吹き飛ばされた俺の身体は、その力に任せて宙を舞う。

 視界に映った色鮮やかな風景は、色だけを残して形を崩していく。

 何メートル跳んだかわからない。俺の身体は硬いコンクリートの上に投げ出された。

 俺を轢いたであろう車が、すぐ横を通り過ぎたでような風が吹いてきた。

 不思議と痛みは無いが力が抜ける。

 

 今日、すっぽかしたこと謝れなかったな


 俺は静かに目を閉じた。





「あれ?」

 目覚めると俺は同じ場所に立っていた。

「ゆ……めか?」

 あたりを見回すと赤い光を放つ車が止まっていて作業員が何か慌てている。

 呆然と見ていると怪我人を収容し、頭に響く音を鳴らしながらこっちに向かってきた。

「おいおい、轢く気かよ」

 どうすることもできずに、俺はただ突っ立っていた。

 車との距離が無くなった時、信じられないことが起きた。

 俺の身体が車を通り抜けた。

 さらに、通り抜ける最中に見えた、救急隊員が必死に応急処置をしている人物は俺自身だった。

 頭の整理がつかず俺は歩道に行き座ろうとした。

 だが、視界は下がったはずなのに座った感覚がない。 

 よく見てみると俺の身体は無かった。視界があるだけで自分がどんな姿をしてるのかわからない。

 俺は何もする気が起きず、その場に居座った。




 何時間こうしていただろう。腹も減らなければ眠くもならないので時間の感覚がわからない。

 流れる車や人々を見ていると陽気な声が聞こえてきた。

「やーやー、何かお困りですか~?」

 声のする方を向くと年下かのように思える女の子が立っていた。

「困ってるけど、具体的に何に困ってるかわからない」

 ショートカットの女の子は不満そうにむくれた。

 てゆうか、俺に話しかけてきたよな、この子。

 さっきの救急隊員も通った人たちも、見向きもしなかったのに。

「まて。わからない事、見つかった」

「なになに~?」

 彼女の表情がパッと明るくなる。

「君は誰?」

 待ってました! と言わんばかりの表情で俺の質問に答える。

「私は精霊のイリア! 魂だけになった……」

 え、精霊なの? にしては格好が変だ。

 いや、普通の人間だったらおかしくはない。

 ただ精霊というなら、もっとドレスみたいな感じじゃないのか?

 俺がイリアの話も聞かず、じろじろ見ていたので流石に気づいたらしく。

「これが最近の流行りなの! 先入観で判断するのはいけないよ~」

 つってもショートパンツとTシャツとパーカーって、ありなのか?

「こほん! もう一回言うよ? 

 私は精霊のイリア!」

 もう一回やるのか? と思ったが見守ることにした。

「魂だけになった人の魂を成仏させています!」

「ちょっと待て! 俺はいまから消されるのか?!」

「違いますよ~。 ちゃんと説明しますから!」

 最悪の事態は免れた。一応、この子の話を聞いてみよう。

「あなたには誰かに何かを伝えたいことがあるはずです。

 それを、その本人の夢の中にあなたが入って伝えさせるというのが私の仕事です!」

「なるほど、やっぱり俺は死んだのか」

 やっと思考が働くようになってきて色々とわかってくる。

「そうですね。 それで、夢の中に入るのでもいくつか注意があります。

 一つ目は一人の夢の中にしか入ることが出来ません。

 二つ目は誰かの夢に入ってしまったら、もう二度とこの世界に戻れません。

 三つ目は夢の中で刺激を与えすぎると本人が起きてしまう可能性があることです。 対象者が起きてしまっても、あなたは戻ってくる事が出来ません。

 最後にあなたがここに存在できるのに期間が一週間しかないという事です。

 その場合は夢の中にも入ることが出来ず、あなたは成仏してしまいます」

 何故だか、その突飛な内容を俺はすんなりと受け入れることが出来た。

「一週間の間なら、いつでも夢の中に入ることが出来るのか?」

「対象者が眠っていれば可能ですね」

「なるほど」

 俺は聞きたいことの最後を聞くと急いで駅へと向かった。

 もしかしたら吉野が待っているかもしれない。

 見つけたところで何かできるわけではないが、とにかく待たせるのはだめだと思った。

 魂だけというのは非常に楽だ。

 走っているような感覚なのに全く疲れない。

 時間はもう午後五時であった。

 七時間の大遅刻だ。

 駅に着き改札やバスターミナル、駅前広場などいそうな場所を探したが、結局見つからなかった。

 待ちくたびれて帰ってしまったのだろう。悪いことをした。

 そのすぐ後に、イリアも駅に到着した。

「ついてくるのか?」

「そりゃあ、あなたのような魂を見つけ次第、見送るのが私の仕事ですから」

 イリアは笑顔でそう答えた。

「一つ聞いていいか?」

「なんですか?」

「俺の身体がどこに行ったかわかるか?」

「あ、それなら集中して探せば、どっちの方向に行ったかくらいはわかりますよ。

 もとは一つだったんですから。」

「そんなもんなのか」

 心を落ち着かせて視界を閉ざす。すると、どういう仕組みかはわからないが呼ばれている気がする。

「こっちの方から聞こえる? 聞こえてるのかわからないけど、何か感じる」

 その聞こえない声を頼りに進み出した。

 しばらく進むと、大きい病院が見えてきた。

 まあ、そうなるだろうな。

 病院の中に入ると受付近くのベンチに一番逢いたい人が座っていた。

 吉野だ。

 彼女は卒業式の時に話していた人と一緒にいた。

 たくさん泣いていたようで、いけないことだとわかっていても俺のために泣いてくれたことが嬉しいと思ってしまった。

 俺は何も出来ず、ただ見ていることしかできなかった。

 しばらくすると突然、吉野が口を開いた。

「私、杉野君に伝えられなかった。」

 なんだろう、まさか別れ話とかじゃないだろうな。

「杉野君はちゃんと伝えてくれたのに……」

 吉野は泣き出した。彼女の友人がそれをなぐさめる。

「あんた杉野の事、すっごい好きだったもんね」

 吉野の頭を撫でながら、にわかには信じられないことを口にしていた。

「卒業式の時も『告白にしてきな』って言ったのに、あんなに顔を真っ赤にしてさ」

 あれは冷やかされてなどいなかった。

 はは……バカだな俺。

 バカみたいに浮かれて、轢かれて死んで。こんなに吉野のこと泣かして。

 このまま一週間何もしないのもありかな……。

 俺は吉野の近くにいていい人間じゃ——

「私、死んじゃいたいよ」

「ばか! 何言ってんの! そんなのあたしは許さないし、杉野だってそんなこと考えてない!」

「わかってるけど……でも、でも、」

 また吉野は泣き出す。

「このままでいいんですか?」

 いままで黙っていたイリアが俺にそう告げる。

「……良いわけないだろ。 夢にはどうやって入ればいいんだ?」

「対象者が寝ていて、あなたが自分の身体を探した時のようにすれば大丈夫です」

「わかった」

 このまま吉野が眠るまで待つ。

「蛍、今日はもう帰ろ?」

「……まだここにいる。」

「そう。じゃあ、あたし予定あるから、もう行くね。

 死んだりなんかしないでよね! 絶対!」

「うん、ありがとう。みーちゃん。」

 それから吉野は全く動こうとしなかった。

 



 夜も深くなってきて午後十時を回った頃、吉野の親らしき人が迎えに来た。

 少し話すと吉野は立ち上がり病院を出た。

 車で来たのかと思ったら徒歩で家族は来ていた。

 病院から歩いて五分の場所に家があった。

 いくら存在がバレないと言っても、人の、しかも好きな人の家となると気が引ける。

 少し家の前でうろうろしていたが、決心をし上がりこんだ。

 吉野は二階の自分の部屋であろう部屋でベットに横たわっていた。

 それから吉野は半日以上、睡眠を取らなかった。 

 ご飯もろくに食べず、ずっと何もしていなかった。


 そして、流石に辛くなってきたのか糸が切れたように眠ってしまった。


 


「本当に昨日言っていた方法で大丈夫なのか?」

「大丈夫に決まっていますよ」

 そういってイリアは優しく微笑んだ。

「それでは、これでお別れですね」

「そうか、これで俺は消えるのか」

 特に交流は無かったが一日行動を共にしたせいか別れは悲しい。

「まぁ、その、あれだ。短い間だったがありがとうな」

「こちらこそです。 私が少しでもお役に立てたのなら本望です」

「それじゃあ、また」

「はい! また、ですね」

 イリアは少し驚き、泣きそうな表情でも最後は笑って、そう言った。





 _____________________________________








 目を開けるとそこは、あたり一面暗かった。

 何かが降ってきている。雨? いや涙か?

 やっと自分が何をしなければいけないかを思い出した。

「吉野! いたら返事をしてくれ!」

「杉……野君?」

 いまにもかき消されてしまいそうな、か細い声がかすかに聞こえた。

 声の聞こえた方向に走り出す。今度はちゃんと身体もある。

 逢える。

 走り続けると、しゃがみ込む吉野を見つけた。

「やっと会えた」

「杉野君、本物だ」

 悲しそうだが素直な笑顔を返してくれた。

「夢でも嬉しい」

 夢だと思ってるのか。まあ仕方ないか。

「吉野、確かにこれは夢だけど、俺の意識は本物だ。

 俺は死んだ、けど魂だけはこの世界に残れたんだ。

 吉野に伝え損ねたことがあってな。」

「ほんとに?」

「ほんと」

「私も杉野君に伝えたいことがあるの」

「それって昨日、みーちゃんって子に話してたこと?」

「あの時いたの?!」

 顔が真っ赤になっていた。

 やっぱり可愛いな。

「ごめん、いた」

 吉野が黙り込む。しばらく待っていると吉野が口を開いた。

「じゃあ、私から伝えてもいい?」

「うん」

「入学式で初めて見た時から、ずっと好きでした。」

「え?」

 完全に想定外の事を告げられ、思わず変な答えが出てしまった。

「え? 話、全部聞いてたんじゃないの?」

「ごめん、そこは聞いてなかった」

 吉野は、「そう」と一言だけ言ったあと、少し間をおいて最上級に顔が赤くなった。

 落ち着きを取り戻すのに時間は掛かったが深呼吸をして息を整えた。

「私、入学式で杉野君のこと見つけて好きになったんだよ?

 でも、私から話しかけに行くなんて恥ずかしくって。

 三年生で一緒のクラスになれた時は嬉しかったなぁ。

 文化祭で仲良くなれたのも嬉しかった!

 ほんとは卒業式で告白するつもりだったんだけど、心の準備が整わないうちに杉野君が来ちゃってパニックになっちゃって。

 でも、告白してくれた時は幸せ過ぎて死んじゃいそうだったよ。

 毎日のLINEが待ち遠しくで、それで初めてのデートの約束した時はドキドキして眠れなかった。

 でも、あんなことになっちゃって。

 私がこんなんだから神様が怒ったんだよきっと。ごめんね。」

「そんなわけあるか! 

 事故を起こしたのも、それで……俺が死んじまったのも、全部俺のせいだよ。

 吉野が謝ることなんて何もない。

 俺の方こそごめんな。デートの約束、守れなかった」

「ここで、こうして会えたから、許してあげる」

 吉野は泣きながら、俺が好きな笑顔で言った。

「こんどは、杉野君の番だよ?」

「うん」

 これを言ってしまったら、吉野はどんな顔をするだろう。

 悲しむ、怒る、嫌われる。

 どう転がってもいい方向には進まないだろう。 

 でも、俺は言わなければならない。





「吉野。俺たち別れよう」 


「え」


「お前は、まだ生きている。

 この先にだって俺よりいい男なんてたくさんいる。

 まだ、人生がある」


「…」


「だから、俺の事なんか忘れ——「なんでそんなこと言うの?!」

 吉野が怒った顔を初めて見た。


「あの病院で、死んじゃいたいって言ってたろ?

 俺なんかのために死ぬなんて言うな」


「だから、なんで俺なんかって言うの?!

 杉野君はいい人だよ! 俺なんかじゃないよ!

 杉野君をバカにするのは、たとえ杉野君でも許さない!」

 吉野は泣きながら俺を叱ってくれた。


 あ、やばい。




「俺だって、こんな形で会いたくなかった。

 ちゃんと会って触れ合って思い出を作って……」



 言うな、未練が残る


「俺——」


 言うな、決意が揺らぐ


「俺だって——」


 言うな、これだけは言わないって決めたじゃんかよ

  




「生きていたかった」


 俺は泣いた。そして吉野も一緒に泣いてくれた。



 




 たくさんわめいて泣いた。

 泣くとなぜだか、気持ちが楽になった。

「なあ、蛍って呼んでもいいか?」

「じゃあ私は亮くんって呼ぶね」

「わかった」

 いるまでもこの時間が続けばいいのに。

「蛍、さっきも言ったけど蛍には長い人生がある。

 俺はそれを幸せに過ごしてほしい。

 だから……」

「私、頑張ってみるよ。

 これから長い間は亮くんのこと忘れられないけど」

「ごめんな、蛍」

「謝らないの。

 亮くん、私を好きになってくれてありがとう」

「そうだな、ごめ……。

 俺の方こそ、ありがとう」

「どういたしまして」

 いたずらに笑った彼女の顔をいつまでも見ていたいと思った。

「さぁ、もう朝だろ。

 俺はこれでさようならだ。

 あ、俺の母親に会うことがあったら『ご飯食べれなくて、ごめん』って言っておいてくれると助かる」

「必ず伝えるよ」

「…」

「またね、亮くん」

「おう! またな!」


 そう、また出会えると信じて。


 おはよう、蛍。元気で。



 蛍はまばたきの間に消えていた。

 ここは蛍の心の中ではなかったのだろうか。

 ほら、来たときは暗く肌を刺すような痛くて悲しい雨が降っていたが、いまは澄み切った空から優しく包み込んでくれるような雨が降っている。

 さようなら。




 _____________________________________





 目が覚めた私は涙を流していた。 

 でも、それはとても暖かく、私を安心させてくれる涙。

 私、頑張るから見ててね! 亮くん

 さようなら。



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トラオム しゃる @u-taro

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