第九話 和解
しばらくして。しずちゃんとお父さんの正面衝突のほとぼりが少し冷めて。
しずちゃんのお母さんの取りなしがあったのか、それともお父さんがさすがに悪いと思ったのか。お父さんは、渋々だけど私を家に上げてくれた。そこで改めて結婚の承諾をもらい、結婚式について相談した。もっともお父さんは、勝手にしろと言ってずっとふてくされていたけれど。
しずちゃんのご両親は、式も披露宴も親族だけで小じんまりやりたいということだった。私もそれに異存はなかった。
「リックさんは、お式にご両親を呼ぶのかい?」
「いえ、そのつもりはないです」
お母さんが心配する。
「ケンカでもしてるのかい?」
「いや、まだ弟も妹も学校に行ってますし、アメリカからだとお金がいくらかかるか分からないので」
「ああ、確かにねえ」
「生活が落ち着いたら、しずちゃんと二人で顔を見せに行きます」
「そうだね。そうしとくれ」
「両親の代わりに、親族を呼びたいんですが」
「はあ? 日本にそんな親戚がいたのかい?」
「あはは。私はちょっと特殊なので」
「特殊って?」
「私の本当の父は日本人なんです。私はその私生児なんですよ」
しずちゃんは、気難しいお父さんの説得のために、私のネガティブデータを何も漏らしていなかったんだ。私が外国人であることだけでも猛反対なのに、私の出自を話せば説得は絶対に不可能だから、と。でも、私はそれをいつまでも隠すつもりはなかった。だから、早く事実を明かしておきたかった。
「おい!」
お父さんが、そう言ったきり絶句した。
「じゃあ、あんたは日本人の血筋か?」
「そういうことになりますね。私の父は万谷文哉という人なんです。この前姉に、亡くなった父のことを聞いてきました。母は実父のことを完全に封印していて、私に何も話してくれなかったので」
「なんでそれを早く言わねんだっ!」
お父さんはまた激怒するのかと思ったんだけど、そういう訳ではなかった。
「はっはっは。なんだい、あんたにも日本人の血が流れてたんだな。そうかそうか」
急に機嫌がよくなるお父さん。まあ……きっかけは何でもよかったんだろう。私に対して理不尽に振り上げてしまった拳を引っ込めるきっかけ。お父さんなりに、それを探していたってことなんだと思う。
私は、式に呼びたい親族の名前を書き連ねた。その一番最初に書いた名前を見て、お母さんが首を傾げた。
「万谷巴さんて言うのは?」
「私の姉です」
「どっかで聞いた……」
じっとその名前を見つめていたお母さんが、ぎょっとしたようにのけぞった。
「も、もしかして、あ、あの有名な……」
「そうなんだよねえ」
しずちゃんが、ぶんぶんと頭を振る。
「あの、とんでもなくどでかい会社の元会長さんだよ。えらい人とつながりになっちまったわ。はあ」
「ははは。まあ、姉はもう事業からは引退した身ですし。からっとした人ですから」
「そうだけどさあ」
ご両親は、真っ青。
「ちょ、ちょっとあんた」
「な、なんだよ」
「その御曹子にこれまで散々ひどいことを」
「う……」
御曹子って。思わず苦笑する。
「私は姉の会社とは何の関係もないです。ついこの前までそんな親族がいることなんか知らなかったんですから」
「そうかい」
お父さんが、ゆっくりと息を吐き出した。
「あんたぁ、ほんとにしっかりしてるな」
お父さんの口から、初めて私を認めてくれる言葉が出た。それは……私が万谷のつながりだからではなく、これまで私が足繁く通って誠意を尽くしたことに対してのものだと。私はそう思うことにした。
「ええと、この工藤さんていうのは?」
「私の父がスペインで種付けした子供ですね。恵利花さんは私の姉になります」
「種付けって」
お母さんが、その言い方はないだろうという顔を見せた。
「いや、本当に呆れますよ。私の他に十五人も子供を作っていますから」
ずどおん! ご両親が揃ってぶっこけた。
「うわあ」
「ひでぇ」
「でしょう? まともな人がすることじゃないです」
「そうか……」
「でも、入り婿だった父は家に居場所がなかったんです。無軌道な行状は寂しさの裏返しだったんでしょう。最後は、万谷を追い出されて、浮浪者として野垂れ死にしました」
「野垂れ死にかい。うーん」
「工藤さんに嫁いだ姉、恵利花さんも、父に会うために母親と一緒に日本に来て、そこで父に捨てられています。ですが、何も分からない日本での辛い日々を耐え忍んで、今はしっかりしたご家庭を築かれてます。私たちの目標ですね」
「そうかい」
「父が憧れて、でも築けなかった穏やかな暖かい家庭。私はどうしてもそれが欲しい。だから、絶対にしくじりたくありません」
「わあった」
ぱんと膝を叩いて、お父さんが立ち上がった。
「あんたの覚悟は、よう分かった。娘はくれてやる。親の俺らががたくそ言ってたんじゃあ始まんねえや。まあ、俺もかかあもこういうがらっぱちだ。もちろん、娘もそうだ。よろしく頼むわ」
そう言って。ぽんと頭を下げて、すいっと居間を出て行った。あとは、かかあと打ち合わせしてくれと言い残して。お母さんが、口元を押さえて笑っている。
「絶対に済まないとは言わないねえ」
「まあ、それが親父だからなあ」
「あはは。照れ屋なんだよ」
お母さんは、安心したように膝を崩した。
「ほんとはねえ、父さんは嬉しいのさ。なんだかんだ言って、あたしや父さんが望んでいたようになったからね」
「へ?」
しずちゃんが、きょとんとしてお母さんの顔を見つめた。私も首を傾げる。望んでいたって、何をだろう?
「あたしたちにはあんたしか子供がいないでしょ? あんたはいずれ嫁いであたしたちから離れてくんだ。手塩にかけても、あんたはいずれよそ様のものになっちまう」
「うん」
「それがうんと遠いところだったり、ダンナがあたしたちとかけ離れた人だったら、あたしたちはもうあんたに関われない。それがいくら親子であってもね。でも、あんたたちの新居はうちから近いでしょ? リックさんの職場は転勤がないって聞いてるし。あたしたちに何かあればすぐに来てもらえるし、あたしたちもすぐに行ける」
「うん」
「世間一般に言う、スープの冷めない距離ってわけさ。結婚が親との縁の切れ目ってわけじゃないからね。あんた方に子供が出来れば、そのお産扱いもしないとならない。孫の面倒見ることも出て来るでしょ。近けりゃそこんとこが融通利くし、あたしたちも嬉しいからね」
お母さんが、弾んだ声でそう言って頷いた。
「あんたが誰を選ぶかは、あたしたちには選べない。だから覚悟はしてたんだよ。でも、あたしたちは運が良かったね」
「ふうん」
しずちゃんには、まだ実感が湧かないようだった。だけど、私は自分の書いた招待客の名簿をもう一度見つめざるを得なくなった。そう。なぜ、そこに自分の両親弟妹が入っていないのか、を。
「リック、どしたん?」
急に黙り込んでしまった私を見て、しずちゃんが訝った。
「ええ。私は、自分のドアを全部開けたつもりだったんです。しずちゃんにも、しずちゃんのご両親にも」
「うん」
「でも、一番肝心なドアをまだ開けていなかったです」
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