第四話 身の上
私はしずちゃんにゆっくり休んで欲しかったんだけど、しずちゃんが話をしたがった。そうだね。私は最初にしくじってる。自分のことをしずちゃんに何も話していない。けれど、私は自分のことを話すということに慣れていない。どうしようか。
「まず、自己紹介しましょうか。私はまだしずちゃんという呼び名しか知りませんから」
「ああ、そうか。そうだったね」
「私は、リック・マクブライトと言います」
「かっこいい名前だなあ」
しずちゃんがストレートに感心してる様子。
「そうですか? リックと言う名前は別に珍しくないです。太郎や花子とそんなに変わりませんよ」
「へえー」
そういうものなのかと言う感じで、しずちゃんがじっと私の顔を見る。
「あたしは丸子静流さ」
まるこしずる、さんか。
「どういう漢字なんですか?」
「リックは漢字が読めるの?」
「だいたいは」
「すげー!」
大仰に驚くしずちゃん。
「丸三角の丸に、子供の子、静かに流れる」
「きれいな名前ですね」
しずちゃんが苦笑を見せた。あれ?
「名前が全然実物に似合ってないでしょ? うちの親も失敗したと思ってるはずだよ」
「そうですか?」
「うん」
そうかなあ。私が首を傾げたのが、しずちゃんには意外だったようだ。しずちゃんは名前のことはさらっと通り過ぎて、私に謝った。
「最初にさあ、いきなりすっ飛ばしちゃったから、後でしまったあと思ったんだけど、あたしが酔っぱらってべらべらしゃべったの、もしかしたら理解出来てなかったんじゃないかと思って」
「どうしてですか?」
「いや、リックは日本人じゃないだろ?」
ああ、そういうことか。
「いえ、ほとんど分かりますよ。日本での暮らしももう五年以上になりますし。日本に来る前から、ずっと日本語を学んでましたから。英語と全く同じ程度とは言えないですけど、ほとんど不自由はないです」
「すげー。あたしは大学が英文科だったけど、英語は全然身に付いてないなー」
英文科? それは知らなかった。
「じゃあ、英会話も出来るんですか?」
「無理」
きっぱり答えたしずちゃんに、思わず苦笑する。しずちゃんが、あたしのことはいいだろって感じでストレートに突っ込んできた。
「ねえ、リックは、なんで日本語勉強しようと思ったわけ?」
どうしようか。迷った。私は、自分の家庭のことを他人に話したことがない。それは人に言っても仕方のないことだし、私自身を見てもらうのにはかえって障害になるだろうと、ずっとそう思ってきたからだ。けれど、しずちゃんは自分や家族が抱えているトラブルを正直に私に話している。私が上辺だけを取り繕っても、それはすぐにしずちゃんに感付かれるだろうし、しずちゃんはそれに嫌悪感を抱くだろう。
私はしずちゃんと付き合いたい。もっとしずちゃんのことを知りたい。しずちゃんと触れ合いたい。だとすれば、私は隠し立てしないで、自分をちゃんと見せないとならないのだろう。それが私にとって辛いことであっても。しずちゃんは、これまでの相手とは違う。しずちゃんは、しずちゃんなんだ。私は覚悟を決めた。
「しずちゃん」
「ん?」
「私は……私生児なんですよ」
「しせいじ?」
「私は父をほとんど知らないんです。見ての通り私は黒人ですが、純粋な黒人ではありません。私は混血なんです」
「あ、やっぱり」
「分かりました?」
「うん。なんとなくアジア系入ってるかなあって。だからなんか親しみやすかったって言うか」
それは、私にとっては意外だった。私には意味がないと思っていたこと。でも、それを感じとってくれる人がいたんだ。私の中に隠されていた日本人の血。そこに、ぽっと灯りが点った。
「私の父は日本人なんですよ」
「ああ! それでかあ!」
「はい」
「離婚?」
「いえ、父は私を認知していません。母のところに出入りはしていましたけど、母が愛想を尽かしたんです」
「うわ」
「仕事でアメリカに来た時にだけ母のところに顔を出し、母を抱く。横柄な人ではなかったみたいですが、普通の家庭を築こうとする気はなかったんです。母がそれに我慢出来るわけがないです」
「そりゃそうだわなー」
「ですよね。それで父に絶縁状を叩き付けて、別れて。その後別の男性と再婚しました」
「へえー」
「母の再婚相手は、母と同じ黒人です。母と二度目の父との間に弟と妹が出来て……私は家に居づらくなったんですよ」
しずちゃんが、じっと私の顔を見つめた。私は……顔を伏せた。
「父は誠実で穏やかな人ですけど、私と実子との間で微妙に態度が違いました」
「冷たくされたん?」
「いいえ。逆です」
「ああ、そうか。お客様になっちゃったんだ」
しずちゃんが、一発で当てた。
「はい」
「そらあしんどいわ」
「そうなんですよ。エレメンタリーの時には、こんなものかなあと我慢していたんですけど……」
「エレメンタリーってのは?」
「こっちでいう小学校です」
「ああ、なるほどね」
「そのあとだんだん父の遠慮が苦痛に感じられるようになってきて、高校に進む時にはもう日本に行くことを決めてました」
「なんで?」
「アメリカに居れば、私はずっと中途半端な位置のままです。黒人でも、白人でも、日本人でもなく、家の中での居場所も固まらない」
「うん」
「日本に居れば、私は間違いなく『外人』です。私は、自分の位置付けに悩まなくて済みます」
「ふうん。なんか寂しいねえ」
しずちゃんが、ぽそっとそう言った。それは、同情とも軽蔑とも違う響きだった。
「高校に進むと同時に日本語学校に通って日本語を猛勉強しました。アルバイトをしながら渡航費用を貯めて、日本文学を学ぼうと思って、日本の大学に留学を決めたんです」
「一人で?」
「もちろんです」
「親は反対しなかったの?」
「反対なんて出来ませんよ。準備は私が一人でしたんですから」
「すげー」
「日本に留学していた四年間で、私は日本がますます好きになりました。こっちはアメリカに比べて安全で、ずっと穏やかです。私には、こっちの方が合っています」
「じゃあ、将来はこっちで暮らすの?」
「帰化するつもりでいます」
「日本人になるんだあ」
「ええ」
「そうかあ……」
私がしずちゃんに話したこと。それは、私がこれまで母にすら言えなかったことだった。母や父が私を疎んだのであれば、私の割り切りはもっと早くに出来ていただろう。だけど両親は私を気遣い、それが私を苦しめた。私がいることで、両親に余計な精神的負担をかけているんじゃないのか、と。両親の気遣いが重苦しくて、私は日本に逃げたんだ。
私が黙り込んでしまったのを、しずちゃんが気にした。
「なんか、言いにくいこと言わせちゃったみたいで」
「いえ、しずちゃんが無理に聞き出そうとしたわけではないですから。それに」
私は、顔を上げてまっすぐしずちゃんの顔を見つめた。
「私は、しずちゃんとお付き合いがしたいです。その時に、隠し事をしたくないんです」
しずちゃんは、ものすごく驚くかと思ったけれど、少しだけ笑って答えた。
「いいよ。リックがあたしに付き合えるならね」
は?
「どういう、意味ですか?」
「そのまんまだよ。さっき言っただろ? あたしはわがままなんだ。リックがそれに耐えられるんなら付き合って」
しずちゃんは、私をどう思っているんだろう? しずちゃんの返事からは、私は何も読めなかった。でも、しずちゃんは私を拒絶したわけじゃない。最初のドアは開けてくれたんだろう。私は、先に進むことにしよう。
しずちゃんはまだ話をしたかったみたいだけど、また咳がひどくなってきたので、休ませることにした。しずちゃんに出してもらった毛布にくるまって、しずちゃんのベッドに寄りかかって眠った。
まるで私は、行き先の分からない難民のようだなあと思いながら。
◇ ◇ ◇
翌日、しずちゃんの容態はかえって悪くなっていた。熱が上がり、咳が止まらない。私を引き止めたのは、全然良くならない自分の体調が本当に不安だったからだろう。もう自宅で看るのは無理だ。そう判断してしずちゃんの会社に欠勤の連絡を入れ、私も急きょ休暇を取った。それから嫌がるしずちゃんを強引に病院に担ぎ込み、診察を受けさせた。
しずちゃんは、マイコプラズマ肺炎だった。いくら強がりのしずちゃんでも、お医者さんの落とした雷はものすごく堪えたらしい。あんた死にたいのかって言われたからね。原因菌が完全に消えるまでは、咳が治まっても抗生物質を飲みなさいと命じられ、衰弱していることと栄養失調がひどいこともあって、一日だけだけど入院になった。
迷惑かけてごめん。萎れて何度も小声で謝るしずちゃん。それを見ながら、私はふと自分を振り返った。一人で生きるというのは、容易なことじゃないな、と。
幸い処方された薬がよく効いて、しずちゃんの咳と発熱はすんなり治まった。それにほっとしたんだろう。しずちゃんは、翌日退院してアパートに戻ってから急に饒舌になった。
「ねえ、リック」
「はい?」
「リックはさ。どうして料理が上手なん?」
キッチンでおかゆを作る私に、声が掛かった。
「上手かどうかは微妙ですけどね。でも、自分でしないと誰もしてくれませんから」
「外食できるだろ?」
「確かにそうなんですけどね。私は学生の時には本当にぎりぎりの生活をしていたので」
「ああ、そうかあ。あたしゃ甘いんだなあ」
しずちゃんが、小さくなる。
うーん……。しずちゃんは自分のことをわがままだと言ったけれど、それはきっと違う。意地っ張りではあるけれど、ひねくれていない。とても素直なんだ。きっと恐いお父さんがしっかり囲い込んで育ててきて、しずちゃんは世俗の汚れにまだ塗れていないんだと思う。
開けっぴろげで、裏表のないしずちゃん。感情表現もストレートで、すごく分かりやすい。でも自分を丸見えにすると、誰にどうつけ込まれるか分からないから、自分を守るためにことさら刺を立てて見せる。わがままだって言い張るのは、きっと自衛のためなんだろう。
父親のことをくそみそに言うけど、それでも両親には愛されて育って来たんだろうなあと。私はとてもうらやましかった。
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