第6章 最後の戦い

血戦。そして茉莉歌の決意

 陽が落ちた。

 刻々と闇を深めていく聖痕十文字大学早稲田キャンパスの片隅に、血と臓物に塗れた少女が、虚空を見つめて独り立ちつくしている。

 襲い来る怪生物たちを、おぞましい異獣たちを、その異能の赴くままに誅戮し尽くした、エナだった。

 見ろ。少女の周囲は、これを間近で見る者がいたならば、全員が己が正気を疑うに違いない悪夢のような異境の様相を呈していた。

 彼女が切り刻み、すり潰し、燃やし尽くした異形達の残骸が、巨大甲虫の、環状生物の、宇宙ナメクジの、猛毒粘菌の、空飛ぶ腫瘍の無残な屍が、グズグズと血や粘液や臓物をこぼしながら、少女を取り囲んでうず高く積み上がっているのだ。

 少女の浅黄のワンピースは血に濡れてどす黒く闇色に染まっている。

 少女のしなやかな手足には、蒼白の顔には、不定形生物の体内から飛び散ったヌラついた分泌物が、甲虫や大長虫の残骸から噴き出した緑灰色の体液が、ポタポタと滴っている。


「ふぅぅぅうぅうぅうぅうう…………」

 唇にヌルリと垂れてきた蒼黒い漿液を真っ赤な舌で舐めとりながら、彼女は、甘く昏い歓喜の余韻に浸っていた。

 キャンパスのそこかしこに、サガミザリガニや、オオウミウシや、不定形生物たちの残り滓が撒き散らされて、まるで腐った果実の様な、ふしだらな匂いを放っている。


゜+ ゜*。.:+* .。*゜+.*.。..。゜+..。゜+.。゜+ .。゜+..。゜+


「…………ぁあ!!」

 と、その時だ。

 少女が息を飲む音。

 エナの真っ暗な洞穴のようだった瞳に、幽かな光が戻ってきた。

 今ようやく、我に返ったのだ。


「そんな……」

 エナは周りを見渡し、自身が積み上げた屍の山を見上げ、自身の所業を反芻すると、


「ひぐっ!」

 地面に膝をつき、血塗られた貌を両手で覆って、暗いキャンパスでひと時すすり泣いた。

 またやってしまった!


 エナは、自身に恐怖する。

 いったい、何時の頃からだろう?

 エナが死の淵から還る度だろうか?

 エナが『願い』を全うする度だろうか?

 彼女の魂に巣食い育ってゆく形容しがたい、抑えきれない混沌カオス

 カオスは破壊と殺戮を望み、破壊への誘惑、殺戮への衝動は日毎に膨れ上がり、今や彼女の理性の制御の域を超えつつあった。


 だが……!

 今ここで、悔んでいる時間などない。


「まだ、やる事がある! 私が……本当に壊れてしまう、その前に!」

 三人を、追いかけなければ。


 エナは決然と顔を上げる。

 エナはコータのことを思う。

 あの時、何もかもがどうでもよくなったエナ、捨て鉢になって父を討とうとしたエナを、身を呈して止めてくれたコータ。

 そしてエナを救おうと、自身の『願い事』を何の躊躇もなく使ってくれたコータ。


「コータさん!」

 エナは、研究棟を見上げた。


 ……ピピピ!


 彼女の赤い髪留めが、最上階から放たれる強烈な毒電波を受信する。


 ……コータさん達が、危ない。助けないと!!

 混沌から立ち返り、まだ思うように言うことをきかない我が身に鞭打って、エナは震える足で立ちあがった


「コータさんコータさんコータさんコータさんコータさんコータさんコータさんコータさんコータさんコータさん……!」

 秩序と混沌の狭間を漂うエナにとって、今やコータは正気の岸に辿り着くための唯一のアイコンとなっていたのだ。


 彼女は、戦いで疲弊しきった体を引きずって、研究棟の入口へと歩いて行った。


  #


「脳みそ~~~! 脳みそをよこせ~~~!!」

 周囲の机やロッカーをガラガラと押し倒し、蛸足の様なおぞましい触手をのたくらせながら、大槻教授が三人に襲いかかってきた。


「どうかしてる! 逃げろ!」

 呆れ果ててリュウジが叫ぶ。

 研究室から飛び出す三人。

 だがその時だ。


「ううあ!」

 突然、茉莉歌が転んで床に突っ伏した。


 ヌルリ。


「つかまえたあ~~~! まずは一人!」

 教授が、したり顔で嗤った。

 教授の伸ばした触手が、茉莉歌の足首に絡みついたのだ。

 触手を巻き上げて、茉莉歌を自分のもとへと引きずってゆく教授と、


「きゃあああ!!」

 スカートを押さえながら、逆さで宙吊りになる茉莉歌。

 教授が茉莉歌をたぐりよせる。

 彼の卑猥な頭部が茉莉歌に迫ってきた。


「あははははあ! ちゅぅがくせぇ・・・・・・・・の脳髄にアクセスするのは初めてだぞ! さあてどんな味かな~~ぁあ'`あ'`あ'`あ'`あ……」

 興奮した教授が、禿げ上がった頭部をまるで風船のように元の大きさの数倍に膨れ上がらせた。


 そして、

 シャキン。

 蛸足の先端から、内側に埋め込まれていた鋭い医療用メスが生えて来た。

 教授がそのメスを、おもむろに茉莉歌の喉元に突きつけた。


「いやぁあああ! リュウジおじさん!」

 茉莉歌は恐怖で絶叫する。


「茉莉歌ぁあ!」

 リュウジが、教授と茉莉歌向かって駆け出した。


 シュラン。

 彼は、背中におった日本刀の柄に手をかけて、鞘からその刀身を抜き打った。

 旅の道中で、魔王衆『琉詩葉るしは』から賜った妖刀『関ノ孫六兼元セキノマゴロクカネモト』。

 万が一にと備え携えてきた刀だが、今こそ抜く時だ。

 彼は教授に走り寄った。


 バサリ。バサリ。

 リュウジは次々と教授の触手を両断していく。


 だが、彼が切った端から、すぐに新しい触手が生えてきて、ヌルヌルとリュウジの行く手を阻むのだ。


「馬鹿め! そんなもので私は倒せん! 肉体のセキュリティとバックアップにも細心の注意を払っているのだ!」


 シュバッ!


 突如リュウジの脛に、鋭い痛みが走った。


 あ! リュウジは自身の足元を見た。

 なんということ、切り落とした教授の蛸足が、ウネウネと彼の足元に這い寄ると、先端から生やした鋭いメスで彼の脛を切り裂いたのだ。


「うあああああ!」

 たまらず痛みで膝をつき、床を転げまわるリュウジ。


「ふん!」

 教授は鼻を鳴らして、新たな触手でリュウジの体をなぎ払った。


 ゴッ!:*:・。,☆゜'

 ロッカーに頭を強打して、リュウジは昏倒した。


「リュウジーーーー!」

 彼に駆け寄ろうとするコータだったが、彼のその足にまたしても、床にのたくる蛸足が絡みつく。


「うおおお!」

 コータもまた転倒。


「ふん、愚鈍なブタどもめ!」

 教授が舐めきった様子で、リュウジとコータを見下ろした。


「貴様らは、後でゆっくり料理してやる! まずは、ちゅぅがくせぇの『処置』が先決。だが、その前にぃいいい……!」


 シパンッ!


「いやあっ!」

 茉莉歌が再び悲鳴を上げる。

 教授のメスが、茉莉歌のスカートを無残に切り裂いたのだ。

 そして見ろ。むきだしになった茉莉歌の脚を、教授のヌラヌラとした汚らわしい触手が、ゆっくりとまさぐっていくではないか。


「あっ……! ぁあっ……! んぅうあぁ……!」

 あまりの恐怖とおぞましさに、茉莉歌は涙を流して全身を硬直させた。


「あはははははぁあ! たぁまぁらぁんなぁぁぁ!!」

 卑猥に高笑する教授。

 そして茉莉歌の全身に、教授の触手が迫ってきた。


 あぶない茉莉歌!

 だが、その時だ。


 ビクン。

 唐突に、教授の触手が痙攣して、その動きを止めた。


「な、何だ? 体がっ! 言うことを……!」

 教授は戸惑っていた。

 教授の肉体を構成する数百の『補助脳』の一部が、なぜだか彼の管制を拒んでいるのだ。


「そんな馬鹿な! 『補助脳サブシステム』の『自我』が、私の動きを阻むだと!?」

 愕然の教授、補助脳の制御は完璧だ。

 『叛乱』など、ありえないはずなのだ。


 だが、


「お父さん! お母さん!」

 なぜだか茉莉歌は直感した。

 彼女の両親が、父親が、母親が、教授の内側から彼を制して、今、茉莉歌を助けようとしている!


「ああつつつ……。こ……コータ! 用意はいいな!」

 目を覚ましたリュウジが、コータに叫ぶ。


「ああリュウジ!」

 ようやく触手を振り払ったコータがそう答えて、メタルマンスーツの掌底を教授に向けて構えた。


「茉莉歌! これを使え!」

 リュウジは、足をひきずりながら教授に近づいた。

 そして、腰から下げた手榴弾を手に取ると、茉莉歌に向けてほおり投げたのだ。


 学園での最後の戦いで、理事長から渡された爆弾だった。


「わかった!」

 教授に宙吊りにされながら、必死で爆弾をキャッチする茉莉歌。


 だが、


「うう、でも……やっぱり……!」

 彼女は躊躇っていた。

 教授の体を破壊するということは、教授の中にいる彼女の両親も一緒に……。

 泣きそうな顔の茉莉歌に、


「ぐうううおおおお! 待っていろぉ! 小娘ぇ!」

 教授が、凄まじい形相で茉莉歌を睨んで呻った。


 ビクンッ! ビクンッ!

 ヒクヒクと触手が痙攣して、教授の元へと収束してゆく。

 教授が必死で補助脳を『管制』し、再び肉体の自由を取り戻そうとしているのだ。


 その時だった。


「茉莉歌。いいんだ……」

 懐かしい声が、茉莉歌にそう語りかけてきた。

 お父さん……! 彼女は目を見開いた。

 教授の内側から、茉莉歌だけに聞こえてくる父親の声だった。


「よく、ここまで来てくれた。すまない茉莉歌、さあ早く……」

 父は、懇願するように茉莉歌に言った。


 ……わかった。

 茉莉歌は、眦を決した。


「お父さん……! お母さん……! さ よ な ら !」

 ピツン。茉莉歌は手榴弾のピンを引き抜いた。

 そしてアングリ開いた教授の口中に、全身全霊を込めて、爆弾を突っ込んだ。

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