第6章 聖眼の巫女 2
「あなたがランヘルト、フィリスと契約していた闘魔種ですか?」
漆黒の大剣で押してくる力を、リオンは短めの
元々、闘魔種としてのランクが上で、ランヘルトは闇墜ちし魔人となり身体能力が増している。その上、
「ああ、そうだ。そう言う君は誰だ?」
生の声に別の何かが重なっているように、リオンの耳には聞こえた。
何とも言いようのない威圧感を、リオンは感じずにいられない。
「声に魔力を帯びていますね」
ジゼルが、傍らのアーダに語りかけた。
赤地に金の鐘を描いた紋章盾を前に突き出し、玉鋼の長剣を引いて構えている。アザレア騎士団の繊細な作りをした鎧を魔力による炎の明かりで、不気味に彩っていた。頭の周囲をサークレット状に覆ったヘルムのバイザーは上げられ、ジゼルの理知的な美貌には若干の緊張が湛えられている。
「ええ。ただの魔人ではなく、魔界の者となっているわね」
アーダも頷く。
ミスリル製の長剣を、油断なくランヘルトに向けている。剣と同じ希少金属――ミスリルでできた精妙な作りをした鎧は、アーダによく似合っていた。ジゼルやルナと似たヘルムのバイザーは上げられ、その精緻な美貌が際立っている。
「まさに、〝魔神〟の騎士というわけですね。あの鎧、ダークメイル……」
ルナは、気の強そうな碧い瞳で、ランヘルトを睨むように見ていた。
細身の身体にアザレア騎士団の繊細な作りをした鎧は、実に軽快そうだった。頭の周囲だけを覆うサークレット状のヘルムであるので、ポニーテールが背に垂れて見える。夜の視界の悪さを嫌ってバイザーを上げているため覗くきりっとした目鼻立ちと相俟って、勇ましげに見えた。後ろに引かれた紋章盾には、赤地に白い鷲が描かれていた。玉鋼の長剣を前に構え、いつでもアーダの前に出られるよう身体にバネをためている。
「僕は、フィリスの契約闘魔種、リオン・ベレスフォード」
挑むように、リオンは名乗った。
フィリスから譲り受けたダマスカス鋼の
リオンは、目の前のランヘルトが許せなかった。彼のせいでどれほどフィリスが苦しめられることとなったか。闇墜ちしたばかりでなく
自然、リオンのまだ幼さが残る顔に、怒りが湧く。
「ほう。フィリスの契約闘魔種か。それは、驚いたな。聖眼の巫女の契約闘魔種は俺一人だった。フィリスが、俺以外と契約したがらなかったのでな。そのたった一人の契約闘魔種がしでかした暴挙で、フィリスと契約しようなどという物好きはいないと思っていたのだが」
「ランヘルト……」
押し殺した声が、リオンから漏れた。
「あなたのせいで、聖眼の巫女フィリスは、災厄の巫女だなんて呼ばれ蔑まれたのですよ。僕と出会うまで、聖教会から施しを受けて暮らしていた。あなたを救おうと、一人でこの魔都フェリオスにやって来たり。闘魔種でもない者が、一人でここに来ることがどれほど危険か、分かるでしょう。フィリスは、あなたを救うために自分の命を投げだそうとしたんです」
リオンは、ランヘルトの言い様が許せなかった。
自分の行動で、フィリスがどのような目に遭うか、分かっているような言葉だ。
「頼んだことではない」
魔力を帯びたランヘルトの口調は、冷たかった。
つと、鍔迫り合いをしているリオンから、後ろにいるフィリスへ視線を移す。
「唯一の契約闘魔種を失ったあと、フィリスは未練がましく俺を探していたのか? 聖眼の巫女など、元からフィリスには過ぎた異名だった。ただの子供でしかない。三年間一緒にいて、そのことはよく分かっている。本来あるべき己の立ち位置に、フィリスは置かれただけだ。反動で、少し周囲に冷たくされただけで、悲劇ぶるとは。聖眼を持つグランターであったからこそ、俺はフィリスと契約した。俺に進むべき道を指し示してくれるだろうと、期待してな。だが、現実のフィリスはどうだ? 我が儘な、今を楽しく生きられればいいと考えるただの子供だ。世界のあるべき姿、俺が歩むべき道、そのどれもフィリスは照らし出すことがなかった。聖眼の巫女などと呼ばれるだけのものが、何一つフィリスにはない」
非情な言葉を、ランヘルトはフィリスにぶつける。
まだ幼い綺麗に整ったフィリスの顔が、これまでランヘルトから浴びせられたことのない言葉で、痛切に耐えるような表情になった。
「……ランヘルト……」
呟くようなフィリスの口調は、悲しげだった。
フィリスは、これまで暖かな優しい世界にいた。まだ子供とも言える彼女が、突然、寒風吹き荒ぶ吹雪の中に投げ出されたのだ。それに耐える術を、フィリスは知らない。ただただ、ランヘルトの言葉に打ち据えられるだけだ。
「何と……」
ジゼルは、
「酷い」
怒りを碧い瞳に、ルナは浮かべた。
アーダは、打ち拉がれるフィリスを無言で見る。
「フィリスは、まだ一一歳の女の子でしかないんですよ!」
リオンには、ランヘルトの言葉は到底信じられないものだった。
仮にも、フィリスの契約闘魔種として三年も過ごしてきたのだ。情の一つも移ろうというものだ。ランヘルトは、フィリスよりもずっと年上なのだから。
「それを、そんな言い方をして。そんな見方をして、フィリスに接してきて」
怒りが、リオンの中で込み上げてきた。
「……リオン……」
フィリスの声は掠れていた。その綺麗に整った面には、辛そうな表情が浮かんでいた。それでも、リオンの言葉で金色の双眸に微かな光が宿った。
出会ってまだ十日ほどだが、リオンはフィリスの純粋な思いを知っている。リオンをたまたま闘魔種としてしまい、ランヘルトを探すため利用しようとしてできなかったり。リオンが、自分の契約闘魔種であることを悩み、
一一歳の女の子ができる精一杯のことをしてきたのだ。リオンは、フィリスに全能の神のごとき見識など求めていない。己の道は、己で探し切り開くべきだと思っている。幼い頃、両親を魔物に殺されたリオンには、闘魔種となり魔都フェリオスを攻略し次元秩序崩壊を治めるといった熱意がある。他人に己の道を決めてもらおうなどとは思わない。
「それのどこが悪い! フィリスは、俺に道を指し示さなくてはならなかった」
「まるで、子供そのものだな。ランヘルト」
絹のように滑らかな声が、響いた。
アーダが、精緻な美貌に静かな怒りを湛えていた。
「他人に己の道を指し示してもらうだと? 甘えるな。ランヘルト、貴様は、己の進むべき道も見付けられないほど、子供なのだ。他人が示した道を選ぶことに何の意味がある? 聖眼の巫女と呼ばれたフィリスに、己の未熟さを押しつけるために近づいたとは、呆れ果てる」
冷厳な怒りが込められたアーダの声は、聞く者の心胆を寒からしめるものがあった。
「俺が子供だと? 次元秩序崩壊以降混乱した世界に光を指し示した者がいたか?」
ランヘルトの
「誰もいない。誰もどうすべきか分からない。この魔都を攻略すれば次元秩序崩壊が終わると言われているが、本気で攻略するつもりなど誰にもない。大陸会議のような茶番は何だ? 魔都から得られる利益に目の眩んだ者たちの集まりだ。いかに、魔都フェリオスをこの世界に存続させるかに、日々頭を悩ませているのではないか? 正論を本気で信じ誰にも実行させないように。魔物から得られる
内に秘めてきた不満を、ランヘルトは吐き出した。
次元秩序崩壊以降、魔都フェリオスが出現してからこの世に存在する矛盾。
ランヘルトは、根が純粋だったとリオンは思う。世界が抱える矛盾が我慢ならなかった。だからこそ、自分を導く存在が欲しかった。聖眼を持ったフィリスは打って付けだったのだ。だが、世界の展望を考えるには、フィリスは幼かった。
「兄上は真剣に考えておられた」
押し殺すように、アーダは口にした。
「その兄上を、貴様は殺した。何故だ? 進むべき道を指し示して欲しかったのだろう?」
最後の方は絶叫するように、アーダは声を張り上げた。
兄であった王太子ベルトナンを殺された怒りが憎しみが、アーダから爆発した。思わず、リオンは背後のアーダに視線を向けた。怒りを発散させたアーダは、生気に満ち一層美しくすらあった。弓姫と異名を取るアザレア騎士団団長ロクサーヌ王国第三王女アーダ・デューク・ロクサーヌは、その身に秘めた類い希な戦闘力――闘争心に火がついたようだった。
「俺は、〝魔神〟と出会った。〝魔神〟は、愚かな人間とは全く異なっていた」
アーダの怒りを受けるランヘルトは、端正な顔に冷徹さを浮かべる。
「この世界のあるべき姿を、俺に教えてくれた。共に目指そうと言ってくれた。魔都フェリオス攻略も未だにならない人間たちとは違い、俺の行くべき道を照らしてくれた。だから俺は、〝魔神〟の騎士となった。〝魔神〟は、ベルトナンを脅威と感じていた。今後の攻略を阻み、一一層以下の層域を取り戻すために、除いて欲しいと言われた。だから、俺は、ベルトナンを殺した」
静かに、ランヘルトは語った。
己の求道に純粋すぎたと、リオンは思った。だから、
「それで、兄上を殺したのか?」
怒りに、アーダは燃えていた。
「そうだ」
ランヘルトは、肯定した。
落ち着き払い理性的でもあるランヘルトは、確実に狂気を宿していた。
「兄と交友もあった貴様が、そのような戯れ言に耳を傾けるなど。〝魔神〟の言葉を、受け入れるなど。正気とは思えん。貴様のしでかしたことで、わたしはフィリスを憎むことになったのだぞ!」
アーダは、鋭く言い放った。
「これ以上、貴様らと語らったとて、意味はあるまい」
暗黒色のダークメイルを身に付けたランヘルト――
握る漆黒の大剣に、力が込められる。それまでの鍔迫り合いが力を抜いていたと分かるように、軽々とリオンの
後ろに飛び退き、リオンは斬撃を躱す。
「フィリス、下がって」
打ち拉がれ萎れて見えるフィリスに、リオンは声をかけた。
どことなく、フィリスは呆然としていた。ランヘルトの言葉がショックだったに違いない。
「ジゼル、フィリスを安全な場所へ」
言いつつ、ミスリル製の長剣を真横に構え、アーダはランヘルトに突っ込んだ。
遅れてはならじと、ルナも続く。
銀色の軌跡が、鋭く一閃する。
アーダの振るう長剣が、ダークメイルを纏ったランヘルトを横に薙ぐ。
高ランクにあるはずのアーダの一撃をあっさりと、ランヘルトは微動だにせず漆黒の大剣で軽々と弾いた。その腕前は本来の闘魔種のものだろうが、尋常ならざる力は魔人としてのものだけではなく、ダークメイルによるものだろう。並々ならぬ相手だった。
「リオン、下がれ。ここからはわたしの戦いだ」
瞠目したアーダは、間合いを取りつつリオンに呼びかける。
魔力による炎が赤々と照らす煉獄を想像させる塔の最上階にあって、白銀の鎧を纏ったアーダの姿は、悪魔を倒し地獄を滅するため、天から降臨した戦女神のようだった。ミスリル製の長剣の切っ先を
「王女様、これは僕の戦いでもあります。ランヘルトは、僕の契約グランターを、フィリスを傷つけた。見物なんてしていられません」
リオンは引き下がらない。強い意思を滲ませるように、
「全く」
ふっと、アーダは笑んだ。
バイザーを上げた頭の周囲だけを覆ったヘルムから覗く精緻な美貌は、どことなく嬉しそうだった。
「間違っても、あの大剣を喰らったりするなよ。今のリオンの装備ではひとたまりもない」
ちらりと、アーダはリオンの全身に視線を送る。
リオンは、アーダたちのような防御力に優れた鎧を身に付けていない。尤も、彼女たちが纏う鎧は、作りが華奢で通常の騎士たちの鎧のように装甲は決して分厚くはない。それでも、守るべき箇所はしっかりと防御されている。材質のよさも相俟って、かなり防御力は高そうだ。
アーダの鎧は、軽くて鉄を越える硬さを持つとても貴重なミスリル製だが、他のアザレア騎士団員の鎧もただの鋼ではない。通常の鉄よりも銀色をしたキラキラした輝きから、玉鋼で作られているとリオンは見ている。アーダのそれには劣るものの、相当な防御力を有している。とても値が張り、リオンではとても手が届かない代物だ。
リオンの装備は、戦闘用
だが、相手はダークメイルを纏い
「はい」
リオンは、短く返事を返した。
弓姫アーダが、共闘を許可してくれたことは嬉しい。彼女は、英雄の一人と目される実力者だ。共に戦える機会など、この先ないだろう。
リオンは、改めて短めの
ゆったりと漆黒の大剣を下げて構えるランヘルトに、観察する視線を送る。
無造作な構えのようだが、大剣の間合いもあってなかなか隙がない。先ずは、攻撃の機会を作り出す必要がある。リオンは、ギュッと
闘魔種としての身体能力を発揮して、脱兎の勢いでランヘルトへ迫る。リオンは、
ランヘルトは、漆黒の大剣でその一撃を弾いた。金属の重い振動が、リオンの手を痺れさせる。全く、力が違いすぎる。が、それはすぐに隙へと繋がった。
四対一の戦いで、一人のために動けば他の者に攻撃のチャンスが生まれる。
透かさずアーダは、間合いを詰め長剣を空いた脚部に打ち込む。
旋風が巻き起こる。
ランヘルトは、闇墜ちし魔人として得た力に、
驚きに、リオンは目を見張る。
闘魔種としてのランクが自分よりも遙かに上であるアーダの一撃を弾くのみならず、力業で体勢を崩させたのだ。
ランヘルトは、すぐさま漆黒の大剣を振り上げアーダに叩き込む。
「せやっ」
短い気合いの声を上げながら、ルナが間合い外から長剣を振るう。
ルナが有する
「済まない」
一言告げると、アーダはさっと体勢を立て直す。
大剣を振り抜いたランヘルトに、後方へフィリスをやったジゼルが迫る。ジゼルは、長剣で鋭い突きを入れる。が、やはり小刀でも扱うように漆黒の大剣をランヘルトは振るい、攻撃を届かせない。
間髪入れず、ランヘルトは漆黒の大剣を叩き込む。
重い一撃がジゼルに見舞われるが、まるでその動きが分かっていたように、ジゼルは盾で受け止める。ジゼルの
そのとき、暗黒色の鎧――ダークメイルの継ぎ目から、青黒い光が発せられた。
「なっ!」
驚きの声が、ジゼルから漏れる。
漆黒の大剣を盾で受け止めていたジゼルの身体が浮き上がり、吹き飛ばされる。
信じられない、馬鹿げた力。
「ジゼル!」
アーダは叫びつつ床を蹴り、ランヘルトへと迫る。
「いやっ」
短い気合いの声と共に、リオンはバーサーカーに肉薄する。今ここで、そのような馬鹿げた力を振るわれては、自分たちは簡単に蹂躙されてしまう。ともかく、ランヘルトに行動の自由を許してはならない。あの馬鹿げた力を好きに振るわせてはならない。手傷の一つも負わせ、動きを鈍らせる必要があった。
瞬時に、リオンは身内にある
先に動いていたアーダに、ランヘルトは反応した。漆黒の大剣で、アーダの長剣を払う。それから急角度で大剣を返し、振り抜く。アーダは小ぶりのラウンドシールドで受け流す。力で劣っても技でアーダは凌ぐ。
完全に、ランヘルトの横合いはがら空きだった。
そこへ、リオンは清らかな白い光を宿した
小さな頃から師匠について剣を学んできたリオンの突きは、鋭い。剣士としてのレベルは、かなり高いと言っていい。
発現させた
遙かに格上の魔物すら切り裂き貫く並外れた斬撃力と刺突力を有するリオンの
咄嗟にアーダと行った連係攻撃。
うまくいったと、リオンは思った。が、次の瞬間、驚きにリオンは目を見開く。
リオンの白い光を宿した
ダークメイル――暗黒色の鎧の継ぎ目から発せられる青黒い光がさらに強まった。
その輝きは魔力を帯びていて、リオンの身体を吹き飛ばした。塔の壁に、リオンは激突し短い呻き声を発した。
「リオン!」
「馬鹿な!」
「何なの一体!」
アーダ、ジゼル、ルナの口から、驚愕の声がそれぞれ発せられる。
壁に激突し床に転がったリオンは、意識が飛びそうな頭を振り立ち上がった。目の前が、チカチカしている。改めて、ランヘルトを見た。身に纏う暗黒色の鎧は、青黒い光を継ぎ目から発している。まるで、膨大な魔力が漏れ出ているように。
――強い……。
ダークメイルを纏ったランヘルトは、闇墜ちした魔人といった域を遙かに超えているとリオンは改めて思った。闇墜ちし魔人となるには、大量の
ランヘルト――
ゆっくりと歩き、リオンはアーダたちの包囲網に加わる。
四人で、ランヘルトを取り囲む。
暫し、皆動きを止める。
リオンは、力の差が歴然としていても、相手から隙を見いだそうと懸命に探る。
動いたのは、ランヘルトだった。
漆黒の大剣を振り上げ、リオンへと迫った。先ほど見せた
白い光を宿した
漆黒の大剣が唸りを上げて迫るが、リオンに届くことはなかった。
ランヘルトの右横合いから、銀色の衝撃波が襲ったからだ。さすがに体重が力に抗えず、ランヘルトの身体が横へずるずると滑り、大剣が空を切り体勢を僅かに崩す。
アーダが、長剣を振り抜いたのだ。彼女が有する
「アーダ様、一旦お下がりください」
ジゼルは、赤地に金色の鐘が描かれた紋章盾を前に突き出しながら、アーダの前へ出た。隙なく
「何を……なるほど、分かった」
一旦反論しかけるアーダだったが、ジゼルの意を汲み頷くと後方へ下がる。
「ルナ、リオン殿。わたしたち三人で、ランヘルト――
素早くジゼルは指示を出す。
「分かったわ」
ルナは一つ頷き、赤地に白い鷲が描かれた紋章盾を後ろに引き、長剣を構え直す。
「は、はい」
返事をしながらも、リオンはこの場で最も強いアーダを、ジゼルが下がらせた意図が分からなかった。
「それじゃ、行くわ」
間合い外から、攻撃範囲拡張を用いてルナが長剣を振るう。
見えない刃が、ランヘルトを襲う。先ほど体験しているため警戒し漆黒の大剣を盾代わりにして、顔をガードする。本来なら届くはずもない攻撃をランヘルトは喰らうが、ダークメイルと大剣に阻まれた。
その隙に、ジゼルはランヘルトへ素早く迫った。
後ろに引いていた長剣で、鋭い突きを入れる。
ランヘルトは、盾代わりにした漆黒の大剣を動かすことで、その一撃を受け止める。大剣の角度を変えて、剣の平で受けた長剣の切っ先を流させる。左側に逸れる。すぐさま大剣を振るった。大威力の一撃。それを、ジゼルは攻撃予測を活かし盾の角度をうまく合わせ力を散らすように受けて、ランヘルトの脇を通り過ぎる。
「やっ」
すぐさま反撃をさせまいと、リオンが斬り付ける。
恐るべき反応速度で、ランヘルトはリオンの斬撃を弾き返す。
闘魔種として最低のNランクであるリオンの力は弱い。
そこへ、再びルナの
バックステップして、ランヘルトは間合い外からの攻撃を躱す。
三人で、猛攻を仕掛けているというのに、ランヘルトには全く通じない。
リオンが、
後ろに下がっていたアーダが、弓姫の異名の由来となった
とてつもない
が、光の矢がランヘルトに届くことはなかった。鎧の継ぎ目から発せられる青黒い光が一層強まり、光の矢が突き進むのを止めているのだ。
「なっ!」
リオンは、驚きの声を上げた。
ランヘルトの握る漆黒の大剣が血のような赤い光を発した。一閃、光の矢を切り裂いた。次の瞬間、光の矢は霧散した。
「馬鹿な!」
出現させた弓を構えたまま、アーダは
フィリスは、塔の最上階の隅で戦いの様子を見守っていた。
幻想的な金色の双眸には、驚きが満ちていた。フィリスの目に、ダークメイルを纏ったランヘルトは、驚異的に映った。闇墜ちした闘魔種は魔人となり力を増すことは知っていたが、これはその範疇を越えている。
自分の闘魔種であったときのランヘルトが戦う様を、フィリスは見たことがなかった。そもそも、殆どのグランターは戦闘そのものには無縁なのだ。それでも今のランヘルトが、尋常ならざる戦闘力を有していると確実に分かる。
リオンが発現させた
リオンたち四人が、一斉に攻撃してもダークメイルを纏い
さらには、アーダが弓姫と異名を取る由来となった攻撃を、凌いでみせた。戦いの素人であるフィリスの目からも、アーダが放った光の矢がいかに威力を秘めているものか分かった。アーダが有する
もはや、魔人の域を遙かに超えている。〝魔神〟の騎士とはよく言ったものだと、フィリスは思う。暗黒色の鎧の継ぎ目からは、溜め込みきれない魔力が溢れ出すように青黒い光が発せられている。そして、手に持つ漆黒の大剣。聖剣や魔剣、或いは神聖剣と呼ばれる物がこの世にはあるが、あれほどの物は数えるほどしかないだろう。
今もリオンたちは、果敢にランヘルトに攻めかかっているが、決め手を見出せずにいた。ともすれば、たった一人に押されがちになっている。
自分が、災厄の巫女などと呼ばれた理由を、ありありと見せつけられた。
圧倒的な戦闘力を有する〝魔神〟の騎士――
兄を殺されたアーダが自分を憎むのは、仕方がないとフィリスは思っていた。だが、見ず知らずの他人から、敵意を向けられることは納得できていなかった。心の奥底で、理不尽だと思ってきた。ランヘルトが辻斬りを行ったことで、その思いも消えた。フィリスは万人が自分に敵意を向け憎むのは、当たり前だと思うようになった。
そして、
誰もが恐れる、その持ちうる
理屈として理解していたことを、目の前に現実として見せつけられたのだ。
――ああ、本当にもう自分には居場所がないのですね。
フィリスは、思った。
元々、死を覚悟してランヘルトに一人会いに来たフィリスだったが、世界に拒絶されるのは辛かった。
――これも、ランヘルトを理解していなかったわたしのせい。ランヘルトの願いに応えられなかった、わたしの未熟さ。
静かに、フィリスは己の罪を認めた。
――でも、ランヘルトのことを救いたい。
切なる思いが、フィリスの中から溢れ出してきた。
様々な、後悔と寂しさが襲ってくる中、フィリスの中に決意が生まれる。ランヘルトを救おう、と。それは、彼に死をもたらすことだ。一度闇墜ちし魔人となった者は、二度と元に戻ることはない。
決意が決まったとき、リオンの笑顔がフィリスの脳裏に浮かんだ。世界に見放された自分に優しく手を差し伸べてくれた。ランヘルトに弾劾され冷たくなっていたフィリスを、再び暖かな世界に戻そうとしてくれた。お陰で、完全に挫けずに済んだ。
――決して、リオンのことは死なせません。
二つの決意が、フィリスの中で生まれる。
光明が、フィリスの中に差した。ここから、リオンと共に生きて帰ると。この先、リオンと一緒に歩んでいきたいと。
ともかく、ランヘルトを救いリオンを生きてここから帰す。
逡巡を振り切り、フィリスは金色の双眸に強い意志を宿す。
「リオン、もう少し耐えてください」
フィリスは、
ちらりと、リオンは
「どうにかできるのか? フィリス」
弓を消し去り果敢にランヘルトに挑むアーダが、振り向きながら尋ねた。
頭の周囲だけを覆ったサークレット状の巧緻な作りをしたヘルムから伸びた、輝きを放つ長い金髪がふぁさりと広がる。
「はい。リオンの
向けられる
「ほう。そのようなことをしたグランターを、わたしは見たことがないが」
「できると思います。ですから、リオン。それまで持ち堪えてください」
強い視線で、フィリスはリオンを見詰める。
目が合ったリオンも、見詰め返してきた。
「分かった」
リオンは一つ頷くと、ランヘルトに視線を戻した。
フィリスは、契約する神ブリュンヒルデに心の中で懸命に呼びかける。身内に宿る契約の聖痕を感じようと努める。己の中で、フィリスは確かに契約神との繋がりを感じた。その繋がりをより一層強いものへと変えていく。フィリスの金色の双眸が澄んだ光を発した。
フィリスの身内に流れる聖気が、激しく渦巻く。それを、懸命にたぐり寄せていく。流れを掴み、練り上げていく。神と繋がり
リオン、アーダ、ジゼル、ルナの四人で作る
アーダは言わずもがな、英雄の一人と目される武勇に優れた英傑だ。ジゼルやルナも、精鋭の闘魔種集団であるアザレア騎士団の中で、
四人の強者を相手しても、ランヘルトは全く怯む様子を見せない。それどころか、攻勢に出ている。
「きゃっ」
思わず、アーダの口から悲鳴が漏れ出た。
前に出てランヘルトと切り結んでいたアーダを、血のような赤い光を発するランヘルトの漆黒の大剣が捉えたのだ。大剣は、胸甲を打ち付けた。アーダは、後方へ吹き飛ばされた。
「王女様!」
「アーダ様!」
「姫様!」
リオン、ジゼル、ルナの口から、悲鳴に近い声が発せられた。
「……平気、よ」
アーダは、ゆっくりと立ち上がった。
怪我を負っている様子はない。リオンは、安堵した。アーダが纏っている鎧がミスリル製であることが、強力な魔力を帯びた大剣の一撃を凌いだのだろう。それでも、打撃はかなりのものであるはずだ。胸甲がひしゃげている。
「リオン、
そのとき、フィリスがリオンに呼びかけた。
「ジゼル、ルナ。リオンの盾になりなさい。リオンは、フィリスの言うとおりにして」
矢継ぎ早に、アーダから指示が飛ぶ。
アーダは、弓を出現させ光の矢をつがえる。
「リオン殿、下がって」
「期待させてもらうわよ」
ジゼルやルナから、声をかけられる。
ここが正念場であると、リオンは理解した。フィリスは、金色の双眸に澄んだ光を宿し全身を白く輝かせていた。リオンは、フィリスを感じようと努める。
己の身内にある
――フィリス……。
それは、フィリス自身に違いなかった。
リオンは、その温かみのある波動を、掴み取ろうとする。
確実に、フィリスに触れたとリオンは感じた。それは、心地のよいものだった。
リオンは、フィリスと同調していく。
すると、それまで白い光を発していたリオンの
これまでの
フィリスと同期することによって生み出された、刹那の剣。
荘厳でありながら、清らかな波動を発する剣。
「今だ、リオン。行け!」
叫ぶように、アーダは号令した。
リオンの様子を覗いながら戦っていたジゼルとルナが、両側からランヘルトに仕掛けた。二人を捌くランヘルトの真っ正面ががら空きとなった。
リオンは、床を蹴りつける。
闘魔種の身体能力によって、一気に距離を詰める。
これまで全く攻撃を受け付けなかったダークメイルに、金色に輝く
強烈な青黒い光が、ダークメイルの継ぎ目から発せられる。アーダの
瞬間、リオンの握る
ズンと、轟音が響き渡った。
「何だと!」
ランヘルトの口から、驚愕が発せられる。
リオンの
まさに、それまで防ぎ止めていた堰を切ったように、青黒い光が壊された鎧から無秩序に溢れ出した。
「終わりだ、
その声を発すると同時に、アーダは光の矢を放った。
胸甲を破壊されたランヘルトに、吸い込まれる。
光の矢が到達した瞬間、周囲の空気が震える。
ランヘルトは、吹き飛ばされた。後ろは、市壁と繋がり柱だけで外界が広がっている。
「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
絶叫が、響き渡る。
ランヘルトは、市壁の周囲に広がる底が知れない谷と言っていい堀に、落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます