リング・リング・サマー

楠木尚

第1話閉じた世界

彼女は死ぬ間際、こういった。

「ねえ、私、死ぬのかな……?嫌だな。

あのね、私、優太に……伝えなくちゃいけないことが……」

彼女はそういうと、動かなくなってしまった。


彼女を支えていた両腕が急に重くなる。

彼女の体は血だまりの中にあった。

そして、彼女に触れていた俺の両手は、真っ赤な血で染まっていた。


どこからか音が聞こえる。携帯の着信音だ。俺はゆっくりと目を覚ます。

まだ頭がぼんやりとする。携帯をさがし、手に取る。

画面を見ると、ゆかりからの着信だった。


「もしもし」


「もしもし、ごめんね。もしかして寝てた?」

部屋の時計を見る。時計の針は夜の十一時半を指していた。

どうやらいつの間にか寝ていたらしい。


「うん、どうやらそうみたい」


「起こしちゃってごめんね。ねえ、今から少し会えないかな?

 ちょっと直接会って話したいことがあって」


「ああ、別にいいよ。

準備したらすぐにいくから、ゆかりの家の前で待ってて」


「うん、わかった。ありがとね、夜遅くに」

俺は気にするな、といって電話を切った。


携帯の画面で日付を確認すると、今日は八月三十一日。

明日は高校二年の始業式がある日だ。

今日で夏休みが終わり、明日からは平凡な学校生活が始まる。「普通」は。


クーラーをつけたまま寝ていたせいか、口の中がカラカラに乾いていた。

ベッドの横に転がっている、水の入ったペットボトルを手に取り、

残り少ない中身を一気に飲んだ。


ゆかりとの約束のために服を着替える。といっても、今は夏だ。

適当なTシャツにジーパンで十分だろう。


部屋のドアを開け、廊下に出ると、真っ暗で静かなものだった。

きっと家族はもうみんな寝ているのだろう。

だれも起こさないように、慎重に廊下を歩き、階段を降りる。


無事に、だれも起こさず玄関までこれたようだ。靴を履き、外に出る。

外は夏の夜特有の湿った空気で満たされていて、

空気の水分が体に纏わりついた。風はなく、じめっとしている。

夜だというのになぜこんなにも暑いのか。

まだ日中の太陽の熱が残っているのだろう。


ゆかりの家は真向かいだ。

玄関を開け、外に出たときには、すでにゆかりが待っていた。


「おまたせ」


「ううん、遅くにごめんね。ちょっと公園まで歩こう」

 ゆかりの言葉に頷き、歩き出す。


「今日で夏休みも終わりだね。今年もいっぱい一緒に思い出作れて楽しかった」

 ゆかりは微笑みながら、優しくそういった。


「ああ、『今回』も思い出いっぱいだった」

「海ではたくさん泳いだし、お祭りではたくさん食べた!

みんなで宿題やったのも楽しかったよ」


「そうだな」


俺は、明るく話すゆかりとは対照的に、物憂げに返事をした。

公園へ向かっているとコンビニが見えてきた。

真っ暗な夜の中、その場所だけは明るい光を放っていた。


「ねえ、コンビニ寄って飲みもの買わない? 喉乾いちゃって」

ゆかりはそういうと、コンビニのなかへ入っていった。

俺もそれに続く。


コンビニのなかは冷房がとても効いていて涼しかった。

俺は大きく深呼吸をして、その冷気を体中に染みこませた。

家から歩いてまだ十分ほどだったが、すでにTシャツが汗ばんでいた。


ゆかりは一目散に飲みもの売り場に直行していく。俺もそこへ向かう。

俺は悩む間もなく、冷たいスポーツドリンクを手に取った。

ゆかりはどれにするか悩んでいるようだった。

ゆかりはいつもこういうとき真剣だ。たかが飲みものだというのに。


「優太は相変わらず選ぶの早いね。よくそんなすぐ決められるよね。

私はどれにしよっかなー」


「ゆかりが遅すぎるだけだよ。いつも、なんていうか、真剣だよね」


「うん! だっておいしくなかったら嫌じゃない?」


俺は先にレジにいき、会計を済ませた。

それからゆかりの飲みもの選びを手伝った。


「よし! これに決めた!」


「よしよし。じゃあ気が変わらないうちに買ってきなよ」

ゆかりは俺の言葉に頷くとレジへ向かっていった。


二人とも飲みものを買い、コンビニから出る。

また夏の夜の暑さが俺たちの体を包んだ。


「よーし! 公園まで後半分だね! しゅっぱーつ!」

ゆかりは、コンビニで悩み抜いた末買ったお茶を飲んでそういった。



ゆかりとは小さい頃からの友達だ。幼馴染っていうやつだと思う。

いつも明るくて元気で、それでいて優しい。俺たちにはもう一人、

男の幼馴染がいて、昔からよく三人で遊んだ。

そこに、たまに、俺の妹の果音が加わって四人でもよく遊んだ。


男の幼馴染の誠が俺たちのリーダーみたいな奴で、色々な遊びを提案してきた。

今でも、大抵のイベントを企画するのは誠だ。

それに俺とゆかりが参加するというのが、いつものことだ。


そして誠が無茶をして、ゆかりがフォローする。

俺と誠が喧嘩したときも仲裁してくれるのは、いつでもゆかりだった。


本当に優しい女の子。

いつも傍にいてくれて、支えてくれる女の子。

いつしか俺の人生にゆかりという存在は、かけがえのないものとなっていた。

もし、ゆかりという存在が俺の人生になかったら、

俺の人生は大きく変わっていただろう。


その大切な存在の女の子がいった。


「ついたー! 夏だとちょっとの距離でもすぐ汗かいちゃうね」

 先ほどのコンビニから約十分。目的地の公園についた。


俺たちは公園に設置されているベンチに座った。

そんなに大きなベンチじゃなかったから、

肩が当たりそうになるくらいゆかりが近い。ゆかりのいい匂いが漂ってくる。

どうして女の子はこんなにいい匂いがするものなのだろう。

といっても、ゆかり以外の女の子の匂いなんて知らないから、

みんないい匂いなのかは分からない。


「ここの公園はいつきても懐かしい。昔からよく三人で遊んだよね。

誠がバカやって、優太と喧嘩して、それを私が仲直りさせたりさ。

果音ちゃんも呼んで四人で花火したこともあったよね!」

楽しそうに昔の思い出を語るゆかり。たしかにそんなこともあった。


「それで、話ってなに?」

俺は本題を訊いた。


すると、ゆかりはいいにくそうに俯き、地面を見つめ始めた。

無言。沈黙。しばらくそんな時間が流れていった。

いったいなにを話したいというのだろう。


俺は「いつも」その内容を聞けずにいた。


ふと、肩が触れ合う。俺は気まずくなってすぐに離れる。


「えーっと……やっぱりなんでもない!」


「なんでもないってことはないだろ? わざわざ呼び出しておいて。

なにか俺に話したいことがあるんだろ?」


「ううん、やっぱりいいの! ごめんね! もう帰ろう!」

ゆかりはそういうと、ベンチから立ち上がった。


やはり、「また」聞けなかった。俺はすぐに諦める。

どうせ何度聞いても話してくれないことは知っているから。


そうして俺たちはきた道を戻り、それぞれの家と帰っていった。

帰り道、ゆかりはずっと無言だった。ゆかりにしては珍しい。

いつもは割りとおしゃべりな方なのに。



やかましい音が聞こえる。その音は俺を悪夢から文字通り開放してくれた。

目覚まし時計の音だった。俺は時々あの悪夢を見る。


携帯の画面を見ると、九月一日の朝七時と表示されていた。

この日は俺の中で一番最悪な日だ。

それは、夏休みの宿題が終わっていないとか、今日から学校が始まるからとか、

そういった理由ではない。


俺は寝ぼけ眼で目をこする。着ていたTシャツは寝汗でびっしょりとしていて、

体に張り付いて気持ちが悪い。


ベッドから起き上がり、自分の部屋を出て、階段を降り、

一階の洗面所にいく。顔を洗ってから歯を磨いていると、


「お兄ちゃんおはよー!」

という元気な声が聞こえてきた。妹の果音だ。

こいつはいつも元気がいい。


「なんか顔色悪いよ? 大丈夫?」


「ああ、きっと悪い夢見たせいだよ。気にすんな」


「ふーん、ならいいんだけど、あんまり可愛い妹を心配させないでよね!」


果音と俺は性格が全然似ていない。果音は一つ歳の離れた妹で、

快活で人当たりも良く、クラスでも人気者らしい。

そんな似ていない妹だが、俺のことを慕っていてくれる。

昔から幼馴染たちに混じって一緒によく遊んでいたからだろう。

通っている高校も一緒だしな。


朝食を食べて、家を出ようとすると、

「ちゃんと宿題持ったー? 忘れ物ないー?」

と果音の声が聞こえてくる。兄を想う出来た妹だ。

「ああ」と適当に返事をして家を出た。


家を出ると、太陽がこれでもかというぐらいに陽を放っていた。

毎日毎日勘弁して欲しい。おかげで少し歩けばすぐ汗だくだ。

背中にシャツが汗で張り付く。


学校への道を歩いていると、

「おーっす!」

「おはよー!」

という二人の声が聞こえてきた。


誠とゆかりだ。二人はこの暑さの中でも元気いっぱいといった感じだ。

誠と会うのは一週間ぶりぐらい、ゆかりは昨日と変わった様子はない。

「ああ、おはよう」と気だるそうに挨拶を返した。


「今年の夏休みも楽しかったな。みんなで色んなとこいったりしてさ。

でも今日からまた学校だ。ずっと夏休みが続けばいいのによー」


「そうだな。ずっと続けばいいのにな。俺もそう思うよ」


「ちゃんと宿題持った? 忘れ物はない?」

ゆかりがそんな事を聞いてくる。果音といい、ゆかりといい、

どうしてこうも世話焼きなのか。まあ、ありがたいとは思ってるんだけど。


そんな話をしながら三人で学校まで歩いた。

今日から学校といっても、今日は夏休み明けの初日だから、

授業はなく、あるのは始業式と宿題の提出ぐらいだ。


結局、学校は午前中には終わった。

誠が帰りに、「いつもの店よっていこーぜ」

というので、三人でいつもよく学校の帰りに寄るファーストフード店へと

向かうことになった。


学校の帰りは大抵、この店に三人で寄るか、俺の家にいって駄弁るか、

カラオケなどの店にいって遊んだりしている。

今日はその中でファーストフード店ということだ。


いつもの店につき、ハンバーガーセットを注文し、

いつもの席へ。店の中は俺たちと同じような高校生で賑わっていた。

みんな今日から学校で、授業もなく、やることもないのだろう。


席に着くと、誠が今年の夏休みの思い出について語り始めた。


「いやー、今年も結構遊んだな。高校生がこなすべき夏休みイベントは

大体こなしたんじゃないか? 買い物、海水浴、夏祭りと花火、それに

みんなでやる夏休みの宿題。本当に宿題は助かったわ! 俺一人じゃまず

やる気も出ないからな」


「みんなでやる夏休みの宿題っていっても、ほとんどゆかりのおかげだろ?

俺たち二人はそれまでなにもやってなかったんだからな」


「そうだな! ありがとうゆかり! ほら、お前も礼をいえ!」


「ああ、助かったよ。ありがとう」


「本当だよー! 二人とも全然やってなかったんだから! 私はもう

ほとんど終わってたのに。来年はちゃんと自分たちでやってくださいね!

まったくー」


ゆかりには毎年こうやってお世話になっている。

なんだかんだいっても、最後には必ず助けてくれる。そういう奴だ。

誠にとっても、俺にとってもゆかりはなくてはならない存在なのは

間違いない。


昼食を食べ終え、話も一段落したところで、そろそろ帰ろうという

ことになった。

三人で帰路につく。誠の家も、ゆかりの家ほどではないにしろ

俺の家に近い。当然帰り道もほとんど一緒だ。


三人で歩く。もう少しで「あれ」が起きる時間だ。

そして、すぐ、その「あれ」が起こった。


俺たち三人が歩道を歩いていると、暴走した車がこちらへ猛スピードで

突っ込んでくる。車は歩道のコンクリートで出来た境界ブロックを乗り越え、

コンクリートの塀にぶつかって停まった。


周りにいた通行人たちから悲鳴が聞こえてくる。

車のすぐ傍には、少女が倒れていた。ゆかりだ。

車はまるでゆかりだけを狙ったみたいに、ゆかりだけを轢いていた。


俺はすぐさま、ゆかりのもとに駆け寄った。

両手でゆかりを抱き起こす。

そして、ゆかりはあの言葉を俺に向けていった。


「ねえ、私、死ぬのかなあ……?嫌だな。

あのね、私、優太に……伝えなくちゃいけないことが……」


そういい残し、ゆかりは意識を失った。

遠くからサイレンの音が聞こえた。

きっと誰かが救急車を呼んでくれたのだろう。


救急車が来るまでの間、俺は血に染まったゆかりを、血に染まった両腕で

強く抱きしめていた。


ほどなくして救急車がやってきた。そして救急隊の人たちが、ゆかりを

ストレッチャーに乗せ、救急車の中へ運び込む。

俺も誠も、ゆかりの友達ということで、救急車に同乗した。

病院に着くまでの間、事故の事を色々聞かれたが、ほとんど答えられなかった。

それは誠も一緒のようだ。ただただ、血まみれになってしまったゆかりの姿を

見つめていることしかできなかった。


病院に到着すると、救急隊の人たちが急いでゆかりを載せたストレッチャー

を降ろし、そのまま病院の中へ運んでいった。俺たちも急いで後を追うが、

院内の少し入ったところで、「ここから先は入れない」と言われてしまった。

きっとこれから緊急の手術が行われるのだろう。


俺と誠は、近くのベンチに座り、ずっと俯いていた。お互い無言だった。

あの状態のゆかりを見た後では、なにも話す気になんてなれない。


それから何時間がたったのだろう。病院の時計を見るともう夜の七時を

まわっていた。

すると、ゆかりが運び込まれた部屋の扉が開き、医者や看護師が出てきた。

顔には疲弊の色が浮かんでいる。医者は俺たちに気づくと、こちらにやってきた。


そして医者はこういった。「残念ですが」と。


ゆかりの遺体は別の部屋に移された。

きっと明日にでも葬祭業者が迎えにくるのだろう。

俺たちもその部屋に入り、置いてあった椅子に座ってひたすら床を

眺め続けた。ゆかりと離れたくなかった。

ゆかりの死を受け入れたくなかった。


部屋の時計はもうすぐで夜の十二時になることを告げていた。

そして、針が重なり、十二時を指す。

その瞬間、俺は意識を失った。



また音が聞こえる。この音は目覚まし時計だ。俺は目覚まし時計を止め、

起き上がる。そこは自分の部屋のベッドだった。

携帯の画面を見る。画面には、七月十日と表示されていた。


最初、この現象が起きたとき、俺は大パニックだった。

全く意味が分からない。病院に居たはずが自分の部屋で寝ているし、

日付は九月一日のはずが、携帯は七月十日を告げている。

ゆかりを失ったショックで頭がおかしくなったのかと思った。


しかし、気づいたのだ。おかしくなったのは、俺の頭ではなく、

世界の方だと。


ゆかりが死ぬ九月一日を過ぎると、なぜか約二ヶ月前の七月十日になる。

俺が今いる世界では、九月一日の次の日は七月十日なのだ。

そして、全く同じ二ヶ月が繰り返される。


今日という七月十日を、俺は何度経験してきただろうか。

初めのうちは、ちゃんと数えていたのだが、

あまりに何度も繰り返すものだから、途中で数えるのを止めてしまった。

だから今日が何度目の七月十日なのかは知らない。

ただ、分かっていることは、また同じ二ヶ月を繰り返すということ、

そして、ゆかりがまた死ぬということ。


この現象に気づいたとき、真っ先に思いついたことは、

いうまでもなく、ゆかりを助けることだった。


しかし、ファーストフード店に寄るのを止めてみても、

帰り道を変えてみても、いくら注意してみても、結果は変わらなかった。

どんなことをしても、結果はゆかりの死へと収束する。

何度も何度も、様々なことを試した。だが、ダメだった。

どうしても変わらない。


だから俺はゆかりを助ける事を諦めた。そして、思ったのだ。

たしかにゆかりを助けることは出来ない。

だが、必ず同じ時間を繰り返す。

だったら、この時間が閉じた世界を守ろうと。


永遠の二ヶ月。終わらない二ヶ月。

でも、ずっとゆかりと過ごせる二ヶ月だ。


俺はこの世界を守るために、可能な限り同じことを繰り返すことに

している。しかし、些細な変化はどうしても生じてしまう。

例えば、人との会話だ。一言一句同じことを二ヶ月も話しつづけることなど、

不可能だ。でも、それぐらいの変化は許容されるようだ。

些細な変化では、閉じた世界に九月二日が来ることはない。


だがもし、大きな変化があったときはどうなるか分からない。

俺はこの世界が終わらない事を願い続ける。そして、世界が終わらないよう、

大きな変化を起こさないように生きている。

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