(仮)菱峰葵の事件日誌
桜川光
1 誤認逮捕
菱峰葵は苛立っていた。
昨夜、後輩に誘われいやいや参加した合コンで、ある男にしつこく絡まれたからだ。非番だったのと、呼出しTELが架からなかったからよかったものの、もし緊急事態が発生していたら、と考えると、背筋に悪寒が走った。結局未明まで付き合わされ、ついさっき解放されたばかりだったのだ。
「あの野郎……!!次に会ったら許さないわよ……!!」
駅に向かって小走りで移動しながら、葵はそうつぶやいていた。
やがて駅の東入口が見えてきた矢先、葵は少し先にあるモノを発見した。人が倒れている。葵はそれに駆け寄った。
「何よこれ……!?」
そこにあったのは、腹部をナイフで刺され血まみれになった、50歳代後半くらいの小太りの男性の体だった。仰向けになって、目を見開いている。葵は男性の顔に自分の手を近づけた。
「呼吸してない……心臓は?」
男性の左手首を握り、脈を調べたが、葵の手にその感触は返ってこなかった。
「くっ……」
葵は手持ちのバッグの中を物色した。しかし、目的のものは見当たらなかった。
「しまった!今日非番だっ……」
「ちょっとあなた、何やってるんですか?」
言い切る前に、葵は制服の若い警察官に声を掛けられた。警察官は無線を使って、
「ただ今東口付近にて男性が刺された模様。そばにいる女の身柄拘束します」
と相手に向かって話した。
「ちょっ……私は犯人じゃないわよ!!って何するの!?」
「お名前は?」
「ひ、菱峰葵です」
「菱峰葵さん、あなたを男性に対する傷害の容疑で現行犯逮捕します」
「は、はいーっ!?」
「容疑者はこの女か!?」
もう1人の警察官も現場に到着し、抵抗された場合に備えて身構えている。それを見た葵は、下手に抵抗しない方が得策だと考え、
「……はい」
と、半泣きの顔で大人しく連行された。
葵と2人の警察官は、最寄りの警察署に到着した。取調室に入れられる葵。
「ああ、何で私がこんな目に……」
昨日の合コンのままの出で立ちで、血だらけになった状態で凹む。
20分ほど経ったその時、取調室の扉が開いた。そこにはすらっと背の高い、かっちりとスーツを着こなした、日本人離れした美しい顔立ちの20歳代後半くらいの男性が現れた。後ろには先程の警察官2人が立っていた。
「あっ、深谷さん!」
葵は男性に半泣きで声を掛けた。
「何やってんだお前は、バカか」
「ちょっと待ってください!私はたまたまあの死体を……」
「何れにしてもだ、何で非番の日にも手帳を持ち歩かんのだ」
「……すみません」
神妙な面持ちになった葵に、深谷洸二は優しく微笑んで、
「まあいい」
そして後ろに立っている警察官らに向かって、
「君たち、こいつは菱峰葵っていって、神奈川県警本部所属の警部補だ。たまたま非番で警察手帳を持っていなかったらしい」
と身元説明をした。警察官は、
「け、警部補!?」
「大変失礼しました」
と、誤認逮捕したことを葵に謝った。それを聞いた葵は、
「あなたたち、許さないわよ!」
と、血まみれの手で指さしながら言葉を放った。
「お前が言えた分際か!!」
洸二は葵を窘めた。
「……はい、すみません」
葵はそう答えて、更に凹んだ。
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