第2話俺の友達

 ――俺の友達、白石悠子と出会ったのは遡ること十年前。小学ニ年生の時だった。


 俺の住む町は小さく、自然が豊かで暖かな町だ。けどそれは時にひどく面倒で煩わしいものとなる。やれ何々と何々が喧嘩した。やれ何々さんちの子が賞をもらったらしい、何々さんちの子が一番足が速いなど。どうでもいい情報がいつの間にか周知の事実となっているのだ。恋愛話まで知られていた時は子どもで一致団結して非難したものだった。まあ、大人が知っているってことは子どもの誰かが話したに違いねえんだけど。

 地域のというものに守られ生きているけど、息苦しくて堪らないことか結構ある。高校卒業と同時に町を出て行く人の気持ちはよく分かった。

 しかし、この時。転校生がやってくるという報が町中を――何せ小中高と町には一つずつしか学校がなかったのだ――駆け巡った時にはその情報網に感謝し、俺たちみんなが浮き足立ったはずだ。席替えを超えるイベントなんて早々起こらないと思っていたし、こんな田舎町に転校生なんて考えたこともなかった。



「白石悠子です。よろしくお願いします」


 そんな高揚している俺らとは違い、やってきた白石は落ちついていた。

 教団の上でぺこり、と頭を下げたアイツを一方の俺たちはひそひそ声で迎える。その容貌が俺たちとは全くといって言いほど異なっていたからだ。

 怪我の跡がない! 肌が白い!

 その頃の俺たちは――というかこの年の町の子どもはいつも何処かしらに怪我があるものだ。畦道で転び、コンクリートの道で転び、グラウンドで転ぶ。はたまた人とぶつかり痣をつくり、川の石で膝を血を滲ませ、木の枝に引っ掛かって腕を擦る。元気が有り余るほどあった俺たちはそのエネルギーを怪我することに費やしているのかと思うほど、傷跡が絶えなかった。が、白石悠子の腕にも膝にもそれがない。

 それからその肌の白さ。女子はどうだか知らないが日焼け止めなんて塗ったことがなかった男子たちはまるで異邦人でも見る顔つきだった。

 喋る犬よりも奇怪なものだと俺たちは白石を捉え、それで終まいだ。一度貼られたレッテルは簡単に剥がせるものではない。おまけにアイツはそれを剥がすための努力は一ミリたりともしなかったのだ。

 話しかけても無愛想だし、遊びに誘っても頷かない。たまに女子と折り紙をして遊んでいるのを見かけたけど外で走り回る姿は覚えがない。中高生はともかく小学校低学生の男子が好きな女子言えば運動神経のいい女子がほとんどだったから、男子ウケが良くないのも当たり前だった。


「白石って地蔵みたいだよな。昌じいさんの田んぼの近くにあるやつ!」


 そう言ったのは今は美術部に入っている田中だっけか。

 昌じいさんっていうのは六十過ぎの怖いじいさんで米を育てている。その田んぼの近くに豊作を願うためか、よく分からないけど地蔵様がいる。無表情な顔は確かに似ているかもしれないと俺は首をうんうんと頷いた。


「じゃ、アイツの渾名は地蔵だな。やーい、じぞーう!」


 馬鹿だったと思う。ちなみにこの渾名は母ちゃんに殴られ、没になった。田中が言ったのに。

 まあ、そんなこんなで、当たり前だが白石と仲良くなることはなかった。どうにも馬が合わないのだ。今もだが。


「白石ってつまんねー奴だよな」

「それな。東京から来たっていうから気取っちゃってんじゃねーの」


 あの頃一番仲が良かった雄造とキャッチボールをしながら、そう雑談した覚えている。

 仲橋雄造とは帰り道が途中まで同じだったから、よく一緒に帰った。くだらないことをぺちゃくちゃ言い合って、馬鹿笑いして、寄り道して……ちょっととした冒険だ。気が合ったし、俺も雄造も野球が好きだったから、よく二人で球とミットを持って放課後に繰り出していた。


 雄造が投げた球を俺はミットで受け止める。


「ふーん、東京」


 まるで異世界だ。テレビでしか知らない。


「てか、ならなんでこんな田舎町に来たんだ、よ!」


 白い球が空を駆ける。


「ええー! 大樹しらねーの!」


 ボールを受け取った雄造が大げさに驚いた。わざとらしく首を振り、「遅れてんなー」と呆れを示す。

 俺は面白くなくて、囗をむっとさせた。


「なんだよ。さっさと言えって」

「怒んない、怒んない」


 カラカラと軽やかな笑い声をたてて、雄造は手の中のボールを弄ぶ。俺と雄造はこの年代には珍しく喧嘩を滅多にしなかった。苛立ちを感じることがなかったわけではない。ただ雄造のこの笑い声を聞くとどうにも怒る気がなくなってしまうのだ。ズルいなあ、と思ったけど、嫌いにはなれないからどうしようもない。


「何でもアイツの両親、離婚したらしいよ」


 使い込まれ、やや糸が解れているミットに視線をやりながら、雄造は平坦な声でそう言った。


「リコン?」

「そう。意味分かる? 大樹の成績底辺だから」

「それぐらい分かるって」


 しかし、これまた異世界のような話だった。意味は分かるけど、理解はできない、そんな感じだ。


「……ふーん、そうなんだ」


 結局、それだけ言った。


「そうなんだぜ。だからアイツ、ばあちゃんに預けられててそこに住んでるんだって。ほら坂の上ののデカイ家」

「え! 木之下の婆さんちの子なのかよ」


 木之下の婆さんはいつもニコニコしていて、優しい婆さんだ。夏にいけばスイカを出してくれたりする。大きな平屋に猫のコンとのー人一匹暮らしだったはず。今は白石を入れて二人の人間がいるわけだ。


「ホントのお祖母ちゃんの姉妹らしいけどな。父親の方が出ていったから、家計が大変なんだって」

「へー。てか、雄造。どこから情報仕入れてるんだよ」

「近所のおばちゃん達の井戸端会議」


 俺はそれを聞いて思わず感嘆の溜息を溢した。

 雄造のことだから盗み聞いた訳でもなく、おばちゃん達と話し込んでいたに違いない。コミュニケーション能力が凄かったから。


「……お前ってすげえなあ」

「まーな」


 雄造がまたカラカラ笑ってボールを緩く放った。






 まあ、俺は馬鹿だったから、この話を聞いて白石にちょっかいをかけないはずがない。

 いつも無愛想で、無感情のような白石が慌てふためくなら面白いと思ったのだ。たぶん、あの年頃の男子が女子を苛める原因なんてそんなものだろう。


「おい、白石」


 学校で泣かれても面倒だったから、俺は帰り道を狙って白石に声をかけた。赤いランドセルを背負った白石が俺の声に振り返る。その隣には比較的仲の良かった平山春もいたはずだ。


「なによ、大樹。悠ちゃんに何が用?」


 咄嗟に平山が白石を庇うように前に出た。あまり男子に良く思われていないことを知っていたからだ。


「お前に言ってねーよ。白石って言ったのが聞こえなかったんですかー」

「何ですって!」


 最近何の影響を受けたのか、口調を大人っぽくした平山が顔を赤くした。今にも掴み掛かろうとしたところで白石が慌てて、その手を引く。それから駄目だよ、というように首を振った。


「でも」

「け、ケンカはだめ」


 平山はしぶしぶ、といった様子で一歩下がった。しかし、その眼は恨めしそうに俺を睨んでいる。そんなことで怖気づく訳がない俺は相対した白石に最低な言葉をぶつけた。


「お前の両親ってリコンしたんだってな」


 白石の口がきゅ、と結ばれた。


「お前んちひーのくるーまー、やーい」


 そのまま白石と平山の周りをくるくると踊る。「火の車」という言葉を新しく知って、使わずはいられなかった。馬鹿だから。


「ちょっと、大樹! 止めなさいよ!」

「誰がお前のこと聞くかよ!」


 白石は何も言わなかった。だから俺はてっきり泣き出しているのかもしれない、と思った。よく白石のことを知らなかったし、その頃の女子は泣けばいい、と思っているに違いないと考えていたから。

 だけど、白石は泣いてなんかいなかった。その代わりに俺に目を向けた。


「大樹くん、最低」


 声を荒げるわけでもなかった。ただポツリとそう白石は言う。

 初めて本当の嫌悪を味わって、その冷たさに俺は踊った態勢のまま固まった。


「――大きらい」


 白石は立ち去った。逃げるわけでもなく歩いて立ち去った。険しい顔をした平山がその後を追いかける。

 癇癪や叱咤ではなく、白石はただ静かに怒っていたのだと、思う。両手を上げ、囗をパカリと開いたままの俺の視界には白石の後ろ姿が焼き付いていた。

 背負ったピカピカの赤いランドセルがやけに目についた。

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