不具合 #009

十一月二十三日。


 ここ数年で急に加速したような気がする、秋を感じる事のできる期間がどんどん短くなってしまっている感じが。いつまで夏続くんじゃ! 終わった! 秋だ……うわ、さむい!! ってなりませんか。このままだと、いずれ小さい秋どころかでっかい秋もよく探さないと見つからなくなってしまうのではないかと、四季の崩壊という交響曲のタイトルになりそうな在り得無いようでなきにしもあらずな壮大な心配事をしてみたりするのです。

 「ぶえくしょーい! んあ」

 風邪を引いて頭がボーッとしてくると、思いつきで考え始めた事を自身でも制御できなくなるくらいどこまでも膨らみ広げてしまう事、ありませんか。季節の変わり目なんか嫌いだ。三十八度になるかならないかくらいの所が一番しんどいよね。人の話も聞こえているのに解釈に時間がかかるというか、集中力が直ぐに潰えて異国語に聞こえてくる、例えばこんな。

 「キフィ、ルールカチェスティビア、ラティエ、ソー、エンデ!」

 「……はい、少しだけ休んだら、直ぐにとりかかりますんで……申し訳ありません……」

 「リ? リー、ダッディエ、ルル? フリエ、フォン、ジャプルアーニア?」

 「……大したことは無いんです、ただの風邪だと……思います、ので……寝れば、なお……」

 「ナ、ア、アー、アイウえお。ダいジョブか? ナんか飲ムか?」

 なんてお優しいクライアント様でしょう。電話先でありながら親身になってくださるそのお気遣い、大変感謝いたし……がぽっ。

 「お水あったよ! お水飲むだ!」

 時代は確実に誰もが夢描いた未来を実現しているようだ。まさかいつの間にか通話中の相手の口に水入りペットボトルを突っ込む機能ができていたとは知らなかぼがぼがぼがぼ

 「ごぼばばがっぱあーーっ!」

 「おー、起きた! 元気でたか? やったな!」

 「ばびびてくれとんじゃお前はーっ!!」

 「きたない! きたないよ、飛ぶよ!」

 口に流し込まれた水をぶち撒けながら飛び起きた。布団も服もそこらじゅうびっちゃびちゃだが、今はそんなのかまってられるか!

 「誰だお前!」

 「チアだよ! やったな!」

 「やってねーよ!!」

 褐色の肌に白地の肩紐のない、チューブトップと呼ぶのだったかこれは。形の綺麗なおヘソを挟んで白地のラップキュロ――と言うらしい、後で調べた――を履いている。どちらの服?にも真紅のラインが入っていて、さながらどこかの民族衣装簡易版。肩にかかりそうな髪は、手入れをしている様子もなく毛先は元気に外に跳ねてはいるが、ボサボサというよりは小ざっぱりといった印象だ。衣類と同じ配色の箸置きみたいな縦長の棒飾りを左右に2本ずつ付けているのが特徴的で、勿論裸足。小学校に通いだしそうな年頃に見えるが、それにしては少し背丈が高いか……あー、頭がぐらぐらしてきた。やめよ。

 「やってなかったかー!」

 ししし、と笑いながらがしがしと頭を掻いた少女からは、この季節には似つかわしくない陽気の匂いが溢れでた。


 「チア、寝てる人の口に水の入ったペットボトルを突っ込んではいけません」

 「わかった」

 グーの手から親指をつきだして、こちらに向けた。

 「うん、それは、上下が逆だな」

 ぐりっと手首をねじって親指を上に向けさせる。

 「こうか!」

 今度は両手の親指を突き出してくる。あー、頭いてぇ……。

 「やったな!」

 「あぁ、やったやった。それより変わった服だな、寒くねーのか、もう十一月も下旬だぞ」

 へそ出しルックは見てるこっちの背中がぞくぞくする。寒気の話ですよ、あしからず……うあー、ボケる余力もあんまし無いわ……。

 「動きやすかろう!」

 「だろうな」

 この体調にこのテンションは長引かせたくないな。

 子供と接するといつも思う事がある。子を持つ親ってのは一体どうやってこの己の意志とは無関係に随時厚みを増す幾重の"子タスク"をクリアしてるんだろう、と。風邪引こうがどうなろうが自分を優先するわけにはいかない事が沢山あるだろう、それらを消化しつつ自分に降りかかるトラブルも乗り越えつつ、視野を自身のみから二人三人と広げていく必要があり、皆をひっくるめた将来を見据えてぼんやりとでもいいから未来を描きつつ、自分のための時間もどこかで確保しなきゃとてもやってられないだろう。愛情がすべてを解決してくれるだなんて理論はあまりに横暴だ。そんな事ありっこないと個人的に思っている。子供は面倒臭いし、しつこいし、鬱陶しいし、邪魔だし、五月蝿いし、思い通りになんかならない。それら苦業とも言える困難を、形のない想い一つで全てを帳消しに出来る人が居るなら名乗りでて欲しいくらいだ。もっと別の何かがあるのだろう、強固に自我を繋ぎ止めておくための何かが。具体的に説明する事が出来ないから愛情という偶像を奉りたて代弁させているのだと勝手に思っている。その真理が何なのかは、自分にゃわかる機会なんて生涯来ないのだろうけど。

 一人という状態だって引けをとらないくらい心底辛くなる時がある、今回のような床に伏せている時なんかが一番そうだ。でも、どれをとってもエゴでしかないんだ。なんというか、こう、"弱くても済む"んだ、意志が。視野が。だから甘んじやすいし流れて行きやすいし、もう少しこのままでいいか、と思いやすい。そう思っていも大丈夫、と思いやすい。誤解がないように続けると、それが悪いとは全く思っていない。そもそも良し悪しなんてこのテーマには存在しない。どちらも大変で、それでいて痛快だろう。使いたくないが終わらせるために敢えて使おう。"要するに"、好きに生きりゃいいんだ、常識の範疇で。

 どうだ、思い知ったか。これが、風邪が巻き起こす思いつき広がりまくりシンドロームからの全く解決になってないエクストリーム持論、だ。

 「はぁ」

 「はあ、は、ダメだ」

 どのくらい時間が経ったのか、はたまた一瞬だったのか、気が付くとあぐらの膝とちゃぶ台についた肘の間からチアの顔が生えていた。

 「おわ!?」

 「どうした、しんみょうな顔してさ!」

 「難しい言葉知ってんな」

 「なやみか? なやみだな? 言うといい! すっきりだ!」

 なんだ、子供ながらに励ましてくれてんのか? いいとこあんじゃないの。

 「大丈夫、もう吹っ飛んだ。ありがとな、チア」

 その小さな頭をぐりぐりと撫でると、ししし、と笑って膝の上でぐりんぐりんしだした。

 「やったか!」

 「ああ、今のはやったな!」

 「やったなー!!!」

 チアが脇の下から飛び抜け出し、仁王立ちで両手をあげてこれでもかと笑った。ははは、なんだこれ。

 ――こういうの、なのかもね。


 で、だ。

 チアは一体なんの不具合バグなんだ、という話にそろそろ移らなければこの首が危ないのでそうするが、それは彼女の話と今請け負わせていただいている仕事があっさりと結びついたので、とりあえずは安心、というわけにも行きませんぜ、早速とりかからないと――

 「チアは、どこの国の人なん?」

 「暑いぞ!」

 「だろうな」

 「周りに他に人は沢山いたのか?」

 毎度聞いてるなこれ、余程一人だった不具合バグがいた事を気にしているようだ。おバグ好しだなぁ、我ながら。

 「いたぞ! みんなばらばらで元気だ!」

 「それは怖いな」

 沢山の人がみなバラバラになっているのに物凄く元気でいるシーンが頭をよぎる。ミステリーというか、ホラー、いやコメディだなそれは。

 「こわくないぞ! しゃべるのがばらばらだ!」

 「外国語なのか」

 「そうなのかー? でもみんなわかるぞ!」

 「え」

 マジか。

 「じゃ、じゃあさ、チアの国の言葉で、こんにちはーって何て言うの」

 「キフィ!」

 バッと片手をあげて笑う。どこの言葉だ……。いやしかし、なるほどな。少し調子を合わせてみる。

 「ホ、ホワットタイムイズイットナウ!」

 「ヤチェ、ラーイスタビジュリ? ウルーヤウヤ!」

 ベランダから見える沈みかけの夕日を指さしたかと思えば、腕組みをしてうんうん唸り始めた。

 「グ、ぐーてんもーげん!」

 「キフィキフィ! ヤン、エルソパエーナ!」

 「ぜんっぜんわからん」

 「わかるぞ! のっぽと、じーじのことばだ! やったな!」

 持てうる言語の全てを放出してみたが、かえってくる言葉が何語かわからんので、伝わっているのかすら不明だが、ドイツ語の挨拶に"キフィ"が返って来たというのは偶然ではないのかも。もっと違う表現で質問して確かめたい所なんですけども、こちらのストックがあっさり枯渇してしまいました。面目ない。

 最後まで読み終えた問題箇所の記されたメールから、チアがどんな不具合バグであるかは明白だった。今請け負わせて頂いている仕事は、噛み砕くと"プログラムの翻訳をするプログラム"だ。子供でもプログラムに慣れ親しんでもらおう、というコンセプトのもと、書かれた特定の内容をプログラムに変換して動かしてしまおう、というコンテンツだった。物凄く極端な例を出せば、"丸いものは右にすすめ"と書くと、丸のオブジェクトが右――X軸に正の値を付加する――に動いて見えるのだ。自分も子供の頃にこんなの触れたかったなー、と思うくらい楽しげなものであるが、クライアント様のその先の方々も同じ事を思ったらしく、次々と夢膨らんだ分だけ追加要望が五月雨式に増えていったのだ。当然、当初想定すらしていなかった問題がべき乗で増えていき、時間の無さからゴリ押し実装でなんとかしていた。きっとそこにチアがここに現れる要因がある事は容易に想像がついた。そらそうだろうな、最初は十個に満たない動作を実現させるだけの、超お手軽内容だったんだから、ドキュメントもへったくれもあったもんじゃない。

 「不幸中の幸いか、嵐の前のなんとやら、か」

 「むずかしいことばしってんなー」

 先方様も、まだその実体に気が付いていないようなのだ。不具合バグを知らせる着信が全く無く、パソコンもつけっぱなしで待機しているが、それらしき受信音も聞こえていないのでメールも来ていないのだろう。ただ、こちらには元気いっぱいのチアというアラートが背中を軸にして半円を描くようにぴょんぴょん飛び回っている。よくよく考えてみれば、次世代技術もびっくりだよな、この現象。

 こうした突然の仕様追加にはよくある事なのだが、内容が内容だと、そっちが無茶苦茶言うからだろ知った事か! と激情に身を任せて悪態をつきたくなる時もある。だが、仕事云々を抜きにしても今回のこのコンテンツが個人的に好きなのだ。腐ってもプログラマとして飯を食っている手前、同じものに興味を持つ、それも子供が、自分の関わったこのコンテンツによって、と思うと、なんか良い感じがするじゃないですか。多少のトラブルも、自然となんとかしたいと思えてくる。こんな私情人情一つでモチベーションが左右されているうちは三流にもなれないんだろうな。でもいい、そのままでいい、そのままがいい。

 ――ヘッドレスト付きエキストラハイバックチェアに飛び乗った自分を見て、チアは合体ロボの操縦室にピットインしたヒーローを見ているかのような目をして、

 「もう一回! もう一回だ!」

 と飛び跳ねて見せた。やっぱり子供は面倒臭いと鬱陶しいの塊だ。

 「今そういうんじゃねえから!」

 「あとだな!」

 「あとだ!」

 「あとだーー!!!」

 ごろごろごろごろごろ……この狭い部屋を広々と転がりまわる音を背中で聞きながら、不具合バグ調査に乗り出した。でも、嫌いじゃないんだよな、子供。

 「めにものみせるか!」

 そこまでアグレッシブなのは遠慮するけど、応援してくれているのは解る。

 こっちも元気出さないとしょーがねー流れだなこりゃ!


 言語ってのは、一体誰が考えたんだってくらい良く出来ている。どのくらい良く出来ているかというと、それはもうものすごく、だ。表せるかこんなもん、途方も無いわ! プログラムも言語と呼ばれている以上、ある種の翻訳のような感じで、やろうとしている事を文章として組み立てたものをプログラム言語に置き換えていく事が可能だ……可能、だよね? 大体こんな感じでいつも仕事しているんだけど、これを否定されたらどうしようと急に不安になったぞ。

 話を戻そう。何かをつくる時、これをこんな風にするにはあれとそれを比較して、もしこうだったらああなって、そうだったらこうなる。あれを意味する言葉がAで、これを意味する言葉がBで……だから、AとBを混ぜてCして、DならE、FならG……といった組み合わせを延々と繰り返していく。組み合わせ次第で無限の作品が生み出される。ワーオミラクル、イッツ ア マジック。だが欠点もある。対話の相手はお察しスキルがほぼゼロに近いカタツブなのだ。この程度のニュアンスくらい分かってくれてもいいだろう? と思うような事も全く許してはくれない事が殆どでがっつり指摘してくるし、それ以降の全ての処理を止めてしまって梃子でもリセットでも動かない。更にもっと厄介なのは、例えこちらの意図せぬ動きをしていても、プログラム本人にはそれが意図せぬ動作なのかどうかも解らない所にある。一見、何も問題なく動いているのだが、手作りピザをつくろうと思って具材を乗せた生地を釜に入れて暫く待ったら、中からほっかほかのからあげ弁当が出てきても、いやいやおかしいだろ! などとは一切思わないのだ。思えないのだ。そう思う機能はこれら言語を扱う媒体の方が通常持っている。媒体の機能があって初めて要約でき、補正が効き、収束でき、解釈する。その最も高度なものの一つが、人間だ。パソコンという媒体は、人なんて何百万人束になろうが到底敵わないずば抜けた記憶力や処理能力を持つが、補正能力には著しく乏しい。仮にコンピュータが補正機能を持ったとしたらどうだ? それはもう"意志"だ。世の中を構成する最も重要な要素である"バランス"が、これまでの奇跡の連続がウソみたいなずっこけ方をして世界は機械が支配する闇の――

 「お水だ!」

 がぽっ

 「ぼごがばっ!?」

 咄嗟にマウスとキーボードを持ち上げた自分はプログラマの鑑だと思いますよ。故障が怖かっただけだけど。

 「おかえり! やったな!」

 「うおるぁチアてめえこんにゃろ! さっき言ったこともう忘れたのか!!」

 「ねてないぞ! すわってた!」

 「いや、あのな! 寝てようが座ってようが、人の口にいきなり水の入ったペット――」

 数瞬、思いとどまって、

 「――いや、どんなペットボトルも突っ込んではいけません!」

 「わかった!」

 「逆な!」

 「ぎゃくだな!」

 飛躍しすぎた熱暴走を早々にチアが止めてくれたようだ。部屋の壁が蜃気楼でも纏っているかのように波打つ。うー、手足と頭は嫌になる程熱いのに背中だけが寒い。覚束ない足取りで冷蔵庫まで歩き、氷を摘んで口に放り込み、もう一つ摘んで振り返った。

 「チアも食うか?」

 「くわ!」

 かぱーと開けた大きな口にぽいっと氷を放り込む。右の頬、左の頬が交互に不自然な丸みを帯びる。粉砂糖のまぶされた飴玉でも舐めたような嬉しそうな表情で、チアはごろごろと氷を楽しんでいた。こいつ、寒くねーのかな……風邪うつしたくないけど、マスク切らしてるなぁ。そのまま洗面所までフラフラと歩き、フェイスタオルを一枚掴んで口に巻き、後ろで雑に縛った。あー、眼鏡が曇るー。


 「チア、あのな」

 「なんだ! 水か?」

 「ああ、違う違う。今やってるこれな、仕事なんだけど、これが終わるとチアは元の場所に戻れるわけだが、その辺の理解はあるのか?」

 「あらいでか!」

 どっちだよ。そう思いながら画面の時計を見る。あれから随分経つが一向に先方様から連絡は無く、封切りの時間から適当に逆算してもそろそろ期限に近い。このままだと現状で納品完了という流れになってしまいそうだ。ひと通り処理を追ってみたがバグとなりそうな箇所は見つからなかった。とすると、これは"ピザからパターン"だろうな。公開されてしまえば多数のユーザが利用する事で遅かれ早かれ発覚して、クライアント様の顔に泥を塗るだろう。そんな事は出来るなら避けたいし、避けられる要因がここには居る。茶色の大きな瞳はこちらの気配に気が付き、敬礼みたいなよくわからんポーズを決めた。

 普通なら自分も気がつくはずも無いので検証時間の極端に短かったタイトなスケジュールを恨む所だが、どういうわけか判ってしまえている状況下にいる。いるのなら仕方あるまいて、好機と捉えて修正をすべきだ。

 恩返し、そんな言葉が頭に浮かんだが、今からしようとしている事がとても陳腐な行為になり下がりそうで、頭の中で二重線を引いた。

 「それならいいんだ、じゃあ、一気に片付けちまうぞ」

 「おなかすいた」

 ぐぅ。予想外のフレーズが不意を突いたが、こちらの腹が呼応するように鳴いてしまった。

 「そうだな、確かにはらへった」

 「へったな!」

 「ああ、へった!」

 こんな事もあろうかと! スーパーの半額品を一つもゲット出来なかった腹いせに泣きながら二割引のこいつに手を出しておいたのさ!

 「……あーちくしょ、もう殆ど冷めちゃったか」

 「なんだこれ? これなんだ?」

 どこにでもありそうで無さそうな茶色の紙袋をごそごそとし、中からラグビーボール型の黒紫の物体を取り出した。両端を持ってグッと力を込めるとホコッ……とはならなかったが、鮮やかな黄色い身が顔を出した。半分に割ったつもりが左の方が少し大きくなってしまったな。よっこらせっとチアの目線に腰を下ろし、左手の中身を差し出した。

 「これはうまそうな、なんだ!」

 「焼き芋だ」

 「これがやきいもかー」

 「なんだ、食ったことねーのか」

 「むぐ、うばいどごれ! うばい! うばいうばい!!」

 皮ごと食ってやがる。座って黙って食わないと自前の塩を懐に忍ばせたばあちゃんに怒られるぞ。チアは先程の一言を最後にもくもくと焼き芋を頬張り始めた。あれほど騒がしかった六畳ワンルームがいつもどおりの静けさを焼き芋半かけで取り戻してしまった。

 「どれどれ」

 なんとなくだが、チアの真似をして皮ごとばくりと齧り付いてみた。決して暖かくは無かったが少し焦げのある皮に混ざってホロッと身が転げ落ちてきた。もぐもぐもぐ……

 「おお、なかなか」

 「やったな!」

 「これはやっただな!」

 いつもは焼き芋の皮といったら執拗なまでに取ってからじゃないと食べ始められないくらいの邪魔者だったが、今のは少々食べ過ぎたかもしれないにせよ、石焼の匂いが仄かに乗った苦味と少し冷めてよりはっきりと出てきたであろう甘味が、なんとも言えない美味さとなって押し寄せてきた。

 「チア、芋の皮は適度にむいて食ったほうがいいぞ、焦げてるとこ苦いだろ」

 「そうか? ぜつみょうなはーもにーだぞ?」

 面白いな、ちくしょう。


 仕事を再開しながら無言で焼き芋を食べ、ペットボトルの水を飲み干してしまって蛇口から給水しようと席を立った頃には、完食後そのまま大の字に寝転びそのまま寝てしまったのが一目で解る状態でチアが爆睡していた。なんつー幸せそうな顔してんだ、焼き芋半分で。

 余り力も入らなかったので、すまん、と言いながら薄い布団を引っ張ってチアの上に落とし、水を入れて席に戻り作業を続けた。問題の箇所はとうに見つけていたのだが、はてさて一体これはどうしたものか。案の定、上乗せされた変換機能が既存変換の一部と競合を起こしている。ものすごく、ものすごーく簡単に書くと、ABCとある言語をDEFと変換したい過程で、追加になった処理が何らかの作用を起こしてDGFになってしまっているのだ。悲しいことに、例えEがGになってもプログラムとしては成立してしまう。無論、右に動けと命令したものが回転し出すような表示上の結果としてその間違いが浮き彫りになるのだが。短期間で一気に追加開発を進めたため、どの過程でEがGになってしまったのかが非常に分かり難い構造になってしまっていた。規模が小さいからと物事を甘く見て管理を怠るとよく陥る失敗の一つだ。いやでも今回は仕方なくね? 事情が事情じゃね? 言い訳はいくらでも出てくるが解決の糸口はなかなか見えてこなかった。それが、言語の置き換えに次ぐ置き換えの中で、置換した内容の一部が他の何かに置換され、それがまた何かの置換対象に……というルートを逆から辿ってようやく判明し、修正動作を確認した頃には、朝日がすっかりのぼってしまっていた。

 「まだ間に合う、はず……」

 急いで携帯を掴んで電話をかける。事情を説明し――といってもチアの存在を話してもまともに取り合ってくれないので、個人的にどうしても気になる部分があって夜通しバグチェックをしていた事にして――、データの差し替えを懇願した。担当者様は少し不機嫌そうに唸ったが、弾かれた計算の答えはやはり"後から判明した時のほうがリスクが高い"だった。かけ直します、とだけ告げられて電話が切れた。"15分20秒"。

 「……だぁああぁあぁ……」

 大きく一息つくと、全身の先端が急に痺れ出した。あ、これダメなやつだ。

 チア、すまん、水を……突っ込んで……


 目が覚めると、蛍光管とそこから垂れ下がる紐が見えた。のぼっていた朝日など見る影もなくカーテン越しの外は真っ暗。おぼろげな記憶ではあるけれど、椅子に座ったまま意識が朦朧してそのまま突っ伏したような気がしたんだけど……部屋の真ん中に仰向けに眠っており、ベッドに置いてあった枕がしっかりと頭を覆い、掛け布団もしっかり着込んでいた。口に乱暴に縛っておいたタオルが何故か頭からずり落ちた。

 暗い部屋の端がチカチカと明滅している。それが携帯の着信だと気が付いて飛び起きる。体はなんともないようだ、手足の痺れも無い。すっかり回復したようだ。正確には着信履歴のランプで、着信は担当者様、時間は今朝、回数は一回きりだった。長時間つけっぱなしで待機状態になっていたパソコンを復帰させ、数あるメールの中から担当者様のメールを開いた。

 差し替え対応、なんとか間に合いました。……恐る恐る事情を説明した所、逆に申し訳なくなるくらい感謝されました。それほどこのコンテンツにかける意気込みが強かったようです。製作陣にも是非お礼を、と言付かりましたので電話しましたが不在でしたのでメールにてお伝えします。……電話先の声が心配になるくらい弱々しかったので、もしやと思いますが、体調を崩されてしまったでしょうか……そうであれば、どうぞご自愛下さい。申し訳ありません。

 ありがたいね。頑張った甲斐があったってもんだ。それもこれも、全てチアが現れたお陰だけどな。

 「……あ」

 枕も、布団も、あいつがやってくれたのか? いやでも、あの時にはもう不具合バグの修正が完了していたはずだから、普通ならもう居なくなってるはずだよな。でも、うーん。

 よいしょ、と持ち上げた最後に天日干しをした日を思い出せないくらいの掛け布団と枕から、暖かな陽気の匂いがしてきた。なんにせよ助かったわ。ありがとう。あ、こういう時はこれだったな。

 ゆっくり息を吸いながら部屋の真ん中に仁王立ちして両手をあげ、一思いに叫んだ。

 「やったな!」


不具合 #009 修正完了

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