不具合 #004
六月二十一日。
連休無し月マジうんざり。やっと休みだ飲みに行こうぜ。最近はコンビニでも売れ残りを捌くために見かけるようになった割引商品を鬼の形相で選別していた時に聞こえた会話。週末が休みという当たり前を有難いと思った事はあるんかいね、ちくしょう。今、本当に六月ですか。なんだこの暑さは、執拗にまとわり付く湿気が不快感ボルテージを二段飛ばしで高めていく。暑苦しい時には熱いものを食べて汗かいて風呂入ってさっぱり! もしくは冷たいアイスを一気食い。今日は後者を選んでコスパ最強のアイス、ボリボリさんを買いました。いずれにせよ食べたら風呂入ってさっさと寝てしまえば蒸し暑さも一時だけではありますが忘れてしまえます。さぁ寝ましょう、そうしましょう。
――と、なるのが考えうる最良の日常だったはずなんですけども。
「ん〜! 美味しいっ」
「え、えぇ、そうですね! ははははは!」
初めて立った氷上でトリプルアクセル着地成功、才能って怖いですね、あぁ、どうせなら次は途中で縦回転も挟みましょうか? え? スカウト? サイン? 困ったなぁ、僕はただのしがないプログラマなのに……足りない。そんな表現では全く足りないくらいの週末が目の前に広がっている。
全てワタクシの独断ではございますが、真昼間のコンビニで、豚まんという一個百五十円もする王族貴族の食物を全速力で走って買いに行き、三度目のワイルドカード"親戚のやや不幸"というプロあるまじき禁じ手を犯してまで
口の横についた小さな具材をペロッと取る様子を凝視していたら目があってしまった。慌てて視線を逸らそうとしたけれど、それより先に彼女がちょっとだけ舌を出して恥ずかしそうに微笑む。
マーーヴェラス!! この世の湿気よ、全て自分にまとわり付けばいい。暑さよ、この胸の炎に比べれば貴様など無に等しい。連休無し月? 土日もありませんがいつもの事です!
「マーベラス?」
普段から故障していた独り言回路が漏電した。
「あ、いえ、なんでもないですよ! ははははははは!」
「え、と。じゃあ、話の続きを……」
自ら進んで独り占めさせてた扇風機の首をこちらに向けようとしている。滅相もないワタクシめなぞ焼けた鉄板の上でで十分でございます。そのお気持ちを液体窒素で瞬間冷凍保存して生涯分に分割し毎日少しずつ解凍しながら生きていきたい。言っときますけど、どこぞに電話して来ていただいたりとかしてませんからね。そういうのはまにあっております。ぼくはじゅんすいです。きんとうんにのれます。
「いえいえ、それには及びません! 万事存じております! 慣れてるんで! 大丈夫です! ご安心をしましょう!」
慣れているけど忘れてた。彼女は
崩壊する自我と語尾と鼻の下。がに股で両手を前に出し魔法使いが手から炎でも出しそうな静止のポーズを見て、目の前の
鼻の下が人類初の床面着陸に成功した。
「だめっ!」
急に立ち上がり大きな声を出した彼女は、我に返って立ち上がる前よりも小さくなって座り込んだ。真っ赤になった顔を両手で覆い、指の間からこちらを見てくる。
「いや、でも」
「だめ、だめだよ……」
「せ、責任はちゃんと取るから、だから……」
「私……私……」
例え乳児であろうとも、それが女性という遺伝子構造を持っている者であれば言葉が喉につまり酸欠しそうになる程の苦手意識を、彼女は
「仕事を投げ出す事が一番嫌いですっ!」
お察しの通りの意志の弱い人間ですみません、前言撤回します。何かがどうかなったら構ってしまいました。森羅万象が僕を敵と認定するサインを送ってきたとしたら、おそらくこの全身に突き抜ける鈍痛がそうなのだろう。今更どうでもいいけど、魔法使いなら杖とかの契約装備を使えよなんで手から出すんだよ直かよ。そんな雑念で逃避したくなるくらいに、キライの三文字が機雷に代わり物珍しいものがあれば取り敢えず触ってしまう幼稚な自分に制裁を与えるが如く爆破した。恋は盲目とはよく言ったものではございますが、ワタクシは事もあろうに人生の天敵と認識した
お花畑で馬と鹿が互いの前足を手に取り、二足歩行でるんたるんたと回りだす。きーらわーれたー、きーらわーれたっ。おーしまーいだー、おーしまーいだっ。周囲の草花がみるみる枯れ散り、おどろおどろしい紫色の表土へと姿を変える。ぐるぐると回り続けていた動物は回りすぎてバターみたいに半溶して合体し、馬鹿キモイナ、もとい、馬鹿キマイラとなってこの夢を貪り喰った。手元に残った現実パイを顔の前に叩きつけられたが、仕事を投げ出す事が一番嫌いクリームを拭う事すら忘れてただただ床を見ながら、念頭にある言葉をようやく絞り出した。
「すみません……」
「え!? あ、あの! な、泣かないで!?」
「仕事……がんばりばず、ずみまぜん……」
「う、うん! がんばって、やりきろう? ね?」
そっと頭に手を置かれ、赤子をあやすように優しく撫でながら彼女は続ける。
「私、仕事に一生懸命な事が好きなんです。誰かの為に生涯を捧げるって素敵だなぁ、幸せだなぁって……だから……」
好き。生涯を捧げる。素敵。幸せ。これはつまり……逆プロポーズ。
マコト、マジでごめん。今ならお前とならドイツ式乾杯で生ぬるいビールを一気飲み出来るわ。今ならどんなアップダウンが目玉の絶叫アトラクションもベランダから見える公園の滑り台並に陳腐に思える、そんな気がした。
心地良いリズムを奏でながら彼女は自身を"きう"と名乗る。よろこぶあめ、と書きます、名前は気に入っているけど、何度も言うときゅーになっちゃって恥ずかしい時があります、と笑う。GUI動作テストをする傍らにテキストエディタを開き"喜雨"と書いてみた。いい名前だなぁ、雲間から降臨したような高空の花にも関わらず素敵で飾らないその性格にびったりであるよ。困ったなー、自分気持ち悪いなー。仕事が全然すすまねぇ。食欲をそそる音と醤油の焼ける香ばしい匂いが部屋を埋め尽くす。いかんいかん、彼女の心を無碍にするわけにはいかないのだ。こうやって
「はい、どうぞ。今日のはちょ〜っと自信あります!」
仕事机の脇に湯気の立ったチャーハンと氷の入った麦茶が置かれる。なにこれ! どうやって中華料理屋みたいに半球体にしたの木べらしかないよウチ、握ったの!? 自分のチャーハンスキルもそれなりに場数は踏みましたから、人に出せるくらいのものは出来ると思っていたけれど、こんなの見ちゃったら過去食べてきた面々が泥団子にしか見えない。
「すみません、ながら食いになっちゃうけど……いただきます!!」
本当ならちゃぶ台を囲んで貴女を前に、六月に舞い降りた味の驟雨やぁ! とかくだらない事言っても笑ってくれる喜雨さん見ていたいんですが、如何せん担当さんに嘘をついてまで締め切りを伸ばした事を自白したらば、彼女の正義感がまたも炸裂し驟雨どころか雷雨の如く叱咤され、慌てて電話をかけて当初言われていた時間までに仕上げますと啖呵を切らせていただきました。"6分59秒"の通話は、もう楽しくおしゃべりしながらディナーとか冗談でも言ってる場合じゃない状況に自分を追い込んでしまったのだ。自業自得ですか。はい、そうです。
レンゲにすくえるだけチャーハンをすくい一嗅ぎ。買ったはいいが一度使って分量ミスで食えたもんじゃなくなったままお蔵入りしてたオイスターソースの仄かな香り。たまらず頬張る。いつもは面倒だからと乱雑に切って投げ入れるネギ達も小さく均一な大きさでご飯の邪魔を全くしていない。油を熱してから最初に投入して膨らませる玉子も自分が作ったそれとはまるで違うふわっふわ加減。ご飯粒が塊になっている様子も全く無いどころか二粒くっついてるような状態も見受けられないんですが、これは手作業でほぐしたんですか? 自分でも忘れていた、冷凍庫の隅にでも隠れていたんだろうか、これまた細かく角切りにされた鶏肉がカリカリと口の中で香ばしい。これ、普通に焼いただけじゃないよね絶対、どうなってんのこれ。中華料理屋"喜雨"の絶品チャーハン。そんな言葉が五臓六腑に駆け巡った。
「美味い……」
仕事の手? 進むはずがないよね。マウスをそこら辺にぶん投げキーボードを押してスペースを空け中央に持ってきた皿を抱えるように無心でチャーハンを頬張った。
「やった! よかった! って、なんでまた泣いてるの!」
仕事にならな
僥倖のカロリー摂取を終え、お礼を言う暇があったら作業を続けてくださいと急かされ仕事に戻ってから随分経った気がする。ところどころで会話を挟みつつ、今まで現れた
「私、消えちゃうのかぁ」
キーボードを叩く音がどうしても止まってしまう。言いたくなかったよそりゃ。今こうやって探している
「すみません! 違うの! えと、ほ、ほらほら、仕事の手を休めたら怒りますよ〜!」
執拗に貴女を探して消し潰す作業に戻らせようとする。どうしてそこまで頑ななのか。少しでも自分が仕事に打ち込めるように支えようと必死なのか。何が違うというのか。さっきから同じソースコードをマウスでドラッグしては選択を解除し、また滑らせては解除する動作を繰り返しながら再び切り出した。
「あのさ、よくわかんねぇんだけど」
「なかなか見つからないんですか?」
「あぁ、いや、そういう"よくわかんねぇ"じゃなくってさ、詳しい事は知らねぇけど、もう少し自分の事を第一に考えてもいいんじゃない……っすか、とか、思ったりですね」
沈黙の返事に次の言葉が詰まる。調子こいてんじゃねーぞとまくし立てられあっという間に知り合い全員にメールで流されて赤裸々男のそれはそれは恥ずかしいレッテルを縫い付ける羽目になってしまう、その相手がこんなにも器量の良い彼女である、というのがたまらなく堪えるが、それでも言わなきゃならない事だってある。
「どうしてここまで良くしてくれるんですか」
やはり答えは無い。首の運動に見せかけて時計を見る。日付がとうの昔に代わっており、締め切りと言われた時間を二時間は過ぎようとしていた。こんな夜中に締め切りを設けてくれたという事は即ち明日朝一まで引き伸ばしておくからという担当さんの暗黙の優しさだ。この時間で自分は確かめなければならない事がある。暫く待ってみたが、やはり返事は沈黙だった。改めて声をかけようと息を吸った時、彼女の小さな声が聞こえた。
「いなかった、からです」
その返答に、特に驚きもしなかった。知りたかった事ではあったのに、既になんとなく解っていた。
「いなかったって、喜雨さん以外誰も?」
「いた、けど、いない。確認のメールをやりとりするだけ」
「家族とかは? 藍やマコトはいるみたいだったけど」
「かぞく? 物語の設定でよくある、あの?」
ぎっ、と奥歯を噛んだ。どうしてこんな
「見つかった!?」
「うーん、まだわかんないけど」
「よかった! これで終われるね!」
――自分がこれから消えるかもしれないって時に、こんな顔できるもんなんですかね。
「や、出来ねぇ」
「え?」
「直せねーわ、直したくねーっつーか」
「ふざけないでっ!」
瞬間的に心の底から沸き放たれた怒りをぶつけられ、目の前が真っ白になる。とても穏やかで優しく、面倒見という状態を人の形にしたような彼女が、我を忘れて怒りに身を任せ、一心に
「ダメ、絶対にダメ、直して。直せるんでしょ? もう解っているんでしょ?」
「百パーじゃないけど」
「だったら、早く試しましょう?」
「嫌だ」
「ちゃんと動くようにしないとダメ! 解っているのにやらないのはもっとダメ!!」
「出来ない」
彼女の抑えきれない感情が大きな両眼の淵から訴えてくる。
「仕事を途中で投げ出す人が一番嫌いだって、言ってるでしょ……」
「嫌いでいいよ、無理なもんは無理」
手を抜くことを考え、見つからないまま気づかないまま先方が納品完了と言ったら終わり。後から何を言われたってそんなもの知るか。投げやりになった仕事に臨む時の姿勢はいつもそうだ。そうして出来上がったものがこうやって長い年月放置され、その間も絶え間なく続く沢山の情報の面倒と確認をし続けて、ふとしたきっかけで浮上してきた改良の中に潜んでいたごくごく稀な操作によってしか引き起こされる事のない
「お願いだから、私がいなくなれば、困ることは何もなくなるんでしょ?」
「たぶんね」
「だったらどうしてそうしてくれないの!」
ここしか無い。人見知り、体女性苦手意識、何一つ間違っちゃいない相手への情け、もう少しだけ奥に引っ込んでろ。
「飯まで作ってもらって、色々話聞いてもらって、すっげぇ楽しくて……こんな小汚くてむさくて女性と全く縁無くて明日食うのも困りそうな愚図を何の見返りもなく支えてくれようとしてくれて、そこまで色々してもらってんのにこんな状況にしちまったのが自分の怠慢に怠慢を重ねた仕事への姿勢の結果だっていう、救えねぇ話だ。王様獲られても負けたって認めねぇまま勝負強要してんのはよく解ってる。本当に申し訳ないと思ってる。だけど、喜雨さんの望みを叶えるなら条件がある。これだけは譲れない」
「仕事が終わったら聞く! なんだって聞くから!」
その辺の空気をありったけ吸い込んだ。ちょっと手貸してくれ。
「終わってからじゃおせぇんだよ! 気づけよ! いい加減自分の為にしたいと思う事を思うまま言えっつってんだよ! それを叶えてやりたいって言ってんだよ! これから元いた場所に戻るのかどこか別の場所にいっちまうか消えちまうかわかんねーし、慣れてきたと思ってたけどやっぱ
「そんなの、考えたこと、無い、から、解んないよ……それに……」
「そ、それひ?」
空気が、足りない。上手く返事が出来ない。この大事な時に、ちくしょう。
「豚まん、美味しかった。他にも、すごく、沢山、全部が、初めてで、嬉しかった。ありがとう。それだけでも、十分なのに」
「だめ、だめだめだめだ。あれはこっちが勝手にやった事! それはそっちが勝手にやった事! だからその他諸々も全部ノーカン! だめ!」
長い長い沈黙に完全に切れた息を整える自分の喘息音が部屋中にへばりつく。もう完全にただのガキンチョだ、理屈もへったくれもあったもんじゃない。こんな事をしたら罪滅ぼしになると思っていたのだろうか。自分が救われたいだけだったんじゃないのか。彼女のためだなんて都合の良い事言えば良く見られると思ってんじゃないのか。……そうだよ、悪いかよ。こうでもしねーと目の前の堕落にまみれたプログラムごと全て壊してしまいたくなりそうなんだ。どうにかして収拾つけねーと、言ってしまいそうなんだよ胸の内を。そうなったら収まらない。彼女が最も嫌う事をしなくちゃなんなくなるんだよ。この仕事を投げなきゃならなくなるんだよ、ほぼ解りきった、この案件の修正を――ダメなんだよ、それじゃあ。
「……たい」
声に反応して顔をあげると、大きく鼻をすすり落ちる涙を隠そうともせず彼女はこちらを向いて言った。
「チャーハン、作ってもらいたい」
「う、あ? お、おお!? よ、よーーし! とんでもねぇの作るから座って待っとけ!」
「うんっ!」
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。そんなこの世で一番幸せって額に描いてあるような笑顔を自分なんかに向けないでください。それから、あの馬鹿うまチャーハン作った人に作るチャーハンなんて少なくともこの六畳ワンルームには存在しないから、作り終わるまでずっと謝り続けさせていただきますけど、それでも宜しいでしょうか!
「おおっしゃ! んじゃやるかい!」
腕まくりをしながらキッチンの前に立ち、冷凍ご飯をレンジで温めつつ綺麗に洗われた調理器具達を手に取って軽く水気を切る。誰に知られる事もなく誰彼構わずその相手のために仕事を続けてきた。一度くらい誰かに何かを頼んで、それを楽しみにしてもらうぐらいの事をしてもらったっていいじゃないか。どう頑張っても輪切りのネギは均一の厚さにならない。あわよくばそれが自分の贖罪にもなるかと思ったけれど、それはどうやら無理みたいだ。何をどう頑張っても出る言葉全ての接頭語がごめんなさいになりそうで、無我夢中でネギを切り、卵を溶いた。これが終わったら誠心誠意修正させていただきます。認めたくは無いけれどあの
「ごめん喜雨さん! ちょっと仕事机の皿取って! チャーハン皿それしか無いんだ、洗わなきゃ」
もう居ない事なんて知っていた。それでも声をかけてしまった。手渡されなかった皿の上でレンゲが小さく鳴った。
――ごめん、やっぱ頭に"ごめん"て付いちゃったわ。ごめん。あと、今回から隠し味にオイスターソース使っていきます。丸パクです、ごめん。
入れすぎてやたら大きく立ち上った醤油の焦げた匂いが六畳ワンルームをあっという間に包み込み、鼻の奥で忘れてないようにしていた絶品喜雨チャーハンの残香を根こそぎ奪っていった。
不具合 #004 修正完了
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