不具合×納期 ≪バグリミット≫
ヨ
不具合 #000
二月十三日。
「……はい、……はい、わかりました。誠に申し訳ございません。」
六畳のワンルームに元気の抜け落ちた声が寂しく響く。天気予報のサイトでは昨夜ちらついた雪がようやく溶け始めようとしていたのを拒むような大寒波の再来を大々的に取り上げている。
――雪なんて降っていたのか、道理で寒いわけだ。
閉めきった薄暗い部屋で冷えきった両手の空いている方の手を懐で暖めながら、携帯電話から聴こえる大声に反射的に頭が下がる。
「……はい、明日朝一……え、時間ですか……九時、ではいかがでしょうか……はい、申し訳ございません、はい、はい、失礼致します、はい、わかりました、はい、それでは……。」
"10分33秒"。最近ハマっているカードゲームをやっていれば瞬きの間に過ぎ去るような時間がとてつもなく長く感じた。肺に溜まった空気とは思えない重たいものが喉元で絞り出した低音と共に吐き出されていく。机上で超低空飛行を続け、そこら中に散らばった書類の上を通過し、英数字の並んだモニタにぶつかって返ってきた溜息を投げやりに吐いた息でかき消した。
「……デ、デスマーチ確定でおじゃる。」
無意識に可怪しくなった語尾にも最早突っ込む気力すら湧かなかった。目の前に置いておいたカップラーメンのフタが少しだけ盛り上がっているように見えた。でかでかと"熱湯3分"と書かれた印字がこの時ばかりは恨めしかった。
「そこは五分にしとけよ……気がきかねぇなぁ。」
言うまでもなく、部屋には自分一人しかいない。独り言が会話レベルのボリュームになりカップラーメンにすら話しかけるなんてのは独り身の基本だ。フタを開けた時の湯気と食欲をそそる匂い、少ないながらも計算され尽くしたコストパフォーマンスに優れた具材、濃厚ながら気がつけば飲み干してしまう黄金色のスープ。そのどれもが今の自分にとっては癪に障って仕方がなかった。寧ろ今はもっちりとした食感が大人気にも関わらず完全に伸びきった中細縮れ麺が愛おしくすら思えた。お前は自分みたいだな。お前さえ完璧なら全て完成していたんだ。素晴らしい、流石だね、ありがとう。そんな言葉が聞こえていたはずなんだよな。嗚呼、愛おしい、愛おしいぞ伸びきった麺。頬ずりでもしてやりたくなるくらいに。
「……無理、熱い。」
過剰に膨れ上がった麺をすくい上げたまま席を立つ。後ろにあるキッチンに乱雑におかれた器の一つに目掛けて麺を放り投げ、スープをかき回しながら浮かんでくる具材を見つけては摘んで食べる。黄金色のスープの誘惑に負けないようにフタをちぎってラップをかける。麺の入った器にもラップを乱暴にかけ、そのまま冷凍庫に押し込んだ。
――こんなの、いつもの事だ。ちゃめし事だ。それじゃあ駄目なんだけど。
口をつけていないスープはそのまま置いておき、後日ご飯を炊いた日にぶっかけて食べると美味い。食パンを買ってきたならやや薄めてスープとして飲んでももちろん美味い。伸びきった麺は冷凍し、後日フライパンで焼いて水分を飛ばしつつ適当な野菜とソースで焼きそばにしてしまえばこれまた美味い。数年の生活で考え身につけた対処法は、今や考えるより先に行動に移ってしまう程の日常へと昇華していた。出来得る最短かつ流れるような一連の所作はカップラーメンを分解し明日への生命線へと姿を変えた。
「プログラムの
死の行進隊が高々とラッパを吹き鳴らす。それに呼応するように独り言もボルテージがあがって行く。
「やりますよ! やったるってんだ! 朝九時!? 余裕だチクショウ! 今何時だ! 二十三時! っはー、十時間もあるでよ! 余裕じゃね!? 余裕じゃね!? フリーランスプログラマの意地みせちゃるばってん!!」
死の行進隊に大太鼓が加わる。指揮者がリズムよく振っていた指揮棒を強引に奪い、乱暴に振り回しながら席についた。
目の前には納品したはずのプログラムの一部がモニタに映し出されている。仕様が仕様を呼び、八匹集まって巨大化し、新規追加という名の無償奉仕が仕掛けるボディブローをデンプシーロールで華麗に全弾被弾、初期の予想作業量など記憶の彼方に飛んでいってしまう程には難航し、間に合わせに間に合わせを重ねた不出来な十二単みたいな文字列が眠気のピークを迎えた両眼に最良のリラグゼーしょんこうかをもたらして……
「あたしバグぅ〜早く見つけて治療してぇ〜ってかぁ〜んふふふ、ふごー、んふふ、んがっ!?」
よく見るが出来る限り見たくもない愛想枯れしたしょぼくれ顔が真っ黒のモニタに反射して映っていた。
――くたばれグレア。ごめん嘘、見やすいよ。ラッヴェ。
じゃなくて。
「今何時!?」
ENTERキーを連打して画面を復帰させる。
「ひっ」
5:17と書かれた数字が5:18へと変わった。
「こ、これは、いわゆる、一つの……」
寝落ち。
「起こせよデスマーチ! なんでもいいから適当に鳴らしとけよ! サボってんじゃねーよ! 自分も自分だよ! なんだこの椅子! ヘッドレスト付きエキストラハイバックチェアであなたの背中と仕事をしっかりサポート!? 寝るわアホ! 調子こいて買っちゃったけど! 凄く良いけど! 凄く良いんだけど!」
何一つ変わっていないモニタの前の文字列に始まらざるをえない現実逃避をいくら繰り返しても、どこが
「原因は! バグの根源はどこだよ!!」
画面に噛み付くように前のめりになってマウスを握りしめ、ソースコードを一つずつ確認していく。こういう時に己のスキル不足にはほとほと呆れる。後で見なおしてもどこに何を書いたか解るようにちゃんとしとけよ。デバッグしやすいように全体を見通せるための仕組みを用意しておけよ。なんだよこのコメントの書き方は後で読んで意味がわからないんじゃただの落書きじゃないか。どこまで駄目なんだ自分は!
「あー! 嫌いだね! バグなんか大嫌いだね! 擬人化してそれが可愛いくてとかあるか! なんだあの夢! もげろ!」
「泣き言は手を動かしながら言え。緩緩眺めてもいられぬ」
「わかってるよ! 今やってるよ!!」
――そうだ、日が浅くとも看板背負ってやってんだ。あんまり使いたくない言葉だけど、頑張れ、頑張れ自分! もうこれは先天性だ遺伝だと言い切ってもいいくらい自分は勘が鈍い。だからバグを探す時はしらみ潰しの方が性に合っているようで、一見、最も時間のかかりそうな作業ではあるけれど確実だ。ただ今は時間が無い。秒単位で揺さぶってくる焦りに飲まれるな、一つずつ、一つずつだ。
いつも思う。この作業は途方も無いな、と。しかし、これもまたいつもの事で、いつしか残り僅かになったチェック表を前に腕を組んで画面を眺めていた。
「そ、そこは気留めする所とは違うと、思うぞよ……?」
「……いーや、怪しいね。この後の処理が動いていないんだからな! 動かねば前を見てみろホトトギスだってんだ!」
「風流の欠片も見当たらぬ歌じゃのぅ……」
なんだ風流って、知らんがな……って、ほら! 思った通りだ。こいつが悪さをしているので間違いなさそうだ。ここの処理が何らかのエラーになって後々引きずっているんだろう。見つけたぞバグめ! 急いで解析だ! 徹底的に潰してやる!
時計を見る余裕も無い程に集中していたんだろう。閉めきったカーテンの隙間から差し込む僅かな太陽光になんて気が付くはずもない――まして、自分が誰と話していたのかさえも。
「っしゃああー! クリア!!」
エラーメッセージの出なくなった真っ白な出力画面を前に、エキストラハイバックチェアに全体重を委ねた。
――ごめんね、ごめんねごめんねアホとか言っちゃって、大好き。もう君にしかこの背中を任せられないよ。ラッヴェ。
じゃなくて。
「メール!」
とりいそぎ……しつれい、いた、します……っと。
「メール終わり! 電話!」
着信履歴の一番上。名前を見ただけで少し胃が痛む。単純に怖かった昨夜の電話と寝落ちの自責と、少しだけ見せる自尊心(プライド)を矜持(プライド)がたしなめる痛み。丸め込むようにして通話ボタンを押した。
「……あ! あの! 早朝から失礼致します!」
一時はどうなる事かと思ったけど、よくやってくれたね。
そんな言葉で締めくくられた通話が終了した。"7分11秒"。
「の、乗り切った……」
何故だろう。不思議と眠くない。そう思ったら笑えてきた。そりゃそうだ、睡眠も枕抱えて飛び起きるくらいの寝落ちっぷりだったんだものな。最初は怖くて、途中からは意識にすらなかった時計を見た。9:12。少し、遅れてしまったなぁ。少しだけど、遅れは遅れだ。改めてお詫びの連絡をしないとな。たしなめられて反り返っていた自尊心が少しだけ申し訳無さそうな素振りで引っ込んだ。
「それはそうと、自分の目測が上手だったようですなぁ!」
椅子の回転を利用してくるりとベッドの方に体を向ける。見慣れた六畳ワンルームがそこにあり、モニタの輝度で明るさの調整が効かなくなってしまっていた目には遮光1級カーテンの裾から差し込む日の光で辛うじて全体が見通せるくらいだった。
――それはそうと? って? 一体何の事ぞ。思い出せん。まぁ、アレだ。修羅場特有の現実逃避と妄想で自分で自分と会話しちゃう、みたいな何か、だ。デスマーチあるあるだな、うん。あとで投稿しとこ。見る人いないけど。
ハロゲンヒーターのタイマーはとうに切れていたが寒いとは感じない。ある程度気温があるのだろう。今日は雪が溶けてくれるのだろうか。寒波がどうとか書いてあった気もするけど、天気予報も間違う事くらいあるよな、うん。"予報"という予防線を張っている所がなんとも羨ましい。プログラマにも何かないもんかね。ないね、うん。
「さーて……焼きそばでも作るかな。」
パソコンを終了しようと思ったら、その前に必ず確認を徹底して手癖になっていたスケジュール表を開いてしまった。書き込まれたカレンダーに並ぶ不吉な数字に体が硬直する。
「に、二月十四日だと……いねーよ! ろくずっぽ女の子と会話してもねーわ! いや待て! ある! カスタマーサポートのおねーさん、超かわええ声の! どちくしょう!」
様々な鬱憤が最高潮に達しながら、同時にはけ口としては最高じゃないかと大きく息を吸い込んだ。
「くたばれバレンタイン!!」
不具合 #000 修正完了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます