第2話 一回戦
後輩と店長には逆らえず、結局参加することになった鬼灯君。
記念参加みたいなものだと割り切って一回戦で負ければいいや、くらいの軽いノリで、しかし仕事だからと真面目に与えられた職務をこなしていく。
・・・が、なんかおかしい。
立ちはだかるラインナップは
泣いている女の子! 十人の刺客! 杖を失った老人!
そしてやはり、彼に災難をもたらすのは憎めない後輩と・・・え、爆弾?
大会当日、午前八時半。俺とヒナは電車に乗って、大型百貨店チェーン《ひよこデパート》へ向かっていた。ここが第一回戦の会場らしい。野球ドームや競技場などで行うと思っていた俺は少し驚いた。 「チラシきちんと読んでないんすか? 勉強不足っすねぇ」とヒナにバカにされた。学校のテスト前でも遊び呆けてるような奴に勉強不足と言われちょっと悔しい。 「興味ないからだよ」と強がりをいってそっぽを向く。電車の外は晴れ渡っていて、実にいい天気だ。今からでも方向を変えてどこか遊びに行きたい。本屋とか、図書館とか、家電量販店とか。
「それ全部屋内じゃないっすか」
すかさず突っ込まれた。うっせえな。好きなんだからいいだろ。
「もしかして先輩、女の子と付き合ったことないっすね? それ全部一人大好きな人のルートっすよね」
全国の本屋と図書館と家電量販店と、それらを愛する人々に謝れてめえ。
「バカいうな。流石にあるぞ」
世界をまたにかける女諜報員だったけどな。事件に巻き込まれたり敵対勢力に一緒に追い回されたりと甘酸っぱいことなんて何一つなかった。唯一得たことは人間は意外としぶといって事実くらいだ。アクション映画級の物語と一生モノのトラウマが出来上がるほどいろいろとあったが、ここでは割愛。結局彼女とは何事もなく別れてあれ以来音信不通だ。この空の下のどこかで、ウェーブのかかった長い髪の美しきエージェントは戦っているのだろうか。どうして俺のことを歴戦の傭兵と間違えたかね。今なお謎だ。
他にもいろいろと出会いはあったが、心ときめくようなものは何もなかった。何も、無かった・・・。あれ、思い出したら目から何かしょっぱいものが。
「ちょ、先輩、何泣いてんすか!」
「泣いてない。雨だ。雨が目に入っただけだ」
「おもっくそ電車の中っすけど?! 天気は降水確率0パーの快晴っすけど?!」
騒がしい俺たちを乗せた電車がホームに滑り込む。いつの間にか目的の駅だった。
目的のデパートは駅の目の前に立っていた。いったいこんな場所で何を競うのやら。大きな出入り口の前には案内板。
《『アルバイト選手権』のため、現在関係者以外立ち入り禁止》
「スゴいっすね。こんな大きなデパート競技用に貸切るなんて」
「でも見てみろ。《午前十時より開店》とも書いてある。受付の締め切りは何時だ?」
「ええと、八時五十分っすね。九時から競技説明って書いてあるっす」
チラシを読み上げるヒナの隣で、俺は首を捻っていた。九時開始で、十時に開店ってどういうことだ。この一時間で勝負を決めるってことか? どういう競技ならそんな短時間で何百人といる参加者の優劣を決めるのだろうか。首を傾げているとスマートフォンで時間の確認をしていたヒナが慌てた。
「あ、先輩。もうすぐ時間っす。中に入りましょうよ」
「ん、ああ、そうだな」
「なんすか。まだ渋ってんすか? いい加減諦めましょうよ」
「そうじゃない。昨日の時点で諦めは済んだ。どういう競技に参加するのか、ちょっと考えてただけだ」
「そんなの始まったら嫌でもわかるっすよ。ささ、行きましょ」
俺の手を取ってヒナが走り出した。引きずられるように後に続く。時刻は八時四十七分。間もなく締め切りが終了する。
デパートのインフォメーションセンターが受付となっていた。名前を告げるとその場で受付嬢がパソコンを操作し「鬼灯律様、ですね? 確認しました」と言ってナンバープレートとこのデパートの案内図をくれた。番号は444、ぞろ目だ。ちょっと良い気分でいると443のナンバープレートを下げたヒナが「うわあ、さすが先輩、不吉な数字」とその気分を粉々に粉砕してくれた。
「単純に考えると、今この場には四百五十人くらいの参加者がいるってことだな」
「そうっすね。でもこんなもんなんすかね」
「何がだ?」
「だって、国あげてのビッグイベントっすよ? もっと参加者がいてもおかしくないっていうか」
言われて見れば、国内全土を巻き込むような大イベントの参加者がたった四百人程度とは、いささか少ない気もする。高校生のクイズ大会でも初戦は万単位ほどはあったと思う。
登録を済ませ、ナンバープレートを付けた俺たちはインフォメーションセンターを通り過ぎ、デパートの中央部分にある吹き抜けの広場は、その四百人で埋め尽くされていた。
「まああれだ。見るのは好きだけど実際参加するのはちょっと、って人が多いんだろ。実際俺も参加する気なかったし」
「そんなもんっすかねぇ。あ! 先輩。興味ないからって手ぇ抜いちゃ駄目っすよ! 本気でやってくださいよ! 店のPRっす! 若き日の思い出っす!」
「なんだよいきなり。心配しなくても全力でやるっての。金を貰うからには相応の働きはする。でないと失礼だろ」
「先輩には無用の心配でしたね。顔に似合わず真面目さんなの忘れてたっす」
「顔に似合わずってどういう意味だ?」
「あっ、始まるみたいっすよ」
あからさまに話を逸らしたヒナが広場にセッティングされた壇上を指差す。そこにスーツを着こなした中年の男性がマイクを持って登ってきた。腕に大会実行委員の腕章がつけられている。
「お集まりの皆様。時間となりましたので、これより第十回、アルバイト選手権の一回戦、徒卯卿地区大会を開催親します」
一回戦? 徒卯卿地区大会? ってことは、次もあるのか。会場は他の場所にもあって、だからこの場には四百名程度なのか。俺のお気楽な内心をよそに、広場の空気の緊張感が一気に高まった。
「では競技内容を発表します。今回のお題は《次に繋がる接客》です。試合会場はここ『ひよこデパート』。これから皆様には自分が自信のある業種についていただき、来店されるお客様の対応や各種の業務についていただきます。そして、その技術が高いと判定された方一名が、二回戦に進めます」
ざわざわと動揺が広がる。次に繋がる接客って、つまりまた来たくなるような接客を心がけろってことか? 当たり前のことだが難しいことだ。
「デパートには多種多様な職種があります。地下の生鮮食品から紳士・婦人・子供服売り場、家電製品、オモチャ、本、貴金属などです。また今の時期は十五・十六階にて地方お土産売り場特設会場となって話題を呼んでいますし、十七階から二十階まで三つのフロアが有名なレストランフロアとなっていてお食事をされるお客様が大勢いらっしゃいます。 こちらをご覧下さい」
実行委員の指示で天井から大きな白い幕が下りてきた。プロジェクターがその幕に映像を映し出す。デパートの各階の俯瞰図が表示されているようだ。店舗名と数。おそらくここで働ける人数を示しているんだろう。みんなが一斉にさっき手渡された案内図から気になる店舗とボードに書かれた人数を確認し始める。
「この中から希望職種を選んでいただいてその場に直行、店舗担当の説明を受けて十時開店と同時に競技を開始します。皆様の採点方法はその店舗の従業員や各階を回る主任審査員、そして特別審査員が採点します。では、ご質問等なければ、これからナンバープレート順にお呼びし、職種を選択していただくことになりますが」
真ん中辺りにいる若い男性が挙手した。
「あの、番号の順番で決めていくんですか?」
「はい」
「僕の番号256番なんですけど、それまでに気になる職が定員になっていたら」
「残念ですが、その職には就けません」
「じゃあ早く来ていたほうが得だったってことですか」
「そうなります。実際、あなたがアルバイトを雇う側だとして、早く来て準備を行う者と、時間ギリギリに来る者、どちらを優遇して雇いますか? この競技はそういうところも見るのです。早くに来て待っている参加者のほうが案内図を読む時間がある、つまり事前調査が出来ていると判断させていただきますので、優先的に選択していただけます。ただあくまで競技ですので競技開始の時点から採点を行いますが」
「私からも質問いいですか」
次に手を上げたのは前のほうにいる中年の女性だ。
「採点方法ってどういうものですか?」
「はい。先ほど説明しました各店舗の従業員の他、各階の主任審査員、そして特別審査員による加点式の採点方法です。減点はよほどの失敗がない限り行いません。まず従業員の加点方法ですが、例えばきちんと挨拶が出来ていれば1点、お客様に商品をお勧めできれば2点、店舗で買っていただけたら3点、という具合につけます。
次に主任審査員ですが、その店舗の売り上げ、来客数を見て判断します。来客が三十人を超えたらその店舗にいる全員に5点、売り上げが十万円を超えたら10点などです。
特別審査員は、お客様として来店します。私たちも誰が特別審査員で、何人来るのかも知らされておりません。彼らを満足させ、納得させることが出来たら100点入ります。
また、獲得されたポイントは百倍して皆様のお給料に加算させていただきます」
ざわざわっ、またも動揺が広がる。ポイントを稼げば稼ぐほど給料も稼げるということで、より一層やる気がみなぎっているようだ。
「これで、俺たちの予選敗退は濃厚だな」
隣のヒナに小声で言った。ぷくっとふくれてヒナが反論する。
「何で試合前からそんなこと言うんすか。勝負はいつだって勝つ気で臨まないと勝てるものも勝てないってじいちゃん言ってたっす」
「その気迫は立派だがな。俺たちがここに来たのは最後のほうだぞ。選べる職種だって限られてくる。接客なんて言ってるけど、これはアピール度を競う競技だ。審査員の目に留まるようなアピールが出来ればどんどん加点されるが、裏方などに回ったらアピールするチャンスがほとんどなくなる。俺たちに残ってるのはそういう裏方仕事だよ」
「ええ~そんなぁ~。せっかく早起きして来たのにもう勝てないの決定なんすかぁ?」
ふてくされるヒナ。一気にやる気がなくなったらしい。
「もう帰っていいっすかね。あたし見たい番組あるんすけど」
あれだけ熱中してたのに冷めるのが早い奴だ。きびすを返そうとした彼女の腕を掴む。
「ったく、そんなこってどうする。働きに来たんだよ俺たちは。途中で帰るのは契約違反ってやつだ。勝とうが負けようが金は入るんだ、しっかり働いていこうぜ」
「ちぇ、先輩は真面目さんなんすから」
渋々とヒナは案内図に目をやる。確かに残念だ。彼女が接客をすれば、かなり良い成績が残せたはずだ。俺と違って人に好かれる要素が多くあるからな。
当然というか、生憎というか、俺たちの番が回ってきた頃にはほぼ全ての接客業種が売り切れ御免のソールドアウトだった。
「ああ~、じゃあ、あたしはこれで」
投げやりにヒナが選んだのは駐車場整理の仕事。きっと一番楽そうだからという理由で選んだに違いない。バカだな。今日の快晴を見ろよ。日中は無茶苦茶暑いに決まってんだろ。かく言う俺が選んだのは、店内の巡視案内員。歩くインフォメーションセンターってとこか。迷子の案内や場所を探しているお客様の案内が主な仕事だ。人に多く接しそうな人気の職種かと思いきや、これがとんだ落とし穴。このデパートに限らず多くのデパートはネット検索で何階に何があるかすぐ調べられるようになっているし、エスカレーター付近にはタッチパネル式の案内表示板がある。迷うことなどほとんどない。したがって俺の担当は迷子オンリーになるわけだが、子どもが審査員である可能性は限りなくゼロに近いし、子連れで審査員をすることもないだろう。それを知っているからこそ、誰もこの職種を選ばなかったのだ。その証拠に定員一名の枠は見事に空いていた。最初から勝つ気はまったくないので、迷わずこの職を選んだ。各階を歩き回るだけの仕事でデパートの仕事ぶりを研究できて、しかも金まで入ってくる。ヒナに誘われたときは嫌だったが、これはかなりお得なんじゃないか、と思い直した。
ヒナと別れ、俺は拠点となるインフォメーションセンターに足を運んだ。と言ってもさっき来たばっかだけど。
「お渡しするスマートフォンのメモ帳にマニュアルと地図が入っています。鬼灯さんは各階を回って、困っているお客様の対応をよろしくお願いします。休憩は一時から二時までの昼休憩と、三時間ごとに十分の休憩。これは自己判断に任せますから、連絡しなくても大丈夫です。どこかスタッフオンリーのドアに入り、隠れて取って下さい。昼食は当館のレストランフロアでナンバープレートを見せればどこでも無料でとることができます。少し面倒ですが着替えるか上着を着ていただいてスタッフだということをばれないようにしてください。またトイレにも行きたくなったら行ってもらって構いません。ただ勝手に外へ出ないで下さい。やむをえない場合に限り、私か他の者に報告して外出許可を取ってください」
制服に着替えた俺は女性の担当員にスマートフォンを渡された。この中にマニュアルが入っていて、緊急時の連絡先も登録されている。何かあればここに連絡をと言い残し、担当員は自分の仕事に戻っていった。後はマニュアルを見て何とかしろ、ということか。大会委員にとってもその程度の説明で充分な役職ということなんだろう。渡されたスマートフォンを少しいじってみる。使い方は、うん、簡単な操作なら問題なさそうだ。メニューを閉じ、画面に映った時間を確認する。九時五十五分。あと五分で競技が始まる。 その前にトイレに行っておこう。
デパートのシャッターが開き、いよいよ大会予選が始まった。お客様が次々と来店し、デパート内は喧騒に包まれた。どの階の売り場も活気に溢れ、 来店されるお客様方の相手をしていた。流石に自信のある職種を選んだだけあって、全員かなり手馴れた様子で接客している。俺としても実に勉強になる。なるほど、お勧めの仕方はああいう方法があるのか。服と食品と本の違いはあるけど参考になるなぁ。この分だと本屋でならもっといい勉強が出来そうだ。期待に胸を膨らませて、本屋やオモチャ屋などがある八階に向かった。
八階は当然というべきか、子どもの人数が多かった。他の階の数倍の子どもが、フロア中を騒がしく走り回っている。このデパートには、珍しく本格的なアミューズメントフロアが設けられており、お小遣いを渡して子どもをここに残し、買い物に行く親も多かったりする。子どもも親の買い物なんかつまらないだろうし、親だって子どもに気を取られず買い物に集中したい、そういう双方の利害が一致したのがこの階だ。この階でも、参加者たちの戦いは繰り広げられていた。
ゲームコーナーとオモチャ屋の少し空いた空間で、商品であるマジックグッズを使い子どもたちの注目を集める参加者。種を見破ろうと必死になる子どもたちの予想もつかないところから現れるコイン。驚く子どもたち。中には「あのグッズが欲しい」と隣にいた親にせがむ子どももいた。
ゲームコーナーでは参加者は何もすることがないんじゃないかと思っていたら、そんなことはなかった。例えばクレーンゲームでは景品を穴の近くに寄せるなど、すぐ取れそうな場所に変更していた。それを見た子どもが挑戦する。だが景品は軟弱なクレーンの握力をあざ笑うがごとく、ちょっと持ち上がっただけでずれてしまった。悔しがる子どもは 連コイン。しかしまたも失敗。だが、少しずつ景品は穴に近づいている。もう少しだと思う子どもはまたコインを入れている。あの様子では取れるまで続けるだろう。
双方とも、上手い手口だ。感服しながら、一番気になる本屋へと向かう。その途中だ。自動販売機の近くのベンチで泣いている女の子を発見した。まさかの迷子発見。ま、こういうこともあるだろう。それがたまたま今日だったというだけだ。俺は自分の本分を全うするために女の子に近づく。
「どうしたんだい?」
女の子の前で膝をつき、できるだけ目線の高さを合わせるようにして喋る。すすり泣いていた女の子が顔を上げる。ツインテールに結われた綺麗な髪がさらりと流れた。綺麗な子だなと思った。人形のよう、というのはまさにこのことだ。Tシャツにジーンズとシンプルな格好だが、そのシンプルさがこの子の素材を際立たせている。あらかじめ言っておくが俺はロリコンじゃない。小さな子どもより、やはりグラマラスなお姉さまが大好きだ。ぜひ十年、二十年後、絶世の美女に成長してからお会いしたいものだ。それよりも、今はその女の子が大きな目を真っ赤にして泣いていることが問題なのだ。泣いている小さなお客様を見過ごすことは今の俺には許されない。今の俺は、このデパートの相談役だ。
「俺、いや、僕はここで働いている案内の兄ちゃんだ。どうして泣いているんだい?」
できるだけ丁寧で、それでいて優しく聞こえるよう心がけて訊ねた。女の子は俺の顔から目を逸らさないものの、ひっくひっくとしゃくりあげるばかりで中々泣き止まない。それでもじっと、 女の子が泣き止むのを待った。正直膝が痛い。迷子なの? じゃあ迷子センターに行こう? と言ったほうが簡単なのだろうが、無理に迷子センターに連れて行くのも違う気がした。しばらくして、ようやく女の子が喋りだした。きちんと応えてくれたことに少しの驚き。この子は、顔の傷は気にならないらしい。
「あ、あのね、今日ね、お母さんとね、お買い物に来たの。でね、お母さんにね、ここで待ってなさいって言われたの。でね、お金入ったウサギさんのお財布をもらったの。でもね、でもね」
といって女の子はまた泣き出した。だがそこまでくれば俺にも大体想像は付く。おそらく夢中になって遊んでいるうちにその財布をなくしてしまったのだろう。
「そっか、ウサギさんのお財布なくしちゃったのか」
そう先んじて言うと、女の子はフルフルと首を振った。
「え、違うの?」
「うん。お財布はあるの。でもね、あそこなの」
女の子が指差した先、そこにはいかにも悪ガキですといわんばかりの少年たちが格闘ゲームに熱中していた。
「あいつらに盗られたの?」
それは犯罪ではないか! 怒りに駆られ、つい怒気を孕んだ声が出てしまった。だが、またも女の子はクビをフルフル振って否定し、立ち上がりかけた俺を引き止めた。
「あのね、あたしが《魔女っ子大乱闘! ダーク・アレキサンドラ》で遊んでたら、いきなり乱入してきたの。それでいきなり最強キャラ《メルヘン撲殺仮面》ではめ技叩き込まれてあたしの 《アレキサンドラ》がピヨッちゃって、でもあっちは容赦無しでコンボの後に超必殺叩き込まれてパーフェクト負けしちゃったの」
突然女の子の口から格ゲー単語が連続で飛び出した。途中からよくわからん展開になってきたぞ。
「でね、「なんでこんなことするの」って言ったら「弱いから負けるんだ」って言われたの。あたしのことはいいけど、《アレキサンドラ》のことをバカにされたのが悔しかったの。「もう一度勝負して!」って言ったら「じゃあ、何か賭けようぜ」って言われて「お、可愛いのもってんじゃん」ってウサギさんの財布を見て言ったの。「俺の妹の誕生日もうすぐなんだよ、それ賭けねえかい? おいらが負けたら弱いってのは取り下げてやる。だが、あんたがまけたらそいつを貰うぜえ?」って言ってきたの。ここで引いたら女が廃ると思って勝負したんだけど、また負けちゃったの」
「いや、たかがゲームで女は廃らないから」
頭痛がしてきた頭を押さえて俺は言った。だがそれがまた女の子の癇に障ったらしく「たかがじゃないもん! 《アレキサンドラ》は無敵じゃなきゃ駄目なんだもん!」と泣きながら説教された。ちなみに《ダーク・アレキサンドラ》は日曜朝八時に放送されている、今巷の女の子たちに大人気のアニメだそうだ。時は世紀末、最強の魔女っ子を決めるための血で血を洗う激戦に
「つまり賭けに負けて、財布を奪われて泣いていたわけか」
そういうと女の子は「うん」と頷いた。俺はため息をつき、立ち上がる。まあ勝負に乗ったこの子も悪いとは言え、明らかに自分より弱そうな相手に勝負を吹っ掛けるのはどうかと思うし。少し話をして、返してくれるよう頼んでみるか。
「お兄さん、どこ行くの?」
不思議そうに見上げる女の子。
「ウサギさんの財布、返してもらいに行こう?」
「でも、無理だよ」
「大丈夫だって。大切なものだってわかってくれたら返してくれるさ。僕も一緒に説得するから。ね?」
「話し合いで穏便に済まそうという考えしか浮かばない軟弱な草食系男子しかいないから、女が強くなるしかなかったのよ?」
「・・・・・手厳しいね」
苦笑しながら女の子の手を引き、少年たちの下に向かう。少年たちは俺の顔を見るなり少しビビッてたが、意地かデパートの店員が客に手出しできまいと思ったかすぐに横柄な態度を取り出した。
「は、そいつは聞けねえ相談だぜお兄さんよぉ」
リーダー格らしい少年はふんぞり返って俺に言った。
「こいつは正当な勝負の元、おいらが頂いたもんだぜ? それをやっぱ返してくれ、なんざ虫がよすぎねえかい?」
妙に古い言葉遣いをする少年だな、時代劇好きなのかと思いながら、俺は説得を続ける。
「それはわかってるんだ。でも、自分より年下の子相手に勝負を仕掛けるのはちょっと大人気ないと思わないかい? だいたい、このゲームが好きな女の子は負けず嫌いだってわかるだろう?」
「まあな。このアニメが大好きなおいらの妹もそりゃあ負けず嫌いだからな」
「だろ? ここは妹さんと僕に免じて、この子に財布返してやってくれないか?」
頭を下げる俺を少年たちは驚いていたようだが、やがてリーダーの少年が何か思いついたように笑った。
「そこまで言うならお兄さん。おいらと勝負しましょうや。お兄さんが勝ちゃあ素直にこいつをお返ししましょう。だがおいらたちが勝ったら、そうだな。丁度小腹も空いてきた所だ、何か食いもんでも奢っていただきましょう。そいつでどうです?」
「そんなの卑怯よ!」
隣にいた女の子が叫んだ。
「あんたこのゲーム得意じゃない! お兄さんの実力は知らないけど、見たところあんた大会に出れるくらいの腕でしょ!」
「まあねえ、これでも地方大会で良いとこまでいったのはいい思い出さあ。で、どうするねお兄さん? おいらとしちゃあ、正直どっちでもいいんですがね?」
伺うように彼は俺の顔を覘き見た。自分の勝ちは揺らがないと信じて疑わって無い顔だ。
「いいだろう」
俺は口調を元に戻し、制服のネクタイを緩めた。
「その賭けに乗ろう」
「お、潔いね。男だねえお兄さん。そうでなきゃ。だが、そっちの嬢ちゃんも言った通り、おいらはこのゲームが大の得意でさあ。そして、手を抜く気はまったくないときている。それでもやるってのかい? 正直負けは見えてますぜ?」
「そうだよお兄さん。あたしのためにそこまでしなくてもいいよ」
それらの言葉に俺は肩をすくめて応えた。
「ま、お手柔らかに」
そして反対側の対戦席に座る。
コインを入れると、キャラクター選択画面に切り替わった。少年のカーソルは迷うことなく動き、仮面を頭の横につけた魔法少女を選んだ。
「あんた、こんな素人のお兄さんに《メルヘン撲殺仮面》使うなんてショーキなの!」
「手加減はしない、と言ったはずですぜ?」
なるほど、これが最強キャラか。俺としてはどれを使えばいいか見当もつかないが、カーソルをさまよわせているうちに女の子が言っていた《アレキサンドラ》を発見した。赤く長い髪の可愛い女の子がふてぶてしい笑顔で映っている。
「《アレキサンドラ》を選ぶの? 確かに初心者向けのキャラだけど、《メルヘン撲殺仮面》には勝てないわ。同キャラでやったほうがまだ勝ち目あるよ」
心細そうな声で女の子が言う。
「どうして勝てないんだ?」
「《メルヘン撲殺仮面》は難しいコマンドが多いトリッキーキャラだけど、その分攻撃力が高く設定されてるの。しかも全ての技をキャンセルしながら連続で出せてコンボに出来るっていう特徴があるの」
「なるほど、最強だ」
苦笑いを浮かべる。しかしメルヘンで撲殺て、無茶苦茶な名前だな。
軽快な音楽と共にラウンド1の文字が表示された。
「おやおや、隙だらけですぜ?」
その声と共に《メルヘン撲殺仮面》がジャンプ攻撃を仕掛けてきた。とりあえずバーを後ろに倒して防御。
「お、初めてにしては上出来上出来」
と素早い弱攻撃が連続で繰り出される。それも何とか防御。
「防御は上手いですが、そのままだと削られるだけですぜ?」
少年が必殺技を放つ。魔法の弾が連続で《メルヘン撲殺仮面》の持つステッキから発射される。それはガードしたにもかかわらず、体力が少し減った。
「駄目だよお兄さん! 必殺技はガードしてもダメージを受けるの」
「そのようだな」
「わかってもどうすることもできないでしょう?」
嘲るような少年の声と共に、何度も何度も魔法の弾が発射され、《アレキサンドラ》の体力を奪っていく。体力が半分くらい削られたところで我慢しきれなくなり、《アレキサンドラ》を宙に逃がした。
「駄目!」
女の子の悲鳴。
「そいつはいけませんぜ」
少年の忠告と共に、追跡するように《メルヘン撲殺仮面》が《アレキサンドラ》の後を追いかける。そして、追いついた《メルヘン撲殺仮面》が怒涛の空中ラッシュを叩き込む。一気に体力がゼロになった。
「そいつは死地に飛び込むようなもんですなぁ」
仲間の「ひでー!」「いつ見ても容赦ねー」という声を聞きながら少年は得意げに告げた。
「空は《メルヘン》の領域でさあ。雑魚は地を這うのがお似合いよ」
「あたしもあれでやられたの。地上での戦闘が得意な《アレキサンドラ》に対して、《メルヘン撲殺仮面》は空中戦が得意なの。どうにかして接近したいけど、その場合飛び道具が邪魔するから地上からは攻められない・・・・!」
悔しそうに女の子が言った。
「なるほどな。でもこのゲーム、一発逆転を狙えるみたいじゃない?」
俺が指差したのは筐体の上に張られた各キャラクターの必殺技コマンド。その中に《瞬殺魔術》と書かれたコマンドがある。俺のその呟きを聞いた少年が笑う。
「くっくっく、面白いことを言いますなあお兄さん。確かに瞬殺は一発逆転、当たりゃあ相手は即KOですが、当てればの話でさ。玄人同士の戦いでは殆どありませんぜ? まあお兄さんが勝つにはそれしかねえですがね? 出来ますかな? 超必殺技より難しいコマンドをわずかな隙に」
言われて見ると、確かに普通では考えられないコマンドだ。これを一瞬のうちに入力しなければ、ただ隙を作るだけ。そうこうしているうちに第2ラウンドに突入した。
「ほらほらどうしたんですお兄さん。瞬殺決めるんでしょう?」
またも少年は飛び道具を使ってジリジリと体力を削る作戦に出ている。
「くそう、バカみたいにおんなじ手ばっかり使って!」
女の子が地団太を踏む。
「その同じ手を誰も攻略できないから使ってるんですぜ嬢ちゃん」
そしてまた体力が半分ほどになった頃、《アレキサンドラ》がジャンプした。
「おんなじ運命ですぜ!」
《メルヘン撲殺仮面》が追い討ち。女の子がもう駄目と目を覆った。だが、これは予定通りだ。《アレキサンドラ》の技に、地上に杖を突き刺し範囲を衝撃で攻撃する空中入力可の技がある。 俺は迷わずそのコマンドを入力した。《アレキサンドラ》はその入力通り動き、瞬時に落下し、杖を地面に叩きつける。効果エフェクトがキャラの周辺に広がった。
「上手い手だ。だが相手に当てないと意味ないで・・・・っ!」
少年の得意げな言葉が凍った。《アレキサンドラ》は技をキャンセルして落下途中の《メルヘン撲殺仮面》の背後にダッシュで接近した。そこで特殊コマンドを入力する。画面が暗転。そして画面いっぱいに《アレキサンドラ》の特大カットイン。
「まさかっ!」
少年の唸るような声。そう、これこそが
「瞬殺魔術・・・・」
女の子の呆然とした声が聞こえた。
《アレキサンドラ》が杖を一振り すると、《メルヘン撲殺仮面》が逆十字の十字架に貼り付けにされる。《アレキサンドラ》が呪文を唱えると中世の拷問器具にありそうな物騒な刃物や鈍器たちが空中に現れ、そして《メルヘン撲殺仮面》に殺到する! 画面が暗転している中、壮絶な叫び声が画面から溢れた。いいのか? 本当に今のこの国は、女の子たちは大丈夫なのか? これどうみたってR指定ものだろ。
死刑執行が終わった後に残ったのはボロボロで倒れた体力ゲージがゼロな《メルヘン撲殺仮面》と、勝利ポーズを決める《アレキサンドラ》の姿。どうやら勝てたらしい。
「す、すごい。すごいよお兄さん! あたし瞬殺魔術はじめてみたよ!」
「上手くいったみたいだな」
やれやれと俺は息を吐いた。実際コマンド入力が上手く言ったかどうかは怪しかったと思う。ゲームなんて久しぶりにやったからな。
「く、認めやしょう。2ラウンド目はおいらの負けです・・・・」
悔しそうな声が対戦席から聞こえた。
「ですが! こんな奇跡、二度と起こりやせん! もうおいらは油断しません! ここを大会本選の気持ちで最終ラウンドに挑ませていただきやす! 玄人同士には瞬殺などただのお荷物。無駄な技だということをお教えしてやります」
「そうだろうな」
自分で入力しておいてなんだが、これはさっきのような隙があればこそ当たる技だ。上級者同士の戦いではこのコマンド入力は隙を作るだけだろう。そのことは良くわかった。
「まあ、俺もようやく操作に慣れてきたよ」
俺の声は最終ラウンドに集中した少年たちには聞こえなかった。ただ隣にいる女の子だけが「え?」と耳を疑うように首を傾げていた。
「な、そ、そんな、バカな・・・・・・」
対戦席の向こう側で、少年が崩れ落ちていた。筐体の画面ではPerfectの文字が踊っていて、その下で《アレキサンドラ》が余裕の笑みで《メルヘン撲殺仮面》を踏みつけていた。本当に大丈夫かこのアニメ。これを楽しんでみている女の子は将来何になるつもりなんだろう。女王様か?
「こ、このおいらが、パーフェクト負けだと! 嘘だ! 地方大会ベスト16のおいらが!」
「そんなことは知らん。とりあえず約束通りウサギの財布を返してもらう」
「う、嘘だ! こんなの嘘だ! そうだ! お兄さんイカサマやったにちげえねえ! あんたこのデパートの従業員だろ! 操作ボタンに細工したとしか思えねえ!」
「するかそんなこと。バカバカしい」
しかし周りの少年たちも「イカサマ野郎!」「正々堂々勝負しやがれ」と野次を飛ばしていて、どうにも諦めてくれなさそうだ。
「わかったよ。どうすれば納得するんだ?」
「もういっぺん勝負でさぁ! 今度はおいらがそっちを使いやす! お兄さんはこっちを使いなせえ!」
少年の要求に俺は素直に従った。コントローラー台を交代する。
「おいらはこっちの2P側のほうが技出しやすいんでさ。もうお兄さんなんかにゃ負けませんぜ!」
「わかったから、早く選べ」
「そしておいらの本当のマイキャラは《メルヘン》じゃなく、《マーガレット》なんですぜ!」
それに周りの少年たちが「やべえ、健ちゃん本気だぜ!」「マジの健ちゃん敵にしちゃったぜ!」「お兄さんの奇跡もこれまでだな」と囃し立てる。そして1ラウンド目が始まり
「そ、そんな・・・・・」
ストレート負けをきっした少年が放心状態で力尽きていた。口から何か出ちゃいけないものが出てるようだ。
「おい、呆けるのは後にして、さっさと財布を返せ」
俺は少年に無慈悲に言い放った。
「お、お兄さん、マジで何モンっすか・・・・」
我に返った少年が呻きながら言った。
昔取った杵柄というやつだ。こちとら学生時代、一緒に遊ぶ相手がいない。なら何をするかと言えばゲームくらいのものだ。ただ、貰えるお小遣いは決まっている。出来るだけ少ない出費で、長時間遊ぶためには上手くなるしかなかった。そうやって時間を潰し、世話になっていた親戚の家に帰っては友達と遊んでいたと言う。おじさんおばさんに友達いないんじゃないかと心配かけないようにと生みだした苦肉の策だ。
「ただのバイトだ。だが、そんなただのバイトが教えてやる。本当に上手くなりたいなら、上に挑め。負けて悔しくても挑め。なぜなら、上手いやつからは盗めることが多いからだ。それを全て盗めば、君はもっと強くなれる。ナンバー1も夢ではないだろう」
「お兄さん・・・」
感極まった少年が涙し、そしてポケットからウサギの財布を取り出した。
「おいらが間違っておりやした。お兄さんの教示を胸に、これから腕を磨くことにしまさあ。あと、これ。悪かったな嬢ちゃん」
その手で財布を女の子に渡した。意外と素直な少年だ。いや、ゲームを本当に愛する人間に悪人がいようはずがない。なぜならゲームは、人を楽しませるものだからだ。
「妹の誕生日なのに、プレゼントを買う金がなくてイライラしてたんでさ。腹立ち紛れに絡んじまって、本当にすまねえ」
すると女の子は笑って「ううん」と首を振った。
「あたしもいい勉強させてもらったわ。あんたの言うとおり、あたしはまだ《アレキサンドラ》を生かせてなかった。お兄さんの戦い方を見てよくわかった。ふがいないあたしの戦い方を見て、イライラしちゃったんでしょう? 操作がなってないって」
「嬢ちゃん・・・・・」
「あたしもあんたを見習って精進するわ。もっと上手くなったその時は、また対戦してね」
「もちろん、喜んで戦いましょう!」
がっしと手を握り合う女の子と少年。二人の間にゲームを通した熱い友情が結ばれた瞬間だった。なんだろうね、この青春ドラマは。俺一人置き去りにして、ドラマは終わりを迎えようとしていた。ハッピーエンド間近のそんな時。
「はっはっは! その程度で満足していていいのかな!」
背後から謎の笑い声。俺たちが振り向いた先に、腕を組んだ別の少年グループがいた。
「や、やつは!」
格ゲー少年が叫んだ。
「ええと、お知り合いで?」
うんざりしながらも、訊ねなきゃいけない空気なので訊ねてみた。
「やつは《神速グレートランナウェイ》でこの辺り最速の男!
「ふっ、《マーガレットの健》ともあろうものが、初心者に敗れるとは、腕が落ちたもんだ」
《エルドラドの銀》君はそう言って不敵に笑う。つか、なんだその通称。二つ名持ってんのこの子ら。
「しかしあんた、格ゲーは上手くてもこっちはどうだい? 人ではなく、命の通ったマシンはまた勝手が違うぜ? そいつに勝ったくらいでこの辺最強を名乗られちゃ困るんだよ」
名乗った憶えは一切ない。
「最強を名乗りたけりゃ、俺を倒してからにしな! こいつでな!」
少年が指差した先にはレーシングゲームの筐体。あれが《神速グレートランナウェイ》とやらだろう。しかし何で俺は勝負を挑まれてんだ?
「いや、もう目的は果たしたし、大体俺は仕事が・・・・」
といいかけた俺の言葉をかき消すように、なぜか少年漫画風のセリフが、それも隣から。
「く、まさか《エルドラドの銀》が勝負を仕掛けてくるなんてね。お兄さん、逃げ場はなさそうよ?」
何かの役に取り付かれたような女の子。いや、何の役だ君は。逃げ場無しって、後ろにも横にも出口ありますけど?
「こいつは強敵でさあ、お兄さん、どう戦うつもりで?」
格ゲー
「いや、だから俺は仕事が・・・・・」
「どうした! 臆したか! その程度でゲームの上手い下手を説教とは片腹痛い!」
ふむ、確かにゲームで説教臭いことを言っておいて挑戦しないというのも妙な話だ。しかもここで勝負を渋ったら《マーガレットの健》に申し訳が立たんな。
「わかった。やるよ」
どうせ十分くらいで終わるだろ。そのくらい休憩の範囲内だ。自分をそう納得させて、俺は筐体の運転席に座り込んだ。
五分後
「バカな! そんなバカなぁ!」
ハンドルを叩いて悔しがる《エルドラドの銀》。画面には二位の文字。そして俺の筐体には一位の王冠が輝いていた。
「す、すげえ、あの《エルドラドの銀》に勝っちまうなんて、お兄さん凄すぎだ! ホント一体何者なんすか!」
「速~い! お兄さんすごいすごい!」
すっかり下っ端口調の《マーガレットの健》とその隣でジャンプしてはしゃぐ女の子。
「もういいだろ? 俺そろそろ仕事もどんないといけないんで・・・・」
そういって座席から腰を浮かせた俺に、呻くように《エルドラドの銀》が言った。
「く、これで終わりと思わないことだ。例え俺を倒したとしても、このデパートのゲーセンには俺たちを含めた《十の刺客》と呼ばれるゲーマーたちがいる。彼らを全て倒さない限りあんたに明日はない!」
何だその中ボスのようなセリフは。しかしこのままここに居座ったらその《十の刺客》とやらが現れかねないので、そそくさとゲームコーナーから立ち去ろうとして
「ふ、《マーガレットの健》に《エルドラドの銀》、二人が敗れたか」
妙に芝居がかった声が俺の背後から響いた。思わず天を見上げる。
「遅かったか・・・・・」
色々と諦めて立ち止まり、俺は後ろを振り向く。
「自分の縄張りをあらされていい気はしないね! これ以上大きな顔をしたいならエアホッケーの覇者、この《トリックアタッカーの渚》を倒していきな!」
エアホッケー、空気で浮いたパックを打ち合い、相手のゴールに決めるゲーム。
「ま、まさか彼女が噂の《常勝》の異名までもつエアホッケープレイヤー《トリックアタッカーの渚》! 女でありながら数々の腕自慢の男子を敗北と屈辱の海に沈めたという才女、そして《十の刺客》の一人!」
とうとう女の子が解説役に回ってしまった。どうなるんだろうねここから。
その後、《トリックアタッカーの渚》に続き、《ゴッドハンドの響》とか《ジャックポッドの鉄》とか《カードマスターの克》とか《クレイジーコンピュータの雅》とか《デビルシューターの純》とか《アカシックレコードの達》とか《フォトショップの聖》とか、結局、総勢十名のその分野の人間と何故か戦う羽目になった。もう《フォトショップの聖》とかわけわからん。ただのプリクラやんけ。そして全員をなんとか打ち倒したところで、いつの間にやらお昼時になっていた。二時間近くここにいた事になる。
「もう、ホント俺行くから。じゃ、みんなで楽しく遊べよ。ケンカすんなよ」
疲れきった俺が声をかけると
「「はい! 師匠!」」
と元気のいい声が数十名の子どもたちから返ってきた。疲れた。本当に疲れた。最初は楽そうな仕事だと思ってたのに。ヘロヘロになりながら俺は昼休憩を取りにインフォメーションセンターに戻った。結局目的の本屋には行けずじまいだった。
お昼は先ほどの経験をふまえて出来るだけ子どものいなさそうなところを回ることに決めた。もう子どもの相手は嫌だ。そういうわけで食料品売り場のある地下二階から回る。
デパ地下といえばやはり惣菜だ。多少割高であろうと訪れる主婦は袋一杯に購入していく。それは味が良いのも理由だが、そこにあるデパ地下というブランドを買うのだろう。デパ地下で買ったという満足感、高級嗜好感を味わえるのだ。
参加者はまさにそういうお客様のちょっとした贅沢を味わいたい心を揺さぶっていた。
匂いと呼び声、そして見た目にも楽しい場所だ。昼飯を食ったばかりの俺でさえ、何か買って食べたい欲求に駆られる。
そんな喧騒の中、一瞬参加者たちの視線が鋭くなった。同じように呼び子をしながらも、ある一点を時折見つめている。それに気付いた俺は彼らの視線の先へと歩を進めた。そこには高級品を身につけたマダムが店舗を物色していた。それだけならなんら珍しいことではない。だが、そのマダムは時折商品ではなく売り子たちの観察をしているのだ。
彼らはおそらく、このマダムこそが特別審査員だと踏んで、狙いをつけたのだろう。彼女が近づくたびに声を張る。自分の店にこそ彼女を呼ぶという気迫が満ち、そこかしこで牽制の視線が火花を散らした。そんな中、我慢しきれなくなったのか、ある店舗の参加者がずずいっと、マダムの前に目に止まるように身を乗り出した。
「どうですか! 契約農家から直送された新鮮なミルクで作られた贅沢プリン! 味見してみませんか!」
マダムにプラスチック容器に入った試食を手渡す。周囲の参加者たちが「あの野郎!」「抜け駆けしやがった!」という目をした。そしてこうなれば一人抜け出したのなら二人抜け出しても同じだろうと人の考えが動くのは当然のこと。その場で試食品の説明合戦が始まる。いかがですか、試してみませんかと次々に試食品を手渡すもの、元々そういうのがない店舗は急遽試食品を作り戦場へと送り出す。戦場は、夕飯を買いに来た奥様方という新たな修羅を呼び込み、まさに食の戦国乱世といわんばかりの喧騒ぶりだ。人の波に攫われそうな恐怖を感じ、俺はその場から逃げようときびすをかえそうとして、見つけてしまった。
参加者たちや他のお客様に押されて男性の老人が転倒したのだ。だがこの喧騒のせいで誰も老人に気付かない。老人は倒れた拍子についていた杖を手放してしまい、立ち上がるのも困難な様子。俺の脳内に瞬時に二択が現れる。老人を助けに行くか否かだ。そして瞬時にその答えは出た。
正直あの人ごみに突っ込むのは嫌だ。だが、見捨てるなんて出来ない。お客様は帰るとき笑顔であって欲しい。それが短い期間ながらも売り子として働いてきた俺の願いだ。
「すいません! 通ります!」
声をあげ、体を張り、人ごみの中を縫うように歩く。時折誰かの肘が、荷物が俺の体に突き刺さる。それでも痛みを無視して老人に近づく。
「大丈夫ですか!」
倒れたままの老人に声をかける。
「おお、すまんね。どうも年のせいで足腰が弱くてなあ」
「立てますか」
「そうしたいのは山々なのだが、生憎杖が、ほれ、あの通り」
老人が指差した先、それはもっとも人の多い戦場。密林のように立ち並ぶ足の影からちらりと杖のシルエット。マジか、とつぶやく。
「はっはっは、マジだ。あれがなきゃ立つこともままならん。早く取りに行かないと」
「そ、それは無理ですって。あの人混みです。ちょっとあっちのベンチで休んで、人がいなくなるのを待ちましょう」
「それはわかっている。だが、あのままだと杖はずっと踏まれているわけだろう? あれはワシの死んだ家内が買うてくれた、いわば形見なんじゃ。あのままは可哀想でのう」
くそ、そういうわけか。あのままだといずれ何らかの弾みに踏まれるかして折れてしまうかもしれない。しかも形見。大切なものが踏まれているというのは容認できるものではないはずだ。
「わかりました。お客様はそこのベンチで待っていてください」
そういって俺は老人に肩を貸し、近くのベンチへ連れて行った。
「ありがとうよ青年。しかしワシはあの杖を」
「あれは私が責任持って取ってきます。任せてください」
「しかしあんたにも仕事があるんじゃないのかね? こんな老人の杖を取ってくるなんて面倒なことせんでも」
「取ってきます」
老人の言葉を遮って俺は言った。
「そりゃ、正直あの中に行くのは気がひけます。けど、大事なものなんでしょう?」
「え、ああ。そりゃもちろん」
「なら、任せてください」
言い残して、俺は戦場へと向かう。目標は今なお人混みで溢れかえる売り場の中央。何でまたあんなややこしいとこに行ったかな。
「っしゃ、いくか」
頬を両手で張り気合を入れ、俺は突き進む。
五分後。
「だ、大丈夫かい青年!」
よろよろになった俺は何とか老人の下へと生還した。俺の想像以上にデパ地下の奥様方は強かった。ブラックシャツのラガーマンたちも裸足で逃げ出す当たり方だ。
「お、お客様、これを」
ベンチにへたり込みながら俺は大切に抱えていたものを老人に渡した。
「奥様の形見です」
「おお、おお。ありがとう。本当にありがとう」
杖を抱きかかえた老人は嬉しそうに杖の汚れを払う。
「いいえ、お客様には謝らなければなりません。我々の不手際でお客様には不快な思いをさせてしまいました。まことに申し訳ありません」
「なんのなんの、それは君の働きで、こうして払拭されたではないか」
「そう言っていただけると」
「本当にありがとうな青年。ワシはもう行くよ」
「ええ、ゆっくりと見て、楽しんで行ってください」
老人は俺に手を振ってエスカレーターを登って行った。それを見送った後も、俺はしばし動けずにいた。体に確実にダメージと疲労が蓄積されている。動こうにも動けなかった。それでも就業中に働いていないという負い目が時間の経過ごとに蓄積していき、また他の参加者の目が俺に気付き始めたため動かざるをえなくなった。痛む節々を押さえながら、俺は別の階に向かう。
今度は一階と二階の二つのフロアに広がる家電フロアに足を運んだ。もう正直動きたくない。満身創痍だ。ああ、許されるなら今目の前にあるマッサージチェアに座って快適な安らぎを得たい。ぶっちゃけ寝たい。昨日はついつい夜更かししてしまったからなあ。許されないことだとはわかっていても、ついつい引き寄せられそうになる。というか足が勝手にふらふらと。
そんな魅惑たっぷりの家電フロアは、下の食料品売り場ほどの活気はないが、少しでも商品に興味を持ったお客様に対してすぐさま声をかけて説明するマンツーマンチェックを行っていた。 サッカーでこれほどのディフィンスをされたら攻撃陣は仕事が出来ないでしょうってくらいの付きっぷりだ。しかも説明が上手い。少し離れたところで聞いていたのだが、思わず聞き入ってしまうほどだ。家電に疎そうな女性客にはわかりやすく、されど大切なことはきちんと魅力と共に簡潔に伝え、専門家のようなお客様のマニ アックな質問にもよどみなく受け答えしている。なるほど、人に勧めるためには自分がその内容を熟知していないといけないということが良くわかった。うちの後輩にも本を読むように言っておこう。
胸ポケットの携帯が震えた。支給品ではなく自分の携帯の方だ。
「はい鬼灯です」
《ぜんぱーい!》
脳に響くような大声に思わず耳から離した。それでも聞こえるというのだからどれほどの大声で叫んでいるかわかろうというものだ。そして、俺を先輩と呼ぶのはただ一人。
「ヒナか?」
《助けてください!》
彼女らしからぬ緊迫した声。
「何があった。落ち着いて、ゆっくり話せ」
疲労をねじ伏せ、電話を持ち直す。今まで誰にも信じてもらえなかった分、せめて店長やヒナには頼られる男でいたいという小さなプライド。それすら失えば俺がここにいる意味がなくなる。
《ば、爆弾・・・・》
泣きじゃくるヒナが発した言葉は、「は?」といわざるを得ないものだった。だが、そんな俺の態度が気に入らなかったヒナは再び叫びだす。
《爆弾が! あるんっす! あたしの目の前に! とにかく早く来てくださいっす!》
そこで電話が切れた。来てくださいも何も場所くらい伝えろよ。
幸い、支給品のスマートフォンは参加者全員に配布されるらしく、彼女の居場所はその位置情報機能ですぐにわかった。十六階、地方お土産売り場特設会場のトイレだ。その前は清掃中でスタッフオンリーの看板が出ている。ヒナの仕業だろうか。
「ヒナ、いるのか?」
女子トイレ前で俺は叫んだ。流石にいきなりはいるのは恥ずかしい。もし誰かいたら、絶対通報される。
「せんぱ~い」
涙声が奥から響いてきた。
「早く来てくださ~い」
「早くって、お前わかってると思うけどここ女子トイレ」
「自分の羞恥心とあたしの身の安全とどっちが大切なんすか!」
「そりゃ自分の身が可愛いにきまって」
「早く来ないとじいちゃんに言いつけて先輩の時給百円マイナスにしますよ」
呪詛のような声が響いてきた。そうだった。この女は目的のために身内すらたぶらかす女。やるといったら、やる女だ。百円マイナスは痛い。マジで痛い。諦めた俺は意を決して女子トイレに潜入する。
「おい、どこだ?」
気恥ずかしい思いをしながら、ずらっと並んだ個室トイレに呼びかける。
「ここっす先輩。一番奥の個室っす」
幾分涙声がマシになったヒナの声。
「ヒナか? 開けるぞ」
ノックして、ゆっくりと開く。
「遅いっすよ先輩」
振り返ったヒナは目に涙を浮かべながら俺を非難した。よほど怖かったらしい。
「すまん」
「まあ、いいっすけど。こうして来てくれましたし」
「そうだ、爆弾って、お前あれ本当か?」
ここに呼ばれた理由を思い出した。するとヒナは立ち位置をずらし、便座を指差す。蓋の閉じられた便座の上に無地の紙袋が置いてあった。恐る恐る俺は紙袋の中を覗き込む。
チッチッチ、と規則的な音が中から響く。話している時は気にもならなかったのに、こうして意識してしまうといやに大きく聞こえるから不思議だ。
中に入っているのは、ザ・爆弾と言えるくらい誰もがイメージする典型的な形だ。大きく深呼吸して気持ちを落ち着け、俺はヒナに尋ねた。
「警察への連絡は?」
「OKっす。すぐ近場の警官が向かってくれるみたいっす。あと直通で処理班に繋がるっていう番号教えてもらったっす」
「お前の担当の人とか、上司には連絡は?」
「あ、まだっす」
「じゃあ連絡。その間俺はここに誰も入って来れないように見張っておこう」
そう言って俺も携帯を取り出し、緊急時の連絡先へかける。3コールで相手が出た。
「ナンバー444番、鬼灯です」
《はい鬼灯さん。どうかしましたか?》
電話の声は朝に少し話した受付担当の人だった。
「今、十六階の女子トイレにいるんですが」
《あらあら鬼灯さん。女子トイレになんか入って何してるんですか? あなた男でしょう》
「いや、そうなんですが実は」
《実は女の子だったの?》
「違います」
ちょっと頭痛がしてきた。なぜ今日会う人間は誰も俺の話をまともに聞こうとしない連中ばかりなんだ。
「今見回りしていたら、十六階のトイレに不審物があると連絡がありまして」
《なるほど。それで中身は?》
「素人なのでよくわかりませんが、見た目はドラマでよく見る時限式の爆弾に似ています」
電話越しに息を呑むのがわかった。
「既に警察には連絡しています。またトイレは清掃中の看板を既に出していて、誰も入って来れないようにしています。今後の指示をお願いします」
《わかりました。すぐに対応チームを結成します。鬼灯さんたちはそのままトイレに誰も入らないように監視を続けて、警官が到着するのを待っていてください》
「わかりました」
《くれぐれも、爆弾があるなどと叫ばないでください。お客様を混乱させてはいけません。避難できるものもできなくなります。その階のお客様は我々が誘導し、徐々に避難させていきます》
そこで電話が切れた。
「先輩、こっちも報告終りっす」
「わかった。とにかく警察が来るまで俺たちは誰もここを使わせないように待機」
「了解っす。でもこれいつ爆発するんすかね」
非常に気になることをヒナは言った。
「時限爆弾ならタイムリミットがあるっすよね」
「ま、まあそりゃあな」
「先輩、確認よろしくっす」
紙袋ごとヒナが渡してきた。
「俺?! 何で? 警察に任せようって」
「その警察が来るまでの時間があるかどうかの確認っすよ。さあ、見てください」
「嫌だ。俺だって爆弾は怖い」
「なら先輩はこのか弱い乙女に確認させる気っすか? この鬼畜! あ、でも先輩ならありかも。あたしは大丈夫っす」
「何が大丈夫なんだ。わかったよ。見るだけだぞ」
俺は再び紙袋の中身を覗く。チッチッチと相変わらず規則正しく動いている。タイマーの目覚まし時計は立てて置かれているため、上から覗く形だと見えない。慎重に紙袋を広げ隙間からタイマーを確認する。
「ん、んんん?」
思わず目頭を押さえる。何かの見間違いかと思った。
「どうしたっすか先輩」
「ちょっと待て。もう一度確認する」
改めて覗く。タイマーはさっきと変わらず、一秒ずつ運命の時を目指している。
「ヒナ。五時まであと何分だ」
「・・・・・十五分っす」
「そうか」
俺たちの間に嫌な空気が流れる。
「せ、先輩。もったいぶってないで言ってくださいっす。もう既に嫌な予感はぷんぷんしてるっすけど、あえて言葉にしてくださいっす」
「・・・・・セットされている時間は五時丁度だ。俺の見間違いじゃなければな」
ヒナと向かい合い、大きく深呼吸する。彼女が俺の顔を見て、にへっと笑う。俺もにへっと笑い返し
「どどどどどどどーすんすか! 五時て、十五分て、すぐじゃないっすか!」
「落ち着け! んなこたわかってる!」
大慌てでもう一度担当員に連絡。ヒナには改めて警察に連絡させる。
《はあ? あと十五分しかない!?》
担当員の声が裏返った。
「今警察にも連絡を取っているところです。速やかに避難させてください」
《わ、わかったわ。すぐに手配する。あなたたちもすぐに避難しなさい》
ブツッと電話は切られた。これでこっちは大丈夫だろう。
「ヒナ、警察は?」
「そ、それがですね」
スマートフォンを俺に差し出した。
「もしもし、お電話代わりました」
《あなたが現場責任者ですか?》
男性の太い声が返ってきた。いちいち訂正するのも時間の無駄なので「代理の鬼灯です」とだけ応えておいた。
《爆発のタイムリミットはあと十五分なんですね?》
「タイマーのセットを見た限りそうだと思います」
そう伝えると痛いほどの沈黙が返ってきた。
《鬼灯さん。まことに申し上げ難いのですが、あと十五分で爆弾処理班を到着させるのは不可能です》
「不可能って、そんな」
ヘリとかなんとか、あるんじゃないのか? 一縷の望みを託して尋ねると、相手の男はきっぱり不可能です、と望みを断ち切った。
《かくなるうえは、鬼灯さん。あなたが爆弾を処理してください》
ハ? 爆弾ヲ処理シロ? 何ヲ言ットンジャコノ人ハ?
「いやいやいや、常識的に考えて無理です。何を言ってるんですか」
《しかしそれ以外に方法がない! 十五分では客を退避させることも難しい。かといってこの近辺に爆発被害の出なさそうな広大な空間はない。君が、やるしかないんだ》
諭すように男は俺に言った。 何となく強引な話の持っていき方な気がするが、それ以外の方法が思いつかないのも事実。思いっきり口をゆがめて心の中で世界を罵倒する。どうして俺がこんな目に! だがそれでも口に出さずに飲み込めたのは、俺が先輩でいられたからだ。ヒナの前では先輩でいなければならないという意地。チクショウ。難儀な性格してるなあ。
「お前は今すぐここから離れろ」
「へ? いや何言ってんすか先輩」
「ここで爆弾を解体する」
しばらくの沈黙の後、
「ええーっ! ちょ、え、嘘、は、な、何血迷ってんすか先輩!」
「俺もそう思う。だが、これしか手がない、らしい。十五分では爆弾処理班は到着しない。避難も完了しない。誰かがやらなきゃいけないんだと」
「何も先輩がしなくてもいいじゃないすか!」
「俺もそう思う。が、まあ、これが俺の人生だ。厄介なことには慣れっこなんだよ。というわけで、お前は担当員や対応チームに連絡して、すぐに脱出しろ」
「駄目ですって。先輩も一緒に行きましょう! 行かないならあたしも残るっす!」
「ヒナ!」
俺の怒鳴り声に彼女が身をすくませた。
「時間がない。俺も無理だとわかったらすぐ逃げる。その時足の遅いお前が一緒にいたら逃げられない」
互いの意見が衝突してにらみ合うことしばし。
「わかったっす。これまで先輩の言うことが間違ってたことないっすもんね。今回も言うこと聞くっす。でも、無理だったら絶対逃げてくださいよ! 約束っすからね!」
「わかってる」
「もし破ったら時給マイナス二百円に、追加で寿司奢って貰うっすからね!」
「わかったよ。何でも好きなもん奢ってやるよ」
「回ってない寿司っすからね! 時価っすからね! これはもういっそのこと日頃お世話になっている大山家一同を旅行に連れてく勢いで!」
「なんでそんな恩着せがましいんだよ。ったく、どこでも好きなところに連れてってやるから、さっさと行け」
「言ったっすね言ったっすね! もう取り消し不可っすよ! うわあ、超楽しみっす!」
「いいから行けって」
「わかったっす。あ、そうだ。これ」
ヒナがソーイングセットを渡してきた。
「コードを切るのに使ってくださいっす。いやあ、乙女の必需品がこんなところで役立つとは思いもしなかったっすね。何でも備えて持っておくものっす」
そしておちゃらけた顔から一転、真面目な表情をして
「先輩、ご武運を」
そう言い残してトイレから出て行った。やれやれ、育ち盛りの大食い娘に奢るとなっちゃ、いくら金があっても足りないな。この約束は絶対守る必要がありそうだ。俺は渡されたソーイングセットを握り締めて電話に向かう。
「お待たせしました。覚悟は、出来ました」
《すまない。こちらもデパートの対応チームと今連携を図って少しずつ客の誘導を行っているが、全館退避はやはり間に合いそうもない。君にかかっている》
「わかりました。で、私は一体何をすれば?」
《今から指示を出す。手元にニッパーなどの刃物はあるかい?》
「一応は」
ヒナから借りたソーイングセットを握りしめる。
《よし、では袋からゆっくりと爆弾を取り出せ》
俺は指示に従い、紙袋に手を突っ込む。一瞬、頭の中の意識のフィルターに違和感が引っかかった気がした。だが、それがなんなのかわからず、目の前の困難の前に霞んで消えてしまった。頭を振り、その何かを振り払う。今目の前のことに集中する時だ。余計な考えは捨てろ。
「取り出しました」
《では、タイマーと爆弾を結ぶ線を詳しく教えてくれ》
「タイマーから飛び出てるのは全部で十本。うち黒い配線が八本、赤と青が一本ずつ」
《了解。では、赤と青以外の線を全て切ってくれ》
いきなり八本を? こういうのは慎重に一本ずつ切っていくものじゃないのか? そんな俺の疑問を察したのか、警察の爆弾処理班を名乗る男は《大丈夫》と力強く言った。
《詳しい説明は省くが、その配線の殆どはダミー、タイマーや爆発にはまったく関係のない配線だ。重要なのは赤と青。どちらかが解除用のコードだ》
さすがプロ。その断定的な口調に励まされ、俺は次々と黒いコードを切っていく。いつ爆発してもおかしくない、爆弾処理班の言ってることが間違っていたら、そういう不安はあるにはあったが、不思議なほど俺の心は凪いでいた。ある意味無の境地に立っている。この調子ならお釈迦様が打ち立てた悟り開眼のワールドレコードを塗り替えられそうな勢いだ。
《今、客の約五十パーセントの避難完了の報告を受けた。君のいる階から上には人はいない。どうやら君の仲間の女の子が奮闘してくれているようだな》
作業と並行して、処理班の男は状況を中継してくれた。それは、自分の後輩が頑張っているという嬉しい物だった。
「あいつ・・・・」
思わず笑みがこぼれる。負けてられない、自分も頑張ろうと気合を入れなおす。
「いつもその調子で働いてくれりゃあ、俺も楽できるんだがな」
《君たちは今回の選手権より前からの知り合いなのかい?》
男性が何故か話を広げた。多分俺を落ち着かせるためだろう。
「ええ、まあ。あいつはバイト先の後輩なんですよ」
《なるほど。素直に私に協力してくれたのは、その後輩を守るためかな?》
「そんなカッコいい話じゃないんです。ただ、先輩としてちょっと見栄張っただけですよ。本当は泣きそうなくらい怖いんですけど、俺を信用してくれる数少ない奴なんでね。あいつの前では頼れる先輩でいたかっただけなんですよ」
《ふ、カッコいいじゃないか先輩》
「どうもありがとう。さて、とりあえず他のコードは全部切れました。これからが問題なんですけど」
《そうだな。赤と青、どちらかが解除コードだが、もう片方がはずれ、だ》
「それで、どっちが正解なんですか」
しかし帰ってきたのは痛いほどの沈黙。
「もしもし?」
《すまない。そこまでやらせておいてなんだが、私にもわからない》
「・・・・・・わからない?」
《こればかりは、二分の一の運任せになる。詳しい設計図も、現物もないままでは絶対の保証は出来ない》
「マジ、ですか」
硬く目を瞑って天を仰いだ。俺は人生の中で何度天を仰げばいいのだろう。神様も『首筋痛めまっせ』と心配になるくらい首の上下運動を行っていると思う。目を開けば目の前にタイマー。あと三分を切った。カップ麺の三分は無駄に長いくせに、こういうときの三分はあってないようなものだな。ビックリの速さで時は進む。
《選択は、君に任せる》
ここに来て丸投げかよ。心の中で悪態を付く。
《逃げてくれても構わない。君の命だって大切だ。あと五分で我々の仲間が到着する》
「それじゃあ間に合いません。タイマーはあと三分。避難状況は?」
《・・・・・七十パーセントを超えたところだ》
「ちなみに、この爆発の被害予想は?」
《君たちから聞いた爆弾の形状からの推測になるが、おそらく・・・・、まずそのフロアは消し飛ぶ。損壊によって発生した崩落や火災による二次災害、そしてデパートの営業停止などで発生する被害は計り知れん》
そんなもん知るか! と叫びたいのをこらえる。どれほどの金の被害が出ようが、死んでしまったら俺には関係ない。けれど。
タイマーが二分を切った。大きく息をついて覚悟を決めた。
「これからどちらかを切ります」
《本気か?》
「ええ」と俺は応えた。別に正義感に駆られたわけではない。名誉が欲しいわけではない。俺を突き動かすたった一つの理由。くだらない意地。
「ここはデパートです。家族が楽しく買い物したり、食事を楽しんだりして、笑う場所です。お客様を笑顔のまま帰すことが、たった一日だけのものであっても、俺たち従業員の仕事です。それに、珍しく頑張ってる後輩の前でカッコ悪い真似できませんから」
《・・・・・わかった。幸運を祈る》
電話を置き、俺は爆弾のコードに向き直った。赤と青の二本が依然として存在する。このうちのどちらかがはずれでどちらかがあたり。半々だ。五十パーセントの確立で失敗すると悲観するべきか、五十パーセントも勝率があると楽観的に考えるべきか。そうしてタイマーは一分を過ぎた。刃をコードに当てようとしたとたん
「ふえっ!」
突然の振動で手元が狂う。もう少しでうっかり切るところだった。うっかりで爆死なんてしゃれにならない。震えてるのは俺が預かったほうの携帯だ。現代人の悲しい性、誰からかわからないのに電話は鳴ったら出てしまう。例えどれほど緊迫した状況であろうと。
「はい鬼灯」
《先輩っ! 何やってんすか! もう一分前でしょ!》
ヒナからだ。携帯はここにあるから、対策本部かどっかの電話からだろう。
「ああ、今からコードを切る。お前は避難したか?」
《コードを切るって、本気っすか! 馬鹿なこと言ってないで早く出てくるっす!》
焦るヒナをよそに、俺は気軽に声をかけた。
「そうだ、これは仮の話なんだが、お前旅行に行きたいとか言ってたな」
《え、ええ。言ったっす》
「ちなみにその時持っていく下着の色は赤と青のどっちだ?」
《ええと、どっちかって言うと赤っすかねぇ。艶やかな赤で先輩を悩殺、って、まさか!》
もう遅い。俺は彼女の答えを聞いた瞬間に刃を入れた。ブツッという手ごたえ。一秒、二秒と時間が経つ。
五時をお知らせする館内放送が流れる中、爆発する様子はない。大きく息を吐く。のどの奥から笑いがこみ上げてきた。ついには大声をあげて笑い出す。笑いを制御する線が切れたみたいだった。残り五秒。もう一生分の運を使いきった気分だ。女子トイレで大声で笑う男。こんなのただの変態だ。でも笑ってしまうのだから仕方ない。
「悪い、ヒナ」
俺は切れた青いコードを指でつまみながら言う。
「今の俺は薄いブルーの清純派で、ちょっと恥らってほしい気分なんだ」
俺は解除に成功したことを伝えた。警察からは処理班が到着するまでそのままそこで待機の支持。解除されたとはいえ、爆発物と同じ空間にいるというのは良い気はしない。動かすと何かのはずみで爆弾が起動するかもしれないからだ。ああ、早く来て処理班。あと五分で到着するとか何とか言ってたくせにもう既にかなりの時間がかかっている気がする。
トイレの入り口が少し騒がしくなり、複数の人間の足音がドアの前に止まった。ゆっくりとドアは開かれ、がっちり装備を固めた男性数名が現れた。彼らはここに入ることに抵抗はなかったのかな?
「お待たせしました鬼灯さん。爆発物を回収いたします」
正面に立った男性が言った。電話で聞こえた声だ。
「あなたは、電話の?」
「はい。処理班の原田です。本当にお疲れ様。あとは任せてください」
原田氏はそういうと爆弾を部下に預けた。部下はそれを包んで持ち去っていく。ようやく肩の荷が下りた思いだ。
「助かりました。ありがとうございます」
「いえ、私のほうこそお礼申し上げます。本当にありがとう。立てますか」
原田が手を差し伸べてくれた。ばれたか。さすがプロ。腰が抜けて立てなかったんだ。その手を取ってようやく立ち上がることが出来た。
「今回の件の犯人とかは」
「現在調査中です。ただ、イタズラの可能性が高くなりましたね。詳しいことは調べないとわかりませんが、あの爆弾、見たところクラッカー程度の威力しかないオモチャのようですし」
原田たちは見ただけで爆弾を判別してしまった。何てことだ。こんなことなら写メでも撮って送ってやればよかった。気が動転してそこまで思いつかなかった。なんて間抜けなんだろう。がっくりとうなだれる。
「そんな・・・・・」
そんなオモチャに俺はビビッてたのか、そう思うと今までの自分の言動とかえらい恥ずかしいんですけど。これが俗に言う暗黒の歴史という奴か。頭を抱えて転がり叫びたい衝動に駆られる。まあいい。忘れてしまおう。今日の俺は死んだ。そう思い込もう。
「そんなに落ち込むことはありません。あなたの勇気は賞賛に値します。私が保証します」
「そりゃどうも。とりあえず、俺は仕事に戻ります」
原田の保証に手をひらひらさせて応え、俺はトイレからようやく抜け出した。
「え?」
トイレから出た瞬間、思わず口に出た。お客がいるのだ。少し前とまったく変わらない繁盛ぶりだ。一体どういうことだ? 避難していたんじゃなかったのか? それとも避難していたのを、参加者が超絶テクニックで呼び戻したのか? 不審に思いトイレに引き返してみたものの、すでに原田たちはいない。清掃中の看板もない。全てが幻だったよう。狐につままれたような 面持ちで、俺はその場を後にした。
その後は何の問題もなく、順調に営業時間が過ぎていった。午後八時五十五分。蛍の光が店内に鳴り響く。客の数はどんどん減少し、そしてノーゲストの知らせ。同時に、アルバイト選手権の一回戦が終了した。
「結果発表を行います」
朝と同じ位置で、俺とヒナ、他の参加者たちは一階中央フロアで壇上を見上げていた。最初に、このデパートの責任者の挨拶があった。
「皆様、本日はお疲れ様でした。 誰もが自分の持てる限りの力を出し尽くした、素晴らしい一回戦だったと思います。デパートの運営側も、二百パーセント以上の売り上げアップを確認しました。ひとえに皆様の尽力によるものです。代表して厚く御礼申し上げます。ありがとうございました」
責任者のお辞儀と同時にフロアは割れんばかりの拍手に包まれる。
「しかしながら、勝ち上がられるのはたったお一人」
責任者からマイクを受け取った実行委員が告げた。再び場に緊張感が広がる。
「では上位五名を発表させていただきます」
実行委員が手元の髪を捲って目を通す。
「何で五位から言うんすかね? さっさと一位発表しちゃえばいいのに」
「これはテレビで放送されてんだろ? テレビ用の仕様じゃないのか? それよりヒナ。お前爆弾騒動のあとどこ行ってた? 借りてたもの返そうと思って結構探したんだぞ?」
「あ、そ、それはっすね。やむにやまれぬ事情というかですね」
言いにくそうにヒナは目を泳がせる。
「まあ、今返せたし、無事そうなんでよかったんだけどな? ちゃんと備品は返しとけよ?」
そういうとヒナは「先輩・・・」と感極まったようにいきなり抱きついてきた。
「もう、ホントに先輩は良い人で可愛いんすから~」
小さい子どもにやるようにかいぐりされるいい年の俺。顔が彼女の胸に埋まる埋まる。さすがに照れくさくて強力な誘惑と一緒に振り切る。
「ちょ、何だいきなり。こんなところで引っ付くな」
「こんなところじゃなきゃいいんすか? あ! 約束通り寿司! 絶対連れてくっすよ!」
「チッ、憶えていたか」
「忘れるわけないっす。この大山陽菜、たかれるところからはたかり続けます」
「嫌なポリシーだな。ほら、恥ずかしいから離れろ。それに発表を聞いてる人の迷惑だ」
ようやくヒナは離れてくれた。「独り身にはテメエらのいちゃつきっぷりのほうが迷惑なんだよ」という遠くからの声はシャットアウトした。
「続いて第四位。獲得ポイント数、89点。駐車場整理課勤務、エントリーナンバー443番。大山陽菜様」
・・・・・・呼ばれた。ヒナが。俺の思考が完全停止した。ゆっくりと首を捻る。そこには目を見開いたヒナがぽかんと口を開けて固まっていた。
「「ええーっ!」」
二人同時に驚いた。
「嘘だろ! お前四位なの?!」
「うわーっうわーっ! どうしましょっか先輩! 四位だって! 89点って結構高得点なんじゃないっすか?」
「当たり前だ! 四位なんだからな! すげーっ!」
柄にもなくはしゃいでしまった。周りからの「チッ、たかが四位じゃねえか」という声はさっぱり聞こえない。
「満車の状態で不機嫌なお客様への対応が目覚しいと担当員から報告がありました。また、特殊イベントでの功績も大きかったので・・・・・」
実行委員が点数を獲得できた理由をなにやら言っているが、浮かれる俺たちの耳にはやはり届かない。
「さあて大山くぅん? 日ごろの感謝を込めてそのあぶれた八千九百円で何か奢ってもらおうか?」
「お、鬼がいる。可愛い後輩からたかろうとする鬼のような先輩が・・・・・」
「俺は回る寿司でもいいぞ? でも、その前の晩から食事は控えようと思うんだ」
「一気に吹っ飛ぶ予感?!」
「あぶく銭は泡のように消える運命だ。諦めろ」
いや、こういうときはファミレスでもいいな。ステーキ定食とか二人前頼んだりして日ごろ不足しがちな肉分を補給しよう。そんなこすい思考を巡らせている時でも、結果発表は順当に進み、いよいよ一位の発表となった。
「それでは、第一位の発表です。今回は圧倒的な点数をある方が叩き出しました。先ほど入りました他地域の結果と照らし合わせましたところ、なんと全会場中、最高得点です。皆様、心の準備はよろしいですか?」
ナンバープレートをにぎって祈るもの、自分と信じて疑わぬもの、諦めて次の予定を考えるもの、後輩からどうやって搾り取ろうか策を練るもの、あらゆる思惑が交錯する中、実行委員の口から予選通過者が発表された。
「第一位。獲得ポイント数、1075点」
場内が一気にヒートアップする。これに百倍って、十万超えてるじゃないの!
「店内巡視案内勤務」
ヲ? 何か聞き覚えというか身に覚えというか。
「エントリーナンバー444」
あら、妙に馴染みの不吉なぞろ目。
「鬼灯律様!」
場内が静まり返った。痛いほどの静けさの中、俺は呆然と立ち尽くしていた。
「せ、先輩ぃっ!?」
ヒナの素っ頓狂な叫び声で我に返る。え、俺? 俺が呼ばれたの? ホントに?
「鬼灯様。どうぞ壇上へお越しください」
実行委員が俺を呼んでいた。
「せ、先輩、早く、早くいって」
動揺を隠しきれないヒナが俺の背を押し出す。その慣性に流された速度のまま、俺は人ごみを掻き分けながらふらふら進み、壇上へと到達した。壇上に集められたスポットライトがいやに熱い。
「第一回戦突破、おめでとうございます。鬼灯様」
にこやかに話しかけてくるが、相手にしている余裕がなかった。頭の中は大混乱だ。どうして俺が一位? しかも千ポイントも獲得してんだ? ポイントの稼ぎにくい裏方の仕事だったはずだし、今日やった事と言えば子どもとゲームしたり老人の杖拾ったり爆弾解体しただけだぞ?
「鬼灯様には特別審査委員長より次の試合の切符と賞金が送られます」
実行委員がさっと手を差し示した先から、すっと人影が抜け出した。人影にライトがあてられる。逆光で顔は見えないがかなり小柄な人だ。そして、はっきりと姿を確認した瞬間、第二次脳内騒乱がぼっ発する。
「おめでとう、鬼灯律。見事だ」
尊大なセリフを、鈴を転がしたような声色で語る特別審査委員長。
「き、君は・・・・あの時の」
「騙していてすまない。特別審査委員長兼、選手権運営実行委員長、鷹ヶ峰十六夜だ」
ウサギの財布を奪われて泣いていたはずの女の子が、堂々、不敵に仁王立ちしていた。
「鷹ヶ峰だって!」
参加者の一人が驚いたように喚いた。
「鷹ヶ峰って、月本最大の財閥じゃねえか」
「この国のあらゆる企業の親会社辿ってくと鷹ヶ峰に行きつくって話だぜ。この《ひよこデパート》も鷹ヶ峰グループのものだ」
「そういや経済誌に、弱冠二十四歳で《ひよこデパート》総合経営責任者に抜擢された鷹ヶ峰家の才媛がいると載ってたけど」
全員の目が彼女に注がれた。まさかという思い。
「仕方のない反応とはいえやはり傷つくな。女が代表というのがそんなに意外か?」
注目ポイントはそこじゃない! と全員が心の中でつっこんだ。
「まあいい。そのことは置いておくとして、おめでとう。最高得点が私の目の前で出るとはな。嬉しい限りだ」
「でも、俺はそんな点数取れるようなことしてない・・・・・」
勝っておいてこんなことをいうのもなんだが、俺は自分の得点に納得いってなかった。例え鷹ヶ峰が当別審査員であっても、得られるのは百ポイントだけのはずだ。
「ならば説明してやろう。君の得点の概要を」
鷹ヶ峰がパチンと指を鳴らすと、審査員たちがいる辺りからぞろぞろと集団が現れた。
「さすが師匠! 最高得点で一位通過ってすごすぎっす!」
この下っ端口調。忘れるわけがない。《マーガレットの健》だ。その後ろから《エルドラドの銀》《トリックアタッカーの渚》と、《十人の刺客》が勢ぞろいした。その後ろから
「ほっほ、青年、体は大丈夫かな?」
杖をついた老人がかくしゃくとした歩調で軽々壇上へと上がってきた。あんた足腰悪いんじゃなかったのか?
「やあ鬼灯君。先ほどはどうも」
極めつけは爆弾処理班の原田だ。こっちに向かって気楽に手を振っている。くそ、だんだんわかってきたぞ。あの時に覚えた違和感も一緒にな。
「彼らこそ私が選んだ特別審査員とその協力者たちだ。参加者総勢451名中、203名が、我々の得点が得られる特別イベントに無自覚のまま参加。内、失敗・棄権が198名、参加協力点の獲得者が4名、そして完全クリアが1名」
にやっと鷹ヶ峰が俺を見た。
「まさかゲーセンで全員を打ち負かすとは思わなかったぞ。殆ど冗談で彼らには得点を配点したんだがな」
鷹ヶ峰が言うには、最初の 《マーガレットの健》で負けることを見越していたらしい。ようは客のためにどこまで懸命になれるかを計るためで、負けていてもウサギの財布は返っていたし、奢る事になっても後ほど大会からその分を保証されるはずだったのだ。ちなみに鷹ヶ峰に喋りかけたのは俺だけ。二十分間泣きまねを続けてようやく現れたのが俺らしい。午後からも場所をかえ配置をかえてみたが、誰も気付かなかったそうだ。いや、気付いてはいたのだろう。だが、勝負の途中に誰かを気にする余裕がなかっただけだと鷹ヶ峰は推測していた。誰かがやるだろうと皆が高をくくっていたのだ。
「その次は私の番ですな」
進み出たのは杖をついたあの老人。
「私も鷹ヶ峰審査委員長と同じように色んな場所で困ったフリをしていました。私の登場前に現れる、お上品な格好をしていたのは、私の娘なんです。もう次の用事のために帰りましたがね。やはりというか、皆さんすっかり彼女が特別審査員だと騙されていたようで、私としちゃあ作戦通りで痛快な思いでした」
快活に笑う老人。そしてたまたま俺がその場に居合わせたということか。
「最後が、私たちが仕掛けたたちの悪いイベントです」
実はあのイベント、同時進行で他の階のトイレなど、人目につかない複数箇所で何度も行われていたらしい。道理で誰も退避してないはずだ。トイレの中では表が退避してるのかどうかなんてわからないし、電話ではそこから離れるなと言われて行動は全てコントロールされていたし。
電話にも色々と細工がしてあった。あの電話で警察に連絡すると、全て原田たちのところにかかるようになっていたらしい。一人ひとりに最新スマートフォンを渡すなんて贅沢だなと思っていたが、参加者の行動を監視するっていう理由と、最新機種のコマーシャルにもなっていたためだったのだ。
ようやく爆弾解体のときから引っかかっていた違和感が解けてきた。どうして見てもいないのに紙袋から取り出せといったのか。配線を素人に切らせるなんて無謀なことを言い出したのか。最後に全てをゆだねるように選択させたのか。原田たちは最初からあれがオモチャだということがわかっていたからだ。すっかり騙されていた。
このイベント、テレビ的にはかなり楽しいものになったらしいが、原田たちの満足いく結果は中々得られなかったそうだ。
「まあ、普通は怖気づき、パニックになります。そういう参加者の方には私たちから全て説明させていただきましたけど、少々つまらないなあと思ってたところだったんですよ」
原田が小声で耳打ちしてきた。
「そんなときに現れたのが大山さんでした。彼女は予想に反して警察でも上司でもなく鬼灯さんに真っ先に連絡してしまったんです。予想外の出来事でしたが、鬼灯さんが加わることでどう対応してくれるかを観察していました」
その後は俺のほうが良く知っている。そうやって自分で考えて行動できる人材をこそ見ていたらしい。
「あなたの働きは我々が理想としたもの、いやそれ以上でした。ゆえに、私たちはあなたに加点しました。ただ英雄願望の代償として、解除に失敗していたらポイントが失われるペナルティがあったんですけどね。解除にまで成功したんで、現在の所持ポイントが倍になりました。あなたは見事賭けに勝った。いやホント、古今東西の偉人と同じく、 何かをお持ちでいらっしゃる」
手をたたいて褒めてくれるが、俺としては騙されていたわけで素直に喜べない。
「あ、待ってくれ。ということは、だ。まさか、あれ全部テレビで?!」
待ってくれ待ってくれ待ってくれ! 俺はあの時なんて口走った! 思い出すだけでさぶいぼが出そうなイカレたセリフを・・・・・・っ!
「ええ、もちろん。テレビ局のプロデューサーからも満足のいく最高の画が取れたと連絡がありました。瞬間最高視聴率が六十七パーセントだったそうです」
ぐらっと頭が傾いだ。意識が遠のくような感覚がして、膝からくずれ落ちた。頭を抱えてうずくまる。
「いやあ、私も思わず感動してしまいましたよあなたの仕事論。放送を見ていた全ての人が心揺さぶられたことでしょう」
「やめろ! それ以上言うな! 死ぬ! 羞恥で死ねる!」
俺の身悶える姿がそんなに楽しいのか! そしてこんな醜態あんな醜態俺の醜態がテレビに! もう駄目だ。もう太陽の下を歩けない。辞世の句を用意するしかない。
「はっ! ということは・・・・・ヒナ、貴様ぁっ!」
俺は大声で絶対一枚かんでいる奴を呼びつける。
「どうしたっすか先輩?」
すっとぼけたヒナが俺に近づいてきた。でも口元はこらえきれずにニタニタしている。
「てめえわかってたな!」
「ええ。何かの拍子にばれるといけないからってことで、距離とってました」
「反省の色なしか!?」
「する必要が? いやあ、ほんっと先輩って可ぁ愛い~」
ヒナにはトイレから出た時点で原田たちのほうから接触したらしい。そこで全てを伝えられ、まだ中にいる俺にはばれないよう演技を続けて欲しいと頼まれたそうだ。
「そんな恥ずかしがらなくても良いじゃないっすか。先輩は何も知らずにその時の最善を行おうとしただけじゃないっすか。ああ、ただ残念なのはその勇姿を直に見れなかったことっす。まあこのあとテレビのハイライトで見ますよ。もちろん録画します」
「言うな! やめろ! 録画はやめろ!」
「わかってますって。それでぇ~、交換条件っていうかなんていうか、ねえ? 先輩? 約束憶えてますよね? あたし美味しい海の幸が食べたいんすけどぉ~。あとテレビで見た高級旅館、泊まってみたいんすけどねぇ? 一泊十万くらいの」
「おま、それここの賞金全部ぶっ飛ぶだろが!」
「あぶく銭は泡のように消える運命らしいっすよ?」
このやろう、さっきの俺のセリフを!
「嫌ならいいんすよ? ただ先輩の活躍を家族親戚友人その他もろもろに言いふらすだけっすから。録画のダビングも渡します。そしたら先輩目当てにたくさんの人が店に来てくれるっす。その人たちにこれから一生先輩は「あ、あれがあの選手権の人だ」「ああ、あの熱い人ね」「あんなピュアボーイがまだいたんだ」って指を指されて生きていくんすね」
「その微妙に犯罪者っぽい扱いはよせ! 過去のトラウマがほじくり返されるから!」
「痴話げんかはそのぐらいにして、表彰と行こう。時間がない」
にらみ合う俺たちの間に鷹ヶ峰が割って入った。そうだ、まだ表彰式の途中だった。
「まずはこちらを受け取るが良い。次の試合の切符だ」
鷹ヶ峰が一通の封筒を差し出した。中身は新幹線のチケット。《徒卯卿》発、《派架田》行きの新幹線だ。日付は・・・・今日?! 十時三十分発っ?! 冗談だろ!
「冗談ではない。このあと君には用意してあるタクシーですぐさま《徒卯卿》駅へ向かってもらい、二回戦へ参加してもらう」
「時間がないってそういうこと? つうか何その過密スケジュール! 労働基準法をバカにしてない?!」
そういうと鷹ヶ峰ははぁと大きなため息をついた。しかも回りまで何言ってんだコイツといわんばかりの雰囲気。ヒナも俺を哀れなバカを見るような目で見ている。
「先輩、ほんっと説明読んでなかったんすね。このアルバイト選手権、今日の朝九時から、明後日の夜九時まで、三日間ぶっ続けで行われるんすよ?
どこの対テロ組織だよ! 栄養ドリンク幾ら飲もうが戦えるか三日間も! 死ねと! 俺に死ねというのか!
「安心しろ。そこまで過酷じゃない。少しは休憩もある。多分、三日間で九時間ぐらい」
「三時間平均じゃないのよ・・・」
それでどう安心しろというのか。俺の嘆きは天と鷹ヶ峰に届くことはなく、滞りなく副賞受け渡しに式は突入した。
「これが副賞の十万、といってもこいつに入っているわけではないがな。今回の給料、プラス、ポイント換算分と一緒に君の口座に振り込ませてもらう」
苦笑しながら金十万と書かれた大入り袋を俺に渡した。
「これで一回戦の表彰式は終わりだ。解散してもらって構わない。実行委員は撤収作業を」
鷹ヶ峰が宣言する。これでお開き、という空気が流れたその時だ。
「納得いきません!」
参加者の一人が声をあげた。鷹ヶ峰の目がその参加者を射抜くように睨みつけた。
「ほう、何だ? 言ってみろ」
不敵に笑う鷹ヶ峰の小さな体から考えられないくらいのオーラが溢れたように感じた。隣にいる俺が後ずさりしてしまうほどの威圧感。きっと睨まれた参加者は息も出来ない程ではないだろうか。この鷹ヶ峰、見た目どおりの女の子じゃない。生まれついての覇王かなんかだ。
「あ、あの、確かにその人は、最高得点を得たんだと思います。でも、それは特別審査員と特殊なイベントによるもので、今回のお題をこなしてないと思うんです・・・」
つっかえながらも鷹ヶ峰に意見をもの申したこの参加者はすごいと思う。よほど今回自信があったのだろう。たしかに、俺の得点はそういう特別なポイントだ。懸命に接客し、できる限りのサービスをしていた彼らにとってはこの結果は不服なのだろう。見れば他の参加者たちもどことなくスッキリしていないように見える。
「なるほど、君たちの言いたいことは良くわかった。
確かに、君たちは良くやった。自分の持てる力、技術を出し切って臨んでくれたと思う。だからこその業績アップだ。感謝している」
「でしたら、彼が勝ち抜けというのは」
なおも言い募ろうとした参加者を「まあ待て」と手で制し
「ここで問題なのはそのお題だ。今回のお題は何だ?」
逆に問うた。当惑しつつも参加者は応える。
「次に、繋がる接客」
「そうだ。常連客、リピーターを作ることだ。君たちの接客は素晴らしかった。だが次に繋がるかどうかといえば疑問だ。なぜならそれは通常の接客の枠からはみ出していないからだ。美味い料理、新しい商品、新鮮な食材に人は惹かれるだろう。だがあえて言おう。ここ以外でもそれらのサービスは受けられるのだ!」
全員に色んな意味で雷が落ちた。経営者がそれいっちゃお終いだろと俺は思う。
「私たちが望んだのは、接客サービスでどれほど売りさばけるか、ではなく、それを行う『人』に集客力があるかどうかを見たのだ。その人がいるからまた来たいと思わせる逸材。今日の君たちの殆どは、販売取引が成立したらすぐ次の客へと移っていただろう?」
「そ、それはそうですよ。商品を買ってもらったら点数が入るという仕組みでしたから。人数をこなさないとって全員が考えたはずです」
「それが落とし穴だ。それに釣られていかに品物を多く売るか、ということだけに気を取られ、お客様一人ひとりをないがしろにした君たちに、再びお客様が会いに来てくれると思うのか? たとえまた来たとしても、それは偶然であり、君たち目当てでなく商品目当てだろう」
水を打ったように静まり返る場内。いや、それは屁理屈じゃねえ? と思い始めた頃、場内から「くそ、そういうことだったのか!」「確かにそうだ! 俺は今日のお客様の笑顔を覚えてねえ!」「なんて愚かだったんだ」と悔しがる声が響いた。
「わかっただろう? そして鬼灯は、客一人ひとりと同じ目線で話をし、職務を果たした。
君たちが相手にしなかった子ども、まあ扮したのは私なんだが。子どもたちこそが、両親に「またあのデパートに行きたい」というきっかけを作るお客様だ。
お年寄りたちのネットワークだって馬鹿に出来ない。彼らは携帯で、行きつけの喫茶店で、散歩に出かけた公園で、あらゆる場所で情報を交換する。その情報網を伝って、今日の出来事は千里を駆ける。しかも大幅に尾ひれがついてだ。伝言ゲームに尾ひれがつくのは当然だからな。今度はお年寄りの団体様が来店される。
以上のことだけでも次に繋がることがわかるだろう。
そして、最後のあの爆弾イベントでは参加者の人間性を計ることができた。大勢の参加者が逃げの一手を打つ中、鬼灯だけがお客様のこと、そして一緒に働く仲間のことを気遣い、逃げることなく挑んだ。実際の事件ではそんなことはありえないし、警察だって許さない。だがそれでも、『もしも』はあるのだ。非常時に一体何が出来るかを冷静に思考し、ときに大胆に行動する、そういう人間性を見ていた。
以上が、鬼灯が勝利した理由だ。これでもまだ、君たちの中で鬼灯を上回るという自信のあるものは挙手しろ。その自信と度胸を買ってやる」
誰もいなかった。騒いでいたもの、不服そうにしていたもの、全員の態度が一変し、鷹ヶ峰の話をしっかと受け止めていた。中には感動して涙しているものまでいる。
「いないようだな。では解散する。鬼灯、君はすぐに1F駐車場へ行け。そこにタクシーを待たせてある」
「え、マジでいかなきゃ駄目ですか?」
「当然だ。君はこの場にいる四百五十名の代表であり、私が見込んだ人間だ。行って存分にその才能を生かし、暴れて来るがいい」
初めて、誰かから才能があると言われた。あまりに突拍子もなく、自分にはまったくもって似つかわしくない言葉だっただけに、心身ともに拒絶反応を起こすほどだ。
「俺に才能なんかないですよ。そんなものがあるなら、今頃バイトで生活を食いつなぐ、なんて暮らしはしてない」
肩をすくめて否定する。俺には本当に何もない。その日暮らしのフリーターだ。既にそこから就職するなりして脱出することも叶わない。二十年あれば「俺ってこんなもんだ」と諦めもつく。諦めた男に、一体何があるというのだ?
「ならばこそ行くがいい。鬼灯律」
鷹ヶ峰は神妙に告げた。
「これまで君に何があったかは知らん。だがここには君のサービスで満足したお客様がいたことを憶えておけ。そして、困った後輩がいざという時に頼る実力があるということを」
どうせお世辞だろうとわかっていながらも、恥ずかしくってむずがゆくなってきた。
「ま、ありがたく受け取っておきますよ。特別審査員長にそこまでおだてられちゃ、参加しないわけには行かないな」
「よし、では行け!」
鷹ヶ峰が指し示す。なんとなく、本当になんとなくだが、引き返すなら今の内だという気がした。けれど、今この場に退路などなかった。その時点で、すでに俺の未来は決まっていたのかもしれない。
「あの」
どんどんひと気のなくなっていくデパート内で、大山陽菜はその場で撤収作業の指揮を取っていた鷹ヶ峰十六夜に話しかけた。
「ん? どうした?」
「先輩、大丈夫っすよね?」
「鬼灯のことか? ああ。大丈夫だろう。私も一つの組織を率いる身。それなりに人を見る目があるつもりだ。あの男はやるときはやる男だと話してみて感じた。だから君も信頼しているのだろう?」
「ええ、まあ。何だかんだ言って仕事できますし、面倒見いいですし」
「だが、どうも好かんのは、あの男には負け犬根性が染み付いているということだ。この私が人を褒めることなどなかなかないというのに、あの男は才能がないとか何とかぐだぐだと。あと少しでも派架田へ行くのを渋っていたら、伝家の宝刀モンゴリアンチョップを繰り出すところだったからな」
必殺技が渋いなぁと思いながら、「一発かまして気合入れてやればよかったのに」と言った。
「先輩には、自分は目立ってはいけないって自意識過剰極まる変な思い込みがあるっす。多分、そのせいっす」
「ふむ、あの傷のせいか。そのせいで、世間から弾かれ続けたか。くだらん、と一蹴はできないな。人の悩みは千差万別、軽い、重いもその人にしかわからない。ゆえに、当人でしか解決できないものが多い」
鬼灯の過去を鷹ヶ峰は知らない。けれど、容易に想像はつく。鷹ヶ峰自身が、異物として弾かれてきたからだ。鷹ヶ峰はそれを自分の力と、信頼できる仲間や先達のサポートのもと乗り越え、今の地位を築けた。そして、鬼灯にはそれが無い。
「あの男の「良い部分」は、そういう経験から来ているのだな。辛い思いをしてきた人間が成長すると二種類に分かれる。自分も誰かに辛い思いをさせる曲がった人間になるか、誰にも辛い思いをさせないように努力する真っ直ぐな人間かだ」
「ホント、良い人過ぎなんすよね。だから悔しかったんす。先輩の凄いところを誰も理解してくれないから。だからあたしは、無理矢理先輩をこの選手権に引っ張り込んだっす。ここなら先輩の力をきちんと評価してくれるっすから」
だから、と大山は言い、頭を深々と下げた。
「鷹ヶ峰さん。お願いっす。もし先輩が良い成績残したら雇ってあげて欲しいっす」
「ふむ、この選手権で好成績を残した者は色んな企業、組織からヘッドハンティングされる慣わし。すでにその条件を鬼灯は満たしているようなもの、私たちとしては雇いたい人材だが、君はいいのか? 君の本屋の店員だろう?」
そうなんっすけどね、と大山は頭を掻いた。
「なんつうか、見てらんないんすよ。あたしと一つか二つしか年変わらないのに、老人みたいな、いつ死んでも良いような生き方してんすよ。目的もなくて、かといって遊んでるわけでもなくて。つまんなそうに時間と酸素と食料を無駄にしてこのまま日々をゾンビみたいに生きるくらいなら、鷹ヶ峰さんのとこで泣きながらでも必死で働いてるほうが先輩のためだと思うんす」
レジの前で死んだ魚みたいな目をした先輩の横顔を思い出す。黙々と同じ作業を繰り返している様は、何かの拷問みたいだった。この人は一体何を楽しみに生きてるんだろう。自分が今まで当然のように持っていたものがこの人にはなかった。それを仕方なしとして受け入れ、諦めたように生きている。
「あたしは先輩のこと結構お気に入りなんすけど、ただその一点が大嫌いで。何腐ってんだよっていっつも思ってたんす。ちょっとその根性叩きなおしてやってほしいっす。うちは死人を雇った覚えないんで」
「そういうことなら、喜んで協力しよう。新人の教育に力を入れるのは当然だからな。とりあえず今は、あの負け犬根性のしみついた男がどこまでやれるのか、選手権を通してどう変化していくのか見守ろうか。それが狙いだったんだろう?」
そうっすね、と大山は頷いた。必死になって爆弾を解除しようとしている先輩は、いつもよりもかっこよく見えた。
もしよければ、なんだが。鷹ヶ峰がそう前置きして大山に問う。
「局の会場で見るか?」
「え、いいんすか?」
「ああ。この大会が参加者のアルバイト先のPRにもなるという話は聞いたことがあるか? テレビ局には勝ち抜いている参加者のバイト先の人間が応援、という形で入っていい事になっている。おそらく他の参加者の応援団もすでにテレビ局の会場に入っているはずだ。そこでは大画面で今の本選や別会場の試合経過も見られるし、競技と競技の間の時間にカメラがその会場の盛り上がりを移す。関係者たちはその時自分の店をアピールすることが出来る。局の食堂や購買、シャワールームを解放しているから寝泊りも可能だ。これから私も向かうから、良ければ一緒に連れて行くぞ?」
願ってもない申し出に、大山が拒否する理由はなかった。
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