第十五話

「失礼します」

 重い足を引き摺って、泣き腫らした目を隠しもせずに、掠れた声で生徒会室に足を踏み入れた。

「あ、美利ちゃんこんにち……ひっ」

 私を見て固まる井上先輩。応接用のテーブルを使ってファッション誌を見ていたようだが、今はゆったりしたソファに似合わない緊張を見せていた。

「やぁ新月さん、話は考えてくれたかな?」

 にこにこと微笑む、何故かあの子が……いえ、何故か、黒羽さんが嫌う篠崎先輩。私の様子を見ても一切驚いた様子を見せないのは、その手腕からかはたまた鈍いだけなのか、判断は付けかねた。井上先輩は篠崎先輩に必死に目でサインを送っているようだけれど、私は私で質問に答える。

「えぇ。私に勤まるかは分かりませんが、精一杯力を尽くさせて頂きたいと思います」

 そう言う声に一切の感情が籠っていないのは自覚しているが、けれど込めようという気力も沸かない。そんな返答でも満足したのか、篠崎先輩はにこやかに頷いた。井上先輩がそろそろとこちらを窺って、「あの、無理しなくても良いよ……?」と恐る恐る口を開いたので、「お構いなく」とだけ答えて職務用のシンプルな長机に鞄を置いた。そうして椅子に腰掛けて、また締め付けられる胸を努めて抑え、表情を変えないように密かに唇を噛む。

 私から距離を開いたのだ。嫉妬が生まれて、それをあの子のせいにして、勝手な事を言って。それでもあの子は私に愛を向けようとしてくれた。あの子は、私を見ようとしてくれた。……けれど私はと言えば、朝はドア一つに阻まれて、昼はあの子を探し出すことすら出来ずに……開いた距離を、埋めることが出来なかった。言い訳をして、逃げ出して。……きっと、実さんはあの子が傷付いた分を、癒してあげたのだ。そして、あの子――黒羽さんの心は今、実さんへと向いている。

 自業自得だ。……そして、そんな言い方しか出来ない自分に腹が立つ。あの子は私を慕ってくれているけれど、私に好きな人がいたなら、きっと身を引いただろう。ひょっとしたら泣くかもしれない。けれど……けれど決して、決して、別の誰かに目が行った愛する人を、恨んだりはしないだろう。

 私は……あの子の幸せを願ってるんじゃない。私はただただ、あの子が欲しいだけなのだ。あの子の愛を独占し、あの子の幸せを自分だけで作ろうとし……。

「――ちゃん? ……美利、ちゃん?」

「っ! すみません。考え事をしていました」

 恐る恐る私の顔を窺って声を掛けてきた井上先輩に、慌てて答える。顔を上げた私を真っ直ぐに見た先輩は、眉根をぎゅっと寄せて、心配そうに言葉を紡いだ。

「……何か有ったんだったら、無理しない方が良いよ?」

「いえ」

 素っ気無く返した私にしばらく不審そうな視線を向けた後、私の表情が変わらないからか溜め息を吐く。それから「んー」、と不満げに唸った後、もう一度「はぁ」、と幸せを逃がした先輩。

「もう……触れないけどさ、でも今日はまだ来てない4人の他にも、美利ちゃんとは別に勧誘する一年生も来るから、人が沢山来ることになるし…………大事な話、もあるし」

 昨日言った奴ね、と先輩が先程とは別の意味で私を窺った。私は一つ頷いてみせる。もう一度じっと私を見た先輩は、またも溜め息を吐いて、それから諦めたようにソファに戻っていった。



 やがて二年生の松山まつやま先輩、杉原すぎはら先輩が一緒に姿を現し……松山先輩は真面目そうな眼鏡のこれまた整った顔で、杉原先輩は凄い無口で無表情、松山先輩が男性で杉原先輩が女性……、その後に続いて一年生らしい男子生徒が恐る恐る生徒会室に足を踏み入れた。

 その男子生徒は始め私に気が付くとほっとしたような顔になったが、近付いて私の顔を認めた途端にびくっとなって離れた席に座った。その時は黒羽さんのことでまた自己嫌悪に陥っていたから気にも留めなかったが。

 そして数分の後、生徒会長たる見崎先輩と共にドアをくぐった生徒を見て、私はほんの少しだけ眉を上げた。

「始めるぞ、園部そのべは用事で来ない」

 会長席に着く見崎先輩。彼の後ろから離れ、長机の端に静かに腰掛けたのは、今日体力測定でペアとなった、佐々木君だった。相も変わらず表情に乏しく、けれどどことなく緊張している様子が窺えるのが杉原先輩とは違うところだ。

「今日の目立った報告は有るか?」

「えぇ。学校行事で言えば、一学年の体力測定、それと三年生には午後の授業時間で進路講演が有りましたね」

 慣れた口調で行事表を読み上げた篠崎先輩は、小さく首を傾げて見崎先輩を見た。見崎先輩は小さく頷き、「体力測定で異常は? こいつだけか?」と佐々木君を示しながら尋ねる。篠崎先輩は手元の紙に少し目を落としてから、「そうですね」と頷いた。

「ただまぁ……異常、と言いますか、今年は幸いにも体調不良を訴える学生が例年よりも少ないです。女子生徒六名、男子生徒三名が体調不良で体力測定を休む、或いは中断してますね。まぁ些細なことでは有りますが」

「いや、良い報告だ。……では、学校行事以外での目立った報告は?」

 見崎先輩のその言葉で生徒会室の空気に僅かに緊張が混じったが、しかしそれを気にしながらも、私の頭は篠崎先輩の報告で浮かんだとある可能性を掴まえていた。

 体力測定に於いて、女子生徒六名が体調不良で休み、或いは中断。……ひょっとすると、私が見つけられなかったのは、あの子が体調不良で…………あの子が、体調不良、で?

 一瞬浮かび掛けた喜びは、直ぐに自己嫌悪と心配の念へと変わった。勿論、放課後にあの子を見かけた限りでは無事そうだったが……しかし、あの子の健康を、例え仮定だとしても害してまで、私はあの子との結びつきを信じたがっているのか。そうして幻に浮かべる繋がりはただただ酷い身勝手を押し付けるだけ…………そんな自己嫌悪を踏まえてさえ、心の片隅ではあの子がその場にいなかった可能性に期待を抱き、そしてその可能性の上であの子を心配している、何とも醜い私がいる。どうして良いか分からずに、小さく唇を噛んだ。俯いた私の耳に、篠崎先輩の説明する声が静かに聞こえる。

「まず、新入生の危険因子調査ですが、黒は一人も居らず、赤が二人、灰が五人です。そして赤の二名は今ここにいる新月さんと佐々木君ですし、同じくこちらにいる秋月君も灰の一人ですから、注意すべき点はあまり無いかと。……あぁけれど」

 私は、あの子を愛していると言えるのだろうか。

 あの子に、それを、伝えても良いのだろうか。

 私は、

「けれど、灰の方一名が、本日の体力測定にて中断していますね。倒れたそうですが……おや、昨日こちらにお見えになった方ですね――」


「――黒羽、怜那さん……そうだったよね、新月さん?」

「っ……」

 倒、れた?

 ――ファレイナッ!

 嫌な想像が頭を巡って、椅子を蹴って駆け出した。



――――――



「……どこへ行ったんだ?」

 怪しげな物が大量に入った本棚。壁に掛かった、信憑性の感じられない新聞。そこらじゅうに置かれている本は言語及び値段を問わず、それこそ子供向けの怪談本から文字ばかり描かれた外国語の本も有る。そんな拠点を持つ部活の長である男は、間の抜けた声を発した。

 開け放たれたドアに、長机に掛ける女子生徒と戯れる謎の子犬を見られては堪らないと手を掛けながら、整った顔の男子生徒が肩を竦める。

「分かりません……けど、鬼気迫る感じは有りましたよね」

「………………」

「……ヘルタ」

 二人のやり取りを見て不機嫌な顔をする幼い容姿の女子の膝の上で、その様子を見て更に不機嫌な声を上げる猫。ヘルタと呼ばれた少女は小さく首を俯けたが、けれどぽつり、と言葉を洩らした。

「……昨日ちゃんと注意したんだけど」

 その僅かな呟きに目を眇めたのは猫だけで、他に聞いた者はいない様だった。



――――――





「――ミリューネ様ッ!!」

 素早く視線を巡らせ、誰よりも目を惹く筈のミリューネ様を探します。けれど、生徒会室の中に御姿を見る事は出来ませんでした。代わりに、机の上のミリューネ様のバッグと、その席の蹴倒された椅子が目に入ります。

「……慌てているようですが、用件を伺っても?」

「っ……ミリュ、美利様はどこですかっ!」

 会長席に座って刺すような目をこちらに向けるそいつに、はっきりと言葉を投げ掛けます。私の質問に少し首を傾げると、倒れた椅子を示しました。

「見ての通り、席を外していますね」

 冷たい淡々とした言葉に、苛立ちが増して思わず歯を食いしばってしまいます。

 バッグ、倒れた椅子。

 ……ミリューネ様は、慌てて生徒会室を飛び出した…………逃げ出したのでしょうか。

 ミリューネ様が逃げ出すような何かを、こいつらはやったという事ですね?

「…………美利様に何をしたんですか?」

 怒りの余り震える言葉。ですが、そんな私の怒りも意に介さず、あの野郎がのん気に答えます。

「黒羽さん、落ち着いて。何もしていませんよ」

 にこにこと微笑むだけの男に、本気の殺意を向けました。とぼけるつもりならばこちらも手段を選びません。そんな私の表情を見て、井上先輩も戸惑った様な声を上げました。

「美利ちゃん、生徒会に来た時から様子が変だったよ? 昨日一緒に帰ったから、ひょっとすると原因とか知ってるかもしれないと思ったんだけど……」

「…………」

 生徒会に来た時から……それは、果たして本当のことか、それともただの目眩ましか。判断を付けかねて井上先輩の顔をじっと見れば、先輩も同じく真剣な顔で尋ねてきます。

「来た時に泣いた後みたいな顔をしてて、大丈夫かって聞いても、頷くだけで……けどその後も、俯いたり、考え込んだりしてた。それで、怜那ちゃんが倒れたって報告をしたら、そのまま飛び出して行っちゃったんだ。…………怜那ちゃんが倒れた原因って、美利ちゃんだったりする? それとも他に心当たりとか有るかな?」

「泣いた……?」

 ミリューネ様が、泣いた顔をしていた?

 ……心当たり、は、有ります。勿論、昨日のことです。けれど、それでも……ミリューネ様に、涙を流させてしまう物だとは。

 ……私がしたことがどれ程ミリューネ様を傷付けたのか。

 私一人が夜通し泣いた気でいて、ミリューネ様に認めてもらうと言いつつも、具体的に何をするでもなく、ただ自分の苦しみを和らげただけ。けれどミリューネ様は、その苦しみをそのままに、その上で、……恐らく、私のことを心配して下さり、飛び出したのでしょう。昨日のことで私を傷付けたのかも知れないと、そのせいで倒れたのだと考えたのかも知れません。……ともかくも、私を想って下さっている。

 今までのご様子からも、ここでの生活もきちんと見据え、大事になさっているミリューネ様。それなのに、生徒会の皆様に不審に思われてしまう様な、涙の跡を見せてしまう。私の愚かさで、そんな思いをさせているのでしょうか。

 胸の真ん中で、きりきりと、何かが痛む様な。申し訳無さが込み上げて、堪らず唇を強く噛み締めます。私は、自身の愚かさを自覚するまでに、一体どれ程の時間を掛ければ気が済むのでしょう。更に、愚かさ故に生徒会の皆さん相手にどれ程失礼な態度で、考えで臨んでいたか、思い至ります。そしてミリューネ様は、そんな私を思って下さり、今も辺りに構わず飛び出して下さったようです。

 ぐずぐずなんて、している場合では有りません。

 まず、喧嘩腰になっていた体勢を改め、皆様に深く頭を下げました。

「申し訳有りませんでした。勘違いと早とちりで、大変失礼な態度を取ってしまいました」

 そうして、また、頭を上げて。

 会長席から送られてくるその鋭い視線に、真っ向から、目を合わせました。

「改めて、用を述べても宜しいでしょうか」

「どうぞ」

 不安に駆られた私が、焦る心のままに敵と見做した生徒会。しかしこうして対峙し、落ち着いて状況を見れば、悪い人達では決して無いのを感じます。価値観の違いという物もそうでしょうし、更に木下先輩のお言葉も有ります。……それに私は、ミリューネ様が選んだ居場所を疑うという、臣下に有るまじき愚行を犯すところだったのです。臣下足る者、仕える御方に信頼を寄せられなくてはいけません。

 相変わらず鋭さを感じる声ながらも、しかし落ち着いて発せられた促しに、私は口を開きました。

「私は、オカルト研究会に入部させて頂きました。そちらで、皆様のことについても耳にしましたが、けれど私達からの認識が全てでは無いと思います。……ですから、これだけ、お願いさせて下さい」

 オカルト研究会、のところで数名の眉が顰められましたが、けれど見崎先輩は静かに目で続きを促して下さいました。

「美利様は、ご自分で何が正しく、何が間違っているかを判断なさると思います。ですから、あの方が間違っていると思ったことを無理に強要はしないで欲しいのです。……それだけ、です」

 お願いします、と頭を下げて、それから頭を上げれば、「勿論だ」と迷いの無い頷きと、そして井上先輩の優しい微笑みが有り、心の底から、「ありがとうございます」ともう一度頭を下げました。

 さて、それでは。

「お騒がせして大変申し訳ありません。失礼致しました」

 退室し、足を少し迷ってから保健室へと向けました。

 ミリューネ様、待っていて下さい。



――――――



 重い扉の前に立ち、一度だけ躊躇して、けれど手を掛けて扉を引いた。玄関からホールに移る際には、明るい光が暗い場内の雰囲気を損ねてしまわないため、映画館の様に曲がった小さな通路が用意されている。そこを抜け、暗い場内へと足を踏み入れた。想定していた高さよりも随分低い位置にある舞台で、演劇の練習をしているようだ。

『――しているのは、一体何故ですか?』

『……どうして貴方に教えなくてはいけない』

 何かの一シーンの様だが、興味は直ぐに薄れる。そんなどうでも良いことよりも、今はあの子が無事かを確認しなくては。

 あの子と再び出会えてから、暗い中でも目が利く様になったのはとてもありがたい。けれど幾ら目を配れど、ファレイナの姿を見つける事は出来なかった。代わりに実さんの姿を見つけて、その傍に駆け寄った。

「実ちゃん」

「美利ちゃん!?」

 潜めた声で驚きを示した実さんは、辺りを窺ってから、並んだ座席の端の方へ私を連れ行く。

「どうしたの、急に」

 驚いた様子の問いに、黒い物がお腹の中でぐらぐら言う感触がしたが、一先ず目を閉じ深呼吸をし、それから「怜那が、倒れたって聞いて」と声に出した。

「あ……美利ちゃん、知らなかったんだ」

 どこか気まずい顔で少し目を逸らした実さんは、それからこちらを向いて、小さく頷いてみせた。

「うん、昨日の昼から碌に食べてなくて、それと昨日の夜寝てなくて、それで無理に運動したから倒れた、みたい。……でも、保健室で寝かせて貰って、今は元気になってるから、」

 安心して大丈夫。その言葉を聞いて、深く、ほっと息を吐く。それから、実さんの言葉が耳に引っ掛かった。

「……寝てない?」

「あー……うん、そう、みたい」

 歯切れ悪く頷いた実さんは、けれどそれ以上は何も言わずに、目線をそっと逸らした。寝ていない、誰のせいで? 昨日のあの子は、凄く苦しそうな顔をしていた。私のせいであの子が倒れたと言うのなら、私は仮定の上でなく、現実であの子の健康を害したのだ。……愚かな、私のせいで。

 私が強く唇を噛むと、実さんがふと気付いたようにこちらに顔を戻した。

「でも、本人に聞いたら良いのに……まだ喧嘩中?」

「……え?」

 元よりそのつもりだ。だから、この公演館に駆け込んだのだ。私の疑問を違う意味に取ったのか、実さんが驚いたように目を瞬かせる。

「あれ? 怜那ちゃんの元気が無かったのって、美利ちゃんと喧嘩したからじゃないの?」

「あ、いえ、その事に驚いたんじゃなくて……あの子は、今どこにいるの?」

 実さんの言葉に少し気になるところもあったけれど、今はともかくそれを尋ねる。私の問いに少し首を傾げた実さんは、「え……怜那ちゃんがオカルト研究会に入部したのは、その、知ってるよね?」と逆に尋ね返してきた。

「……それじゃ」

「うん、多分オカ研の部室だと思うけど……いなかったの?」

 先回りに尋ねてくるが、勿論オカ研の部室を覗いていないので分からない。その分からないという言葉ですら、上手く掴みきれないごちゃごちゃした思考のせいで、意味を紡げずにいた。

 私は、勘違いをしていたのか。あの子は実さんを選んだわけではなく、オカ研を止めて演劇部に行ったわけでは無いのか。けれど……あの時、あの子は演劇部の見学に行くと言っていた…………いや違う、それすら確かかは分からない。漏れ聞こえた単語から想像しただけ。

 言葉を選んで、探る様に問い掛ける。

「……あの子と実ちゃんが一緒に歩いてたのを見たから」

「…………ん? あー、たまたま見たんだね! うん、えっとね、オカ研の先輩から怜那ちゃんにメールが来て、5時半に来て欲しいって言われたから、それまで暇だし、その間私の演劇部見学に付き合って貰ってたんだ」

 時間が空いたから、付添をしただけ。実さんを選ぶとか、演劇部を取るとか、そんな話では無く。ただ友達として、付添をしただけ。そのことに気付いてから、自分の思考に愕然とした。

 怜那は私に、実さんは友達だと紹介してくれた。そして木下先輩は部活の先輩だ。怜那が彼女達と楽しそうにお喋りするのも、そして、中学までの彼女を考えれば、……或いは、そういう思考が出てしまう事も、当然かも知れない。勿論、隣り合って歩くことくらい当たり前、笑い掛けるなんて、尚更だ。

 けれど今日の私が出した答えはと言えば、隣り合って仲が良さそうに歩いていた、だから、実さんを選んだのだ、と、酷く歪んだ見方をした物だった。落ち込んでいる時に気分を上向かせるものが最も大切な物だけでは無い事なんて、知っている筈なのに。実さんは、友達としてあの子を元気付けてくれて、あの子は、……寝れない程傷付いていたあの子は、縋らずにはいられなかったのだろう。私が拒絶したのだから、私に辛さを打ち明けることなど出来る筈も無い。悩みを打ち明ける相手が、そしてその人の心に響くアドバイスをくれるのがどこの誰かなんて、分かりはしないのだ。

 それなのに、私は、あの子には私がいるのだから、他にあの子の悲しみを取り除いたり出来るのは、私だけだと……私が悲しんで悩んでいるのだから、あの子もそのくらい傷付いて当然だと無意識に思い込んでいて、あの子が私以上に傷付いて倒れたことも知らずに、実さんがあの子の涙を払ってくれたことにも目を背けて、まるで、あの子を私だけに閉じ込めたがっている様に。

「美利ちゃん?」

「……実ちゃん、聞いても良い?」

 酷く歪んだ思い。けれどその気持ちが私の心のどこに有るのか掴めなくて、私のあの子への想いすら見えなくて、助けを求める様に問い掛ける。

「好きな人を、好きになるには、どうしたら良いのかな」

「えっ? ん、と…………好きな人を、好きに?」

 少し首を傾げた実さん。けれど私の表情が真剣なのを見て、「うーん……」と考えてくれた。どう言えば良いか分からなかった私の質問は伝わり辛く、言ってしまった後になって、本当にこんな質問がしたかったのだろうか、と疑問が出てくる。

 好きな人を好きになる、言葉の足りない質問。別の言い方でこの想いを問うなら……私は本当にあの子を好きなのか。けれどその問いに否と返されるのが怖くて、それでも正解を聞きたくて、だから不確かで不親切な質問をした……つまり、また、逃げた、のではないか。

 怖い、怖いけれど、ちゃんと尋ねよう。

 今度は、はっきりと私の想いの真偽を確かめようと、もう一度口を開いた。

「……私の――」

「そうだねー」

 私の言葉を遮って、実さんが小さく首を傾げたまま、私を見つめる。

「その好きな人に貰った幸せを数えたら良いんじゃないかな?」

 のんびりとそう言ってから、「私も大切な人がいてね」と続けて、思い出す様に遠くを見る実さん。

「結構喧嘩しちゃうし、趣味もバラバラだし、立場も違うし、それに、その……時々ね、あの子を好きなのか、それともあの子の好意が好きなのか、分からなくなっちゃうことも有って…………それで一度、あの子に『私はホントに貴方が好きなのかな?』って聞いたことが有るんだ」

「…………本当に、好きなのか」

 それはまさに、私が聞きたいこと。実さんも同じように悩んだことが有った。……そして実さんは、その想いを相手にそのまま尋ねた。

「丁度擦れ違った時でさ、質問してから、あ、ここで否定されたら、もう戻れないかも、って……不安になったんだ。……けど」


――私が実様をお慕いすることで、実様が幸せなのであれば、私は幸せです。


「幸せにして貰うこと、幸せにしたいと思うことが、好きって事だって。……想いの強さは有る、から、皆に幸せにして貰える人もいれば、誰にも幸せにして貰えない人もいる。けどそんな中で、この人が傍にいるだけで、微笑み掛けてくれるだけで幸せな人が確かにいるんだ、って。それで、もしも好きだったことを忘れたら、貰った幸せを数えて、あげたい幸せを想えば……また、思い出せるから」

 ごめんね、受け売りで。そう言って微笑んだ実さんに、緩やかに首を振って、それから深く頭を下げた。

「ありがとう、実ちゃん」

「うん、どういたしまして」

 もう一度顔を上げて実さんの顔を見る。そこに嫌な気持ちは浮かび上がらず、ただただ感謝の気持ちと、緩やかな温かい心地が胸に広がっていた。

「演劇部、頑張ってね。……私は、怜那に会ってくる」

 ファレイナから貰った幸せ。あの子と再び出会えた時、どれ程嬉しかったか。あの子が私とフォエラに戻りたいと言ってくれた時、私を追い駆けると言ってくれた時は、表情を保つのにどれ程必死になったか。そして、これは昔々の話だけれど、フォエラであの子が私を認めてくれた時、どれだけ救われたか。

 そんなあの子をどれだけ幸せにしてあげたいかなんて、言葉では言い尽くせない程に決まっている。……それが欲にもなって、あの子がくれる全部の幸せを貰って、あの子の幸せを私だけで満たしたくなったり。それはけれど、二人きりの世界になってしまうから。そんなことは、あの子は望んでいない。そう、私はこんなに幸せにして貰ったのだから、あの子の望む幸せを与えてあげたって、到底足りないだろう。だから、もどかしくて、悲しくて、けどそれだけ幸せなのが嬉しくて、だから少し悔しくて……この気持ちを、ファレイナに伝える。

「いってらっしゃい。大丈夫、美利ちゃん達なら絶対仲直りできるから」

「うん」

 心強い言葉をくれる実さんに元気付けられた自分に気付いて、歩き出しながら「ああ、これは怜那もやられるわね」、と小さく苦笑した。

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