第2話 ようこそ異世界へ

「どうしてだ……。どうしてフリーターなんだ……」

 広大で緑豊かな大草原の中で番野は泣く一歩手前の声で呟いた。番野が右手に強く握りしめているメモ用紙大の紙には【あなたの職業ジョブはフリーターです】という文章がまるでワープロで打ち込んだかのような文字で書かれている。

 番野は半泣きになりながら地面に拳を打ち付ける。

「異世界召喚モノの主人公は《勇者》とか《剣士》とかそんな感じのかっこいい職業じゃないの!? なのに《フリーター》って……。うっ、ううっ……。こんなのって、こんなのってないよ…………」

 しかし、泣いたところで自分の職業が変わる筈もなく、番野は手に持っていた紙をズボンのポケットに入れて立ち上がった。

「まあ、夢の異世界に来れたんだ。この際俺の職業が《フリーター》だという事は一旦置いといて、とりあえずそこら辺を散策してみるか」

 そう言って番野は歩き始めた。

 が、しばらく歩いたところで、ある事に気付いた番野はその場に立ち止まった。

「待てよ。こんな見知らぬ土地で迷子になったら終わりじゃないか! だが、こういう場合は、どうすりゃ良いんだ? 」

 そして、「うーん」と唸る番野だったが、何か思いついたらしく再び歩き出した。

(異世界モノのセオリーとして、森に入れば何かしらモンスターが出てくるだろうからそいつに俺が襲われれば誰かが助けに来てくれる筈だ!

それにまだ異世界に来たばっかりだから出てくるモンスターもそこまで強くはないだろうし、助けてくれた人に街までの道を教えてもらえば迷子にもならない! こんな策を思いつくなんて、流石俺だな)

 そんな、ゲームや小説で培った経験を頼りに番野は自信満々に森の中へ入って行った。だが、番野は気付いていない。今自分は何も武器と言える物を持っていないということを。

 ほぼ全てのRPGや異世界を舞台にした小説では、主人公は初めから武器や特殊な能力を持っている事が多い。そして、初めに戦うモンスターは初期装備でも十分余裕を持って倒せる程の強さのものが出現するのがセオリーだ。だから、『そのレベルのモンスターが出てくるなら襲われてる風を装いながら戦うのって簡単じゃね? 』という安易な考えにこのとき番野は至っていた。なんとも浅はかである。

 だが、そんな考えのもと、森の中をぶらぶらと適当に歩いていた番野はすぐに自分の安易な考えに後悔する事になる。

「うおっ」

 よそ見をしながら歩いていた番野の体が突然、何やらモフモフとした感触に包まれた。

「も、モフモフ? というか、暖かい? 」

 そして、その感触から顔を離した番野が見たものは、体長が3mを優に越しているであろう全身が茶色の毛で覆われた熊のような生物だった。しかも、その生物の手には川で鮭を獲るにはいささか大き過ぎる爪が5本ずつ両手に備えられている。

 それを見た番野は慌てて自身のポケットや背中に手を回すが、なにぶん『手紙』を読んだ直後に異世界に行く事を願った為に、先述の通り武器と言える物は何一つ持っていない。

(あれ〜? おっかしいなぁ〜。物語の最初の敵って言ったら最弱レベルのスライムとかじゃないの? こんなツキノワグマみたいなのに徒手空拳で挑めとかどこの流派の修行だよ……)

 番野曰く、ツキノワグマのような生物は番野を視界に捉えてはいるが、まだ襲い掛かる素振りは見せていない。

(な、なんだ? 襲い掛かって来ない……? よし。彼の気が変わらない内にとっととここを離れよう。てか、何だよこいつ。雰囲気はめちゃくちゃ怖いクセしてつぶらな瞳で可愛らしい顔してるじゃないか)

 と、一瞬完全に安心した様子を見せた番野に、ツキノワグマのような生物がその凶暴な爪を振り下ろした。

「なっ!? 」

 番野は反応が少し遅れるも、横に跳ぶ事で何とか爪から逃れた。しかし、ツキノワグマのような生物は番野を逃すまいとさらに追い討ちを掛ける。

「人は襲わないんじゃないのかよぉっ!? 」

 番野はそんな絶叫を上げながら木の裏側に隠れるが、爪は木をやすやすと切断し、番野の背中も浅く切り裂いた。

「ぐあっ! 」

 そして、番野が着ていた服に爪が引っかかったことで番野の体は宙を舞い、すぐ近くの木に勢い良く衝突した。

「ガッ……!! 」

 ドサリと高所から地面に叩きつけられる痛みを感じながら、番野は自身の死を覚悟した。

(クソ……。まだ異世界生活1日目なのに、もう終わりなのかよ。異世界に来ても、結局俺は何も変わらなかった。何も変える事ができなかったのか……)

 眼前に迫る猛獣は、番野の体を裂かんと、手に備えられている凶器を振りかざす。そして、獰猛な唸り声と共に振るわれたその凶器は番野の体を無情に切り裂く筈だった。

「ギャオンッ!? 」

 と言う何とも弱々しい鳴き声と共にツキノワグマのような生物は脱兎の如く逃げ出して行った。

「ど、どうしたんだ……? 」

 鳴き声で目を開けた番野が見たものは両手に巨大な爪を携えた、顔は可愛くも凶暴な生物ではなく、切れ味の鋭そうな剣を手に持ち、こちらに背を向けて立つ1人の少女の姿だった。

 少女は制服と思しきスカートを翻しながら番野の方に体を向けて言った。

「君、現実世界の人間でしょ」

 その明確な確信を持って出された質問に、番野は一瞬驚いたが、すぐに答えた。

「ああ。そうだ」

「そう。やっぱりね。それじゃあ、職業は? 」

 その問いに、番野は若干声を小さくして答える。

「ふ、《フリーター》」

「は? 君、ふざけてるの? 」

「ふざけてないぜ!? マジのマジで《フリーター》なんだよ! …………、ほら! 」

 そう言って、番野はポケットから職業の書かれた紙を出して少女に見せる。少女は番野の手に息が掛かるのではないかという程紙に顔を近づけると、書かれている文字を確認して顔を離して小声で呟いた。

「ふーん。中々面白そうね……」

「この紙を知ってるって事は、お前も現実世界の人間なのか? 」

「え? ええ。そうよ」

「そうか。じゃあ、お前の職業は何なんだ? 」

 問われた少女は、剣を鞘に収めて言った。

「私の職業は、《勇者》よ」

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