s/第30話/029/g;

 会話を途中で切り上げた谷中は、水面の背後に回った。

 彼女が操作するパソコンの画面を見る。


『こんにちは。水面さん』

「こんにちは、みちるさん」


 上に灰色のバーがある、白い縦長のウィンドウに、御堂の書き込んでいるらしい文面と水面が打った文面が並んで表示されていた。


『私の犯行だという指摘ですが』

「うん、そーだよ。みちるさんが犯人なんだもん」


 おい……。

 谷中は、心中でどぎまぎしつつ、御堂からの応答を待つ。


『骨伝導マイクには正直がっかりしました。今回は自信があるのですか?』

「自信はないかも」


 いやいやいや、そりゃねーだろ。

 声を上げそうになった谷中は、口を覆った。


「けれど、間違っていないという確信なら、あるかなー」

『……それを、世間では自信と呼ぶのです』


 呆れたのか躊躇ったのか、御堂の返信が遅れた。


『まあ、聞いてみましょう』

「その前にお願いがあるんだけど」

『?』

「ボクが真相に辿り着いていたら、自首して欲しいんだよ」

『……すごい自信ですね』


 続くメッセージはない。

 回答はないと判断したのか、水面は先を続け始める。


「みちるさんは、アリバイがあるだけで動機もあるし、合い鍵も持っているし、今回の犯人として十分な資格があるよね」

『動機……というのが何を指しているのかは分かりませんが、疑われる可能性があるのは否定しません』

「なのに犯人じゃないと言い切れるのは、アリバイがあるから」

『その通りでしょう』

「けれど、アリバイは、あってもなくても意味はないの」

『?』

「動機の上で、御堂さんがもっとも重要な容疑者であることは、いずれ明らかになるもの。警察が、御堂さん一人に的を絞って、証拠を調べていけば、犯行が立証するのに十分な証拠が遅かれ早かれ見つかるはずだよ」

『何を言っているのか分かりませんが』

「大悟さんに親しい人で、アリバイが弱いのは御堂さんだけだしね。より確かな証拠が出てくれば、勘違いや何かで処理されちゃうんじゃないかなー」

『私が言いたいのはそこではありませんよ』

「ボク、知ってるんだ。みちるさんが、大悟さんに脅されていたこと」


 返されたメッセージは短く、なのに、ありえないほど時間がかかっていた。


『否定します』

「情状酌量の余地があると思うよ」

『……いいかげんにしてください。これでは自白を強要しているようなものです』


 画面に表示されるメッセージが読める他は、水面のタイピングの音しか聞こえない。

 にも関わらず、谷中は舌戦の様子を想像した。


『面白そうだと思って付き合うことにしましたが……。今度は、期待外れどころではなく、不愉快です。この話を続けるのでしたら、意味はありませんので失礼させて貰います』


 すかさず、水面が打ち込んだのは、さっき谷中が耳で聞いた内容とほぼイコールだった。


『?』

?」

『そんな荒唐無稽な』

「もちろん、一人はみちるさん本人じゃなくて」

『共犯がいるとでも?』


 谷中は、さきほどの会話が再現されていくのだろうと思った。しかし。


「そーだよ」

『馬鹿げています。……いくら調べて貰っても構いませんよ、そんな人は現れません』

「そーだね」

『? いったい……』


 御堂と同じく、谷中の頭にも疑問符が浮かんだ。


「人じゃないもの」


 水面の打ち込んだメッセージに対する、応答はない。


「あの日、後で証言をしてくれることになった人と話していたのは、コンピュータ——正確に言えばプログラムだよね、みちるさん」


 応答は遅れてやってきた。


『人間の会話に対応するプログラムは、現在の技術では難しいです』


 谷中は湧いてきたつばを飲み込んだ。

 水面が考えていた解答は、荒唐無稽にしか思えない。人と会話するプログラム——ソフトなんて、見たことがない。ゲームなどで、かなりいいかげんに応答するものならあるが……。それは、とても会話として成立しているものではない。

 大学の研究レベルになれば可能なのだろうか? だが、それは一介の学生が個人的に悪用できたりするものとも思えない。


「会話になっている必要なんて、ないんだ」

『どういうことです?』

「あの日、みちるさんと話していたという人に聞いたとき、彼女は最初っから言っていたの。当日、みちるさんが、珍しくかなり酔っ払っていて、会話が支離滅裂だったって」

『それはいったいどうい』


 そこで送信ボタンを誤って押したのか、応答は尻切れトンボだった。

 直後。


『それはいったいどういうことですか?』


 正しいメッセージが到着する。


「チャットなんかでよくあるよね、人工無能とかbotって呼ばれるプログラムが。いいかげんな応答を適当なタイミングで返すだけのプログラム。もちろん、これは文字ベースだけど、代わりに音声を返すことはできる」

『ですが』

「酔っ払ったフリをした音声を吹き込んでおいて、相手が喋りそうになったら適当に遮るとか、短時間なら話題を繋ぐことはできる」

『それはそうかも知れませんが……』

「あの日の会話は長時間だった。でも、犯行中の短い間だけ入れ替わることはできる。サーバのある自宅へ電話して、コンピュータプログラム経由でさらに電話を掛けて、音声を相手に繋ぐ。会話を任せたいところだけ、あらかじめ準備しておいたコマンドをプッシュダイヤルで送信するとかして、コンピュータに代理応答をさせる……つまりはそういう仕掛けだね」

『しかし』

「調べれば分かることだよ、コンピュータのデータを消しても通話記録は残るし」

『それはそうかも知れませんが……』

「アリバイが崩れる可能性があるだけで、もう詰んでるの。警察の捜査で証拠はいくらでも見つかるはずだから、諦めて自首して欲しいんだ、ボクの思いとしては」

『ですが』


 水面が息を飲んだ。ひゅっという音が、谷中の耳に届く。


「……みちるさん?」

『しかし』

「ああああ」

『それはそうかも知れませんが……』


 なんだこれは。

 水面が打ち込んだ適当なメッセージに、御堂が少し遅れて、意味のない応答を返している。


「やられた——谷中くん!」

「な、なんだ?」

「いつの間にか、みちるさんじゃなくてプログラム応答に変わってる! どうしよう、みちるさん、何をしてるんだろう……工学部棟に行かなきゃ!」


 慌てふためいて、立ち上がった水面。

 その時には、谷中も状態を理解した。今、水面とやりとりしているのは人間ではない。逆に言うと、御堂が何をやっているかは分からないということだ。

 だが、谷中は駆け出そうとした水面の前に立ちふさがった。


「何するの! みちるさん、もしかしたら……そんなの嫌だよ!」

「待て、落ち着け! お前は、ここから電話でもなんでもいいから向こうの先生でも誰かにすぐ連絡しろ。あっちまで走ったって、階段もあるし、軽く十分はかかる……それじゃ間に合うとは限らないだろ、だから——向こうには俺が行くから!」


 そう言い残すと、水面が頷くか頷かないかのうちに、谷中は駆け出した。

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