s/第8話/007/g;

 夜も更けて、辺りが見づらいほどの暗闇の中で、谷中に水面がせがんでいた。


「連続でなんて、やめとこうぜ」

「そんなー。谷中くんなら全然問題ないよねー?」

「いや、俺ならとか関係ないし。誰だって一緒だって」

「なんだよー。もっと楽しもうよ~」


 ……酔っ払い相手は、時々疲労感を感じる。


「はしごで二軒呑みに行くとか、そりゃ水面は楽しいかも知れないけど、酒飲む訳じゃない俺を連れてかれてもさ……」

「いーじゃん、奢りだよー? っていうか、お腹が一杯になったら用無しですか? 水面は悲しくて泣いちゃうぞー」


 くそう。

 谷中は嘆息した。


「わーった、分かったよ、もう一軒付き合えばいいんだろ?」

「そうこなくっちゃ! 流石はボクの友達だね!」


 水面は、がしっと腕にしがみついてくる。

 いつぞやと同じように、このぐらいまで接近されると、谷中の煩悩は、伝わってくるあれこれに惑い、刺激されてしまう。流石、と持ち上げられるほどのことは何もしていないと分かっているのに、少しだけ気分がよくなってきた。


「次はどんなお店がいいかなー?」

「……」


 お酒も飲めてゲームもできて、ついでに休憩できるところに行こうか、という台詞を思いついて、頭を振った。


「うーん、どこでもいいな、俺は」

「主体性が足りないぞー」


 悩んでいた風を装ってみたら、あっさり騙されてくれたようだ。

 先日といい、水面はアルコールが入ると、てきめんに判断力が落ちている気がする。この状態に付け込まれたらどうなるのか……と思うと、他人事なのにやや不安なくらいだった。


「じゃあ……その辺の居酒屋にしようかー?」

「居酒屋好きだな」

「ざわざわした感じがいいの、明るくて楽しい雰囲気。バーとかはあんまり合わないなあ」


 へえ、と頷いた。

 谷中はバーに行った経験はまだない。映画やドラマなどのシーンを回想してみたが、確かに騒がしくて楽しそう、という雰囲気ではないようだ。


「まあ、任せる」

「ういうい、りょーかい」


 正直、どこでも良かった。水面と話しているのは楽しい。支障は、水面が飲み過ぎてくると、大丈夫なのかと不安になるのと、多少会話が煩わしくなるぐらいだった。

 後は、一人で楽しそうに酒を飲んで煙草を吸っているのが、少し羨ましく思えることか。谷中が酒を頼むと、水面が取り上げてしまう。そのせいで、いっそう彼女の酔いが進んでしまうので、もう諦めた。


「来年になればな……」

「ぇう?」


 どこから出したのか分からない声で、水面が反応した。


「いや、早く年取りたいなと思って」

「うわー、それは敵発言だなー」


 けらけらと笑う顔を見て、谷中は微笑んだ。

 本当に、楽しい。


「おうおう、その自信ありげな笑みはなによー? 本気で怒るぞー?」


 これ見よがしに握り拳を固めてみせる水面から離れながら、谷中は言った。


「なあ——さっきの話だけど」

「ん?」


 拳を振り上げたままの格好で、止まる。


「ほら、例の事件を調べてみようって話」

「ああ、あれねー。……ん、決心ついた? ひょっとして」


 頷きを返す。


「水面先輩をお手伝いしようかなあと思ってさ。若輩ものの俺としては」

「な、なんだとー。ちぇ、喜んでいいのか怒っていいのか、分かんないやーい」


 言葉とは裏腹に、大きな瞳をきらめかせて、満面の笑みを形作っている。


「まあ、よろしくな」

「肩すかしだなー。でも、よろしく、そして、ありがと!」


 この笑顔のために努力するのも悪くない、と谷中はそう思った。

 そして、ふと。


「……でもさ」

「なーに?」


 首を傾げる水面に、谷中は気になったことを聞いた。


「もし、殺人だとして……殺人犯がどこかにいるんだとすると、下手にいろいろ嗅ぎ回ると危険なんじゃないか?」

「それはー。最重要容疑者の谷中さんからの警告ですかー?」

「いやいやいや、そのネタから離れようよ」


 谷中のツッコミを受けて、水面は唇の下のくぼんだところに、白い手袋に包まれた人差し指の先を当てた。


「うーん……そうだねー」


 歩みまで止めて、数秒間悩む仕草を続けて。


「——まあ、なんとかなるんじゃない?」


 と、ひどく緊張感が抜けるようなことを言った。


「そんなんで大丈夫かよ……」

「まあ、いざというときはキミを頼りにするさー」

「え」


 声が上擦ってしまった。


「嫌なの?」

「いや、別にそんなことは、その、ないけど」


 上目遣いの水面に見つめられる。

 からかわれているのか、そうでないのかが分からない。そんな谷中の前で、水面は偶然かどうか、声を震わせた。


「友達……だよね?」


 う、と息を飲む。


「不詳、この谷中、いざというときは水面を助けると約束しますです」


 冗談めかすことで本心が悟られないようにと願いながら、谷中は言った。その願いが天に通じたのか、水面は声を上げて楽しそうに笑っていた。

 ……本当に頼りにされることがあったら、協力ぐらいはしてやろう。

 この夜、谷中はそう心に決めた。

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