第2話 中編
大学に入り立ての頃、文芸サークルの先輩達は『新入生歓迎会』と称して次々と合コンを開催していた。関わり方が分からないわたしは、イエスともノーとも言えずに流されていた。
他校の新入生と繋がりがあったのか、先輩達は様々な人を呼んでいた。
今回の合コンでは、有名人である芹沢卓が来るらしい。
遊び好きの先輩達がこう言っていた。
「芹沢卓ってのが外れだから、そいつとは話すな。金が勿体ない。暗いからすぐ分かる」
実際始まった歓迎会は、とても楽しそうに見えた。
先輩方も他の新入生も、楽しみたいという欲を押し出していた。それは悪くはない。
良いことなんだけど、自分の狙った人以外は構わないというのがなんだか嫌だった。
ここは、友達作りの場ではないらしい。
あわよくばお持ち帰りで、彼氏彼女が欲しいだけなんだ。
ステータスが欲しいだけだから、明るくて話しやすくて――要するに、社交的な人達に注目がいく。見た目が良いなら誰でも良くて、付き合っては変えていく。
だからこんなふうに簡単に話しかけることができて、垢抜けているんだ。
わたしは誰かと話すことを苦だとは思わないけれど、もうちょっとだけゆっくりと喋りたい方だ。なんだか忙しなくて、嫌になるなあ。
愛想良く笑って、相づちを打って、ただそれだけ。
どさくさに紛れて帰ろうと思っていたとき、噂の芹沢卓を見つけた。
端っこの席に座ってチビチビとビールを飲む彼は、とても疲れているように見えた。
手元にある小皿には、最初に配った枝豆が載せられていた。もう食べてしまったのか、皮だけが載せられていた。食べ物を配った隣の女の子、萌(もえ)ちゃんだったかは、目の前にいる男の子と喋るのに夢中になっている。
わたしは自分の小皿におつまみを載せて、彼の隣に向かった。
幸いにしてみんな気になる人と喋っていたし、元々居たであろう萌ちゃんは向かい側の男子の隣に移動していた。
「持ってきたけど、食べません?」
「ありがとう」
そう言いながら彼は、鬱陶しげに伸びている髪を手で払った。
女であるわたしより白い指だ。
全体的に白くて、何処か頼りない、というより、彼の存在そのものが希薄に見えた。
冷めてきているフライドポテトを口に頬張り、それからジンジャーエールを口に流し込んだ。あー美味しい。
彼はそれを横目で見ながら、ゆっくりと話し出した。
「にしても珍しいなー」
「何が?」
「わざわざ俺の隣に誰かが来るとか、あんまりないからさ」
「でしょうね」
苦笑いでそう返すわたしに、彼はくぐもった笑い声で応じた。
「なんで笑ってるの?」
「いやいや。初対面で皮肉を返すかーって」
「言わない方が良かった? 褒めましょうか?」
きっと彼は醒めている。周りの人と何かが違っている。
「褒めて煽てて木に登っちゃったらどうするの?」
「どうしましょうね」
少し考えるフリをして、わたしは首を振った。
「そもそもわたしなんかの言葉で登らないでしょ?」
切れ長の目を少し見開いて、また彼は笑った。
「そうだね。俺は自分の位置を知ってるから、高望みはしないよ」
「貴方、ノリ悪いって言われるタイプだね」
「なんだそりゃ」と眉を上げてから、「まあそうだけど」と頷いた。
彼の言葉のチョイスが面白くて、もっと話していたかった。
この一夜限りの合コンで終わりになんてしたくなかった。
自分から誘うなんてことをしたことはないけど、ほんの少しの勇気を出すだけだ。
「もうそろそろお開きだね」
「次行くの?」
「ううん。行かないよ。わたしは数合わせに来ただけだから。最初だけ参加すればあとは自由だし、そもそもこういうのは好きじゃないし。貴方は?」
「同じ。こっちの幹事さんに無理矢理。『一人変なヤツがいるとライバルが減ってその分俺らに女がよって来る』とかなんとか。そういうの大っ嫌い。まあ、タダで飯食わせてくれるからいいんだけどさ」
彼の声は、どうやら低いらしい。周りのキンキン声に混じると余計にそう思う。
「変じゃないよ。全然。わたしは話してると楽しいよ。てか、大っ嫌いなんだ?」
少し取っつきにくい感じがするし、実際に物言いははっきりしているから、付き合う人を選ぶかもしれない。けれど、わたしは不快じゃない。
「嫌い。グロテスクとまで言わないけど、なんか醜いし汚い感じがするじゃん。『エゴ丸出しです』みたいな」
何処までの理解ができるのか、わたしにも分からないけれど、言わんとしているニュアンスは感じ取れた。
みんなはとても楽しそうで、綺麗に映っているけれど、その中に渦巻いているのは欲望だ。薄っぺらく、引き延ばしただけの見栄。
ここに来たわたしに、それを否定したり論じたりする資格はないのかもしれないが。
「じゃあ、わたしも汚いね」
途端に自分を卑下してみたり、なんて面倒な女なんだろう。けど、彼なら『汚い』と言ってくれる。きっと糾弾されたい。周りに流されてここまで来てしまった自分を変えてみようと思った。そのきっかけに、この弱い心を蹴り飛ばして欲しかった。
はっきり言われれば、変われるような気がしたから。
「そうだね」
彼はわたしの目を見て、一呼吸する間もなく告げた。
やっぱり言われちゃった。
自嘲気味にため息を吐こうとしたけど、それは許されなかった。
彼がまだ言葉を紡いでいたからだ。
「でも、君はずるいよ?」
「何が?」
「俺に批難してほしいですよって、そんな目をしてた」
見透かされている。
「だから、俺は言ってあげない。この付き合いが、こういう合コンが嫌なら嫌って言えばいい。なんとなくで頷いて、なんとなくで喋って、どうして、そうまでして一緒に居ようとするんだ?」
それこそ、『嫌になる』ほど正論で。
けど、彼の眼差しは優しかった。子供を諭すときのような、そんな目。
だから言えてしまう。言ってしまう。
「一人になるのが怖いからだよ。貴方は怖くないの?」
「どうだろうな」
彼は軽く俯いて、何度かかぶりを振る。
「俺は親に仕送りしてもらっててさ」
話がどう繋がるのか分からないけれど、わたしは相づちを打った。
「タダ飯だからここに来るけど、そうじゃなかったら来たくないわけ。みんなはどう思うか知らないけど、まだ俺らは学生じゃん。親の金で飯食ってるのに外食ばっかなんてさ。なんかおかしいと思う。でも、百歩譲ってそれは許すとしよう。けど、未成年がビール飲むってのはいただけないな。もしばれたら親に申し訳ないとか思わないのかな」
あれ。貴方が今飲んでるのは何?
「……これ? ノンアルコールってヤツ」
「美味しい?」
「すっげえ不味い」
顰めっ面でそう言った。
長々言うのはあれなんだけどさ、と前置きし、彼はまた語ってきた。
「自分でなんでもできるわけじゃないから、だからこそ大切なことがあると思う。学生って身分だから遊んじゃえ、じゃなくてさ。そういう身分だから真面目にしなくちゃならないと思うんだ。そりゃ染まっちゃえば楽なんだろうけど、俺は嫌なんだ。なんにも尊敬できないヤツと遊んでそいつを友達って呼ぶより、気の置けるヤツ数人でいいから、そういう奴らが欲しい。だから、一人でいるのは別に構わない。心が孤独じゃなければ、生きていけると思う」
周りに染まらないで生きていくのは、どれだけの強さを必要とするのだろう。
「心が孤独じゃなければ、生きていける」
噛み締めるように、口に出していると、彼はニヤニヤと笑いながらこちらを覗き込んでいた。
「俺、かっけえな」
「ばかじゃないの」
「馬鹿だよ」
バッグに入っていた文庫本――お気に入りの一冊だ――それをビリビリと破って、わたしはそこにメールアドレスを書いて、それを彼に手渡した。
彼がそれを手に取るとき、一瞬だけ間があったような気がした。
サラサラとしている前髪に隠れて、彼の表情は見えなかった。
だから、何を考えているのか分からなかった。
醜いと思うのか。汚いと思うのか。それとも戸惑っていたのか、わたしには分からない。
「嫌だったら捨ててね」
「ホントに嫌ならもう捨ててる」
俯いたまま彼はそう言って、軽く息を吐いて、早口で。
「あとでメールする」
掠れたような声でそう呟いた彼は、立ち上がって帰っていった。
それがわたしと卓の出逢いだった。
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