#19 (知りたいのならば自らこじ開けることよ。)
入学する前に僕は、見え無い者が見えて聴こえない事が聴こえていた事から、家族にお前は悪魔に取りつかれている。悪魔を祓わなきゃいけないという事を思い出した。
これを思うだけで伝わっているのかな、と思いながらクルスを見ると、クルスはにこりと笑った。「家族が大変だったんでしょう?」
伝わった。でも思うだけなら伝わるのなら、山で悪魔に語りかけるのと対して変わらないじゃないか、と思った。
「あなたは私が語りかける心のコトバが聞こえないでしょう?」
はい。
「つまり聴こえてないの。だからまずは言うだけ言ってみるのよ。子供みたいにね、ママー、こんなのできたよー!ってね。そうやってコミュニケーションは養われていくの。」
そんな幼い子供のように扱われているなんて、僕はちょっといやな気持ちになった。
「冗談、冗談だから。さあ、続きを聞かせておくれ。」
そして僕はネイスンの話をした。彼は当初僕にすごく鬼気迫る執着をしていたこと、歌のレッスンをしたときに唐突に接吻をしてきたこと、そして僕の事が好きになってしまった事、それで一度は僕を悪魔呼ばわりし、僕がそれに怒った事。でもそれ以来深い友人としての仲を築けた事。
「いい話じゃない。」
クルスはネイスンの同性愛について何も思わないのだろうか。いや、特に否定しそうになかったから思ったのだけど。
「虫だって同性愛はあるのだし、なんの不自然な事でもないわ。」
そんな事は知らなかったし、一体この人はどういう価値観で生きているのだろう、とも思う。この人は少なくとも、アリュヌフの神以外に真実がある、という信念があるのは確かである。そう思う。
「ちなみに私も同性に告白された事がある。ていうかなんか女の子に好かれてしまうのよね。」
なるほど、でも分からなくもない、と僕は思いつつ、続きを話す。
思い出せば、自分があれほどまでに歌に傾倒した一つの理由は御業集であった。アリュヌフの神は背いた者に大きな裁きを下される。だから罪深い自分はアリュヌフの神に喜ばれるはずの才能に執着したのだ。御業集を読むキッカケを与えたのはアルバントであった。その話をするとクルスはくっくっくと笑い出した。
「あいつは4年生のうちからああやって、下級生に御業集を読めって勧めてばかりいるの。そしてビビった所でアリュヌフの神を求める事が大事だと説き伏せて、下級生に仲間をどんどん作っているのよね。ランチャとか。」
それで思い出した。アルバントが悟者になった事。
「知ってる。」クルスは言った。「いずれ秋ごろには学院生の代表になって色々規制が変わると思う。あと、卒業までにはありとあらゆる手で私を結婚相手にするようにたくらむでしょうね。」
僕はショックだった。クルスは言う。「私はあんなやつと結婚する気なんかないわ。」だってあなたのことを愛しているんですもの・・・・・・「いやあね、何都合のいいこと考えているの。」クルスは照れ笑いしながらそう言うのを聞いて、僕はふとわが身を振り返り驚いた。今の思念、『だってあなたのことを愛しているんですもの。』は自分の中ではクルスの声のような気がした。それは僕が考え出したもの?でもそんな気はしないのはどうしてだ。クルスが嘘をついているのか?僕が考え出したものという嘘をついたのか?
「人間、情報を都合のいいように編集する生き物よ。だから、何が嘘か、本当か考えていると今起きている事に置いていかれるよ。」クルスは言った。「さあ、続きをきかせてよ。」
はぐらかされたような気がしつつ、僕は神殿でデューリッヒが死んだのを目撃した事、そしてそれでアリュヌフの神を観てしまい、ナーディア先生にこっぴどく鞭打ちをされたこと。その時のナーディアの告白。鞭を打つ快感を神秘だと思いこんでいる事にゾッとしたことなどを伝えた。
そして課外授業でメンフィス・ソルトボーンが現れてその場を奪ってしまった話 をしたら、「さすがメンフィス、かっこいい!」とクルスは憧れの存在に悶えるように眼を瞑っていた。僕は少しやきもちをやいた。
その後、秋の祭典でドーファ・ミンソラドンが突如発狂し、自分こそ神だと言いながら暴れ回った事について、僕はよくわからなかったが、「ドーファ、傷だらけだよね。」とクルスは言った。確かにあの頃のドーファは傷だらけだった。その理由を思い出すと夏休みの暗唱課題で彼だけ失敗しすぎてナーディア先生に鞭を打たれて保健室送りにされていたのだ。「可哀想に。おかしくなってしまったのね。」そうだ、やっぱりそうなんだ。ドーファは悪魔に取り付かれたのではない。もともと彼は反攻意識があったが、それに酷い暴力を受けて、何もかもが許せなくなったのだ。
これらの事から、悟者といいながらそれに値する高次の人間は少ないのではないか、とふと思い当たった。その代わり圧倒的暴力で統制している。
「今更気づいたの?」クルスはまたあざ笑う。「あの学院はそういう場所よ。」
やっぱり。間違った者が横行している事実をアリュヌフの神は悲しまれているに違いない。
「アリュヌフの神も暴力で統制しているわ。」
・・・・・・・。
「まあいいわ。続けて。」
そして秋の祭典で一人聖歌隊が失われ、デリンジ先生から召集される。僕、ネイスン、ランチャ、あとアリス・マクガナータとケレボルン・マインタッカーというあまり話したことの無い人たちが選ばれた。
その後は・・・言うまでもない。アリュヌフの神の前で歌って、僕だけ声変わりで声を奪われ、ネイスンが選ばれてしまったのだ。
「そして今に至ると。」
そうなのです。そう思ったが、なんだかクルスだけが独り言を言って僕がじっと考え込んでいるだけのようで居心地悪い。クルスもものを言わなくなって僕を見つめている。この人は一体何を考えているのだろう。僕はクルスに対してそれが気になる。知りたい?クルスからそういわれている気がした。(知りたい?) 知りたいです。(知りたいのならば自らこじ開けることよ。) 僕はクルスの中身が気になった。知りたい。向かいます。いつのまにか僕はテーブルから身を乗り出し、クルスの深い目を見つめながら接近していた。その事に気づいてどきどきとしてしまい、唇と唇を合わせたくなって、さらに顔に近づいてしまう。するとクルスは人差し指を僕のくちびるにあてて、「だめよ、まだよ。ぼうや。」と言う。そのまま、人差し指の僅かな力に押されて僕は後戻りする。そして僕は椅子にゆっくり座ると、クルスはその人差し指の裏側に軽くキスをした。
「ごめんね、さっき嘘ついたの。」クルスは言った。「私、あなたのことが好きよ。だから、もっと大人になってほしいの。」
僕はなんとなく、クルスが向ける感情が自分には思いもよらぬ深い愛であるような気がして、浮いた気持ちになるのと同時に涙が出そうであった。一体なんで僕にそんなに大切にしてくれるのだ。
「あの灰降る園の、香壇の花壇で一目会った時、私は分かった。この子は、この暴力の狂気に満ちた学院を正すほどに強い力がある。でも狂気の真っ只中に入ろうともしている、と。」(でも私は見誤ったらしい。この子はほっといてはいけなかった。だからこれ以上ほっとけなかった。私だって愚かなんだ・・・)
その言葉と同時に感じるクルスの後悔の気持ちに僕はひどく申し訳ない気持ちになった。結局自分は逃げていたのだ。
「いいのよ。」(いいのよ。)「これから一緒に話せばいいのだから。」(あなたと話すのは楽しいから。)「また話しましょう。」(あ、鐘が鳴ったわ。)「じゃあ行きましょう。」
クルスは立ち上がり、僕も立ち上がる。ともに山道を歩くが、前を行こうとするクルスの意思以外は何も聴こえない。というか、いつのまにか自分は当たり前のようにクルスの心と話できるようになっていた。
(今はそれでいい。)クルスは言った。(通じ合える事が大事。)
通じ合う・・・ごく簡単に、相手の目的を察する事が、人の心を読む事なんだな、という事に僕は合点がいった。
(そうよ。何ら不思議なことではない。私達が少し極端なだけ。)
クルスと心で会話できる事は嬉しい。が、これが偶然の高揚のように過ぎず、ある日途切れないか心配である。
(気にしなくていいのよ。そういうときもある。それだけで十分。私はあなたの心の声を聞けるから、私の声が聞けないときは好きに喋ればいいのよ。)
そういう、ものなのか。
(私を信頼しましょう。)
はい。
「お帰り。」夕方、寮母のマルデナがにこやかに話しかけて来た。「最近元気そう でいいね。」
僕はにこりと頷きながら、例えばこのマルデナばあさんの心を観ることができるのだろうか、と思った。心を覗くモード、のようなものを考えてイメージしたが、 全く見えない。残念無念と思いながら寮の中に入った時に、そういえばクルスの心の声は実に自然に聞こえてきた事を思い出した。むしろこういうのは見るぞ見るぞと躍起にならず、自然な気持ちでいた方がいいのかもしれない。
寮の中でケイブ・サルベンダが僕をみていた。彼の目は相変わらず蛇のようで不気味だ。僕はケイブの隣に座る。ケイブは会話板で書いて僕に見せた。
[最近陽気なようだが、何かあったのか。]
僕も会話板で返答した。[ちょっと話し友達ができてね。]
[羨ましい。] ケイブは会話板のノズルを回す。[俺なんか時々友達に会いたくて学園うろついたりするんだが、昔は取り合ってくれたが、最近じゃあ冷淡になってきてね。]
僕はその話を聞いて少し心がズキリとした。クルスは捨てる事はなさそうだが、ネイスンもそのうち冷淡になったりするのだろうか。
[アルバントやクルスと同級生なんですよね。] 僕は訊ねた。
[おや、知っているのか。アルバントは言うまでも無く大嫌いな奴だ。教典覚えてない奴を指してはすぐに小馬鹿にするもんでクラスの皆に嫌われてる。] そしてノズルを回す。 [やつはまあ上級生や下級生とは仲良くできるタイプなのだろう。対等なおつきあいよりも、猫かぶってる方が楽なんだな。]
結構鋭く残酷なその物言いを観て、ケイブも相当嫌われてそうだな、と思いつつ僕は話を先に進める。[クルスさんとは?]
[俺、あいつはちょっと苦手なんだ。話が通じそうなのは分かるんだがな。] ケイブはノズルを回す。[あいつと喋ってると侵略されそうな気がする。]
[そんな悪い人じゃないですよ。クルスは確かに強い人だけど、正直で感受性が強いだけですよ。]
[そうだよ、その正直さが怖いんだ。] ノズルを回す音。[お前はまだ子供だから分からないが、大人社会というのは皆がナイものをアルものだと嘘をついて支えあ ってるんだ。アリュヌフ学院だって例外じゃない。] ノズルを回して文字が消える。[あいつはそういうのが分かっていないというか、分からないというか、とりあえず俺はそんなあいつが怖い。大人社会の均衡を壊しかねない。]
この人も自分に負けず劣らずこじれているな、と僕は思った。アリュヌフ学院を嘘ごとだと言い切っている割には、その嘘の中にいなければ生きていけないという恐怖も同時に抱えている。それぐらいは言葉の中から容易に推察できるのだが、さらに、この人の心はどうなっているのだろう?という興味も沸いてきた。僕はケイブをじっと見つめるが、何も聞こえて来ない。
[ていうか、] ケイブはノズルを回した。[お前もしかして最近クルスと話しているのか?]
逆に自分の意図の方を読まれてしまった。僕は慌てる心を抑えながら [そんなこと ないよ。] とゆっくり書いた。
[嘘をつけ。大丈夫、他の人には絶対言わないから。] ケイブは蛇の目でニヤニヤ するのでちょっと不気味である。[歳上がタイプなんだな。]
[何ヘンなことをいってるんですか。違いますよ。] その文字を観て、フーンといいたげにケイブはニヤつきながら僕を見た。
「そりゃ疑いながら見たって見えるわけないでしょ。」
ケイブとのやり取りを伝えるとクルスはきっぱり言った。「読心なんて音をつかったコミュニケーションと大して変わらない。あたりまえのものと思わなきゃ使えな い。」(まだお馬鹿ちゃんね。)
僕はむくれた。まったく、『悪魔』の声が聞こえるまではまだまだ遠いようだ。
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