#08 「お前は利用されている。いい加減眼を覚ませ。」
「すごく率直に聞いていい?」
ある夜、声変わりしたネイスンに歌のレッスンを施した後、彼は唐突に僕に尋ねた。
「うん。」
「サリア、何か最近ずっと悩んでない?」
「え・・・」
「僕が相談に乗るよ。」
悩んでいる事はある事にはあるが、それはあまりにも・・・
「特に無いよ。」
「嘘でしょ。」ネイスンが笑う。「僕にそんな嘘は通用しないよ。」
「・・・君には言いづらいのだ。」
「やっぱりね。君は誰かに恋してるんだろう?」
「え!」僕は激しく動揺した。
「ランチャ?」ネイスンは訝しげに尋ねる。
「いや、彼女じゃない・・・」言いながら恋を認めている事をうっかり口を滑らせている事を苦々しく思う。
「なら何でもいいや。」ネイスンはヤレヤレと首を振った。こいつちょっと偉そうになったな、と僕は思った。
「で、誰なの?」
ネイスンにそう問い詰められて僕は答えざるを得なかった。「5年生の、クルス・
ザンドラ先輩・・・」
「クルス・・・かあ。僕知らないなあ、ごめん。」
「僕が悩んでいるのは、その、彼女に恋することが、アリュヌフの神の意思に違反するんじゃないかと思って・・・・」
「まあそこが難しいところだよね。アリュヌフの神が最終的に決めるからね。」
「そう神の意志に委ねるなどと割り切れない・・・」
「思い切って打ち明けてみたら?僕みたいに。」
「ええ・・・。」
「そしたらスッキリする事もあるかもよ?」
「しかし・・・でも・・・」
「ちょっとそのクルスって人、僕に見せてよ。」
「どうして?」
「サリアがどんな人が好きなのか僕も知りたいからね。今まで君そんなことなかったから。」
そして翌日の夕方にネイスンと歩いていたとき、僕はクルスの長身を見かけてド キリとした。「ネイスン・・・あの人・・・」はるか遠くにいるクルスはスケッチ帳で何か書いている。相変わらず服装は男装である。「へええ、あれがサリアの好きな 人かあ。」ネイスンは眺めながらニコニコ笑った。「なんで男の制服しているのだろう。なんだかかっこいい不思議なお姐さんだね。」僕はすっかり顔が熱くなってしまった。「おや、僕らに気づいた様子だよ。」見るとクルスが遠くの方からこっちに向かって歩いてきた。
「やっぱり何かと思ったらサリア・マークじゃない。久しぶり!」
僕は怯えながら「ひ・・・久しぶりです・・・クルス先輩」と言った。クルスはニコリと微笑んで隣のネイスンに話しかける。
「サリアくんのお友達?」
「はい。」ネイスンは答える。「ネイスン・チルレアです。」
「私、クルス・ザンドラ。よろしく。サリアくんどうしたの?」
「彼はまあ、色々と、うん。」ネイスンはちょっと口ごもった。「クルス先輩、サリアとはどこで知り合ったのですか?」
「バッタリ会って、話しかけてって感じよ。」クルスは答えた。「でもどうしたのかな?彼。」
「・・・・。」僕は言葉が思いつかなかった。
「あ、いっけない。」ネイスンがカバンを見ながら言った。「僕やらなきゃいけない宿題あったんだ!またね!」そうしてネイスンは僕にウインクしながら去っていった。あれは、宿題は、嘘だな。
ネイスンの策略により僕はクルスと二人きりになってしまった。クルスは不思議そうに「どうしたのー?」と話しかけるのだが話題が思いつかず「きょ、今日は、 いい天気・・・ですね・・・」と言った。クルスはくすくす笑って「なに急にかしこまってるのよ。悩み事でもあるの?」と聞かれたので「ま、まあ。」と言ったので クルスは「じゃあ散歩でもしましょ。気が晴れるかもしれないし。」と言って前を歩いた。僕もついていく。
灰降る校庭ではスポーツに興じる学院生たちがいた。この学校独特のスポーツで、ボウリングの玉をテニスボールにしたようなルールである。ボウリングのピンはネットワークから生まれた悪魔を象徴して、それを投げる事でアリュ フの神への信仰心を試す競技であった。その様子を傍目で見ながら、僕とクルスは長い間歩く。校庭から次第に誰も人気の無い香壇の裏側に着く。クルスが先に歩いていたので僕はクルスの後姿を見つめていた。その背中とお尻がとても愛おしく感じたのでダメダダメダダメダと心の中で被りを振る。するとクルスがくすすと笑っ て立ち止まる。
「あのさあ。」クルスが振り返った。「何か言いたい事あるんでしょ。」
ネイスンといいクルスといい、どうしてこう分かったように突いてくるのか。 「え、いや、その・・・」
「なあに?」
「・・・・」
僕はクルスの方に真っ直ぐ歩いた。そしてクルスの両手をやわらかく掴み、膝立ちして「好きなんです・・・」と言いながら泣き出してしまった。
「ふふふ。」クルスは笑いながら僕の背中を優しく叩いた。「いつからなんだい?」
「1ヶ月前に話して以来・・・」
「そうかそうか。」
「その、あの、その・・・」僕は今から馬鹿馬鹿しい事を言うというのを知りながらそれを止める事はできない。「僕と、お、お付き合い、とか、できますか?」
「うーん?」そういいながらクルスは僕の背中を優しく叩く。「気持ちは嬉しいけ
れど、それには応える事ができないな。」
「そんな・・・・」
「あんたまだまだガキンチョよ。可愛い、とは思うけれど、お付き合いというとちょっと違うな。」
「・・・・・ですよね。」僕は沈黙した。
「そんな落ち込まないでよ。キライになったわけじゃないし、私はサリア君の事はそれなりに気にかけているんだから。」
「どうして・・・」僕は言った。そう言えば疑問だったのだ。「どうして僕にそん
な気をかけてくださるのです?」
「アリュヌフの神が私に気をかけるのと似ているのかもね。」
「え?」
「まあいいわ。」クルスは首を振った。「あなたがもしももっと色々知って大人になったら、考えない事もないわ。」丁度その時夕飯の鐘がなる。夕陽に灰が舞い散っ ている。「じゃあね。」クルスは僕の手を離して後ろを向きそのまま去って行った。
夜寮に行った時に、ネイスンが声をかけてきた。
「あの後楽しく会話できたかい?」
「・・・・・・。」僕が沈黙してたので、ネイスンは「そっか。」と言って、何も言わずに肩を叩いた。「お疲れ様。」
ネイスンは今は自分の事をどう思っているのだろう、と僕は思った。似たような苦しみを彼も味わったはずである。前よりも友達らしいというか、淡白な関係性になっているのはにわかに感じ取れる。ひょっとしてこの気持ちってそういう一過性のものなのかなあと思う反面、クルスの最後の言葉が気になってしまう。
『あなたがもしももっと色々知って大人になったら、考えない事もないわ。』
クルスによれば僕はまだ幼稚で無知ならしい。しかし4歳も年上なのだし、単純計算で自分が成熟した頃にはクルスもさらに成熟しているのではないかと思ってしまう。ずるい。はぐらかされた、そんな気持ちさえ沸いて来る。そしてはたと、クルスへの気持ちはアリュヌフの神が望まれる事だろうか、という最初の問いに帰る。 クルスの前ではその疑念を口に出す事さえできなかった。というかすっかりアリュヌフの神のことが頭から抜けていたのだ。一体それは何故か。やはりクルスはアリュヌフの神を忘れさせる悪魔なのか。アリュヌフの神を誘惑して気に入られているということだろうか。
『アリュヌフの神が私に気をかけるのと似ているのかもね。』
この言葉も気になってしょうがない。クルスは僕にとって神のように振舞っているという事だろうか?それはちょっと違う気がする。クルスはアリュヌフの神と非常に親しげなように言っている。僕はそれが不思議でしょうがない。
翌日朝に寮を出ると「おはよう」とクルスが声をかけたので、「あ、お、おはよう」と僕はビクビクしながら応えた。クルスはフフフと笑って「堂々となさいよぼうや」と言ってさっさと校舎に向かっていった。ちょっと悔しい思いをしながら先を歩くと、後ろから肩を掴まれた。「なあ。」誰かと思ったら優等生の上級生であるアルバント・キンベルクであった。「ちょっと話いいか?」はいもいいえも言わないうちにアルバントの強い力で引っ張られ校舎の裏側に連れ込まれた。
「あのな、」アルバントは頬についた灰を振り払いながら言った。「昨日の夕方、クルス・ザンドラと校庭で歩いていたのを見たんだが、何を話していたんだ?というか何でそんな仲良しそうに知り合ってるんだ?お前何を考えてるんだ?」
一挙に質問されて僕は混乱した。「あの、その、どう言う事です?」
「クルスは危険分子だ。」アルバントは言った。「お前は知ってるかわからないが、アリュヌフの神が何故か彼女を甘やかしていて先生が手を出そうとしていない。彼女は色々と不穏な噂があって何をしでかすか分からない。そんな奴とつるんで何をたくらんでいる、お前?」
「いや、その、そんな深い意味は無く、ただ仲良くさせて頂いているだけで・・・」
「あいつが他の人とつるむのを始めて見たぞ。どこで知り合った?」
「花壇の水遣り当番で夜歩いていたクルスさんに声かけられました。」
「ふーん、目を付けられているというわけか。」アルバントは僕を睨んだ。「クルスは誰からも指導を受けていない状態だ。そんな奴を放置しておくのは彼女自身のためにも、そしてアリュヌフの神全体のためにもよくない。誰かが彼女をコントロールする必要がある。お前は利用されている。いい加減眼を覚ませ。」
アルバントの言い分を聞いて僕は混乱をした。「クルス先輩とは時々ばったり会って話すだけですよ?利用もなにも・・・」
「では今後は関わらない事だな。」アルバントは言った。「僕は、君が僕の教え子 のランチャををたぶらかしているだとか、君のそばに神にそむいたおホモ達がいるとナーディア先生に告発する事だってできるんだぞ。」
僕は青ざめた。まったくわけがわからない。たかがクルスと話す事でそこまで人を巻き込んでまで脅す必要があるのだろうか。というか、ネイスンの事はどこで知ったのだろうか。
「どうして、そんな・・・クルス先輩がそこまで危険ですか?」
「ああ、そうだ。」 僕はすごく悲しい気持ちになった。「そうなんですか・・・。」
「そんなに仲良くなりたいんだな。」
「え、そんなことじゃないです!」僕はなぜか慌てて打ち消してしまった。「少し変わり者だと思いますがいい先輩だと思っていたので・・・。」
「ま、どうでもいい。」とアルバントは吐き散らかすように言った。「そんなわけ
で、よろしく頼む。」
アルバントは去っていった丁度その時、僕の頬に灰がついた。
「さて、今日は夏休み前最後の授業でした。」デリンジ先生はニコリと笑った。「親 御さんに立派な歌を届けてあげてください。きっと喜びますよ。」
「夏休みの宿題として」ナーディア先生は言った。「サルトー・ランドサン修道士が指定した教典部分を全て暗記すること。また、学院を離れても良きアリュヌフの民であるよう夏休みのしおりをよく読んでください。わかりました?」
「・・・・はい。」
「声が小さいよ?」
「はい!」
「よろしい。」 ナーディア先生は皆が怯えて大声出すのを見て神の力に満たされるのを感じたらしく満悦の笑みを浮かべていた。
「夏休みかあ。」ネイスンは家族が迎えに来る校庭を歩きながら言った。「僕達、住むところ遠いからしばらく会えないね。」
「あ、ああ。」アルバントの言葉を思い出して僕はぎこちなく返事をした。ネイスンはすっかりテノールの声が定着している。 「よかったら文通しようよ。住所交換してさ。」
「そうだね。」
「あ、サリア、ほら、いるよ。」 ネイスンが肩を叩いて前を指す。クルスだ。僕は顔を背けて脇の方向に歩いていった。
「え・・・」ネイスンは困惑する。「いいの?」
「ああ。」僕は悲しい気持ちを抑えて言う。ネイスンは僕の後についていく。視界の隅でクルスが珍しく物憂げな目に光の無い笑みでこちらを見ている事に気づいて悲しい気持ちが爆発しそうであった。でもその爆発したい気持ちを意識した途端に気持ちは平静に収まっていった。これは、なぜだろう。
“・・・カタチにしたい衝動・・・カタチを無にしたい気持ち・・・人の心の全ての原理・・・”
声が聞こえて僕はあたりを見た。「サリア?」ネイスンが訝しげに聞いた。ネイス ンは全く聞こえていない、ということは、また悪魔の声が聞こえてしまったのか、と僕はため息をついた。せっかく学院にいったのに、そこまで悪魔が追い払われてい無い事を両親が知ったらがっかりするだろう、と僕は思った。
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