第80話 天文23年春 3


天文23年三月に時を戻す。

雪解けと同時に良之は、鍛冶師たちに命じてたたら製鉄を行わせている。

これは、いよいよ鉄不足が深刻になってきている事への応急対策だった。


加賀や越中に流れる河川は、全てが砂鉄の宝庫である。

二条軍の兵士や各領地の庶民を狩り出し、海岸や河川で一斉に砂鉄の収集をさせる。

集まった砂鉄を、たたら製鉄の知識がある鍛冶師たちに任せて製鉄させた。

玉鋼と呼ばれる鋼が含まれるケラ、そしてズクと呼ばれる銑鉄の製法の違いは、素材によって分けられる。

日本刀の素材として名高いケラは、ケイ素やチタンなどの不純物の少ない真砂と呼ばれる砂鉄のみでたたらにかけられる。

一方、赤目と呼ばれる砂鉄の場合、ズクと呼ばれる炭素含有量の多い銑鉄に生成され、これを大鍛冶場で再度精錬して炭素量を調整し、日用の鉄素材へと再加工される。


「うーん。焼け石に水だなあ」

良之は、たたら製法の親方――村下むらげと呼ばれる――たちの報告する生産量の見込みを聞いて頭を抱えた。

高値を承知で中国地方のケラやズクを博多の神屋から購入したりもしているのだが、現在の二条領の鉄の消費量と、今後ライフルを量産する事を考え合わせると、コストも高すぎ、しかも安定供給に不安が残ってしまう。

結局は、やはり行き着くのは高炉による製鉄工場の建造しか無い、と良之は思った。


高炉と聞くと、良之が思い描くのは新日鉄のような世界的な高炉だ。その全高は100メートルにも達する人類史上最大の溶鉱炉である。

だが、この規模の溶鉱炉を建造するほど、周辺技術が二条領では発展できていない。


良之はキャンピングカーに籠もって資料をあさった。

人類史上初の商用コークス高炉は、エイブラハム・ダービーの作ったダービー炉だ。

全高は4メートル程度。生産高の記録は無いが、ダービーはこの炉で生産した鉄を用いて、アイアンブリッジを建造している。

高炉自体は、確認が取れているだけでも紀元前1世紀の中国にまでさかのぼる技術だ。

高炉の存在は未確認ながら、中国の歴史学会は紀元前5世紀の鋳鉄製品が発見されたとしている。

良之が知り得る限りで日本最大の溶鉱炉は、新日鉄と住友金属の合併で誕生した新日鉄住金が所有する大分製鉄所の高炉で、全高は110メートル。容量は5775立方メートル。この規模の高炉が双子の兄弟のように二基並立し、生産量は年間1000万トンを超える。

世界最大の高炉は韓国POSCO社の高炉で6000立方メートルだが、生産量は400万トンに満たないため、実質上、大分製鉄所のこの二基が世界最高の高炉だといえるだろう。

現状の二条領の規模としては、これらの溶鉱炉の10分の1で充分である。


全高20メートル級の高炉を設計した良之は、富山と射水の中間、海老江と呼ばれる海岸一帯を候補地に定め、木下飛騨介藤吉郎に、整地と土盛り、そしてコンクリートによる土台作りを命じた。




高炉に必要な資源は、鉄鉱石の他に酸素と石炭である。

石炭に関しては、博多の神屋経由で九州の大友家の領地から輸出を受けているが、到底良之の望む生産高に至っていなかった。

高炉の操業を開始したあと、石炭が枯渇するという状況はどうしても避けたい。

良之の領有する飛騨や越中は国内有数の木材を保有している。

いざというときにはコークスの代わりに木炭が使えるのだが、それでもあっという間に木炭の在庫は尽きてしまうだろう。

高炉を操業させるまでに、石炭の安定供給をなんとしても図らなければならない。


飛騨、越中、能登、加賀の四か国にも鉄鉱石は産出するが、安定した高炉の操業という意味では、さらに多くの鉱石を収集したい。

有望な鉱山は信濃、美濃、越後に点在するが、輸送の観点からすると越後がもっとも有望だった。

良之は、早速春日山城に赴き、長尾入道宗心と面会した。

宗心は長尾弾正少弼景虎が昨年、京都大徳寺で受戒した際に与えられた戒名である。

本人は、不識庵と号している。


「御所様、ようおいでになった」

「お久しぶりです、不識庵殿、とおよびした方がいいのですか?」

「御所様は我が義兄なれば、お好きにお呼び下され」

珍しく不識庵は機嫌良く顔をほころばせた。

「それにしても、あの虎が子を為すなど、わしには未だに信じられませぬ。まこと、この一事を取っても、御所様は三国一の戦上手と申せましょうぞ」

不識庵でさえ手を焼いた双子の妹である。

「惜しむらくは、女児であった事ですな。御所様、早々に虎に男児を設けて下され。そして、願わくば、この不識の養子に下され」

不識庵は、長尾の当主に就くに当たって、生涯不犯の誓いを立て、自らに女色を禁じている。つまり、彼は後継者を未だ持っていないのである。

「さあ、こればっかりは俺がどうこうできる話じゃ無いですからね」

良之は苦笑した。


「そういえば、まもなく甲斐より武田典厩がこの越後に参るとのこと。御所様、ご臨席をお願いしてもよろしいか?」

「ああ、わかりました」

前年、良之が長尾景信と武田信廉の2人に提案した越後と甲斐の貿易問題だろうと察した良之は快諾した。

甲相駿三国同盟をかかえる武田にとって、越後の長尾との和平は、今後武田家が拡大を続けることが不可能になる重大な決断である。

その苦渋の選択を武田晴信が下したであろう事は、交渉に晴信が誰より信任する次弟の典厩信繁を送り込んできたことで分かる。


旧暦3月20日。

武田典厩信繁は、事務方の長坂、栗原、駒井などを引き連れて越後に入った。

対する越後方は不識庵の他、長尾景信、越後屋の蔵田五郎左衛門。

良之の陪席は、下間加賀介頼廉と、望月千である。

「典厩殿。ひとつお聞きしたい」

不識庵が口火を切った。

「甲斐は、駿河の今川、相模の北条と盟約を結び、いま、越後の当家と不戦を約す。当家と約定するからには上野の上杉を攻めるは御法度となるが、このこと、大膳大夫は納得して居るか?」

「はっ」

信繁はうなずいた。

「当家としましては、民が安んじて暮らせる世が来るのであれば、これ以上の合戦は不要と心得ております」

「うむ」

不識庵はうなずき返した。

「せっかくの御所様の御光臨ゆえ申し上げます。我が兄晴信、もしお許しいただけるのであれば、甲斐・信濃の地を御所様にお納めし、家臣一同、御所様の臣下として越中・飛騨と同様にお仕え致したいと申しております」

「!」

爆弾発言だった。

良之も驚愕したが、衝撃は越後方の方が大きかっただろう。

「つきましては、我が兄晴信の富山御所への訪問のお許しを賜りたく、お願い申し上げます」

「……わかりました。許しましょう。でも、どうして突然?」

「昨年、それがしと弟信廉が飛騨・越中を見聞致した折、御所様の治世には、向後どのように武田家が取り組んだところで到底足下にも及ばぬと覚えましてございます。故に、武田の家名を遺し、御所様の覇業を補佐することが、この乱世を終えた後も生き残る道と心得てございます」

要するに、晴信は弟の信繁・信廉の報告を聞き、二条良之とその領国には到底勝てないと判断したという事になる。


実際のところ、武田晴信の決断には、自ら良之に下った江馬や三木と、戦って敗れたその他の大名への扱いの差が大きく影響している。

加えて、織田の嫡男信長、斉藤の隠居である道三入道、それに、小笠原や村上の当主への扱いも大きかった。

そして、もっとも武田家の幹部を打ちのめした事実。それは、二条領の庶民の方が武田家の当主の晴信より、よほどよい衣食住の環境を持っているという厳然たる事実だった。

衣類については、さすがにまだ庶民まで武家の当主の絹や青苧の上質な品は普及していないものの、甲斐や信濃では武家でも無ければ着られないような品を着ているのである。

食で言うと、百姓階級でも雑穀では無い食糧が供給されているし、味噌や醤油、塩などの調味料、肉や魚といった副食が食膳に並んでいる。

飛騨や越中にはすでに手押しポンプが普及している上、良之は入浴を奨励し、石鹸を安価に提供していることもあって衛生状態が向上し、皮膚病の類いや疥癬などの虫害も劇的に駆逐されつつある。

加えて、伝染病なども療養所によって治療が進んでいる。

治水開墾などについても、良之がもたらしたコンクリート工法によって大きな進歩をもたらしている。

物流も、幹線道路の建設と領内での架橋によって著しい発展を遂げている。

しかも、領地を良之に献納した旧支配者たちは、代官として、もとの領主時代以上に幸福な人生を歩んでいるようにしか見えなかった。


武田晴信は、独自の情報網によって、さらに衝撃的な情報を掴んでいた。

東美濃の遠山、西美濃の斉藤の両家は、二条への臣従を考慮しているというものだった。

武田にとって、伊那の西であるこの両家が、戦国大名として拡大を続けようと思った場合、最後の機会だった。

だが、現状においてもこの両家は二条家に親しすぎて、容易に手出しが叶わぬ相手である。

ここに至って、晴信は二条家にかけてみる決心を固めた。

最後に、晴信は生母大井の方や臨済宗の高僧たちに意見を諮ったが、その回答はどれも、二条家への臣従は武田家の将来にとって明るいとの見解であった。


信濃と越後の物流については事務方に任せ、典厩信繁は甲斐に帰った。

良之は不識庵と、越後の鉄鉱山開発について協議を始める。

武田の二条家への臣従を聞かされたあと、不識庵の顔色は優れなかった。

「では、越後の鉄鉱山の開発を進めさせてもらって構いませんか?」

良之は鉄鉱石の需要と重要性、そして越後における見込みの高い鉱山について解説したあと、不識庵に確認をした。

対する不識庵の表情は暗い。

「御所様」

「……はい?」

「もし、それがしも越後を御所様にお譲りするとすれば、御所様はお受け下さるか?」


「御所様が越後を手にすれば、飛騨や越中のような豊かさを越後でも実現できましょうか?」

不識庵の問いに、良之は

「それはもちろん」

と応じた。

「それはどのように?」

「そうですね。まず、不識庵殿の知らない金銀銅や鉄、蛍石や草水、算盤石などを開削します。蒲原を埋め立てて見渡す限りの水田を作ります。これだけで越後は、食べきれないほどの米が生産できるでしょう。余った米は他国に売ります」

「ふむ。御所様が知る越後の鉱山はどのくらいおありでしょう?」

「6つ以上ですね。草水の井戸もあと5つは掘れるでしょう」

「なんと……」

不識庵は絶句した。

尼瀬の油田は、柏崎に巨万の富を与えている。たったひとつでだ。

それをさらに5つ。

不識庵は、この公卿に自分は到底敵わないと悟ってしまった。

同時に、甲斐の龍と呼ばれた武田晴信や、美濃の蝮と呼ばれた斉藤道三、尾張の虎と呼ばれた織田信秀などが、二条良之になぜ心酔しているのかを理解させられてしまったのである。

3倍近い兵力を持つ一向一揆と能登の畠山の連合軍に対し、死傷者わずか150名で戦勝した手腕を取っても、不識庵は認めざるを得ない。

しかも、戦勝後に二条軍では略奪、強姦、人身売買の全てを禁じている。

のみならず、降伏した国人たちの領地を召し上げておきながらも、彼らに充分満足させうる新たな地位、そして報酬を提供して、この時代では考えられない「領地直轄制」を実現している。

天才的な軍事指導者を3世代にわたって生み出した長尾家がなし得なかった事である。

「当家も、御所様に臣従しようと思う。家中の論を一統し、越中にお伺いしよう」

「……分かりました」

良之は不識庵の申し出を受け入れ、越中へと帰っていった。

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