第68話 天文22年春 4

能登、加賀、それに越中一向一揆衆からの二条領への人口流入が増えている。

いち早くそれに気づいた能登の畠山家は国境を封鎖し監視を強めた。

一方の二条領は、ほぼ全分野で人手不足である。


ついに良之は織田上総介に命じ、常備軍を用いて道路拡張の土木工事を彼らに受け持たせることとして、そこでこれまで働いていた人足を物資輸送、各種生産の人手として再配分させた。

特に、鍛冶師・鋳物師と言った主力生産業やそれらに関わる工場建設のための大工、そして船大工や船員の人材難は深刻で、この人足たちの再配置は各所から喜ばれた。

一方、大変なのは織田上総介とその配下の侍大将たちである。

実際には、この指揮によって上総介たちの指揮官としてのスキルは飛躍的に向上するのであるが、この時期は誰もが能力をオーバーフローした作業にひたすら頭を悩ませることになる。


戦国時代は、意外にも城主でさえ土木工事に従事していた。

羽柴秀吉や前田利家でさえ、労夫と一緒にもっこを担いだという記録があるほどである。


良之の要求する越中、飛騨、木曽と東美濃への街道整備の水準は高い。

だが、その街道を通って自分たちにもたらされる富や食糧といった、大げさに言えば文明そのものといえる物資は、明らかに彼らを幸福にしていた。

そのため、その工事の重要性を兵士1人1人が理解をし、この事業に取り組んでいた。


この頃から、越中や飛騨には京や堺、博多あたりから布地や古着が多く運び入れられている。

つまり、庶民の消費能力が向上し、生きるために必要な必需品から、徐々に人生を楽しむ消費が生まれはじめていると言うことである。


塩、干し魚、醤油、味噌、それに砂糖なども徐々に二条領では浸透しはじめ、この当時の日本の中では屈指の美食地帯になり始めている。

また、この時代の人口増加を妨げた大きな病を良之が国費で治療したことにより、この一帯は同時代のどこも成し遂げられなかったほど長寿国になりつつあった。


二条領となった地域では、例外なく新築の長屋や蔵を建築する槌音が連日響き渡っている。

そして、領内には潤沢で安価な鉄器具、鎌、鍬、鋤などが提供され、加えていよいよ千歯扱きや足踏み式脱穀機なども提供されはじめた。

この後、麦の刈り入れ時期にその利便性から爆発的に普及し、やがて、米の収穫期には自作農のほぼ全戸が購入することになる。




この時代の加賀の人口は約9万弱と言ったところだろうか。

越中一向門徒が蟠踞する砺波あたりは3万ほど。能登が6万強ほどの人口だったと思われる。

その18万ほどのエリアから、すでに2万近い脱走者が飛騨と越中に流入している。

越中・飛騨・木曽を併せて12万ほどだった二条領の人口は、この頃15万人前後にふくれあがっている。

なのにまだ、人手不足なのである。


「釘が足りない?」

「はっ」

良之は、二条領の商業を管理する塩屋筑前守からの報告を受けて頭を悩ませた。

この時代の釘というのは、鋳物師や鍛冶師が一丁一丁手作りで作る四角い和釘である。

特に釘を専業とする鍛冶師のことを釘鍛冶と呼んだ。


釘の生産に欠かせないものがひとつある。

鋼の線材を熱間圧延させる工場である。

素材自体は炭素含有量の少ない軟鋼で良いのだが、効率を考えると電気炉などで熔解させた鋼鉄をローラーで絞って圧延させ、巻き取らねばならない。

とりあえず良之は鋼線工場から着手することにした。


美濃から届く耐火レンガは、電気炉の内材には使えない。

炉底には炭化ケイ素レンガ、湯口周辺には高耐熱のアルミナや熱による伸縮の小さなジルコニアの耐火レンガが必要になる。

それらを錬金術で錬成すると、丹治善次郎に親方衆を指揮させ、耐熱モルタルで組み上げさせる。

炉内に電気炉に適した各種のレンガを使い、その外周に、美濃からの耐火レンガを利用した。

最後に炉を斜転可能なボルト吊りに成型し、軟鋼の電気炉を完成させる。

次に、炉から流れ出た湯を絞るラインの構築だ。

炉口からは滑り台のように湯を流し、それを無数のローラーで数百メートルにわたって運搬しつつ、縦と横のローラーで圧をかけて圧延する。

最後に、糸車のように真ん中がくぼんだ3基のローラーで丸く絞り、それをダイスに潜らせて巻き取る。

4月から6月一杯かけて、やっと正常に機能する初の軟鋼線製造器が完成し、稼働がはじまった。


軟鋼線を釘に成型する装置は、金型プレスを用いる他はない。

釘の頭をプレス成形し、先端は布砥石で研ぎ上げるのである。

本来なら産業ロボットで自動化させる作業だが、この部分はやむなく人力でやってもらうことにした。

このために集めた職人は150人ほど。鍛冶師や鋳物師のスキルは必要ないが、今後、この工場を運営するための技能は全員に身につけてもらうしか無い。

最初に良之が全てやって見せ、後は工場長を選任して全てを任せた。




話は前後するが、炉の建設中の5月10日に長尾家からの返答が来た。

良之は残りの作業を設計図に起こしてこの頃越後に向かっている。

本来は長尾虎を伴っていく予定だったのだが、実はこの時期、虎の懐妊が分かったために動かすことが出来なくなっていた。

「まあ、あたしは奥方様のお迎えをするさね」

虎はせっかくの里帰りの機会を逃して残念そうだったが、そう切り替えて言った。

京から越中に下ってくる正妻の普光女王は、越中への到着が若干遅れている。

本来は言うまでも無く良之自身が迎えるべきであるが、製釘工場や越後の原油生産についてはあまりにも時間的なゆとりがなさ過ぎる。

特に、九州からの石炭の産出量が予想以上に増えていないため、発電プラントにやむなく重油を選択せざるを得ない。

石油についても自噴している原油を人力ですくい取っているといった有様で、良之が心中で欲しいと思っている水準の生産量には達していなかった。


供は望月千と下間源十郎、そして木下藤吉郎。

本来はフリーデか阿子を連れて行きたいところだったが、阿子がかたくなにフリーデの旅行について異議を唱えた。

良之だけが気づいていないのである。アイリもフリーデも、懐妊している。

そこで、藤吉郎に白羽の矢が立った。


「あの、御所様に申し上げなくてよろしいのですか?」

阿子は、良之が去った後フリーデに聞いたが、

「越後殿をご覧なさい。良之様は過保護すぎて、なにもさせてもらえなくなります」

くすくすと、フリーデは笑った。

実際、お虎が普段通り薙刀でも振ろうものなら良之は慌てて止め、その身を心配してしまう。

その愛情には感じるところもあるが、我が身に置き換えると、これは正直煩わしい。




良之は岩瀬から海路直江津に向かい、春日山城で長尾平三景虎と面会する。

「柏崎と油田の開発について、当家に異論これなく」

と平三は切り出した。

「ただし、ひとつお願いの儀がござる」

「なんでしょう?」

「御所様の開かれる療養所についてでござる。越後にも労咳は多く、痘瘡で命を落とすものもまたしかり。ご厚情を賜りたく」

平三の言葉に、良之は大きくうなずいた。

「もちろん、喜んで。ただし、建物や働く者達の手配は御当家でお願いします。あと、温泉のある湯治場が良いと思います」

良之は快く引き受けた。


越後屋の蔵田家からは、千歯扱きの扱いを依頼された。

こちらも、自領の流通が一段落したらと言う条件付きで良之は了承した。

簡易型の千歯扱きについては、釘の生産が軌道に乗れば、量産が見込める。

反対に越後屋には、1000貫の銅銭を束ねるひもの量産を依頼した。

この頃すでに、飛騨の鋳銭司では一日1万枚の銅銭の量産がはじまっている。

現在は、二条領からのぼろ着を割いて、老人たちが手作りでこのひもを作っているが、いずれ対応出来なくなることは明らかだった。


そして、もう一つ越後屋には依頼がある。

越中から京に向けての荷物の出荷である。

越後屋はすでに、越前鯖江から近江を抜けて今日に至る輸送路を持ち、要所に支店さえ設けている。

銅座と棹銅生産を飛騨に移したため、これらの輸送が必要なのだ。

現段階で二条家は、九鬼の海賊船の一艘と岩瀬衆の五隻の海運船しか持ち合わせていない。

そこで、可能であれば越後屋にも海運に手を貸して欲しいのである。

越後屋は交換条件を持ち出した。

つまり、堺の皮屋の専売になっている分銅について、東北地方における販売権が欲しい、というのである。

実情として、近畿、東海から中国四国、九州あたりまでを虎屋はなんとかカバーしているものの、関東や東北、九州南部まではカバーし切れていないらしい。

良之はひとまず、今後について皮屋と検討することを伝えておく。


柏崎一帯は、後世に越後守護代長尾家の忠臣と呼ばれる人物が多い地域だ。

上条、安田、北条、宇佐美、斉藤など、名だたる越後武将たちが居城を構えている。


この時期の柏崎は、古い繁栄の面影も残らない焼け野原だった。

ただ、越後縮の重要な輸送路でもあり、馬借や海運などを取り仕切る荒浜屋宗九郎という商人が頑張って拠点の維持を図っていた。


良之による大幅な資本投下によって、まず柏崎湊の整備が行われた。

荒浜屋は非常に喜び、人足の手配や大工左官などを必死でかき集めた。

野盗などを防ぐための堀なども整備され、鵜川の治水・開削なども行われた。

それらを全て荒浜屋に任せ、良之一行は、自噴する油田地帯である西山や尼瀬などを見聞して歩いた。


柏崎に戻り、良之は草のものを富山に派遣し、必要となるコンクリートや大工などの職人を手配させる。

そして、油井について藤吉郎に講義した。

良之は日本鉱山史の資料を持って居るので、探査掘削をする必要が無い。

しかも、このエリアの原油層は、地下200-500mという非常に浅い地底に存在する。

地上の油井も、この時代の職人たちが建立する寺の規模を思えばなんと言うことは無い。

まずは越中からコンクリートが着くまでの間、良之はドリルビットやシャフト、水圧ポンプ、ディーゼルエンジンなどを作って過ごす。



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