第67話 天文22年春 3

その後、志摩に入ると佐大夫と別れた。


良之は九鬼家でも同様に海運のための人材をリクルートした。

「わしが行きましょう」

当主九鬼弥五郎の伯父である九鬼長門守重隆が名乗りを上げた。

九鬼家の船大将の1人であり、身内で固めた船夫たちも配下に持った九鬼家の重鎮である。

実は、九鬼家でもすでに二条の各地での活躍はすでに耳に入っている。

当然、今後のために二条とは誼を通じておきたいとは思うものの、さすがに九鬼にとっては痛手ではある。

それでも重隆を二条に出す事に弥五郎は決めた。

この時代、家を分けるというのはチャンスでもある。

いつ何時、他者に攻め込まれて滅亡するかも知れない時代だという事もある。

「ひとつ頼みがあります」

良之は九鬼に一艘の大船を作ってもらい、それに乗って富山の放生津に来るように依頼した。

そしてその分の建造費として1万両もの金を渡した。


富山の岩瀬を雑賀衆に任せ、放生津に九鬼を入れる。

雑賀衆には舟運を、その護衛を九鬼に任せる分業として、双方発展させる算段である。


九鬼の砦を去った後、良之は霧山御所を訪れ、国司北畠家に改めて白粉の材料についての相談を行った。

ここでも良之は隠居の北畠天佑、国司北畠具教に鉛や水銀を使った白粉の危険性について説いて、酸化亜鉛による代替顔料の提供を改めて約束した。


北畠家の奉行と白粉座を訪問し、彼らの扱う水銀顔料や鉛顔料を回収し、同量の酸化亜鉛顔料と交換する。

やはりここでも鉛白の顔料に比べて亜鉛顔料は不評だったが、この件に関しては良之は譲らなかった。




伊勢を離れ大湊へ。

大湊の角屋七郎次郎と会見し情報交換。

角屋の船で津島に向かい、津島の伊藤屋とも面談。

さらに、那古野城にて織田備後守信秀と面会。

良之は日頃の恩と人材派遣に感謝を述べる。

備後守も、綿花や唐辛子の種子の提供などについて良之に礼を言い、現状の干拓状況を報告した。

一泊後、良之は美濃に立った。

美濃でも稲葉山城で斉藤治部大輔義龍を訪ねた。

千に義龍の再診をさせ、すっかり快癒したとの報告を受ける。


「御所様、お千殿より伺いました。飛騨や越中には、療養所と申す労咳、白癩、痘瘡を癒やす医院をお作りとか。是非、わが美濃にもこれらをお作り願えますまいか?」

義龍は、自身も感染病に苦しんだため、そうした病に今も苦しむ領民に対し特別なシンパシーがあるようだった。

「そうですね。出来たら、温泉のある空気の綺麗な環境が良いでしょう。温泉があれば湯治にもなりますんで」

「温泉と言えば……白狐びゃっこがあるか」

義龍の言う白狐温泉は、屏風山という山を挟んだ明智の北西、土岐川のほとりにある温泉街だった。

施設については義龍が用意し、二条家からは回復魔法を使う医師と投薬を担当する錬金術師を派遣することとした。

このとき、義龍の長子で6才の喜太郎を千が診察し、彼も若干のハンセン病による感染が認められたため、治療を施した。


その後、斉藤義龍に土岐や瀬戸での耐熱レンガ製造を依頼する。

前年にレンガ製造に乗り出した遠山氏と共同で、職人の育成と後継の確保、生産量の増加などを頼み込み、快諾を得た。その後稲葉山城を辞した。


苗木を経て、良之にとって未訪問地であった木曽に入る。

木曽にも療養所が欲しいと木曽中務大輔義康に言われたため、温泉地を探させた。

二本木に源泉があるようだが湯温が低いため、良之は越中で導入したボイラーを作り、ここに療養所の建設を命じた。

やがて、伊那や松本などからも患者を受け入れるようになるが、それは後の話である。

良之が木曽から高山に抜け、平湯に到着した頃には、すでに4月を過ぎていた。




平湯で船尾の鋳物師たちの荷物を預け、富山城に戻った良之は、早速主だった者達を全員集め、女王降嫁のことについて一同に諮った。

「……おめでとうございます」

隠岐大蔵は現実離れした良之の話に魂を抜かれたように平伏して、主に祝を述べた。

残りの一同もそれに合わせ平伏。

「問題は」

良之は頭を掻きながら言う。

「京の御所を離れたことのないような女性だって事だよな。これから、みんな支えてやってくれ」


政略結婚とはいえ、時の帝の娘を正室に迎えるというのは、二条家にとってこれに勝る栄誉はないだろう。

良之の中納言陞爵と共に、家中は大いに喜び賑わった。

良之にとって意外だったのは、越後殿と呼ばれるようになって新築された富山二条御所に控えるようになった長尾虎も、フリーデやアイリも、帝の娘が正室にあることを喜んでいることだった。

虎にしてみれば自分の亭主が帝から信任されている証だといえるし、フリーデやアイリの認識では、貴族社会において良之が権威を勝ち取った証拠といえるわけで、平成の現代っこであった良之とは、このあたりの常識がまるで食い違うのである。


雑賀の船手衆、九鬼の海賊衆、河内の鋳物師衆が家族を伴って飛騨や越中に到着しはじめている。

雑賀の船手衆は、越中の船大工たちを手伝って自分たちの専用船となる予定の千石船の建造に邁進している。


河内の鋳物師衆たちは、引っ越しが落ち着くと早速、良之の建てた全ての施設を見て歩いて、自分たちとの技術格差に肝をつぶしていた。

やがて、それぞれに挑戦したい部門を選んで、分かれていった。


親方である広階美作守には、従来通り分銅と棹銅の生産を任せることになった。

新しい工房を富山の金屋町に新設し、生産を開始することになる。

分銅は従来の砂による方式から、石膏による鋳物へと換えられた。

また、使用する青銅も、電解精錬による高純度の銅に、同じく電解精錬によって不純物を取り除かれた錫を添加して作成されるようになった。

電解精錬前の錫の不純物は、貴金属、鉛、インジウムなどで、特にインジウムの回収は良之の時代では関心が高かった。

親方は、純度の高い銅と錫を鋳物用に必要としている。良之は傾転電気炉を用意することにした。

また、重さを量りつつ定量に揃えるための切削装置もモーターを利用したリューターや回転砥石を用意した。

また、棹銅量産のために銅の電解精錬槽をこれまでの5倍に増やした。




工業化を推し進めている良之の現状で、すでに潜在的な危険性を持った事態は、エネルギー危機である。

発電に関しては現状、老人たちの内職で作る手巻きコイルのステータによる小規模でピンポイント的な発電である。

その動力は石炭乾留設備における廃熱利用の火力発電である。

フリーデ設計の石油精溜所が稼働したため、重油ボイラーも作ろうと思えば作れる状態だが、化学製品に転用が出来る石油資源は、極力搾り取りたいのが良之の本音だった。

そうなると期待したいのが、大友家とその御用商人の博多・神屋による石炭の輸出だが、良之なりに、彼らはこの時代としては頑張ってくれているとは思うが、比較すると、現状では需要に供給が追いついてるとは言いがたい。


問題はもう一つある。

ビンの口が細くなっているのは、内容物が適量出るようにわざとすぼめてある。

ボトルネックという。

この言葉は、効率を妨げることがらの比喩に使われる。

戦国時代にマスプロダクト=大量生産を成し遂げようとする時、必ず問題になるのが、輸送力だった。

良之が九鬼衆や雑賀衆の船手たちを雇用してきたのは、この点の解決を狙ってのことだし、船大工たちに大型船舶の建造を研究するように命じたのもそのためだ。

どちらも、即効性のある対策とはいえない、ある意味気の長い話である。


「越後殿。悪いけど平三殿に書面を送ってくれる?」

良之はお虎御前に相談した。


良之は、ついに越後の石油の大規模開発を考えざるを得なくなっている。

石炭は欲しいが、産地が遠すぎる。

平戸の倭寇、五峯に中国の石炭やコークスの買い付けを依頼しているが、とにかくこの時代の明国は、表向き日本に対し経済封鎖中なのである。

五峯はマカオの南蛮人をブローカーとして介在させることで大規模な取引を斡旋しているわけだが、当然中間搾取が何重にも介在するので、良之にとってはあまりうまみがない。

それに、一度に運べる荷の量も少ない。

最大のジャンク船は五千石。満載しても750トンほどである。

実際はタンカーではないため、俵などで小分けされた荷姿で運ばれ、さらに非効率である。

良之は、戦乱ですっかりゴーストタウン化した柏崎湊と、その奥にある油田の開発を計画している。

この話に越後の長尾家が乗ってくれるなら、開発費含め、良之が全ての費用と人材、技術を提供するつもりでいる。




天文22年4月を過ぎると、尾張、美濃、そして甲斐から、有力国人や大名の重臣たちが、飛騨や越中の見学に多数訪れるようになって来ていた。

良之は、先端技術や軍事教練、医学、備蓄など、何一つ隠し立てせずに彼らの見学をさせることにして、その案内者に、飛騨や越中の旧支配者層を充てさせている。

案内者を統括しているのが隠岐大蔵で、それに斉藤道三が協力をしている。


甲斐からは、武田典厩信繁と刑部信廉がわざわざ訪れ、二ヶ月近くも詳細に調査をするスケジュールを組んでいるようだ。

他にも、小山田、穴山、市河といった国人衆や、栗原や大井、秋山、駒井、長坂と言った能吏もそれぞれ、わざわざ甲斐からやってきては、飛騨と越中の状況を視察して帰っている。

さらに、噂を聞きつけた北条や今川からも、親族衆を中心に飛騨や越中の視察をしたいと申し入れがあった。もちろん良之はこれを許した。


越中椎名家からも視察に重臣たちが押し寄せてきた。

そして、越後からも。


椎名家にとっては、新川(常願寺川)を西に渡った途端に豊かな暮らしになる事は、国人統治のためには大きなダメージになって来ている。

特に、健康状態と栄養状態の差が歴然となっている上、この年から年貢率が大幅に低減されている。

加えて、入浴や石鹸の推奨によって衛生面も向上し、さらに、肥料の利用によって、作柄もこの時点ですでに明らかな差が出始めていた。

何より見学者たちを驚かせたのは、自溶炉や電気炉による鉄、銅、鉛などの生産量。

それに付随した工業生産力、そしてその結果である。

特に、手押しポンプは見学した他国の支配者層の誰もが渇望した。

生産地である富山から徐々に手押しポンプは普及をはじめている。

精密計測器研究チーム以外の越中鋳物師や編入された河内鋳物師たちによって頑張って量産されているが、飛騨や木曽にまで行き渡らせるには、翌年一杯はかかるだろう。


その上、廃熱を利用した製塩事業によって、高額な原資と長距離輸送を必要とせず、塩の国内需要を賄いはじめている二条領に、特に塩については苦しんでいる甲斐の者達は驚いている。

甲斐では、堺で二文の塩が、同時期に十文を越えることも珍しくない。

五倍ものコストを支払わされているのである。

これほどひどくはないにせよ、事情は越後や駿河でも変わらない。

製塩は瀬戸内のもので、この時期の各国では、製塩事業は普及していなかったのである。


椎名家の国人たちはあからさまに二条家へと擦り寄りはじめた。

椎名家自体も、越中の国司である二条家に可能なら臣従したいと考えはじめてはいる。

ところが、彼らは長尾家にすでに臣従している。

越中中西部が敵ではなくなった事によって多大なメリットは享受しているものの、川ひとつ挟んだ向こうの芝生が、青く見えて仕方が無かったのである。


椎名領越中の病人の療養所での受け入れについて、二条家はこれを認めている。

このことも、後に椎名領との格差があまねく知れ渡ってしまう引き金になっていく。


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