第62話 暗雲 6


良之は長尾景虎に、さらに続ける。

「隣に、良く食えて、病が治せて、仕事はいくらでもあり、殺し合いが禁じられた国がある。それをもし知ってしまったら、民はどうするでしょう?」

「わしなら、国を捨てて、家族を連れてその国に行くであろう」

「戦など、本当は必要ないんですよ、平三殿。俺はそういう国が作りたい」

「だが、こたびの戦、御所様から仕掛けたではあるまいか?」

景虎はその言葉に反問する。

「それは、神保が、富山の港を封じ、荷を奪ったからですよ」

それは、良之の国作りにとって、見逃すことが到底出来ない妨害行為であり、非道であった。

「俺は神保家の要求する通行税を払い、作物や資源を輸送していました。それを妨害された以上、妨害されない状態に戻さねば、飛騨が飢えます」

「では結局、わしらと変わらぬではないか?」

景虎は言った。


「うちの軍は、略奪もしないし、人さらいもしませんよ」

そんな必要ありませんから。

その言葉に、景虎は打ちのめされた。


「武力で思い通りにしようと思う相手に、どれほどきれい事を並べたって無駄でしょう? 俺はね、そういう相手は、それ以上の武力で制圧するしか無いと思ってる。それは仕方ありません。でも、そうでなかったら、いつかはきっと、俺が作った国を見て、仲間になってくれる人が増えていくと思う。俺はね、人間はそれほど、捨てたもんじゃないと思いたいんです」

無言になった景虎に、良之はいった。

「越後とは良い関係でありたいです。越後の物資はこの日本に必要なものだし、いつか越後は、この日本を支えることが出来るだけの力があります。平三殿。せっかく俺とあなたは義兄弟になったわけですし、まあ、仲良くやって下さいませんか?」

良之は、側室に入ったお虎を持ち出して、話を締めくくった。




「あの御方は一体、何者なんだ?」

「さあてね、それはあたしにも分かんないさね」

景虎は、良之との面会後に自分の双子の妹と、本当に久しぶりに話をした。

「平三、あの方はね、白癩を癒やし、痘瘡を癒やし、労咳を癒やしたよ?」

それだけでも、神仏のごとき御方じゃないかえ?

「……確かに」

「それがさ、その上に、金を生み、物を作り、人を育ててる。平三、あんたにさ、ひとつでも真似が出来るって言うんだったら、あの御方の邪魔でも何でもしたら良いさ。でもね、あんたがどうやっても叶わないお相手だったら、せめて邪魔だけはしないでおくれでないかい?」

「……」

長尾景虎にとって、良之から言われた以上に、この血を分けた妹からの言葉は激しい動揺をもたらした。

そして、帰国後、日がな一日、考え事に沈む様になっていった。




良之は木下藤吉郎に、岩瀬港の神通川を挟んだ対岸にある草島の開発を命じた。

越中はすでに農閑期に入り、賦役でない賃金が払われる人足仕事の募集とあって、1万人近い労力が集められた。

ここに、良之の指示で防水のための堤防、専用港、そして、長屋などが次々と建てられた。

さらに、近郊の呉羽丘陵から土砂が運ばれ、盛り土が行われる。

盛り土を突き固めた後には、蔵が次々に建てられる。


ひとつきほどで、ここには新たな港と、蔵が建ちならぶことになった。


「フリーデ、ここに石油の分溜塔をふたつ作ってくれ。藤吉郎は、コークス窯だ」

現状、石油も石炭も、産地から船便で送られてくる。

ならば、どちらも港で精製するべきなのだ。

越中を占領した良之には、数少ないメリットのひとつがこれだった。

二人とも良く理解を示し、急ピッチで両施設の施工へとすすんでいった。


良之は、人足に来ていた出稼ぎのうち、やる気のあるものや、村厄介の者達などを、飛騨の鋳銭司にリクルートした。

借金のある者達は良之が代理返済したので、3000人以上が集まった。

一気に人数が増えたところで作業の効率性は上がるものではないが、単純に製造ラインが増え、雑用が減り、効率は良くなる。

鋳銭司の親方衆は、一日8000枚を実現するため、必死で人材育成に励んでいる。




「よし、じゃあ塩田を作ろうか」

良之は藤吉郎をコークス窯の現場から引き抜いた。

藤吉郎が指揮する親方衆は、彼がいなくてもすでに、設計から施工まで出来るようになっているのである。

藤吉郎が必要なのは、予算の確保やフリーデとの折衝までである。

それはフリーデも同様だった。

良之はこの2人に、塩の作り方を教える。


良之が選択したのは、電気透析式の製塩だ。

イオン交換膜、という技術がある。

良之の時代、日本には世界に誇れる技術分野がいくつもあったが、イオン交換膜もその一つだった。

イオン交換膜には二種類ある。

一つは、+イオンのみを通し、他を通さないもの。もう一つは反対に、-イオンのみを通すもの。

つまり、海水にこの二種類の交換膜を向かい合わせに並べていくと、Na+は+膜を通り、Cl-は-膜を通り、この二つに囲まれた水の塩分濃度が上がる。

こうして、膜と膜の間に、塩分が奪われた層と、塩分濃度の上がった層が出来上がる。

塩分の奪われた層の水を排水し、塩分が濃くなった層を集めて塩竃で煮詰めれば、効率よく製塩が出来るのである。


つまり、この工場を作るために必要な技術は、こうである。

まず、海水を汲み上げるポンプ。

組み上げた海水から固形物を濾過する技術。

海水に通電する技術。

イオン交換膜。

そして、濃縮かん水を抽出し、煮詰める技術である。


工業的な利用のための海水汲み上げには、ロータリーポンプを使いたい。

機構が単純なため、メンテナンス性が良く、この時代でも作りやすいからだ。

技術的課題は、機械を壊すリスクがある砂礫や固形物の除去をしないと、噛み合いのローターが破損消耗すること。それと、パッキンである。

ロータリーポンプというのは、二枚のローターをかみ合わせ、液の進行方向にそれぞれ回転させることで負圧を発生させる仕組みのポンプだ。

吸い上げられた液はローターの外周を回って排出路に押し出される。

ローターの動力はシャフト一本で良い。

ギア数の同じ歯車を、もう一枚のローターに取り付ければ良いからである。


ひとまず良之はロータリーポンプを錬金術で錬成した。

これを工業的に作るためには、旋盤とフライス盤がどうしても必要になる。

いずれ、鍛冶師や鋳物師を集めて、その二つの工作機械はどうしても作らねばならないだろう。


ポンプから海水を汲み上げ、電気透析の水槽に入れる。

水槽に必要な機構は、各フィルターごとに水を抜き取る仕組みだ。

イオン交換膜に囲まれた水は塩のイオンが奪い取られるので排水して捨てる。

イオン交換膜からイオンが凝集された部分の水は、最高で海水の7倍の塩分濃度を目標に繰り返し透析にかけられる。


この電力は、藤吉郎やフリーデが作る分溜塔やコークス窯の排煙を冷やしタールを凝集するコンデンサ部分を水冷にする事で蒸気を得た。

コークス窯から発生するガスをボイラーに当て、さらに、コークス窯上部に管寄せして加熱させ、タービンを回す。

発電後の蒸気はそのまま、濃縮かん水の釜に噴射して、廃熱利用するのである。


そして、この製塩の原理をフリーデや藤吉郎に、日夜たたき込んだ。

今後は、彼らを通じて職人たちに技術普及を依頼するためである。

近頃では、藤吉郎の弟の小一郎が、多忙な兄に変わって実務レベルの事務を行っているようだ。

良之は、小一郎の給与も支払うことにした。

そして、正規職員として藤吉郎のアシスタントに任命した。


良之の製塩プラントで出来る塩は、原塩だ。にがり分を除去していない。

にがりの除去には本来、遠心分離機が使用される。

塩化ナトリウムとそれ以外の比重の違いを利用し、高速回転の分離機でふるい分けられるのである。

その工程を省略し、生産の実現を優先したのである。




隠岐から、今年飛騨で出来た実験作物の報告が来た。

ジャガイモ、サツマイモなどは全て翌年の種に回させる。

唐辛子、綿なども同様だが、半数を尾張に託した。

綿のわたは、とりあえず布団の中綿にして幹部たちに配った。

製油からグリセリンを、綿からセルロースを。そして硝酸と硫酸があるため、良之は、やろうと思えばダブルベース火薬を作らせることが出来るようになった。

だが、現状では無理だろうと思っている。

ニトロ火薬の歴史は、事故死者たちの歴史でもある。

戦地でも、工場でも、そして事故現場で消火救助活動をした消防士たちの命をも多数奪ってきた。

ニトロセルロースにしろニトログリセリンにしろ、製造現場では大量の清浄な水が要求される。

上水道が完備され、機材の徹底した洗浄、製造物の脱酸洗浄のノウハウなどの工作機器が完備しなければ、到底技術移転は出来ない。

だが、ひとまずは「作れる」ということが重要だった。


木綿については、翌年以降の生産量によっては紡績設備が必要になるだろう。

そして、種からは搾油が期待できる。

こうした大規模プランテーションは、尾張のような土地がもっとも適している。

織田備後守の手腕に期待する良之だった。


美濃と尾張の人材の提供について、美濃からは武井夕庵が、尾張からは村井吉兵衛が送り込まれてきた。

どちらも、文官として卓越したセンスを持っていた。

まずは武井を斉藤道三の下に、村井を隠岐大蔵の下に付け、良之による国家運営を学ばせることにした。

武官候補としては、尾張の豪族から佐々内蔵助、塙九郎などが信長の許に推挙されてきた。

彼らはひとまず、信長の馬廻りとして育成される。


他にも、下呂の丹羽や木曽の柴田などにも依頼して、尾張から若い豪族や国人の士官候補を育成してもらう。

同様に、美濃の明智や竹中にも、美濃の豪族から人材をピックアップしてもらって、それぞれに若手家臣団を持ってもらうことにした。


良之は、つきあいのある豪商たちに、塩屋筑前の手代になる人材を送ってもらえないか依頼してみた。

尾張の伊藤屋、越後の越後屋、甲斐の坂田屋、小田原の虎屋などは、自家の直系の子を送ってくれた。

また、堺の皮屋、小西屋、駿河の友野屋、博多の神屋は手代を派遣してくれた。

彼らはある意味、スパイ的な任務を帯びてやってきているはずだったが、良之はそれを良しとした。

むしろ、コストをかけずに情報を流通させてくれるのならありがたいくらいだと思っている。


塩屋筑前にとってこの人材の補充はありがたかった。

おそらく、この時点でもっとも二条家においてオーバーワークだったのは、彼に違いなかった。


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