第45話 天文21年春 4


アイリと千は多忙を極めた。

新しい住人たち全員に対する健康診断と、特に寄生虫対策を良之が求めたからだ。

良之もまず6500人分の虫下しを合成して提供し、全員への服用を勧めた。

また、飛騨全土にも同様に虫下しを無料で配布した。

同時に、飛騨領内での人糞の使用を禁止し、村ごとに処分場を作らせた。


処分場はいわゆる肥だめである。

穴の回りには石灰が撒かれて、肥を処分する人間以外の立ち入りを禁じている。

これはもちろん感染予防のためである。

この時代の飛騨には空き地も多く、さほど問題になることは無かったが、井戸水を利用している地域に関しては、地下水の汚染を警戒して村の最下部の端に作らせるよう指導した。

電力さえあればロータリーキルン型の焼却炉が作れるので、いずれは何とかしたいと良之は考えている。




岩瀬に出向いていた塩屋筑前からつなぎが来た。

重要な決済を頼みたいので、現地に出向いて欲しいという。

現状、自由に動ける人材が枯渇している。

「俺が警護に就こう」

言い出したのは上総介信長である。

丹羽や川尻などは強く反対したが、信長は押し通した。

丹羽と川尻には、高山と平湯の兵のとりまとめを依頼しているために動けない。

そこで、池田勝三郎と前田犬千代が信長に付くことになった。

「あたしも行くよ」

長尾の虎御前も同道することになった。

雪解け水により水かさが増していることもあり、猪谷からは船で下れることになった。


「よくお越し頂きました」

岩瀬の船屋が一同を代表してあいさつに出た。

「それで筑前殿。問題とは?」

良之はあいさつもほどほどに、塩谷に尋ねた。


「ひとつは建設用地の問題です。60棟の蔵となると、堀の内に充分な用地が足りません」

「他にも問題があるの?」

「ええ。用地が足りなければやむを得ません。対岸の草島に新たな船着場と倉庫を作ろうと考えてみたのですが、神保様が……」

富山城は神保氏の居城だった。

その膝元の話なので、彼らが出てくるのは当然の話だろう。

「うん、分かった。船屋さん、今岩瀬で空いている土地、空いている蔵を買い上げるとしたら、蔵はどの程度用意できますか?」

「20ほど、でございましょう」

「分かりました。その数で手を打ちましょう。塩屋殿、あとはお任せします」

「残りはいかがいたしましょう?」

「仕方ないんで人海戦術で飛騨まで運びましょう」

「……分かりました」


船屋は、この一年で取引高が急増した全ての中心がこの公卿だと熟知している。

当然、今後の全面協力を約束してくれた。

良之も、人足手配、舟運のことなどを船屋に一任し、蔵の建築など後事を託した。


船で猪谷まで戻り、平湯経由で高山に出た。




高山で良之は、越中経由の物資搬入のみに頼る危険性を考えていた。

今のところ、さほどの警戒感を神保氏は良之に向けているようには思えなかった。

しかし、仮に荷止め、岩瀬の荷の没収などと言った暴挙に出られると、最悪、飛騨の民は飢えることにもなりかねなかった。

そこに、ちょうど良い相談相手が集まった。

斉藤道三入道、義龍親子。それに、織田備後守信秀である。


「御所様。我が子治部大輔義龍、こたび御所様のご治世の見分にまかり越しました」

「御所様にはご機嫌うるわしゅう」

「はい、お久しぶりです治部殿」

「御所様。我が子上総介信長よりの書状拝見しましてまかり越しました」

「備後守殿もご壮健で何よりでした」


まずは懸案の信長の就職問題である。

「備後守殿は、上総殿の一件、どうするおつもりですか?」

「それはまあ、困ることは困るのだが。あやつがいうには、尾張よりよほど未来があるから、御所様の家臣になると」

「……こういうの、例があるんですか?」

良之は、嫡男がよそに仕官するというのはさすがに異常だと思う。

「たとえば、将軍家に嫡男を入れ、直臣とする例などは古今、行われておりますな」

たとえば、今なら甲賀の和田惟政。

あるいは和泉上半国守護細川元常の養子、細川藤孝あたりの例もある。

「わしもはじめは腹に据えかねましたが、道三殿のお話によると、いずれ御所様は天下人にすら届く御器量人とのこと。もし当人が望むのであれば、あやつの生涯をお預けするのも良いかと考えを改めました」

「……そうですか。まあその辺、備後殿、ゆっくり親子でお話し下さい」

この親があって、あの子、である。

良之は、まあ信長は鉄砲が楽しくてここに留まってるんで、飽きれば国に帰るだろう、程度に思っていた。


「ところで、美濃と尾張のご両人が居られるので相談したいんですが……」

良之は、越中での一件を話し、食糧などの買い入れで飛騨にとって、新たな物資搬入ルートが必要なことを相談してみた。

「では、津島から木曽川の舟運を使ってはいかがか?」

国主を継いで治部大輔を名乗りだした義龍が言った。

木曽川は、上流の支流、飛騨川の川辺あたりまで、木曽川も八百津あたりまでは舟運が可能で、この川に根ざした木曽川衆とでも呼ぶべき集団があるという。

この時代、良之が要求するような荷が運べる街道は川辺~下呂の間に通っていない。

良之の認識している益田街道は、天下の治まった後年、秀吉の治世に金森長重が飛騨国主として大工事を行ったもので、しかもそれでも充分な交通量に耐えられず、江戸期に再度普請されたものである。

結局、八百津から陸路で中津、苗木に出てそこから下呂に登らねばならず、越中廻りに比べると、いかにも迂遠である。


「なるほど。難しいもんですねえ」

良之は地図を見ながらうめいた。

この地図の精度に驚いたのは美濃・尾張の支配者たちである。

「御所様、この地図は一体……いえ、この箱自体もなんというか……光っておりますが?」

「ああ、異国のからくりです。魔法ですよ」

ノートパソコンにインストールされている地図ソフトなのだが、良之はそんな風に煙に巻いた。


「あのようなものがあれば、戦にならぬのでは無いか」

義龍は恐怖した。

父、道三の「対立するくらいならいっそ、先んじて御所様に降り重臣になれ」

という言葉の一端を義龍はこの時はじめて実感した。




この時期、冬期に蓄えられた紀伊と堺の種子島が1500挺、新たに飛騨に入っている。

従来の銃は前線に送られ、この新しい銃によって、平湯での調練が続けられることになった。

良之の配下の銃はこれで2800挺になっていた。


紀伊から来た鍛冶屋の親方は、メンテナンスに大わらわである。

飾りでは無く一切の妥協をせずに射撃の修行をさせている良之の軍は、間違いなくこの時代でもっとも種子島を酷使している集団だろう。

秘伝もなにもあったものでは無かった。

最初は紀伊から連れてきた内弟子のみに構造を教え、製造法を教え、直し方を教えていたが、近頃では修理依頼が殺到し、改造依頼が殺到し、しかも良之からは通常の鍛冶業務まで命じられ、完全に仕事が溢れていた。

ここに至って親方は、神岡や高山の鍛冶師たちに助けを求めざるを得なくなった。

熟練や中堅の鍛冶師を多く回してもらい、自身と内弟子たちで徹底的に実地で種子島について教え込んだ。

良之から与えられた鍛冶師の仕事と見習い・若手たちは神岡や高山に回し、平湯では徹底して種子島の補修を担当した。

結果として、この頃より飛騨鍛冶は種子島が製造できるようになっていく。




「御所様、お待たせしました」

滝川彦右衛門と下間源十郎に呼び出され、良之はロケット――ミサイルの実験を見にやってきた。


「結局、棒付けたんだね」

良之が教えた通り、燃料缶にノズルを付けてそこから火薬に点火すると、ノズルから燃焼時の爆発的な噴出が起きてミサイルは飛翔する。

その飛翔は四枚の水平翼で維持するものの、直進安定性がやはり稼げなかったようだ。

良之にとっては、そのまんま見た目が子どもの頃遊んだロケット花火だった。

ただし、サイズが違う。

打ち出すロケットと棒は、木で作られた筒で支持されているが、その筒は1人では支えきれなさそうで、大柄な手下3人がかりで支えている。

「じゃあはじめて」

良之の命で、彦の手下三名はロケットを水平から若干上に持ち上げ一町先に掲げられた赤い旗がくくられた杭とその後方にある岩に照準しているようだった。

「点火」

彦の号令で火縄の種火を導火線に付ける。

導火線の燃焼が筒まで達すると、轟っと風切り音を立ててミサイルは飛び出した。

そして、見事に岩に衝突して転がった。


「うん。お見事」

良之はこの短期間でものにした一同を褒めた。

「ですが御所様、こんなモン、なんの役に立つんですかい?」

彦が首をかしげた。

「それはまあ追々ね」

良之はそう言って一同を下がらせた。


その日の晩。

彼らの創ったロケットを一本預かった良之は、先頭に詰めるように指示してあった鉛によるおもりを取り外し、炸薬を詰めた弾頭を取り付けた。

炸薬はTATB、トリアミノトリニトロベンゼン。亀の甲(ベンゼン基)に、三つのアミノNH2と三つのニトロNO2の付いた火薬である。

科学的に作るのであればニトログリセリンあたりからはじめねばならないだろうが、素材さえあれば良之は分子を錬金術で錬成できる。

この火薬を選択したのは、落としたりぶつけたり、火気が近くにあったりしても偶発的に爆発することがとても稀な低感度火薬だからである。

信菅も錬成した。

信菅は、着発信管と呼ばれる衝突感知型の信菅である。使用直前まで安全ピンが刺さっていて、かつ、雷管を叩く針にはバネが組み込まれている。

もっとも単純な機械式の安全装置である。

雷管には発火金とDDNP、ジアゾジニトロフェノールを選択した。


翌日。

彦右衛門と3人の手下に、再実験につきあってもらうことにした。

「今回は失敗すると全員死ぬんで、一つも間違えること無く行うように」

良之はよくよく言って聞かせた。

まず装填。

そして安全ピンを抜き、照準、着火。

昨日と同じく、良く訓練された彼らは、目標である岩に見事にこのミサイルを当てた。

昨日と違ったのはここからだった。

ミサイルは爆音を山彦させて四方に響き渡った。


「……なんです、ありゃ」

滝川彦右衛門は、その爆発に驚き、そして我に返って尋ねた。

「爆薬だけど。あんまり効果良くないなあ」

敵城を攻める時のこけおどしにはなると思うが、使う味方側のリスクに比べて、あまりにリターンが小さいように良之には思えた。

良之はつまり、不発だったりロケット推進が消えたりした時のリスクを考えている。

自陣にぽとりと落ちて炸裂したら目も当てられない。


「やっぱり大砲かなあ?」

良之は頭を切り換えた。

この時代、世の東西を問わず大砲と言えば青銅砲であり、青銅のその柔らかい性質上後装砲は実現せず、全て砲口から火薬と砲弾を装填して着火する方式だった。

北欧において鋼鉄製の後装砲が誕生するのはこの時代から約80年後のことだ。

青銅製の後装砲は、この時代は対海賊用にポルトガルやスペインの船にも搭載されている。有名な大友の「国崩し」は、これを買い取ったものである。フランキ砲、などと呼ばれた。


この時代の攻城戦では、さほどの飛距離は必要ないと良之は思っている。

せいぜいが1km。500mほどでも敵軍の投石や弓、鉄砲の攻撃はしのげる。

つまり、砲身の強化より砲弾をりゅう弾化、焼夷弾化させる方が効果があると考えたのだ。


500mほどの射程で良いのなら砲身の強度はさほど必要としない。

早速良之はキャンピングカーに籠もり、電子辞書でこうした用途の砲が無いか探し始めた。


解決法は意外な所から現れた。

この時代の冶金技術では、後装砲は安全面や安定性に問題がある。

弾薬を詰めたあと、密閉できないため発射ガスの漏洩や砲身の変形など、重大なリスクを背負うことになるのである。

だが、てき弾発射筒や迫撃砲であれば、工夫は弾薬側で行えば良く、発射をする筒の側は単純、軽量、かつ既存の冶金技術で製造できる。

迫撃砲弾は、投擲遊具であるダーツによく似た形をしている。

ダーツ矢のように尻部に飛行安定性を高める羽根を持ち、頭部にりゅう弾や燃焼弾を、尾部に飛翔用の推進燃料火薬を充填している。

これを筒口から投入すると重力で筒の底に落ちて、筒の底にはめられた針が、迫撃弾に組み込まれた雷管を撃つ仕組みになっている。

雷管からの発火によって推進剤が燃焼して、筒から発射される仕組みである。

最大の課題は照準である。

良之には、この迫撃砲の照準器の原理が全く分からない。


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