第17話 魔王さまと魔法使いさま
大陸の西方、聖都に次ぐ規模を誇る都市、通称、魔法都市。魔法学院を中心に据え、導師級の魔法使い達が政治的発言権を持つ特異な学院都市でもある。
その魔法都市のすぐ側に、大きな村がある。都市が隆盛を極める前から営みを続けていた農村であるが、その実、都市に身の置き場のない者たちの巣でもあった。
そう、魔法の才能が無い者、である。
「嘘じゃないもんっ!」
甲高く舌っ足らずな幼子の怒声が、それを取り囲む少年少女たちの集団の中から上がる。
「お爺ちゃんは、すごい魔法使いだもん!」
その言葉を責め、嘘とからかう言葉に、幼子は俯き、涙を目の端に溜める。
「……嘘じゃ、ないも……」
擦れ擦れの声に、もう語尾は聞き取ることさえ出来ない。
「集団で弱い者イジメほど醜いものはないよね」
「
「
吾輩は、風の精霊シルフに声をかけ魔力を付与し可視化させると、子供らの周囲を飛び回らせる。
恐れを知らぬ子供たちは、初めて見る精霊に目を輝かせ、姿を追ってその場から離れていった。
「孫娘がお世話になりまして……」
背後から声をかけられ、吾輩と、堕天使のメイド、ネフィルは、顔を見合わせた。
「お爺ちゃん!」
ぱぁっと顔を輝かせて、こちらに駆け寄る幼女。
「すごい! すごぉいっ! 今の! お爺ちゃんがやったのぉ!?」
喉を詰まらせる気配の好々爺に、吾輩は強く頷いた。
「すごいな、君の祖父は」
そんな吾輩の嘘を、ネフィルは冷ややかな視線で責めるのだった。
「ほう、魔晶石を買い付けに……確かに安価で質の良い魔晶石ならば、魔法都市でしょうからな。あ、いや、申し遅れました。私、エドワード・クロウリィ。こちらは孫娘のテレマでございます」
好々爺の自宅に招かれ、吾輩とネフィルは卓で、茶などを馳走になる。
幼いテレマは、祖父の膝の上でうたた寝をしてしまっていた。
「失礼ながら旅のお方、かなりの術者と、お見受けいたしますが」
好々爺からの視線は、しかし、どこか鋭い。
「……ふむ、何か事情がおありのようだね?」
吾輩の魔力を気取るのならば、つまり相手もまた、魔力に優れた者、ということだが。
「お恥ずかしい。この身は、もはや魔法を扱えませぬ……なに、過去に過ちを犯しましてな……その、呪いを受けたのでございますよ」
隣の席のネフィルから、早々に立ち去りたい、という気配がひしひしと伝わってくる。
「旅の方、どうか、御力をお貸し願えないだろうか?」
幼女の寝顔が小さく震える。
ネフィルはリボンに彩られたボブカットの髪を揺らして、軽く首を振った。
エドワードの願いはこうだ。毎年この時期に行われる村祭りの催し物に、魔法の花火がある。魔法都市より高名な術者を招いているのが常だが、その役を自分が執り行うことで、己を大魔術師と信じて疑わない孫娘に報いてやりたい、というのだ。
村唯一の宿屋の一室。
「面倒事に巻き込まれて……」
「いや、だから、ごめんて」
「直接、魔法都市に転移していれば……」
「それだと都市に張られた結界に引っ掛かるからね。それこそ面倒な事になっていたよ?」
ネフィルは、じと目で吾輩を見据える。
「あれは、嘘の響きです」
「……エドワードのことかな?」
その瞳に宿る、歪んだ光。震える喉と、上擦る声。
「恨み、辛み、渇望、欲望……私には強く感じられるんです」
あの人、危ういです、と続けた。
「うん、だが、まあ……根っこには、孫への愛情があると信じたいが……なに、力を貸すのは一度だけと伝えてある」
この村を拠点に、吾輩はネフィルをお供に都市を行き来し、魔晶石や物資を買い付けていた。毒舌かつ値切り上手のネフィルのおかげで、成果は上々。
そうこうしている間に、その日はやってくる。
祭りの当日。
吾輩は、幾つかの魔晶石をエドワードに託した。勿論、見合った報酬は受け取っている。
魔法の花火とは、即ち、光の魔法式を組み込まれた石のことで、上空に打ち出してやることで石が砕け、光の軌跡を闇夜に描く仕様となっており、複雑な魔法式であればあるほど、光は多彩で色鮮やかに輝く。
それこそ、魔法使いの腕の見せ所でもあろう。
その夜、空は魔法の光に満ち溢れ、星々の輝きを飲み込んだ。
大小様々、球と弾け、線を描き、明滅する光の芸術に、誰もが空を見上げる。
誰もが空を見上げる中、一人、視線を見上げぬ者。
来ると思っていたぞ。魔法を使えぬはずの私が、村の魔法花火を行うと知れば、いてもたってもいられまい。そうだ。お前は、私に告発されるのを恐れている、私の真実を恐れている。私から掠め取った魔術論で、今、その位置にいるのだからな……!
魔術とは、唯一の秘儀。ましてや他者の魔術式を盗むなど、それこそ重罪。
『すごい! これは大発見よ! お願い、私にも手伝わせて! うぅん、いいの! 力になれるのが嬉しいんだから!』
『この魔術論文と、まったく同じ内容のものが、一日前に提出されている。どういうことか、学院長の私に、説明してくれるかね?』
『ごめんねえ? 私の方が、より上手くこの魔術使えるって思ったからあ。ほら、魔術の発展のためだと思って。ね?』
『残念だよ、クロウリィ君……君は、罪を犯した。報いは受けねばならぬ』
汝は以後、魔力を振るうこと能わず、『禁約――ギアス――』
エドワードは、衰えた視力の先、お供を引き連れた中心に、やはり衰えた容姿の老魔術師の姿を朧気に捉える。
(モルガン・フェイル……ッ!)
深緑色のローブの懐から、花火に刃を鈍く反射させる短剣を取り出す。
「力を貸すのは一度限りと言った」
吾輩は、黒衣のマントを闇夜に溶かし、魔晶石を人だかりの中心へ投げ込もうとしたエドワードの前に立ちはだかる。
空で花火が弾ける。
「あの女はっ……!」
残光は消え、闇を浮かび上がらせる。
「知らん。聞きたくもない」
最後の花火。
テレマの笑顔を照らす光。
「あれで、良し、としたまえ」
魔法を使えぬ老魔法使いは、短剣を地に落とし、魔晶石を握り締めたまま、膝から力無く崩れ落ちた。
数日後、みるみる体調を崩した彼は、あっさりとこの世を去る。穏やかな老衰ではあったが。まるで、復讐の念で命をこの世に繋ぎ止めていたかのようでもあった。
買い付けた魔晶石と物資の整理と帳簿の記入を行うネフィルの前に、テレマの両親へ挨拶を済ませた吾輩は姿を現した。
「……終わりました?」
「ああ」
「言ったでしょう?」
「ああ」
「醜いじゃありませんか」
「ああ!」
その語気に、一瞬、ネフィルは怯んだかに見えた。
「少し、出掛けてくる」
「どちらへ?」
「昔なじみのところへ」
導師の称号は、そうそう得られるものではない。
それは即ち、魔術師として最高の位であり、学院都市において、政治を司る地位でもあるからだ。この魔法都市は、導師級の人物たちの合議によって治政されていると言って良い。
彼女も、また、導師だ。おそらく最年少でその地位に就いたはずだ。
「珍客もあったものね」
都市には結界があるし、導師級ともなれば、私邸私室に至るまで結界を施している。それを容易く突破し、転移してくるとは。
「世を捨てたと思っていたのだけれど、今更、何の御用?」
年月を美貌と引き換えに、一筋一筋、皺を重ねていく女性は、書類に伸ばしていた手を止め椅子に深く背を預けた。
「モルガン・フェイルを知っているか?」
溜息にも重みが混じる。
「ええ……魔晶石に純度の高い魔力を注入する技術論を提唱した人物よ。いい噂は聞かないけど導師の一人。その功績は、魔術の歴史を十年は早めたわ」
「では、エドワード・クロウリィは?」
「……いえ。……待って、確か前の学院長の破門目録に、そんな名前が……」
「死んだよ」
その言葉の意図するところに、両者は沈黙を混じらせる。
「あなたは、いいわよね。怒りや悲しみや、思いのままに行動出来るんですもの……! しがらみを捨てられるほど、人は強くはないわ! 結局、あなたみたいな異邦人でなければ!」
「まだ、何も言っていないぞ」
「フェイル導師を告発しろと言うのでしょ!」
「いいや」
「……だったら? 当時の学院長は引退して学院を去ったわ。導師との関係性を知る者は当人だけ。しかもそのクロウリィとやらは亡くなったのでしょう? 昔のことをほじくり返して、誰が救われるの? 彼の名誉?」
いや、それはあの孫娘の笑顔で充分だろう。
「嫌がらせをしに来ただけだ」
「これは……?」
手にした彼女は、内容を目にし、眉根を寄せ、視線だけを見上げる。
「晶石を精製する際の遠心分離による不純物の除去と、魔力転換効率の上昇?」
魔晶石というのは、魔力を封じられた石であり、魔力が存在意義である魔法使いの生命線でもあり、場合によっては使用によって魔法の威力を上乗せ出来るアイテムである。
技術的な問題から、その流通は魔力の盛んな地方だけに限られ、高価な値を付けられる。田舎の魔法使いともなれば、目にすることさえ生涯ないかもしれない。
「これを実用化したら、魔晶石の価格破壊が起こるわよ……!」
そう、魔晶石とは高価なものである。それが、純度が高いとなれば、尚更。
しかし、安価でかつ使い勝手の良い魔晶石が世に溢れれば、どうなるか。
悪貨は良貨を駆逐するが。悪貨は質が良く、良貨は高すぎるときた。
彼女は、呆れたように目を閉じ、肩を落とす。
「……酷い人。これで、私にフェイル導師の不興を買え、というのね?」
もともと魔晶石は、魔力変換に無駄が多い。純度の高い魔力を注入する技術もそこから多くの魔力を引き出すためのやや強引な手法だ。
そこに、晶石自体の変換を向上させる技法が現れれば、モルガン・フェイルの功績を過去のものにしてしまう。
「嫌がらせだと言ったろう?」
「どうだか? 私がこれを握り潰したり、フェイル導師に献上するとは考えないの?」
「しないさ」
「何故?」
「君は純粋だ」
顔の皺を寄せ、からからと子供のように笑う姿はかつての美しさを彷彿とさせた。
「変わったわよ、私は。ねえ、見て? もうすっかりおばちゃんになっちゃった……来る日も来る日も下らない書類に目を通し、無駄な会議に出席して、門下生の面倒を見て、魔術の研究なんてすっかり出来なくなっちゃった」
ホムンクルスに魂を容れ、姿の変わらぬ相手への皮肉でもあるのだろう。
「……はいはい、分かりました。せいぜいこれで、あの陰湿ばばあの嫌味を受けることとしましょう?」
頬に触れる髪を耳にかける仕種を見せ、彼女はじっと見つめてくる。
「学院に、来てはくれないの? 貴方がいれば……」
「そのつもりはないな」
「今も独りで?」
「いや、
彼女は微笑む、そう、過去の自分達もそうだった。
「今は何かの研究を?」
「ああ、おっぱいとおしりの黄金比の研究」
一瞬、ぽかんと口を開けてから、顔をしかめる。
「ああ! ほんっとに! もう!」
だが、目だけは笑っていた。
「私、貴方のそういうところ、大っ嫌いなんだったわ!」
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