第15話 魔王さまと戦士さま
「いらっしゃ……おや、懐かしい顔だこと」
閑散とした酒場に、香と煙管の匂いを燻らせながら、姥桜の女性は顔を上げた。
「マダム、久し振りに、ここのジントニックの味を思い出してね」
扉を叩いたのは、冒険の初心者ではなく、背丈の小さい黒ずくめの魔術師だ。
「どうだい、最近は?」
「もう何年も、一攫千金に魅せられた冒険者の相手さ。酒も女の味も知らない小童ばかりでさあ……、勇者になるんだ、魔王を倒すんだ、って、まあ、夢物語だねえ」
始まりの地、と呼ばれるこの地方には、冒険者を志す若者たちが集まる。
獰猛で凶悪なモンスターが少ないという地方性もあるし、この城下を中心に周辺の街や村が連合して、初心者の冒険者を支援しているからでもある。彼らを支援することにより、モンスターは狩られ、周辺地域の安全を保っている。そんな相互関係を築いていた。
細長いグラスにジントニックが注がれる。
「たまに、自分でも作るんだがね……この味は再現出来ない」
「発泡させないのが、コツさ」
ふふん? 何かビターズを混ぜているのだろうが? さて。
「少し、寂れた気がするが……」
昼は、冒険者登録ギルド。夜は、情報交換の酒場。それにしても人気が少ない。
「ああ、そうだね。変わったことがひとつ、いや、変わった人がひとり、かねえ?」
吾輩は、一杯のジントニックには釣りがくるくらいの硬貨を置いた。
情報だって無料ではない。
マダムは胸元に硬貨を放り込むと、苦笑しながら紫煙を吐いた。
「悪いやつじゃあ、ないんだがねえ……少し迷惑してる」
吾輩は宿の一室に戻り、待機していたエルフのメイド、メルに事情を説明する。
「雑魚狩りの女戦士、ですか?」
「ああ、最近の生態系の崩れは、そいつが原因だろう」
「陽が昇る前から、毎日毎日?」
「おかげで他の冒険者がレベルアップ出来ないと苦情が来ているそうだ」
「何か、目的が? 或いは事情があるとか……」
「さてね? 明日、それを探るとしようか」
一夜明けて、城下町を抜けた吾輩とメルは、近隣の森に出向く。
甲高い裂帛の気合の声と鈍い金属の音が鳴り響き、その主を容易く見つけることが出来た。
「待てえ! スライムめえっ! 今日という今日は、仕留めてやるううううううううううっ!」
白く濁った珍しい、というか、あんなレアなスライム他にいない。
「主殿、あれ……」
嫌な記憶を思い出したか、メルは長耳を力無く垂れ下げ、眉間を寄せた。
「そうね。食いついてくれていたか」
羽根飾りの付いた兜から伸びる薄く紫がかった黒髪、肩で息をし、背には弓と矢筒を背負う。両手にある長剣と手斧を縦に横にと振り回しながら、女戦士は、片膝をついた。
「何故! 倒せんっ!?」
まさか遠くで見つめる吾輩が、単体攻撃では絶対に倒せない仕様にしているとも知らず。まあ、おかげでここに調査に来るまでの時間稼ぎは出来たというものだが。
女戦士は、陽に照る褐色の肌も露わに再び立ち上がった。
「今日こそ、倒す!」
とっぷりと日も暮れて、立ち上がる気力も失った女戦士をからかうように、例のスライムは飛び跳ね、森の奥に消えていく。
「はあ! はあっ! 今日も! 倒せなかったっ!」
大地に四肢を投げ出して荒く息を吐く女戦士に、夕陽に照らされ伸びる影。
「やあ」
声をかけた吾輩に、女戦士は視線だけを向けた。
「……何だ? 黒ずくめの魔法使いと、生まれながらの精霊使いか? 珍しい組み合わせだな」
「貴女が、アン・メアリーですか? 雑魚狩りのアン」
ギルドのマダムから仕入れた情報と一致する。
「そうサ……アンタこそ何だい、エルフ? そのひらひらした破廉恥な服装は?」
「はっ? あ、貴女に言われたくありませんねっ! だいたいそれ、鎧ですかっ!?」
女戦士アン・メアリーは、ようやく立ち上がり、目の前のエルフと大差ない胸を反らして声高く言い放った。
「ビキニアーマー+3だ!」
通常の三倍的な色合いの赤い塗装と、いい敵の的みたいな金の意匠を施されたビキニアーマーだ。肩と胸部、腰回りを最低限の装甲で覆う金属製の鎧。そもそも装甲部分よりも肌色成分の方が多いってのは防御力的にどうなのだろうか? 回避重視ということか? あのまま肌に当てたら痛かろうから裏側は何か細工が施されていると思うので、中までじっくり見てみたいと思うのだが、あれ、なんで、メルは吾輩の両目を手で塞いでいるのだろうか?
見せられないよッ!
「で、あたいに何の用だってンだい?」
三人で集めた薪に、メルがサラマンダーを召喚し、焚き火を付ける。
眠りに就こうとする森の中、火を囲みながら、アンがやや挑発的に訊いてきた。
「皆が迷惑しています。貴女のせいでレベリングが出来ないのです」
アンは、メルの言葉に手慣れた対応よろしく肩を竦めて、鼻で笑った。
「治安が守られてるのには違いないだろ? 文句があるなら、かかってくればいいのサ」
なるほど、雑魚狩りはモンスターにだけではないということか。
「見たところ、剣も斧も業物のようだね? 近辺では入手出来ない代物のはずだが……」
「これ? ああ、密林通販で買ったのサ。便利な世の中だネ」
おい、誰だ、この世界に、
「かなり、高価だと思うのだが?」
「貯めたよお、こつこつとネ! 経験値と同じでサ! あたい、向いてるんだな、こういうの」
吾輩は、こっそりと解析――アナライズ――の魔法を使う。
(うっわ、ステータスから経験値、所持金までカウンターストップしてやがる)
こんなになるまで? 序盤も序盤、始まりの地で? 雀の涙の経験値と二束三文の収入で?
「どんだけ暇なんだよ! そら、生態系も崩れるよっ!」
「なに、言ってンのサ! 準備ってのに、やり過ぎなんてないンだよ!」
一瞬、揺らいだ焚き火に照らされて、影を落とす瞳が鈍く光る。
「戦士ってのは、不遇でネ。最大攻撃力は勇者の専用武器に勝てない。魔法も使えないから全体攻撃も出来ない。仲間の盾ぐらいにしか思われていない。でもネ、ラスボスってやつには大体、魔法はあまり効果がないからサ。敵さんの攻撃力も高いから、僧侶はHP管理、魔法使いは、ステータス上昇に追われる。勇者だって、その万能さ故に回復役に回らなきゃいけないときだってくる。結果、ダメージを、ダメージだけを与え続けるのは、戦士の役目サ」
浮かされたように熱っぽく語る姿は、どこか嬉しげで狂おしい。
「あたいはネ、レベルを上げて物理で殴るだけサ……文句があるなら、明日また聞くよ」
アンは、大きな欠伸をひとつ。ビキニアーマーのまま横になってしまった。
その姿に、吾輩とメルは、困った視線を交わすのだった。
翌朝。
「で、こうなるわけかい?」
アンは、余裕の笑みを浮かべて両の肩に剣と斧を乗せた姿勢だ。
「……主殿の手を患わせるほどのことでもありません」
メルは、入念に身体を伸ばし終えると、スカートの裾をつまんでお辞儀した。
「武器は? それとも、お得意の精霊魔法?」
「体術でお相手致します」
「メル、メルさん?くれぐれも精霊手は……」
「心得ています。あの程度の戦士如きに本気は出しません」
「へえ……」
羽根飾りの兜から覗くこめかみに、青筋が浮かぶ。
「あたいを、ごとき、だってえ?」
アンは大地を蹴り、間合いを一気に詰める。
「私が勝ったら、この次の土地へと移ってもらいますよ」
メルは、肩の力を抜いたまま眼鏡の奥の双眸を細くした。
「ほぉざぁけえぇっ!」
右手の斧は、意図した一撃だろう。防がれても躱されてもいい。体勢を崩すのが目的。本命は左の長剣。二段構えの攻撃だ。
風の精霊シルフを周囲に這わせたメルは、大気の流れで相手の攻撃を先読みする。
横薙ぎの手斧を、身体を反転させ、舞うような足さばきで躱す。
次の長剣の振りかぶりを、攻撃の前に間合いを縮め、アンの顎に下からの掌底打。
膝を震わせたアンは、後退り、腰を落とす。
「くっ! ……ふ、ふふ、やるな、エルフ! その平たい胸は伊達じゃないネッ!」
「は?」
エルフらしく整った顔の造形を、およそ原型を留めぬほどに歪ませた。
「あんな『
「……」
エルフの沈黙。
吾輩、嫌な予感。
「嬉しいヨ! こんな所で『
メルは、無表情のまま半身の体勢で右手の拳を腰の後ろに、左手を前に差し出し、くいくいっと招くように挑発した。
「カウンターを狙おうってンだろう! 乗ってやるよお! 当たらなければ! どうってことはない!」
あ、それフラグ。
アンが半歩踏み出しかけた頃には、既にメルは脚部に風を纏い、跳躍していた。
「あ」
アンの口が、その形に開いた瞬間。
無情にして非情なほどの想いを握り締めた拳が、ビキニアーマーに守られていない露出した腹部に突き刺さる。
(うっわ、リバーブロー一発で沈めやがった……)
本来、徐々に体力を奪うはずの肝臓打ちで、哀れ、アン・メアリーは泡を吹いて悶絶し、その場に崩れ落ちた。
その怒りの威力たるや……
「あ、あのう……メル、さん?」
振り向いたエルフの、何と清々しい笑顔か!
「さ、主殿!」
「はい!」
吾輩、何故か敬語。
「私より小さな胸の、こんな女戦士など、さっさと送り飛ばしてしまいましょう!」
「いやだああああああああああああああああああああああああああああああああああーっ!」
転送方陣に閉じ込めてあるアンが、泣き喚きながら必死に訴える。
「始まりの地から出たくなあああああああああああああああああああああああああああい!」
何だか、引きこもりを無理矢理部屋から引きずり出そうとしているような気分。
「あたいは! 誰にも負けたくない! 1ダメージも喰らいたくない! 敵は一撃で倒したい!」
まあ、何とも虫の良い願いだが。
「人は傷付かなくては、成長出来ぬものだよ?」
吾輩は、魔方陣に近付き、憎々しげに睨み付けるアンに語りかける。
「魔法使い! おまえ! 何かズルしたろう! でなきゃ!」
エルフのメイドさんなんかに、負けるはずがない、か?
「いやあ……今の君なら、魔法を使わない吾輩でも勝てるよ?」
「何故だ! 私は強い! 私のステータスはマックスだ! 私がこの世で一番強いんだあ!」
「うん、見習い戦士としてはね?」
アンの口が「え?」の形に開いた。
「だからあ、君はあ、見習い戦士。いいかい? 最下級職、それが君」
「え?」
「今の職のまま、レベル99になろうが、カウンターストップしようが、強さはたかが知れているわけさ」
「え?」
「普通はね? そこそこのレベルになったら、次の上級職にいくもんだよ?」
「え?」
「そうだなあ? 純粋に戦士職に進むなら、戦士、軽戦士、重戦士、剣闘士、侍、忍者、暗殺者、騎士、聖戦士、魔剣士……他には魔法戦士とか、ああ、狂戦士とかもあるな」
吾輩の肩に軽く手を触れるメルは、首を振り、慈愛の笑みをたたえてアンに歩み寄る。
「達者でな、貧乳戦士」
そんな
予め敷いておいた魔方陣によって、女見習い戦士アン・メアリーは次なる街に飛ばされた。そこでも面倒を起こさないことを願うばかりである。
「どころで主殿?」
「ん?」
「ビキニアーマー+3って、何だったのですか? 手合わせしても、特に
単純に、露出度が三倍ってだけなのだろうか、とメルは首を捻った。
「ああ、あれか……」
吾輩は、解析の魔法で開示された、アンの密林通販購入履歴を喚び出す。
「値段が通常の三倍だね」
「え?」
「出品者も巧妙に情報をぼやかしている」
つまり、詐欺だ。
メルは、呆れたように天を仰ぐ。
ああ、赤い、ビキニアーマー……通常の、三倍……
森を立ち去る吾輩とメルに、あの白いスライムが、いつまでも小刻みに飛び跳ねる。
それに手を振り返し、吾輩たちは、帰るべき城へ転移するのだった。
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