第三章 023
「一応言っておくが、ワタシはこう見えても忙しい身でな――」
スゥが、ホライズンへ来てから一ヶ月が経った。
一ヶ月もあれば、街のより多くの人々と触れ合い知り合うことも、クロードからのプレゼントである料理本でレパートリーを増やすことも、十分に出来るだけの月日が流れていた。同時に、スゥがホライズンに自分の居場所を見出していることを示していた。
それは、恐らく幸せと言うモノなのだろう。
気付けばそれが日常となっていた。
今日は、クロードの店にアンリエッタが来ていた。
クロードの店へ一体何をしに来たのかは分からないが、スゥが作ったアップルパイを頬張っているその姿は、とてもじゃないがアンリエッタが忙しいようには見えなかった。食べるのに忙しい、と言うことなのだろうか。
「また腕を上げたな、スゥ。クロードの店に置いておくには勿体ない。ワタシの所に使用人として欲しいくらいだ。どうだ?」
「ありがとうございます。お気持ちだけ、受け取っておきます」
スゥは、ぺこりと頭を下げた。
「例えば、魔法で好きな願いを一つだけ叶えてやろうと言っても――か?」
「はい。私の願いはもう叶ってますから」
スゥは、笑顔で答えた。
自分の居られる、自分を認めて貰える――そんな居場所が欲しい。それが、スゥの願いだった。獣耳で居ても後ろ指刺されることは無い。クロードは、家族だと言ってくれた。何より自分がここに居たい――そう思う気持ちが、何よりの答えだった。
「ふーん。大したもんだね。大抵の人は、あれよあれよと欲の波が押し寄せて来るってのに。まあ、魔法は万能じゃないから、願いを聞いてくれと言われたところで、答えてやらんがな。何より、面倒臭いし」
恐らく、最後の一言が本音なのだろう。
スゥは、取り敢えずあはは、と苦笑いをした。
カレンとの別れから数日後、御飯を作って持って行く機会があった。その時に、スゥの作った御飯を偉く気に入った様子で、それ以来、度々作っては持って行くようになった。スゥも喜ばれること自体を好いているので、それは何ら苦では無かった。
「おや、何をしに来たんだい。姉さん」
クロードが外出から帰って来た。クロードの様子から察するに、どうやら話があって来たようでは無かった。
「ワタシが、自分の家に帰って来るのに何か理由がいるのかい?」
アップルパイを頬張りながら、アンリエッタはそう答えた。
「ここは、クロードさんの家じゃないんですか?」
スゥは小さく首を傾げた、
「昔も今もここは、僕等の家だよ。姉さんは、滅多なこと帰って来ないから、スゥが知らないのも無理は無いか。僕だって、説明していなかったし。でも、まあここの窓とあそこが繋がっている理由にも合点がいくだろう?」
「行き来が楽だからですか?」
「正解だ」
クロードは笑いながら答えた。
「恰も自室かのように使用しているあそこは、言わばワタシの職場のようなモノでな。だから、あそこは、ワタシ一人が独占して良い空間では決して無い。しかし、職場を自室のように堂々と使うワタシは、呆れるどころか、寧ろ格好良くは無いか?」
アンリエッタは、アップルパイの皿を舐め回しながら言う。
「えっと、どうでしょう……?」
スゥは、困った様子で答えた。
「スゥが困っているぞ」
「ふむ、そうか。さて――」
アンリエッタは、腰掛けていたイスから立ち上がり、その場で両手を組みながら伸びをし、ポキポキと首を鳴らし、一息つくと、次はエッグタルトを頼む――そう一言だけを残し、二階の窓から帰って行った。
本当に腹を満たしに来ただけのようだった。
「そう言えば、今日はニナの家のレイやリナと遊ぶんじゃなかったか? 家でのんびりしていて良いのかい?」
「あッ! すっかり忘れていました」
アンリエッタが来ると言う思い掛けない出来事に、クロードに言われるまで思わず忘れていた。スゥは、慌てて遊びに行く為の準備を始めた。準備と言っても大袈裟なモノではない。あの日以来、出掛ける時には必ず身に付けるようにしているモノを付けるだけだからだ。
それは、あの日、再会を誓った懐中時計だ。
スゥは、カレンから預かった懐中時計を何よりも大切にしていた。そうしない理由が全く無い。次に会った時に、壊れていたのではカレンに会わす顔が無いからだ。
しかし。、壊したくないのであれば懐中時計は身に着けておくべきでは無かった。クロードの店にでも置いて大切に保管しておけば、身に付けるより壊れる可能性はぐんと低くなるはずだからだ。
けれど、スゥはそうしたくは無かった。いつでも、自分の手の届くようなところに置いておきたかったからだ。
「行ってきます」
スゥは、元気な声でクロードの店から飛び出していった。
待ち合わせは、中央広場の噴水の前。クロードの店からは歩いて行けば十分も掛からず、駆け足で行けばものの数分程度で着く距離だ。勿論、約束の時間まであまりないので、駆け足で中央広場に向かった。
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