ブライダル・クラブにようこそ!

櫂末高彰

Planning 1 発足

「結婚式の予習をしよう」

 いきなり口走ったので、テーブルの向かいで明日の予習をしていた友人が訝しげな目をして顔を上げた。若王子わこうじ攻輔こうすけはその視線を受け止め、一人頷く。

「モリー、お前の言いたいことはわかる。大丈夫、俺の頭は正常だ。説明を聞いてくれないか」

「別に構わんが、それ以上のことを俺に期待するなよ」

 モリーと呼ばれた少年――本名、藤家ふじいえ守人もりとは、ノートに英文の日本語訳を書き込む手を止めることなく言った。肩幅が広く、体格の良い男である。髪型はいわゆるスポーツ刈りで、特に人目を引くこともない顔立ちは、真面目一辺倒という印象を与えていた。そんな友人を見て、攻輔は再び頷く。

「春休み中にな、従兄の結婚式があったんだよ」

「それは、おめでとう」

「で、親戚ってことで俺も出席したんだけどな。正直、見てられなかったんだ」

「あまり良い式じゃなかったのか?」

 藤家の合いの手に、攻輔は頭を振った。

「式自体は良かったと思う。来てた人たちも仙さん、あ、従兄の名前、仙一っていうんだけどな、仙さんたちのこと本当に祝福してたし、雰囲気は良かったよ」

「じゃあ、何を見てられなかったんだ」

「仙さんだよ。仙さんがな、もう、見てられなかったんだ。式のときからガッチガチで、キスするときも指が震えて上手くベールが挙げられないんだよ。奥さんの方がすごい心配そうな顔で見てて、俺、親戚ってことでけっこう前の席に座ってたんだけど、そういう緊張感が伝わってくるんだよ。うわー、仙さんテンパってるなって」

「まあ、仕方ないんじゃないか。そういうもんだろ」

「にしてもテンパりすぎだって、あれは。披露宴のときも、新郎の挨拶があるんだけど、あまりに緊張してるもんだから折角面白いこと言っても聞いてるこっちは笑えないんだよっ。しかも受けなかったことに動揺したのか噛みまくるし。普段はしっかりしてる人なんだけどなあ。あそこまで変わるもんかと」

「そういうのも結婚式の醍醐味なんじゃないか」

 シャープペンシルを走らせる手を止め、藤家が英和辞典を繰り始める。攻輔は「いやいや」と身を乗り出した。

「父さんも母さんも『初々しくて良いじゃないか』とか言ってたけどな。あれって撮影されてるんだぞ。記録として残されるんだぞ。事あるごとにネタにされるんだぞ。本人にしてみれば、ほとんど拷問じゃないか? きっと夫婦喧嘩したときなんかに、奥さん絶対式のときのこと言い出すぞっ。『あなたは昔から、肝心なときにダメなんだから!』とか言われるんだぞ! 最悪じゃないかっ」

「……お前は従兄さんの何なんだ」

 藤家の呆れ顔を受け、攻輔は手を挙げる。厳かに宣言した。

「そこで私は考えました。このような失態を繰り返さないためにはどうすれば良いのか。人間は過去に学ぶことができるや否や。できる! できるのですよ、モリーさん」

「そうですか、オージさん」

 藤家が攻輔の渾名で切り返す。攻輔は更に椅子から立ち上がった。

「予習をすれば良いのです! 本番で失敗しないためには、とにかく先に練習しておくべきです。先生たちはいつも仰ってるじゃありませんか。予習・復習が大事だと。だったら結婚式の予習もしましょうよ。撮影したビデオを観て復習を繰り返すくらいなら、予習を入念に致しましょう。そうすれば本番であんなにテンパることもなくなりますよ。世の中、場慣れが重要ですよ」

「……言いたいことはわかるんだけどな。結婚式の予習って、どうやるんだよ?」

 とうとう藤家は英語の予習を諦め、シャープペンシルをノートの上に置いた。困った顔で攻輔を見上げる。

「決まってるだろ。実際に式をやってみるんだよ」

「オージ、頭大丈夫か? 日本じゃ現在、結婚は男が一八歳から、女子は一六歳からって法律で決まってるんだ。女子はまだしも、男は三年生の一部の人しかできないんだよ。それに実際問題として、高校生で結婚するのは少ないだろ。いないとは言い切れないけど、うちの高校にそんな人たちがいると思うか?」

「だから、練習なんだって」

 攻輔は椅子に座り直した。

「あくまで練習。本当に結婚するわけじゃないから法律とか関係ないんだよ。一生もんの本番のために、本番さながらの練習をしておくってコンセプト。普通に付き合ってる奴らなら、うちにもゴロゴロしてるだろ?」

「ゴロゴロかどうかは知らないけど……」

「これは受けますよ、モリーさん。クラブ名は、そうだな、『ブライダル・クラブ』ってのはどうだっ? 結婚式・披露宴総合プランニングクラブ、ブライダル・クラブです。どうぞ、よろしく」

 芝居がかったお辞儀をしてみせる。藤家は「はあ」とため息をついた。

「この一年、新聞部としてはまともに活動してこなかったのに、どうして急にやる気を出したんだ?」

「そこだよ、モリー。俺たち高校二年生になったんぞ。世間一般では一番楽しい時期といわれる年代だ」

「そうなのか?」

「そうなんだよっ。そういうことに決めたんだっ。とにかく、無為に過ごしてしまった一年間の反省も込めて、我らが新聞部は本日ただ今をもって『ブライダル・クラブ』へと生まれ変わります!」

「勝手に部を作りかえるな!」

「大丈夫、大丈夫。小鳥遊たかなしセンセーもわかってくれる」

「そういう問題じゃないだろっ」

「素晴らしいアイデアです!」

 突然、出入り口のドアが開き、瞳を潤ませた女性が飛び込んできた。ふわふわした髪を肩の辺りで揺らし、手をパチンと合わせて朗らかに笑う。実年齢は二十代半ばのはずだが、その言動からもっと幼く見えた。彼女は新聞部の顧問、小鳥遊たかなしこずえである。

「『ブライダル・クラブ』、なんて夢と愛のあるクラブなんでしょうっ。若王子くん、先生、感動のあまり涙が出そうになりましたよ」

「おおっ、やっぱりわかってくれますか、小鳥遊センセー」

「はいっ、先生は信じていました。若王子くんはやればきっと出来る子なんだって。今はまだそのきっかけが掴めていないだけなんだって。一年間、見守り続けてきて本当に良かった」

「ありがとうございます、センセー」

 涙ぐみながら固く握手する二人。その光景を呆然と見つめていた藤家は、ふと我に返り、「オージ、お前、褒められてないからな」と呟いた。

「そんなわけで、今日から我らが新聞部は『ブライダル・クラブ』に変わります。小鳥遊センセーには引き続き顧問をやってもらうとして、俺が部長、いや、もっとそれっぽい名前がいいな。よし、代表にしよう。俺、今日から『ブライダル・クラブ』の代表! モリーはその他全部で」

「その他全部って」

 ツッコむ藤家は無視して、「まずは何からやるべきか」と攻輔は思考を巡らせる。

「生徒会に創部申請をしないといけませんね」

 小鳥遊が笑顔で言った。いつの間にか藤家の隣に座ってニコニコと攻輔を見ている。「それもそうですね」と指を鳴らし、攻輔は「ちょっと生徒会室に行ってくる」と告げた。

「待て待て待て、ちょっと待てっ。二人とも落ち着いて」

 藤家が攻輔を引きとめ、立ち上がって二人を見下ろす。難しい顔をして腕を組んだ。

「どうしましたか、藤家くん?」

 小鳥遊がキョトンと首を傾げている。藤家の眉間に一際深い皺が刻まれた。

「先生、一つお尋ねしますが、ざっと一年前、俺たちを新聞部に誘った理由を覚えていらっしゃいますか?」

「正確には、俺がセンセーの悩みを聞いてあげたんだけどな」

 攻輔が横から首を突っ込むと、グワッと物凄い形相で睨まれた。

「いやん。モリーちゃん、怖い」

 攻輔は早々に退避する。小鳥遊は「えっと」と人差し指を唇に当てて少し考える素振りを見せた。

「あのときは、四月中に誰か新入生を入れないと部員がゼロになってしまうんですって若王子くんに話したんですよ。そうしたら、若王子くんが藤家くんを連れて新聞部に入ってくれました。先生、本当に嬉しかったです」

 ニッコリ。笑顔になる。攻輔は「俺、グッジョブ」と自分で自分を褒めてやった。

「ええ、そうですね。その通りです」

 藤家の表情は険しいままである。攻輔は何か問題があっただろうかと考えてみた。一年前、私立しりつ歩行橋あるくのばし高等学校に入学した攻輔は一年C組になり、そこで藤家と小鳥遊に出会った。小鳥遊はC組の副担任であり、朝のHRは彼女が担当していた。

 歳が近いからか、話をしやすかったので休み時間などあれこれ話しかけていたら、小鳥遊がちょっとした悩みを打ち明けたのである。彼女が顧問をしている新聞部の部員が昨年全員卒業してしまい、現在部員が一人もいないのだと。そこで攻輔はたまたま近くにいた藤家に声をかけ、二人で新聞部に入った。

 それからは、新聞部の部室で放課後だらだら過ごす日々が続いた。小鳥遊も特に何もしない攻輔たちに指導をするわけでもなく、一緒になってのんびりお茶を飲んだりテストの採点をしたりしていた。そうして、穏やかながらメリハリのない一年を過ごしてしまったのである。

「あっ!」

 攻輔は気づいた。藤家を見る。「気づいたか」と彼が呟いたので、彼は大きく頷いた。

「モリー、お前、本当は校内新聞とか作りたかったんだなっ」

 真剣に新聞部の活動をしてみたかった。藤家の心の叫びを聞いた気がして、攻輔は顔に手を当てて項垂れる。

「すまない、モリー。俺、お前の気持ちを――」

「とんだ勘違いだ」

 冷淡な声が飛んできた。「あれ? 違うの」と顔を上げると、藤家がまたため息をつく。

「いいか、オージ。俺たちはそもそも何のために新聞部に入ったんだ? 新聞部を潰さないためだろうがっ。それなのに、思いっきり新聞部を潰して別のクラブを立ち上げるってどういうつもりだっ。小鳥遊先生も、そこのところを忘れないでください」

「でも、新聞部は潰れませんよ」

 あっさりと、小鳥遊は言ってのけた。藤家はもちろん、攻輔も目が点になる。

「新聞部は伝統があって、教育的効果が見込める部活動だということなので、廃部にはならないんですよ。部員がいなくなると休部扱いになるだけです」

 朗らかな顔で言うものだから、一瞬、とても良い話を聞かせてもらえたと思えた。が、すぐに藤家が爆発する。

「それって! 俺らのこと騙してたんですかっ?」

「騙してませんよー。若王子くんにも『ちょっとした悩み』で、『今は部員が一人もいない』としか言いませんでしたよ。先生、その前の年に初めて顧問を引き受けたのに、一年で誰もいなくなってしまったので、寂しいなあと思っていただけです」

「…………」

 藤家の刺すような視線が痛い。攻輔はふっと窓の外を見やり、

「問題解決ってことだな」

 無理やり自分に都合の良い解釈をした。

「この一年は何だったんだ!?」

 藤家が叫ぶ。攻輔は改めて椅子から立ち上がり、爽やかに言った。

「良いじゃないかっ。そのお陰で俺たち、親友になれたんだし。それに、校内で男子に大人気の小鳥遊センセーとも仲良くなれたし」

「まあっ」

 小鳥遊が頬を赤らめる。藤家は絶句して俯いてしまった。今がチャンスとばかり、攻輔は廊下に飛び出す。「んじゃ、後よろしく」と適当に声をかけ、生徒会室へと足を向けた。

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