第35話 間違いなく私は浮かれすぎていたのだと思う
間違いなく私は浮かれすぎていたのだと思う。
「カザリアさん、今日はものすごく複雑な仕組みの髪型なんですね」
「……他に言いようはないの? ケフィが泣くわよ」
玄関前で待ってくれていたロウリィは、ほやほやと相好を崩す。
差し出された手に、手を重ねながら、私はまたロウリィを直視することに失敗して、繋いだ手ばかりを見つめてしまった。
「……ケフィが頑張ってくれたのよ。どうしても今日の装いは地味になってしまうからって」
「はい。お似合いですよ」
逃げ出した私を許容して、ロウリィは気づかないふりをしてくれる。
向けられていた眼差しも、声も、優しさも、きっとずっと大きな変わりなんてなくて、ただ密かに紛れこまされていた想いの深さに気づけていなかったのだと。
気づいてしまった今では毎日のように思い知らされていて、その度に息が止まりそうになる。
「その……ロウリィも」
「うん?」
「素敵だわ……茶色くって」
言って、間違ったと思ったけど遅かった。
「奥様こそ、他に言いようはないんですかねぇー。だいたい奥様もみんなも私だって、今日は揃って茶色の服を着ているじゃないですか」とロウリィの傍に控えていたルカウトから呆れ混じりの声が飛ぶ。
「ちょっとルカウトさん。奥様は、これでも頑張っていらっしゃるんですから!」と、私の後ろから擁護してくれたケフィに、いたたまれない気持ちが増していく。
ちらりと盗み見れば、茶色で統一された外出着をまとったロウリィはなんだか嬉しそうな顔でこちらを見ていた。
うっかり引き込まれそうになってしまって、はたと立ち返る。
気がつけば見送りに集まってくれていた屋敷のみんなが微笑ましいものでも見るように私たちのことを見守っていた。もう半月は繰り返されているこの視線の嵐に、頭が真っ白になってしまう。
「い、行きましょう! 早くっ!」
私は慌ててロウリィの背を押す。
暦の上では冬が終わりを告げるその日――みんなの生温い視線に見送られて、私たちは足早に屋敷から出た。
***
「すごい人だわ」
「賑やかですね」
馬車から降り立った途端、間近になった喧騒の明るさに胸が弾んだ。
いつもは憩いの広場としてぽっかりとひらけているその場所に、今日は隙間なく屋台が並んでいる。
この日だけは申請さえ通れば領内の者なら誰でも無償で出店できるとあってか、普段から店を構えている人の他にも、いろんな人が屋台を出しているとロウリィから聞いていた。
様々な商品の屋台が並ぶ中でも、野菜や果物、その加工品を売る屋台が大きな割合を占めているのは、農地の多いこの土地らしかった。私たちに気づいた顔馴染みの農家の人たちが、屋台の先から顔を出して手を振ってくれる。
集っている誰もが、この日を祝い、茶色の衣服で身を包んでいた。
会場の入り口で待ち構えていた祭の係の人たちから手招きされて、顔を見合わせた私とロウリィは連れ立ってそちらへ向かう。
「領主様、奥様、花呼びの日おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「花呼びの日、おめでとう」
挨拶を口にすれば、この祭に欠かせないという造花の花輪を首にかけてくれた。
胸元を見下ろすと、色布でつくられた水色の花がいくつも連なってふわふわと揺れていた。
この日のために手間暇かけてつくられる特別なものなのだろう。重ねられた色布の風合いは美しく、まるみを帯びた花びらが愛らしい。
「おきれいですわ、奥様」
「ありがとう。あなたも素敵だわ。赤がとてもよく似合っている」
「本当ですか! ね、ね、聞いた? 私、奥様に褒められちゃった」
ふふふ、と私に花輪をかけてくれた顔馴染みのお嬢さんの笑顔が弾ける。胸元に赤い花輪をまとう彼女は、内緒話を打ち明けるように、近くにいた赤毛の青年に耳打ちをした。彼女の髪に添えられた赤色のリボンを微笑ましく見つめてしまう。
ついてきてくれていたケフィにもルカウトにもバノにもスタンにも、同じように花輪が贈られ飾られていく。彼らもまたそれぞれに花輪の色が違ったから、いったい何色用意されているのか気になってしまった。
こうして冬の最終日、芽吹きの前の土や裸木を模した茶色の衣服を身にまとい、その上から花を模した色布の花輪をつけることで、明日に訪れる春を、花を、この地に呼ぶのだという。
屋敷のみんなも、あとから交代で祭にでかけると言っていたから、エンピティロに住む人たちにとっては大切で馴染み深い、毎年、心待ちにしている祭なのだろう。
「ロウリィ、それ、かわいいわ!」
係の人たちの挨拶から解放されたロウリィを見れば、ロウリィもやはり他のみんなと同じように花輪をつけていた。
「かわいいって……」
「だって、あんまりかわいいのよ」
褒めるほど、ロウリィが珍妙な顔になる。
それでも、黄色に橙と色彩豊かな花輪は、まあるいロウリィの顔にも、晴れた冬空の色をした薄蒼の瞳にも、ちょっとだけ風でくせがついた茶色の髪にも、あまりにも似合いすぎじゃないかと思う。
「カザリアさんのほうがかわいいですよ」
「いいえ。絶対にロウリィのほうがかわいいわよ。今日一日つけておいてほしいくらい」
「え、家では外しますからね!?」
「もったいない!」
「もったいないって、そんな力いっぱい!?」
こくこくと頷けば、うーん、と何やら難し気な顔をして、ロウリィは空を仰ぐ。
「じゃあ、カザリアさんも今日一日つけておいてくださいよ。春みたいだから」
「春?」
「ほらだって。カザリアさんの髪は光の色をしていますし、瞳は芽吹いたばかりの若葉みたいな翠ですし、花まであったら春そのものです」
きれいです、とても、とささやいて、ロウリィは私の手を取った。
「行きましょう、カザリアさん。たくさん見てまわらないといけないから」
手を引かれた私は、あまりのことに何もない道でつんのめりそうになる。火照りだした頬を、繋いでいないほうの手で覆い隠して、歩き出す。
「ど、どうしてこんなところで、そんなこと言うのよ」
「なら、どこだったらいいんです?」
「ど、どこって……だって、わ、わざとやっているの?」
「事実です」
ちらとこちらを見たロウリィが、おかしそうに笑う。
冬の最終日といっても、吹き付ける風は、まだまだ冬らしすぎる冷たさだというのに、火照った熱がおさまらない。
「なぁ、俺たち今日も、あのお二人に一日付き添わなきゃなの?」
「もう! スタン、邪魔しないで! 黙って! 静かにして!」
しっ、と鋭く嗜めるケフィの声が、嫌でも耳につく。
後ろはもう振り返ってはいけない、とかたく念じて歩いた。繋いだ手はそのままに、ロウリィの腕にもう片方の手を添えて、背後のみんなから顔を隠して進む。
「だめ、私、ほんと、こういうの向いていない!」
「そのうち馴れますよ」
ほややんと穏やかながらも、どこか無責任にロウリィは言った。
くすぐるように、からかうように、伏せた額を指先でなでられて、びっくりした私は思わず顔をあげてしまう。
近くに覗いた薄蒼の双眸が、なんだかとても幸せそうに見えたから。
またうっかり見惚れそうになった私は、せめてもの抵抗として口を真横に引き結んだ。
すぐ傍で笑いを噛み殺している気配がする。無性に悔しくなって、私は俯いたままロウリィの腕をぺしぺしと叩いてしまった。
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