第4話 ふわふわ、ぬくぬく、いい気持ち

 ぼうぼうと木枯らしが吹く季節。

 部屋の窓は冷たい風を受けて、絶え間なくカタカタと外の寒さを訴えている。

 近頃めっきりと冷え込んだ気温。凛と張り詰めた空気は早くも冬を含みはじめていた。

 降り注ぐ柔らかな太陽の光はもう起きなければいけない時間だと告げるけれども、こんな朝は温かな掛布から抜け出したくはない。

 小さく呻いて、目を閉じていても感じる眩しさに、顔を顰める。

 朝の光と冷たい外気から逃れようと、ごそごそと掛布の中に潜り込む。ふわふわとした温かさがとても心地好かったから、そこで丸くなることにして私は再び意識を手放した。



「おーい、カザリアさん。もう朝ですよぉ」

「うぅー……」

 ぽむぽむと何かに頭を叩かれる。離れて行こうとする温もりを逃すまいときゅっと握りしめた。

「はいはい、起きましょうね。離してくれないと僕も起きれませんから」

「ふえぇ……」

 まだぬくぬくと丸まっていたかったのに、掛布がはがされた。背中が寒い。冷気がぶるりと背を撫ぜた。眠っていたいのに、私の意思に反して、なぜか上体が起こされる。

「カザリアさんが寝ぼけてるなんて珍しいですね」

 それでも、まだふわふわとした温もりは傍にあったから、離れてしまった掛布の代わりに、ぎゅっとしがみつくことにした。

「う~ん……これは、ちょっと役得なのかもしれませんが」

 くすくすというよりももっと小さな笑い声と共に、背中にも温かさが帰ってきた。

 ふわふわ、ぬくぬく、いい気持ち。

 重たい瞼は開けられない。

 すぅとまたもや落ちはじめた意識。

 しかし、頬に走った痛みによって、すぐに引き戻されることとなったのだ。

「い、いひゃい……!」

 頬はあったかいけれど、それは同時にひりひりとした痛みを伴う。

 うっすらと、それから徐々に開かれて行く視界の先には、薄い蒼の二つの瞳とほややんとしたいつもの笑みがあった。

「おはようございます。カザリアさん。ようやく目を覚ましてくれましたか?」

「お、っはよう、ござい、ます……」

 ぺこりと目の前の人物にお辞儀をする。そのまま、前にぐらりと突っ伏しそうになった身体は、途中でそれを免れた。

「まだ、眠たいですか? 本当は寝かせておいてさしあげたかったんですけど、今日は随分と冷え込んでしまいましたからね、やらねばならない仕事ができてしまったんですよ」

「そう、なの……?」

 私はほけっと首を傾げる。言っている意味はよく理解できない。まだ頭が動き出してないな、とぼんやり思う。

 頬に触れていた温かさは消えた。だけど、ひりひりとした小さな痛みは残っていて、けれども、それすら次第に薄らいでゆく。

「はい。だから手を離してくださいね、カザリアさん」

 言いながら、ロウリィは私の指を外しにかかる。引き離そうとする彼の手に反し、私はロウリィの衣服をぎゅっと握ったまま、彼を勢いよく押し倒した。

「ぅわっと! うぐっ……」

 顔面から寝台にぼふりと突っ伏したロウリィが奇妙な声をあげる。私はそれを無視して、急いで掛布を引きよせ、自分と彼の体の上に覆いかぶせた。

 その直後に響き渡ったのは耳をつんざく大きな音。轟く破壊音はまるで薄氷が粉々に崩れ去ったかのように高く澄んで部屋中に反響した。

 けれど、実際の音源はもちろん薄氷のはずはなく、見事なまでに割られたガラスの窓だったのだ。



 掛布にまでかかったガラスの粉をはたはたと払う。

 やはり部屋の外まで響き渡っていたのだろう。部屋の外に立っていた警備の二人はすぐに扉を開いて飛び込んで来た。その後ろを、物音を聞いて駆けつけて来たらしい他の使用人たちがわらわらと続く。

 床に散乱しているのはガラスの破片。部屋の隅には、窓を打ち破ったと思われる拳大の石。綺麗に割られた窓には枠しか残ってはいなかった。

 目にした惨状に血の気が引いたらしい警備の一人、スタンが切迫した様子で問う。

「――お怪我は!?」

「うーん……」

 とりあえず私の身体に痛いところはない。隣を見てみるとこんな事態にも関わらず我が夫はぽやぽやと朗らかな笑みを浮かべていた。

「……一応大丈夫みたいよ?」

 あからさまにスタンが安堵した顔で胸を撫でおろす。その様子を見た彼の同僚のバノは眉を顰めて、スタンの頭に手をやると思いっきり彼の頭を押し下げ、自身も深々と頭を垂れた。

「申し訳ございません!」

「いやいや、外からでしたからね。部屋の扉の前で見張っていた君たちが対応できなかったのも無理ないですよ。でも、今度からは外にも警備をつけた方がいいのかもしれませんねぇ。これからどんどん寒くなるので申し訳ないのですが……検討しておきましょう」

 バノとスタンは顔を引き締めて、主人へ短く返事する。

「いやぁ、だけど、カザリアさんがいると本当に助かりますねぇ」

「むしろ護衛代を請求してもよろしいですか?」

「えええぇ!? それは困ります。ここ田舎ですから財源はそんなにないんですよ」

「冗談ですから、安心してください」

 それならよかったです、とロウリィは微笑む。

「それにしても、カザリアさん。起きたばかりでよくわかりましたね」

「よくわかるも何も、急に空気がピンと張りつめたでしょう?」

 おかげで一気に覚醒させられた。まだもう少し寝ていたかったのに。なんだかすごく恨めしい。

「だから普通の人には、わかりませんよ」

「なら、わかるようになりなさい! まったく本当に危なっかしい」

 実家に戻ろうとしていたにもかかわらず、雨の日を疾うに過ぎても私が実家に帰ることができなかったのは、多分、絶対にそのせいなのだ。

 ほけほけとするばかりで、まったく危機感のないロウリィは、私が離れてしまえばすぐにでもやられてしまいそうで……きっと実際にそうなのだろう。

 やって来て間もない頃から私に尊敬の眼差しを向けてきた警備の二人——バノとスタンを見ただけでも、私が嫁いでくるまでの彼らの苦労が窺われた。


 かちゃかちゃとガラスがこすれあう音と共に、部屋の片づけが開始される。

 遮るもののなくなった窓から、ひゅるりと風が吹き込んだ。

「さ、寒い……!」

 あまりの風の冷たさに、身体を震わせて、自分の両腕を掻き抱く。

 何か上着をと思ったけど、ガラスの散らばった床の上を歩くわけにはいかない。取って来てもらおうにも、みんな掃除をするために忙しなく動きまわっている。掛布を被ろうかと考えたが、一応払いはしたものの破片が残っている可能性が高かった。

 つまり私には堪えるしか道が残されていなかったのだ。

「うぅ……寒いぃ」

 これだから冬は嫌だ。朝は起きられなくなるし、どれだけ衣服を身に纏っても冬の冷気からはなかなか逃れられない。

 ロウリィがふと、両腕をさすって寒さをごまかしていた私の手に目を留めた。あまりにもじっと見つめているので何事かと首を傾げかけた時、やっとのことでロウリィは口を動かした。

「カザリアさん、血が……」

「え?」

 言われて私も自分の手を見てみた。左手の甲に、確かに血が出ている。

「ああ、掛布を引っ張ったほうの手が隠れていなかったのね」

 きっとガラスに当たって切れてしまったのだろう。それでも、恐らくかすった程度だ。傷は深くはないし、赤く細い線からじんわりと血が滲むだけ。

 舐めておきさえすれば平気だろう。


「――ロウリィ!?」


 自身の甲をぺろりと舐めて、顔をあげてみれば、そこには顔を真っ青にさせたロウリィがいた。

「まさか……」

 ロウリィは力なく頷く。

「……はい、血はとても苦手で……」

 うっと呻いて、ロウリィは口を押さえる。

 いったいこの人はどこまで情けないんだろう。呆れてものが言えないというのはきっとこのことなのだ。ロウリィは私が予想しうる情けなさを容易に越えて、越えて、越えて行く。

 ふらりと傾いた夫の身体を、はしりと捕まえてなんとか留めた。

「ロウリィ! 危ないでしょう!? しっかりしなさい。ほら、大丈夫です。もう、血は出てないでしょう?」

「う、はい、よかったです」

 ロウリィは私の傷口を確かめると、ほぅと溜息をついて、ぽやんと安堵の表情を浮かべた。

 けれど、彼は次いで困惑したような表情を浮かべる。

「あのお、カザリアさん?」

「何よ?」

「手、離してくれないんですか?」

 ちっと舌打ちをならす。

「だって、寒いのよ!」

 はしとロウリィを掴んだままになっている手からは、ほかほかとした温かさが伝わってくる。柔らかな温かさから離れるのが嫌だと私の手が言っているのだ。

 ひゅうるるると、なお一層強い風が部屋の中へと吹き荒れて、堪え切れずに私はロウリィにしがみついた。

 やっぱりとてもあったかい。こんな時こそ夫婦の特権を利用しなくてどうするのだ。

「さーむーいー!」

 ロウリィの小さな笑い声が耳元で聞こえた。きっと今も相変わらずぽやぽやと笑っているのだろう。

「はいはい」

 笑いながらまわされた彼の手は私の背に新たな温もりをもたらす。

 求めた通りのぬくぬくとした温かさに思わずうっとりとしてしまう。

「やっぱり、これは役得ですかねぇ」

 私の肩の上で、彼はひとりごちる。

 早く春にならないかなぁ、とロウリィが呟く。ふわふわとした温度に身を委ねながら、私も小さく同意したのだ。

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