雅楽先輩と私

若桜なお

第1話 私と雅楽先輩

 ──黒巣くろす雅楽うたは変人である。


 それが、我が峻英しゅんえい高校における認識だった。


 曰く、常にサバイバル用品や非常食、救急道具などが山ほど詰め込まれた避難袋を持ち歩いている。

 曰く、教科書に替えて、授業中に様々な技術や薬学の本を読み漁っている。

 曰く、アーミーナイフを学校に持ち込み、それがバレて教師に没収されたらしい。

 曰く、過去に何度か神隠しに遭ったことがあるらしい。

 曰く、異世界に行ったことがあると吹聴している……などなど、彼にまつわる逸話には事欠かない。


 そんな逸話の中に、「女子ばかりの家庭科部に入部している」というものがある。


 いや、別に男子生徒が入部してもなんら問題はないのだが、家庭科部は文化部の中でもことさら女子生徒ばかりなのだ。むしろ女子しかいない。

 そんな家庭科部の黒一点となっている黒巣雅楽という人間は、非常に浮いた存在だった。ハーレムでも作る気かという陰口すらあるほどだ。

 かといって、彼は女子目当てで入部したわけではなかった。むしろ女性に興味があるのかと問いただしたくなるほど、女子生徒に対する彼の態度は淡々としている。

 「食べれなければ生命活動が危うい。いつどんなところでも食べ物にありつくには、料理ができた方がよい。醤油や味噌を自分で作れるくらいには、自分の料理の腕を磨くべきだ」というのが、かの変人の言い分だった。

 それでいて成績が悪いわけではないというのが腹立たしいと、彼を知る人は言う。

 もう少し奇行ではなく学業に力を入れてくれればと、教師陣は嘆く。


 けれども、周囲の評価はどこ吹く風とばかりに、今日も変人の奇行は続くのだった。


          ◆


「こんにちは~。あ、うーたん先輩、もう来てたんですか。相変わらず部活命ですね」


 私が家庭科準備室の扉を開けると、そこにはすでに「家庭科部の変人」こと黒巣くろす雅楽うたの姿があった。


「のほほん。僕は部活命なんじゃなくて、単に生き延びるために料理や裁縫を覚えに来てるんだ。いつまた異世界に行くかわからないしね」

「もう、先輩もファンタジー好きですねぇ。ま、私も大好きなんですけどね! ですが、その呼び名にはいい加減飽きてください。ええ、ぜひ早急に」


 味噌の熟成具合を確認していたらしい雅楽先輩は、味噌樽の蓋を閉めると不満げに鼻を鳴らした。

 不満なのはこちらだと思う。「のほほん」とは、彼がつけた私のあだ名だ。


 ──失礼、自己紹介が遅れたが、私の名前は名雪なゆきのどか。この春峻英高校に入学したばかりの、ぴかぴかの十六歳である。少々小柄なのが特徴といえば特徴の、どこにでもいる普通の女子高生だ。友人に誘われて入部した家庭科部はいい先輩ばかりで楽しいものの、この馴染まないあだ名だけはどうにも辟易していた。

 ただ一人、私を「のほほん」と呼ぶ雅楽先輩は、他人ひとを名前で呼ばず、勝手なあだ名で呼ぶクセがある。あだ名をつけるにしてももう少し可愛いものがよかったと思うのは、女子高生としてはおかしくはない感想だろう。親や友人たちは「のんちゃん」とか「のの」と呼んでくれていて、できれば馴染みのあるそちらのあだ名で呼んでほしいと思う私を責められはしないだろう。なにせ「のほほん」は可愛くない。それに、私はそれほどのほほんとしていないとは思う──多分。

 ちなみに私が雅楽先輩を「うーたん先輩」と呼ぶのは完全に当てつけである。雅楽先輩は、全体的に色素が薄いことを除けば、兎というよりは猫っぽい。少々吊り上がった飴色の大きな丸い目も、気まぐれな性質も、あまりべったりと人とつるまないところも、どことなく猫を彷彿とさせるのだ。


「名前には力がある。能力ちからがある者がその名を呼んだとき、なにが起こってもおかしくはない」

「うーたん先輩にはその力があるっていう話ですよね。うーたん先輩のお話は面白いので、伺いたいのはやまやまなんですが、悲しいことにもう部活が始まる時間です。とにかく部活の準備をしちゃいましょうよ! ミシン出すんで、手伝ってください。先輩、私より力持ちでしょう?」


 私は棚にしまわれているミシンを、不満げな雅楽先輩に手渡した。事実、古い形の学校のミシンは無駄に重いのだ。いまどきこんな古い形のミシンを使うなんて流行らない。きっと私立高校なら機能もたくさんで軽くコンパクトな新しいミシンが備えてあるんだろう。うちの学校も早く替えればいいのに。

 雅楽先輩は何故か手縫いにこだわってミシンは使わないが、他の部員は使う。使わない雅楽先輩には悪いが、スムーズに部活を始めるにあたって男手は必要だった。


「それにしても、服を作るのはなかなか難しいものだな」


 両手にミシンを提げながら雅楽先輩がぼやくので、私はえっちらおっちらとその後に続きながら首肯した。華奢な痩躯からは想像もつかないが、雅楽先輩は力持ちだ。少しその腕力を分けてほしい。半袖シャツから伸びる腕にはさほど筋肉がついているようには見えないのに、どこにそんな力が隠されているんだろうか。羨ましい。


「当たり前ですよ。うーたん先輩、手縫いにこだわってるんですもん。しかも変わったデザインの服。なんで皆みたいに浴衣縫わないんですか?」

「異世界にミシンはないからな。大体、浴衣は和装だ。そっちこそ縫うなら手縫いじゃないのか? ミシンなんて邪道だ」

「文化祭に間に合わせるためには手縫いなんてちまちま縫ってらんないですよ。大体私は基本裏方です。誰も細かいところまでは見ません。うーたん先輩だって知ってるでしょう?」

「のほほんは表に出るな。裏でいい」

「失礼な。接客くらいできますって。それにエプロンだって作るし、ミシンは必須です」

「家庭科部だろう」

「家庭科部ですがなにか。合理的なやり方もときには必要です」


 今、私たち家庭科部の部員が作っているのは、文化祭で揃いで着る予定の浴衣とエプロンだ。変人だが見た目は決して悪くない──多少背は低いが──雅楽先輩は当日売り子をさせられる予定なので、できれば皆と同じく浴衣を縫ってほしいというのが部員全員の意向だったが、雅楽先輩は「サイクル的にそろそろ着替えが必要になる時期だ」と言い張って謎の服を作り続けている。


「そういえばその服。チョハっぽいけど、コスプレでもするんですか」

「これはジョージアではなくディオシアの民族衣装だ」

「あ、前聞いた話の舞台ですね。ねぇ先輩、そこまで異世界の設定作りこんでるなら、もう家庭科部じゃなくて文芸部の方がいいんじゃないですか。文化祭で本を出すなら私、買いますよ。先輩のファンタジー話好きですし」

「フェンシング部か馬術部か登山部があったら掛け持ってもよかったんだが、峻英うちにはないしな。剣道は中学の時に全国大会で優勝したからもういいし」

「それで主将の三峰みつみね先輩がたびたび勧誘に来てるんですね。でも、そんなに強いなら高校ここでも続けたらよかったのに」

「両刃の剣と片刃の刀では、やはり勝手が違う。真剣も使えないし、こっち・・・では戦闘することもない。それより衣食住を充実させた方がいい」


 準備室から計十台のミシンを運びながら、私と雅楽先輩は会話を続けていた。態度は淡々としてはいるが、雅楽先輩は女子と会話をしないわけではない。クラスではどうだか知らないが、家庭科部では訊かれたことにはちゃんと答えるし、頼めば手伝いだってしてくれるし、ファンタジー話限定だがこうやって雑談だってするのだ。


「おっ、もう準備してくれてんの~? ありがと、のの! 雅楽、ちゃんと後輩を手伝ってやったか~?」

「部長!」

「ハセ、見ればわかるだろう」


 ガラリと扉を開けて姿を見せたのは、部長の支倉はせくら由紀乃ゆきの先輩だった。そのうしろに支倉部長と同じクラスの澤辺さわべ智巳ともみ先輩や、副部長の久代くしろ新奈にいな先輩もいる。


「ほかの一年は?」

「うちのクラスは早くホームルームが早く終わったんですけど、B組とF組はまだ終わってなかったですね」

「A組はジュンペイか。あたしも一年のとき担任ジュンペイだったから、いっつもホームルーム早かった~。ありがたいけど、部活のときは必ず準備班になるから困るよね」


 私の言葉に、久代副部長が頷いた。副部長の言う通り、我がクラスの担任である坂崎淳平先生は話が短い。伝達事項を伝え終わると、「はい今日はこれで終わり~。また明日な!」とさっさと職員室に引っ込んでしまうのだ。


「ジュンペイがホームルーム早く切り上げるのは、虹子こうこ先生に早く会いたいだけだよね~」

「だよね~! あの二人、ラブラブだもん。虹子先生が木村から坂崎に替わるのもそう遠くなかったりして!」

「うちらが入学したときはもう付き合ってたんだっけ? なんでも三年生を送り出したら結婚するんじゃないかって話」

「そうなんですか! え~、そしたら木村先生離任しちゃうんですかね」

「異動するの、ジュンペイの方だったりして」

「困りますよ、それは!」

「ジュンペイもってもて~!」


 うちの担任とその恋人である三-Cの木村先生の行く末に不満を漏らすと、先輩たちは一様に笑い声をあげた。それを合図にしたかのように背後からパタパタとせわしない複数の足音が近づいてきて、ほどなく残りの一年生メンバーが揃うことになった。


「すみませんっ、遅れました! のんちゃん、準備ゴメ~ン!」

あおい晴夏はるか、せんちゃん、廊下は走らない」


 息を切らせて現れた塩谷しおたに碧、高橋晴夏、千堂せんどう素子もとこは、支倉部長の叱責に顔を見合わせると揃ってぺろりと舌を出す。彼女たちはクラスは違うものの、同じ中学出身の私の友人だ。

 なお、家庭科部の一年生は私たち四人だけであり、三年生に至っては一人もいない。今いる二年生十一名が卒業してしまうと、部の存続が危ぶまれる。峻英高校は五人から同好会として活動できるので、来年の新入部員がゼロだった場合、家庭科部は同好会としてすら認められなくなるのだ。

 そういう意味でも、この文化祭は大事なイベントだった。進学先の下見に来る中学生たちの目に留まるためにも、いい意味で目立たなくてはいけない。とりわけ見目のいい雅楽先輩やクールビューティな副部長、正統派美人の晴夏は人寄せパンダ的な役目を求められている。私? 私は基本お菓子作り担当だ。雅楽先輩と組んで接客にも出るけれど、基本は裏方仕事。──それが部長命令なところで察してほしい。


「部長に怒られちゃった」

「ごめんなさ~い。以後、気を付けまっす!」

「A組いつも終わるの早いよね。うちのタノキもジュンペイみたく話短いといいのに」

「わかる! うちのイナセンもなっがいんだよね~! 簡潔に言えっていうの!」

 碧たちが担任の稲瀬いなせ先生や、タヌキに似たチャーミングなオジサン先生である田野中たのなか先生の愚痴を言っていると、続々と残りの先輩たちも集まってきた。

「二年も揃ったし、はじめよっか」


 部長の号令に、皆作りかけの布地を作業台に広げ始めた。私も藍色の浴衣地を鞄から取り出すと、裁縫道具の隣に広げる。チャコも消えていないし、しつけ糸も抜けていない。このままざっと縫えそうだった。

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