夕月夜

縹 イチロ

一章

古寺にて鬼に出会う

胡麻ごまのように乱れ飛ぶからすの群が、赤い紙のうえに跳ねたすみのように点々と、夕焼けに黒くもようをえがいていた。

山陰やまかげにひそむ人里は、枯れたように生気せいきがない。

それもそのはずである。


相次ぐ干魃かんばつや冷害のため作物が育たず、飢饉ききんに見舞われた村は種籾たねもみに手を出し、草木を食べ、家畜を食べ、ついにしかばねまで食らう地獄と化していた。


口に出来そうなものは全てむしり取られ、ひび割れて乾ききった大地に土埃が舞う。放棄ほうちされるがまま荒れた田畑をうように延びた道の上を、幼子を背負い少女が山へと向かっていた。


餓鬼がきのようにせた人々が道端にへたり込み、子を飢えた目で追っている。しおれた花のように痩せた娘にとって、同じく枯れ枝のように痩せた子さえ背負うには重い。ふらつきながら、それでも気力を振り絞り休むこと無く山へと急いだ。


座ればもう二度と立ち上がれない気がした。そうなれば道端みちばたつどう餓鬼たちに背中の子をとって喰われてしまうだろう。


父が遠い親戚のもとへ助けを求め、旅立ったのは半年前。

その後、餓えのあまり心を失った者らに祖父母の墓が荒らされ、それを止めに入った兄が殺された。その兄のむくろさえ喰われるありさまに母の心はすり潰され、父を探しに行くと出ていったきり行方知れずである。


それからというもの、砂を噛むように幼い弟とふたりきりで生き延びてきた。

だが、それもとうとう。


山の中腹に建つ寺まで、つえを頼りに暗い山道に入る。

その道のかたわらに、きつね松明たいまつと呼ばれる赤い花が、娘をいざなうかのように連々つらつらと線を引いて咲いている。黄昏時に差し掛かる山道を、照らすがごとく赤々と燃え立つようだ。


葉もなく花のみ茂るこの草を、誰も食べようとはしなかった。口にすればむごい死が待っていることを、誰しも知っていたからである。


それゆえ、ほとんどの草がむさぼられ絶えていくなかで、この花のみがつややかに、死人しびとの魂をかてにでもしているかのように生き生きと咲き誇っていた。


その死人花しびとばなをたどる先、残光に照されて荒れた山門が姿を現す。


鬼のみかといううわさがある。

里にあるの墓のほとんどがあばかれるような状況にあってなお、村人はこの寺を恐れ、荒らしに来る者はいなかった。


自然に身をまかせ荒れ果ててはいても、かつては多くの信仰を集めた華々しい時代があったのかもしれない。柱に施された見事な彫刻や、せた漆喰しっくいの絵が栄華のころを物語る。痛んだはまぐりの屋根にわびしく茂った枯れ草がわずかな風に揺れていた。


「もし、何方かいらっしゃいませんか?」


片側のとびらが落ちた門をくぐり、庭に足をみ入れれば、ひときわ赤く花がひしめき、むしろのように一面を覆っていた。


「もし、どなたか」


再び声をしぼると、すそで花を掻き分け暗がりより歩み出てくる者がいた。

身の丈高く、漆黒の乱髪は身体を覆って膝までとどかんとする。

白い面に炯々けいけいと金色の眼鋭まなこするどく、滴るように紅い口は艶然えんぜんとして、匂い立つように美しい。しかし、その端からは牙が生え、ひたいと髪のさかいから一対の角が突き出ていた。


鬼である。


一目見ればそれと分かるにもかかわらず、少女は逃げようとしない。

捕まれば喰われてしまう事など考えなくとも分かるだろうに。手を伸ばせば届くほど近付いた異形のあやかしへ、少女は力のない掠れた声で尋ねた。


「お寺のかたですか? お坊さまにお会いしたいのです。 弟をとむらって欲しいので」


背負われた子を見れば、とうにこと切れて命の色はない。


それでも少女にとっては愛しい弟だ。

飢饉のため人の心を失った者共に、食い荒らさせたりするものか。

幼子を静かな眠りにつかせる。それだけを願い、この娘はやつれた身体にむち打って、亡骸なきがらを背負い山寺まで連れてきたのである。


鬼は娘が背より子を下ろすのを黙って見守っていた。

それは見るからに軽そうだった。痛々しいほどに痩せ細った姿は見る者の哀れを誘う。同じように細い娘の手が、幼子の冷たくなった手を愛情をもって握りしめた。


「おまえ、怖くはないのか?」


鬼は自分を見て逃げない少女が不思議だった。

我知らず口を突いて出た問いかけに、少女は眩しいものでも見るように目を細めて鬼を見上げた。 次に出て来た言葉で府に落ちる。


「怖い事などございません。弟ですもの。貴方はお坊様ですか? 私は目が悪くてよく見えないのです」


なるほど、娘には鬼の姿が見えていないのだ。

ぼんやりと焦点の会わない眼を鬼へ向けて、懸命に兄弟の弔を頼んでくる。


「お願いです。里へ葬ると食べられてしまうの。どうかお寺へ埋めてください」


初めふたりを見つけたとき、鬼はこの姉弟きょうだいを食べようと思った。

難なく手に入った肉である。しかし、その体はやせ細って鶏ガラほども食べるところがなさそうだ。

それゆえの気まぐれか、庭の片隅、乱れ咲く赤い花の下へ幼子を弔うのに手を貸してやった。


泥だらけの両手をそのままに、少女は放心したように土饅頭のそばにへたり込んで申し訳ていどに乗せられた丸石を見つめていた。


けものに荒らされたりしないかしら」


誰に問うわけでも無く、少女はぽつりと呟いた。


「花には毒があるからな。良い墓守はかもりになるだろうよ」


なんとなく鬼は返事を返した。

赤い筵に開いた土色の小さな穴。だが、それもやがては花に覆われ見えなくなるだろう。


「よかった。それならこの子もゆっくり眠れますよね」


そう呟くと、少女はそれきり口を閉じ、石にでもなってしまったように弟の墓を眺め続けた。もう、この娘にも生き抜く力が残っていないのかもしれない。死の気配を感じとると、鬼はそれきり興味をなくし少女のそばを離れていった。


次の日も、その次の日も少女は墓のそばで座っていた。

一度目に付けば気になるものである。近くを通るとつい目が行ってしまう。

三日目の早朝、娘の姿が無くなっていた。未だどこかへ行く力が残っていたのかと、彼女が座っていた辺りへ近づく。


赤い花に埋もれるようにして、少女は横たわっていた。

とうとう弟のそばへ行ったのかと思い、鬼がしゃがみこんで確かめてみると未だ息がある。しかし、これほど衰弱すれば時間の問題だろう。

鬼が立ち去ろうとしたとき、着物の裾が何かに引かれた。視線を落とすと、少女が鬼の着物を握っていた。


まだ生きていたい。


そう言っているのかもしれない。

可哀想とか、助けたいとか、そう言う気持ではなかったと思う。されど、置いていけなくて。鬼は少女を姫抱きにかかえると、ねぐらへ連れて帰った。


娘が如何と言うわけではなく、己の内に沸いた思いが何かを確かめたかった。


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