夕月夜
縹 イチロ
一章
古寺にて鬼に出会う
それもそのはずである。
相次ぐ
口に出来そうなものは全てむしり取られ、ひび割れて乾ききった大地に土埃が舞う。
座ればもう二度と立ち上がれない気がした。そうなれば
父が遠い親戚のもとへ助けを求め、旅立ったのは半年前。
その後、餓えのあまり心を失った者らに祖父母の墓が荒らされ、それを止めに入った兄が殺された。その兄の
それからというもの、砂を噛むように幼い弟とふたりきりで生き延びてきた。
だが、それもとうとう。
山の中腹に建つ寺まで、
その道のかたわらに、
葉もなく花のみ茂るこの草を、誰も食べようとはしなかった。口にすれば
それゆえ、ほとんどの草が
その
鬼の
里にあるの墓のほとんどが
自然に身をまかせ荒れ果ててはいても、かつては多くの信仰を集めた華々しい時代があったのかもしれない。柱に施された見事な彫刻や、
「もし、何方かいらっしゃいませんか?」
片側の
「もし、どなたか」
再び声を
身の丈高く、漆黒の乱髪は身体を覆って膝までとどかんとする。
白い面に
鬼である。
一目見ればそれと分かるにもかかわらず、少女は逃げようとしない。
捕まれば喰われてしまう事など考えなくとも分かるだろうに。手を伸ばせば届くほど近付いた異形の
「お寺のかたですか? お坊さまにお会いしたいのです。 弟を
背負われた子を見れば、とうにこと切れて命の色はない。
それでも少女にとっては愛しい弟だ。
飢饉のため人の心を失った者共に、食い荒らさせたりするものか。
幼子を静かな眠りにつかせる。それだけを願い、この娘は
鬼は娘が背より子を下ろすのを黙って見守っていた。
それは見るからに軽そうだった。痛々しいほどに痩せ細った姿は見る者の哀れを誘う。同じように細い娘の手が、幼子の冷たくなった手を愛情をもって握りしめた。
「おまえ、怖くはないのか?」
鬼は自分を見て逃げない少女が不思議だった。
我知らず口を突いて出た問いかけに、少女は眩しいものでも見るように目を細めて鬼を見上げた。 次に出て来た言葉で府に落ちる。
「怖い事などございません。弟ですもの。貴方はお坊様ですか? 私は目が悪くてよく見えないのです」
なるほど、娘には鬼の姿が見えていないのだ。
ぼんやりと焦点の会わない眼を鬼へ向けて、懸命に兄弟の弔を頼んでくる。
「お願いです。里へ葬ると食べられてしまうの。どうかお寺へ埋めてください」
初めふたりを見つけたとき、鬼はこの
難なく手に入った肉である。しかし、その体はやせ細って鶏ガラほども食べるところがなさそうだ。
それゆえの気まぐれか、庭の片隅、乱れ咲く赤い花の下へ幼子を弔うのに手を貸してやった。
泥だらけの両手をそのままに、少女は放心したように土饅頭のそばにへたり込んで申し訳ていどに乗せられた丸石を見つめていた。
「
誰に問うわけでも無く、少女はぽつりと呟いた。
「花には毒があるからな。良い
なんとなく鬼は返事を返した。
赤い筵に開いた土色の小さな穴。だが、それもやがては花に覆われ見えなくなるだろう。
「よかった。それならこの子もゆっくり眠れますよね」
そう呟くと、少女はそれきり口を閉じ、石にでもなってしまったように弟の墓を眺め続けた。もう、この娘にも生き抜く力が残っていないのかもしれない。死の気配を感じとると、鬼はそれきり興味をなくし少女のそばを離れていった。
次の日も、その次の日も少女は墓のそばで座っていた。
一度目に付けば気になるものである。近くを通るとつい目が行ってしまう。
三日目の早朝、娘の姿が無くなっていた。未だどこかへ行く力が残っていたのかと、彼女が座っていた辺りへ近づく。
赤い花に埋もれるようにして、少女は横たわっていた。
とうとう弟のそばへ行ったのかと思い、鬼がしゃがみこんで確かめてみると未だ息がある。しかし、これほど衰弱すれば時間の問題だろう。
鬼が立ち去ろうとしたとき、着物の裾が何かに引かれた。視線を落とすと、少女が鬼の着物を握っていた。
まだ生きていたい。
そう言っているのかもしれない。
可哀想とか、助けたいとか、そう言う気持ではなかったと思う。されど、置いていけなくて。鬼は少女を姫抱きにかかえると、
娘が如何と言うわけではなく、己の内に沸いた思いが何かを確かめたかった。
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