森林樹

序章―秦酒公の書物―

 ――変若水は、人を不死にするものであるが、万能の秘薬にあらず。人を惑わす魔物也。変若水に魅せられ破滅したものの数は知れず。

 この薬酒を作るためには、酒、水銀、月の水に、花が落ちて間もない蓮の実、蛇の抜け殻、月読の名を記した呪符を太陽の火で焼いた灰、場合により自分の血が必要となる。

還暦を十度経た変若水を口にした者は、不老不死と、致命傷であろうとすぐさま再生する生命力を得る。肉体が寿命を迎えて死んだ後、最期を看取った女の一人の胎内へ入り込み、そこから新たな生を得る。

 熟成が不十分な変若水に血液を加えたものを口にした者は、生存中は何も変わらぬ。然れども、死後は食人鬼と化し血の持ち主の命により行動する下僕となる。

 血を加えず、かつ還暦を十度経ておらぬ変若水を口にした者は、人知を超えた生命力を得るが、それ故に首を斬らずには死なず、安らかな死を迎える者はおらず。死した者は、死する前に望んだものの姿となる事が出来る。しかし、二度と人の形には戻れぬ。後の者はこれを怨霊と呼ぶ。

 製造方法は記したが、ゆめゆめ実践されぬよう。変若水は、物部弓削大連守屋殿をして人を惑わす化物と言わしめた物也。不死を餌に人を虜にし、寄生しては独りでに子孫というべし化け物を増やし、宿主に人を食らわせては再び子孫を増やす。あれ自体を捨てても、また他の人間を狂わせ自らの複製品を作らせ、新たな宿主を引き摺り込む。食人鬼と化した者も怨霊と化した者も、今の世もなお苦しみから逃れ得ぬ者数知れず――。

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