霊風

@s1231008

第1話 The SECOND battle at the oath hill

 風が吹く。

 家々の間を縫うように、優しく。

 夜半、街灯は道路の所々を、わずかだがそれでも明るく照らしている。


 優しく体をさするようなその風。本来この季節には冷たすぎるが、温まりきった体を冷やすにはちょうどいい。衣服の繊維を易々とすり抜け、肌に直接感じる。夜寝静まった街を歩く人にとっては、それはとても心地いいもの。聞こえてくる音は何一つない。風の音と、彼が歩く音と、腰にさす剣が揺れる度に発する金属音を除けばだが。


 銀の長髪、足もとまである黒のコート、咥えたばこの煙を前方になびかせながら、彼は歩く。鋭く光らせる碧眼は、どこまでも続くかのような一本道を見つめている。道は必ずどこかで行き止まりになるものだが、等間隔に道を照らす街灯が無限に続く回廊を演出している。


 背中を押していた風が、徐々に強くなる。同時に彼は、左腰の刀に手をかける。


「近いな」


五十メートル離れた先には十字路。彼は右耳のイヤホンに手を当てる。


「本部、これより掃討に移る」

『こちら本部。了解。迅速に敵を排除せよ』


 立ち止まり、額にかけていたサングラスのようなものを目にあてる。そしてその場で左足を後ろに大きく引いて体勢を低くし、右手で柄を軽く握る。


「アナライズ。…青色反応、たったの一体か」

『雑魚だからと言って油断するな。民間に被害を及ぼさない事が第一義だ』


 見つめる先の十字路の中央、風が小さく渦巻き、地に積もった雪がかすかに舞い上がる。そして風が竜巻になり、雪を天高く巻き上げる。


 彼は目の前に立ちふさがる“何か”にむかって告げる。

「おいおい騒ぐな、大人しくしてろ。…ん?」

彼のサングラスは、その“何か”とは違う別の熱源反応を感知した。


「…なるほど、まだ人を食おうとするか。堕人ってのは、」


 地面を強く蹴り、一瞬で目標の目の前に。


「実に欲深いな」


 鞘から白銀の刀を抜き、少女を掴む腕を切り落とす。更に体を空中で半回転させながら指を広げた左手を前方に突き出し、親指と人差し指の間に刀の反りを乗せる。彼が何かを小さく口ずさむと同時に、切っ先から白銀の光が放たれた。光は一瞬で目標の胴体を貫いた。

 その“何か”は痛みからか叫び声をあげる。目の前にいる男のことも、今まで手に掴んでいた少女のことも忘れたように、よろめきながら後ずさっていく。


 彼は雪の上に横たわる女性に駆け寄り、五メートルはあるだろうか、切り落とした腕をどける。

「おい、しっかりしろ」

 だが問いかけても返事はない。

 すぐさまイヤホンに手を当てる。


「本部。女性の被害者が出た。息はあるが、呼吸は小さい。外傷はないが、“死鬼風”に長時間当てられたようだ。“生剣”の使用許可を求める。」


『了解した。“生剣”の使用を許可する。全方位半径500m圏内に防壁を展開』


 突然薄緑色をした球体が出現し、二人を包んでいき、みるみるうちに大きくなっていく。

「我慢しろ。少し痛むが、こうしなきゃあんたの命が危ない」


 彼の左手に光が集まり、それはやがて大剣のような形を成した。柄から切っ先まで純白の剣。彼はその大剣を右手に持ち、左手で少女の背中を支える。


 そして、その大きな剣を、少女の胸に突き立てた。


 胸に突き立てた大剣から、光が溢れ出す。赤い光。その光は少女を中心にして、どんどん広がっていく。薄緑色の防壁の中を何匹もの赤い龍が暴れるかのように。


「間に合ってくれ・・・!」



「くっ…!…あっ…」

 突然、今まで気を失っていた少女が目を覚ました。

「ぐ…あ…!あああぁぁぁ!!」


 叫び声を上げ体をのたうつ。皮膚と大剣の接触面から出血は確認されていない。が、剣先が肉体に入り込んでいる。彼女の痛みは想像に難しくない。


「すまない…。もう少しだ。もう少しで終わるから…」


「ああああぁ!痛い!痛い!!…ぐっ…っああぁあああ!!」

泣きながらそう訴える彼女だが、今中途半端に中断するわけにはいかない。


『ゲート出現を確認!君の近くだ、警戒しろ!』

 彼はイヤホンに手を当てる。

「ちっ…。こんな時にか。––––––誰か応援を寄越してくれ。この状況ではとてもじゃないが堕人は相手にできない」

『ヴェフパーク二名がそちらに向かっている!到着まで––––––およそ五分!堕人は彼等に任せろ』

「…了解。––––––と言っても…」


 突如何かが壊れるような鈍い音が彼の耳に届き、思わず自分の周辺を見渡す。

「––––––こんなのありか…。なんてツイてないんだ––––––」

 先程との“何か”と同じような姿をしたものが今度は二つ、薄緑色の透明の壁にしがみつきながらこちらを見つめていた。


「たくよ…」


 防壁とは言っても、敵の侵入を防ぐためのものではない。生剣と呼ばれる大をその胸に突き立てることにより少女から発せられる瘴気––––––死鬼風(しきふう)と呼ばれる物質の拡大を防ぐためのものだった。

 今防壁に張り付いている堕人の攻撃を防ぐことはまず不可能。おそらく後一分も持たないと考えた彼は再びイヤホンに手を当てる。


「桜岐!今何処にいる!」

 だが誰の返事もなかった。もう一人にも連絡をとってみたが、結果は同じだった。

「ちっ…、俺を貶めたいのかコイツら」


 目の前の二体の“何か”は、既に防壁を破りかけていた。その大きさは約三メートル。一つは全身が青く、もう一方は紫色の身体をしていた。人間らしい風貌はしているが、その口は裂け、目は赤く、あらゆる骨格、筋肉が人間のそれとは大きく違っていた。


 彼の左手には少女、右手には生剣。この状態のまま無闇に動くものなら、少女の容体が急変する可能性があった。たとえ影響はなくとも、今までの苦痛を少女にまた最初から受けさせることになる。彼は下唇を噛み、額からは汗が流れ落ちる。


 とその時、少女の表情がだんだん和らいでいくのが見て取れた。接着面を見ても、先程まで溢れ出していた瘴気が殆ど無くなっている。

 だがその結果を嘲笑うかのようにして、二体の化物は二人めがけて迫った。鋭い鉤爪を振りかざし、獣同様の雄叫びをあげながら。


「––––––邪魔するな。人間辞めた分際が」

 吐き捨てるように言った彼に、化物の大きな口が迫る。何本もの鋭い歯が並び、噛まれでもしたらひとたまりもないような口。だが、


「…!」

 化物の体が僅かに横に傾き、民家のブロック塀に頭から突っ込んだ。

 突然の出来事にもう一体の化物は、人間の目から見ても分かるほどに困惑し理解できないといったような反応をして見せた。


 彼は大きくため息をついた。

「…おそい」

『––––––ごめんごめん!でも全て私の計算通りなんだから!』

 イヤホンを通じて聞こえてきたのは明るい、透き通る女性の声。

「尚更駄目だ。…もういい、さっさとこいつも殺せ」

 もう一体の堕人を睨みつけて言う。

『いやー、そっちは桜岐(おうぎ)さんが』

 彼女がそう言った途端、辺りに銃声が響き渡った。その途端、もう一体の化物の動きが止まり、こちらも同様に力なく地面に倒れる。


「––––––こんな下等種相手に、姿消すこと無いだろう」

 彼が前を見つめたままそう呟くと、後方の空間が歪み始める。


「その下等種相手に手こずってんのは何処のどいつだ」

 今イヤホンから聞こえてきた声とは少し違う、冷たい雰囲気の漂う声質を響かせながら一人の女性が現れた。長身、赤い髪をポニーテールにした、鋭い眼光。その両手には、その片方の口から煙を登らせた二丁の拳銃を握りしめていた。


「相変わらず礼儀を知らん奴だな」

 と、彼は眠ったままの少女からゆっくりと純白の大剣を抜いた。

「その娘か」

 一方の赤髪の女性は彼の文句に反応することなく、抱きかかえられた少女に目を落とした。


「––––––そう言えば、あのチビはどうした」

「寝てる」

「––––––それって…、いざって時どうすんだ。あいつ生剣遣いの自覚あるのか」


『馬鹿にするなよ小僧』

「…」

「…」


 どこからともなく声が聞こえる。ここには二人と少女の他には誰もいない。少女も言葉を発することができる状態にあるとは思えない。もちろん、二人が声を発したわけでもない。

『堕人たったの二体に、何を手こずっているのやら。私の主に負担をかけるな、このクズが!』


 彼は少女をその腕に抱えたまま、一方的に罵声を浴びせられた。

「まぁそう言うな、檑羅(らいら)。生剣と死剣を一人で扱うなど、私達でも出来ん」

 すると彼女のすぐ横で空間が再び歪み、一人の少女が現れた。


「まったく、氷華殿はお優し過ぎるのです」

 髪は緑のショートカット。着物のようなものを身に纏っている。夏祭りでなどでよく見かける格好と言えばいいだろうか。そして何より初見の者の目を引くことと言えば、現れた女の子の背丈が桜岐のそれと比べ、

「相変わらずチ––––––」

 彼は素直に思ったことを言おうとしたのだろうが、言い終わる前に後頭部に蹴りを入れられた。


「…なにか言ったか、小僧。私の聞き違いでなければ、何か誹謗中傷されたような気がしたんだが。訂正があるなら聞いてやらんでもないぞ?ん?」


「小学生のほうがデカ––––––」


 バシィ!!


 一発目とは違い更に深い蹴りを入れられ、思いの外飛ばされる彼。横たわっていた少女はというと、桜岐がいつの間にか自分で手に抱えていた。


「よかろう…!よかろうよかろう!!喧嘩を売る元気は有り余っていると見えるな!日頃からの恨みも合わせて、この私を怒らせるとどうなるか思い知らせて––––––!」


 高笑いしながらどうやら彼に対する復讐を宣言しようとしたらしいが、気付いた時には女の子は襟をつままれ宙に浮いていた。蹴り飛ばされたはずの彼がいつの間にか後ろに回りこんでいた。

「無茶して言葉遣い変えるな。余計不自然だぞ」

 そう言いながら、氷華に目配せする。氷華もやれやれといった風に、目を閉じた。


「ふざ…!ふざけんな!なにすんね…、何をするか!!今すぐ離せ!無礼だぞ!貴様––––––」

 最後でさえセリフを全て言わせてはもらえず、檑羅と呼ばれた少女の姿は再び空気の中に消えていった。


 彼は苦笑いを浮かべ、純白の生剣を手放す。するとそれは光の結晶となり、その結晶もしばらくすると消えていった。

 その時、突如大きな地響きが起こり二人はたまらず体勢を崩しそうになる。同時に遠くで爆発音のようなものがいくつも聞こえた。

 彼は無意識に舌を打ち、地面を蹴り手近な一軒家の屋根に登り辺りを見渡した。


 まず視界に入ってきたのは、住宅密集地のいたるところから立ち昇る火柱だった。およそ数百戸が互いに隣接し合う場所では被害が拡大する可能性が十分にある。

 彼はもう一度イヤホンに手を当て、

「本部。天流町住宅街にて火災確認。恐らく近くに堕人(おちびと)もいると思われる。対堕人戦闘員(ヴェフパーク)を三班こちらに寄越すよう打診を––––––」


 と、そこまで言いかけた時彼の耳に聞こえてきたのはテレビの砂嵐のような大音量のノイズだった。

 ノイズは約十数秒の間続いていたが、暫くすると人の声のような音が聞こえたような気がした。

「––––––‼︎」


 ハッキリとは聞き取れないごく小音量の声。だが彼には聞き覚えのある声だった。

 奥底に沈んでいた懐かしい記憶が、彼の中にだんだんと蘇ってきた。

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