第18話Another story 03 嫉妬の代償
――なんで私だけがこんな日に仕事に来なきゃいけないの?
彼女は不満だった。
誰かに八つ当たりをしたくなるほどに……。
彼女はとある惑星の水族館の受付嬢をしている二十四歳の女性である。
高校時代から付き合っていた彼氏と去年別れてからは、独り身の悠々自適な生活を送っていた。別れてすぐの頃は彼氏なんて居ないほうが気楽でいいと思っていたが、近頃はまた人肌が恋しくなり始めている。
そんな彼女はつい最近、契約社員として水族館の受付で仕事を始めた。この仕事を選んだ理由は、水族館ってなんだかおしゃれな響きだし、受付をやっていればカッコいいイケメン男子とお近づきになれるかもしれないと思ったからだ。
見事採用の連絡が来た時は、彼女の心は喜びで打ち震えた。また新しい明日が始まると。
勤務の初日は、家を出る二時間前から準備を始めた。ばっちりメイクをしクルクルっと髪型を決め、服装は清楚だけどちょっとしたアクセントを。香水は香る程度に甘めのもの。まるで初恋をした少女が初めてのデートにでも行くかのようだった。
しかし彼女がそんな努力をしたのも最初の数日だけだった。
水族館のメイン層は子連れの家族だし、イケメンも来るがその横には必ず邪魔者がいる。男子の集団が来る事もあったが、それは大体お子様な学生たちである。要するにカッコいいイケメンが一人で水族館に来て、運良く仲良くなれる可能性など皆無と言って良いのである。
だが少しは努力を続けていた。同じ水族館のバックヤードで働く同僚に、少し気になる人が居たからである。決してイケメンでは無いが、真面目に一生懸命仕事をしている所が彼女の心をくすぐったのだ。
そんな彼女が今憤っている理由。
それは水族館の「カップルデイ」だ。毎月二十二日を夫婦の日となぞらえて、男女ペアの客の料金を引き下げ集客の増加を狙うという企業戦略である。
彼女はこの日の出勤を避けようとシフト表にはバツを付けておいたのだが、結局出るはめになってしまった。
理由は簡単だ。そう思ったのは何も彼女だけではなかったからである。そしてみんなが出たくないと言った場合、一番発言権が弱いのは新人であった。つまり彼女だ。
今日の受付の出勤は三人。だが彼女以外の二人は彼氏持ちだった。つまり自分だけが割をくったのである。
まだ開園前に彼女は不満タラタラにピンバッジの入ったダンボールを漁っていた。
これはカップルデイの特典としてお客様に渡す、ペアのピンバッジだ。
「これ何でタコばっかりなんでしょう?」
彼女は隣の席のおっとりとした同僚に聞く。
「えっ、それはね。たしかこの星といったらレインボーオクトパスでしょ?だからタコみたい」
なんとなく勝者の余裕を感じる。
「あぁ、じゃあこの色がいっぱいあるのもそのせいですかね?」
「えぇ、そうみたい。レインボーにちなんで七色だそうよ。種類も七種類だって。おかしいわよね」
そう言って勝者の彼女は柔らかく微笑んだ。
「はぁ、そうだったんですか」
なぜか心にダメージを負ってしまった彼女は、気のない返事をしつつまたダンボールを漁りはじめた。
――こんなのホントに着ける人がいるのかしら。
そんな事を考えていた時にあるものが目に飛び込んだ。
二匹のタコが絡み合っている紫色のピンバッジだ。
――なにこれ?本気なの?
そう思いながら彼女は色違いの青いやつを拾い上げる。こっちはそれほど卑猥には見えなかった。
「このピンバッジって何してるところでしょう」
そういって彼女は青いピンバッジを同僚に見せる。
「それはね。タコさんが戦っているところだそうよ。実はね……中には当たりも入っているみたいだから探してみてね」
同僚はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
大丈夫。ベッドの上で戦っているとしか思えないタコは既に彼女の手の中にあった。
彼女はなんとなくそれを別の場所に確保しておく。
水族館の開園直後、すでにそれなりの列が出来ていた。待っていた客だろう。
その客層を見ると、やはりウンザリするほどカップルが多い。始まったばかりであるが既に彼女のお腹はいっぱいだった。体調不良により帰宅してもよろしいでしょうか?
そして何より彼女の精神をえぐるのはモジモジしながら「私達付き合っているんですが……」とか「友達なんですけど……」とか。
――男女ペアならそんなの関係ないから!いちいち言わないでくれる!
叫びたくなる気持ちを必死に抑え笑顔で対応する。
やっと人の波が去った時にはもう心も体もボロボロだった。
――あぁ、帰りたい……。
そんな事を考えていた時にまた一組のカップルがやってくる。
――この人達、私に休憩すらさせてくれないのね。
別の客なのはわかっているが、毒づきたくもなってくる。
「すいません。大人二枚お願いします」
まぁ付き合ってるだの何だの言わないだけこの客はマシかもしれない。でも仕事だしとりあえずやることはやらないと。
「本日はカップルデイとなっておりまして、男女ペアのお客様はお二人で二千コスクとなっております」
――よく見てみるとこの男の子結構可愛いじゃない。後ろの女は……。
男の子の後ろにいた女に目をやると、その女は男の子の服の裾をキュッと掴んでおとなしくしていた。
――何この娘!かわいこぶっちゃって!
男の子が支払いを済ませる。
一瞬感情が高ぶってしまった彼女は、チケットと共に先ほど確保しておいたピンバッジを渡してしまう。
そして、マニュアルにないセリフを言った。
「よろしければお付けになって、お楽しみください」
男の子は困惑していた。それはそうだろう。こんなピンバッジを付けて歩きまわるなどただの羞恥プレイだ。
しかしその後予想もしていなかった事が起きる。
男の子が後ろの女にピンバッジを渡すと、その女はためらいもせずにそのピンバッジを胸に着けたのだ。一瞬思考が停止する。
――何この娘……もしかして私の意図を悟ってわざと……。
彼女をとてつもない敗北感が襲った。怒りに震えるというよりも力が抜けてしまう感じだ。
その後すぐに休憩時間が来て、彼女はとぼとぼと休憩室に向かった。
彼女のその行動を見ていた人物がいる。横に座っていた同僚と、たまたまその場を通りかかった警備員だ。
横にいた同僚は、あらあらといった感じで誰かに話したりはしなかったが、警備員は別だ。
彼は休憩室に戻ると同僚に笑い話としてそれを語った。
「……でさぁ。その時のあの子の顔。やばかったよ!ぽかーんって感じ!ぽかーんって!口が開いてなかったのが不思議なくらい!あれっ……口開いてたっけ?開いてたかもしんない!」
人の話には尾ひれがつくものだ。
しかも警備員がそれを話した相手は、彼女の気になっているバックヤードで働く同僚だった。
「あはははは!それキツイね!ってか何でそういう気持ち悪いこと平気でやるんだろう?そういうのちょっと理解できないよね」
彼は鳥肌を抑えるように左腕を右手でこすってみせた。
人間故、他人に嫉妬するのは仕方ないのかもしれない。
しかし嫉妬から何か行動を起こそうと考えている人には、この言葉を贈りたいと思う。
――百害あって一利なし
彼女の春はまだ遠い……。
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