ベータテスト
有村 光修
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目覚めると、視界のほとんど一面がガラス張りのように透けて見えた。
ベッドの上に居る。夜なのだろうか、空は真っ暗だ。自分の手を見れば、色はどこか白く、抜けている。服は病人が着ているような、薄緑色のものだ。
起き上がり、ベッドから身を乗り出す。見下ろせば真っ赤に広がる大地。空を見上げれば、果てない暗闇。わずかに見える白い光の斑点が、今の自分の位置を知らせているようだった。
背後で、ぷしゅう、と気の抜けるような音。
振り返ると唯一、ガラス張りでなかった真っ白な壁面――継ぎ目のなかった壁面の一部が、まるで扉のように開いた。
扉の向こうからは、男が現れた。黒いスーツを身にまとっていた。
にこりと笑った。笑ったのだが……どうにもその印象は薄い。
「本日はベータテストにご協力頂き、誠にありがとうございます。
なお、このテストに関する詳細の質問は受け付けておりませんので、あらかじめそれをご了承ください」
ベータテスト?
「このテストに関する詳細の質問は受け付けておりませんので、あらかじめそれをご了承ください」
言葉の意味を調べようと、周囲を見回せども答えは出ない。男は言葉を繰り返すばかり。
立ち上がると、男は「こちらです」と先導するように歩き、扉の奥へ向かった。
「一度部屋を出ると、部屋はオートクリーナーにより、最適な環境に保たれます。生物誕生の環境に近い常態となるので、今後一切、貴方の入室は認められません」
閉まった扉を見る。扉には黒く「ο」の文字が描かれていた。
男の後を付いていく。道は細く、壁面は真っ白。だが時折「Y.A」と書かれた会社のロゴのようなものが見えた。
「ユークリッド・アストラル社は、貴方のテストへの協力を歓迎します」
やがて行きついた先、白い扉には「α」と書かれていた。
「α」の扉が開く。室内は暗い。
促されるままに、部屋の中に入る。
と、扉が自動的に閉じられた。背後を振り返れば、扉のガラス窓からこちらを覗く男。顔の印象は、やはり安定しない。
男は通信機を手に取り、こちらに指示を出す。
『手すりが付いていますので、それを掴んで前進してください』
ぱっと、こちらの部屋の足元が照らされる。映画館の予告上映の時のような薄暗さだが、手すりの存在は一応確認できた。
もう一度、男の方を見る。
『手すりが付いていますので、それを掴んで前進してください』
男は言葉を繰り返すばかり。
手すりを掴み、一歩、足を踏み出した。室内はやはり暗い。入り口の光源も徐々になくなっていく。足元の照明も、心なしか段々と暗くなっている。ぎしぎしと、こちらの足音だけが通路に響く。
振り返ると、もう入り口がどこなのか分からないほどに真っ暗だった。引き返せばあの男の元に帰ることは出来るのだろうが、それの行動に意味があるわけでもない。
『通路の先に扉があります。その扉の中に入って下さい』
再び室内が照らされた。光源は天井。ただし光は一つのみ。それに照らされた扉には、再び「α」と書かれていた。
もう一度だけ振り返り、ドアのノブに手をかけ、扉を開けた。
室内は、真っ黒だった。真っ黒、文字通りの真っ黒。だがわずかに見えるのは、白い斑点。
『――おうおうおう、ちゃんと生還しましたね。結構結構。もう閉めて構いませんよ。
その先は宇宙空間となっています。およそ1メートル45センチ範囲にD・オゾンフィールドが張られているので、足が飛び出してしまっても宇宙線の心配はせずとも大丈夫です』
何が大丈夫だというのだろうか。危うくその外側に身を乗り出しかけ、ドアにひっついたおかげで事なきを得た。
眼下は真っ赤な惑星。そこと、ここの距離はどれだけ果てしないか、私には分からない。
扉を閉めた私は、再度背後を振り返った。
『では、実験を始めたいと思います』
ばちん、と何かのレバーが落ちるような音が鳴る。
私が今まで歩いてきた場所が、その道全ての照明が点灯し、真っ白な通路を照らした。
それと同時に――背後から迫り来るものも、こちらに見せた。
白いヒキガエルのような胴体を持った、人間大の何かが、天井から落とされたのを見た。びちゃり、という音と共に、それはこちらを見る。頭があるべき場所には、赤とピンクの混じったような色の触手めいたものが、うねうねと蠢いている。そんな生き物が複数体、この狭い通路に落とされていた。
一目見て、絶叫を上げた。明らかにそれは、この世のものとは思えない産物だった。再び、何度も何度も扉を開けようとした。だが、今度は開かない。
『実験はこうです。閉めた扉を何度も開いてください。そこに居る生物たちは、貴方を狙って追いかけます。生物たちに追いつかれれば、貴方は食われてしまいます。逆に生物たちに追いつかれる前に成功すれば、実験は成功です。
それでは、実験開始――』
男の言葉と共に、再び扉が開くようになった。しかし当たり前のように、その果ては宇宙空間。
背後で聞こえるぬちゃぬちゃという音――。
再度扉を閉め、再び開ける。扉を閉め、扉を開く。閉め、開く。閉め、開く――。
成功すれば、と男は言った。何に成功すれば良いというのだろうか。
しかし、指示にあったものは「閉めて開く」という以上のことはない。
閉めて開く動作を続けながら、一瞬、ちらりと肩口から背後を見た。ヒキガエルような生物たちとの距離は、あとわずかに3メートルといったところか。
だがしかし――閉めて開いた扉は、何かが変わる訳でもない。
化け物たちとの距離が1メートルを切った瞬間。その瞬間、バランスを崩し、身体が宇宙空間に投げ出された。
『――実験へのご協力、本当にありがとうございました』
どこからか聞こえたそれを最後に、音が消えた。
身体は、暗闇の世界に投げ出された。
光は通っているせいか、見える。息苦しくなりぜいぜいと吸ったり吐いたりもするが、段々とその意味も失われていく。
漂う身体。ぐらぐらと平衡感覚を失いながらも、視界には様々なものが映る。自分が移動していた範囲以上に、今までいた施設が巨大であること。施設の外に窓があり、そこから白衣の研究員たちが何かをしていること。
そして見つけた――全く同じ顔をして、宇宙空間に投げ出された人間の数々。いずれもが病人のような服を着ており、そしてその表情は驚いた形で固定されていた。
やがて、こちらも「それ」に気づいた。
一面が透明の部屋。最初に目覚めた部屋で、カプセルのようなものがベッドの上に覆いかぶさっている。
ベッドの周辺には、ロボットのアームが掴んだ病人の服。そして――そこで生成される、先ほどまで見ていたものと全く同じ顔の人間。
ガラス張りのようなそれに映りこんだこちらの顔――。
それもまた、今まで見てきた顔と同じもので。
やがて身体が動かなくなり――意味を失った。
ベータテスト 有村 光修 @kuro-h7ro
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