3 糸は多重に絡まって

 逆光が作り出した巨影の中、人工の眼が薄赤い光を放つ。側腿部の排気口から蒸気じみた熱が放出される。巨人が手をついた残響が尾を引くように消え、対照的に心臓の鼓動が強まった。


「なんだ!? 何の音だ!?」

「あのデケえのを寝かしてある方だ!」


 浮き足だった様子の声が聞こえてくる。この分ではこちらへ向かってくるだろう。


(気づかれた!? いや、俺の姿は視認されてないはずだ! それよりも――)


 思考がめまぐるしく切り替わる。

 焦燥と混乱の渦中にありながら、レイジの身体は既に動き出していた。

 一息に飛びすさり、〈蒼雷ソウライ〉の腕が届く範囲から脱出する。それでもまだ動く気配は無い。今のうちに距離を稼ぐべきだ。そう即断した少年はきびすを返して走り出した。メルのカメラを用いて背後の警戒も忘れない。

 皮質回路デカールが脳内物質を調節し、徐々に冷静さを取り戻す。余計な考えを切り捨て、次に取るべき行動を決定する。

 あれが起動した理由は後だ。


《――全員、今すぐここから離れろ!》


 フェムとテイラッドの両名――全帯域チャネルへ向けて発信する。

 この場での撃破は現実的ではない。武器も戦力もまるで足りていないのだ。となれば、打つべきは逃げの一手しかなかった。

 上体を起こしたきり、は未だ動き出していない。手をついたまま、頭部のアイ・カメラをこちらへ向けているだけだ。


《何事だ!》《どうしたのです!?》

歩行戦車ヒトガタが起き上がった! 俺はまだ――ッ!?》


 答えかけたところで、敵機に動きがあった。起き上がりざまに片膝をついて、クラウチングスタートのような姿勢を取る。

 レイジはさらに距離を離しつつ、火砲を使われる危険性も考慮して、防御用に重力制御機構アドグラヴの予備演算を走らせた。しかし、それでも保険程度にしかならないだろう。固定兵装たる側頭部機銃でさえ、半インチの口径がある。仮に撃たれれば最大出力でも防げるかは怪しかった。


(――あの機体も、弾薬が劣化していれば良いんだが)


 無論、射撃が行えなかったとしても歩行戦車ヒトガタの陸戦兵器だ。補足される前ならばともかく、今から身ひとつで振り切るのは至難を極める。先ほど解散した地点へ向けて走りつつ、レイジは行動の算段をつけた。


 フェムの〈声〉が聞こえてくる。


《ご神体が? なっ、なら、それで相手をおどかしてやれば――》

《その機体は俺が動かしてるわけじゃない!》

《それって、どういう……》

《ともかく逃げろ! かく品の高周波ウィブロブレードがあったな!? それだけ置いてくれればいい。あとは俺がなんとかする!》


 要件だけを一方的に言い放ち、すべての神経を敵機に集中させる。一線を退いているとはいえ、元は日本国陸軍の機体だ。該当機の重量、重心の位置は頭にたたき込まれていた。対処のしようはある。予備演算を完了させ、いくつかのすじを脳内で組み立てていく。


 背後、メルと共有した副視界の中で、敵機が次の動きを見せた。全身がわずかに沈み込み、ぎり、と人工の筋繊維が軋む。

 それを視認した瞬間には、〈蒼雷〉は大きく飛び出していた。バネを解放するかのように一歩を踏み出し、猛然と駆けてくる。


(来る――ッ!)


 レイジは勢いを殺しつつ身を返す。

 歩行戦車と正面から相対し、重力制御の基軸たる右腕を構えた。の視界が捉えるのは、自身の三倍近い体躯が迫り来る光景だ。副脳の調整を経てなお荒立あらだとうとする感情の波を、少年はぐっと押し殺した。

 皮質回路デカールの高速情報処理が限定的な時間の鈍化を可能たらしめる。ねばつくような空気の感触、間延びする振動、暗い青みを帯びた視界の中で、群青色の機体が徐々に大きくなっていく。狙うのは、数歩後に発生する至近の踏み込みだ。

 最も脚部へ体重が乗る瞬間に合わせて、横合いから重力偏極による斥力場をたたき込む。重心を崩してしまえば、あとは対人近接格闘の応用だ。適切な箇所に同様の攻撃を打ち込んでやれば、転倒させることは可能なはずだった。

 電力エネルギーの消費は激しいが、頭から廃屋に突っ込めば起き上がるのに多少は時間を必要とするだろう。離脱して高周波ブレードを手に入れれば、勝負には持ち込める。

 一歩、まだ遠い。一歩、まだ足りない。そして、一歩。

 今だ。

 迎撃の準備はできている。出力に過不足は無い。あくまで冷静に、余計な気負いを介在させぬまま、なめらかな動作で腕を振るった。


 ――重力制御機構アドグラヴ、起動。


 かすかな振動が周囲に響く。

 その直後――今にも接地しようかという巨人の右足を中心に、局所的な重力子の偏極が発生した。足首が内側へと不自然に曲がる。地面を捉え損ねた脚部が、滑り込むように土を削りめくった。

 二度、三度と腕を振るう。そのたびに空気が震え、不可視の打突を受けた巨体がよろめいた。

 すかさず自身の上部に低出力加速レールを生成。全力で地を蹴る。


「お、ぉ……ッ!」


 急加速に胃の腑が押さえつけられる。数倍に引き上げられた跳躍力でもって、レイジは敵機の直上へと舞い上がった。


 緩やかな時間感覚の中、鋭角的な弧を描きながら敵影を捉える。


 歩行戦車ヒトガタ――とりわけ〈蒼雷ソウライ〉の自動重心補正オートバランサが急制動に対応する際、その挙動には独特の癖が現れる。人体とは異なる駆動系で人型を実現した故の歪みが、決定的な隙を生み出すのだ。

 人体でいう正中線が側面に一定以上かしいだ時、上にあたる側の脚部は地面ではなく空――上方に向かって突き出される。脚部が交差するのを防ぐためだ。制御系の基底指針が体勢の回復を諦め、機体の二次損傷を防止する方向へと移行シフトするのである。

 その際、該当部位の全関節が瞬間的にロックされる。実時間にしてコンマ2秒ほど。脚部交差が起きえないことを確認するまでのわずかな隙だ。関節部が硬直している間、脚部に受けた衝撃はろくに吸収されない。つまり、打撃は機体全身にそのまま伝播する。

 レイジは空中で右手を突き出す。その先には、棒のように伸ばされた敵機の左足があった。


《最大出力。座標指定は同軸、左右を反転。――撃て!》

了解ウィルコ


 メルが念話で返答を寄越す。



 直後――空間が、ひずんだ。



 最大出力の打撃を足裏からに受け、〈蒼雷ソウライ〉の巨体が吹き飛ぶ。あたかも人間が車に跳ね飛ばされたかのような軽快さで、廃墟の壁を突き破った。

 無数の瓦礫が機体に覆い被さる。ワイヤーが軋むような、不快な高音が反響する。

 光学迷彩クロークが正しく動作していることを再確認。あの兵器が備えるセンサに対しては無意味だが、搭乗者が正しく扱えるとも限らない。姿を周囲に溶け込ませ、レイジは逃走を再開する。

蒼雷ソウライ〉が身を起こそうとする音を背で受けながら、彼は〈声〉を飛ばす。


《フェム! ブレードは置いて行ってくれたか!?》

《今、馬車ごとそっちに向かってるのです!》

《な――冗談だろう! 俺は置いて逃げろって――》



!》



《……ッ、何を》

《――!?》


 返答に詰まる。彼女が発した言葉が、胸に重くのしかかってきた。


 ――有り体に言えば、自分は彼女を舐めていたのだ。


 いくら戦力が足りなかったとはいえ、年端もいかない童女に剣を取らせた。そこに負い目を感じていたのは事実だ。だからこそ、彼女を〈庇護すべき対象〉として捉えていた。彼女を戦地に投じるのは、あれきりにするつもりだった。自分が矢面に立てば、これ以上彼女が傷つく必要も無いと、たかをくくっていたのだ。

 それが彼女に対する侮辱であると、彼女の見せた覚悟をなみする行為であると気づかないまま。


《この手を血に濡らす必要があると、その覚悟があるかと、あなたはわたしに訊きました! わたしは、それに応えたつもりです。〈里〉を一度守ったくらいで消えてしまうモノだなんて、わたしは思っていないのです!》


 フェムの声が悲痛さを帯びる。耳に届くはずのない嗚咽までもが聞こえてくるようだった。


《言っても無駄かもしれないと、思いはしました。けれど――それであなたが死んでしまったら、あの時の覚悟が、主様の死が、無駄になってしまう……!》



 ――そんなの、残った奴が誰も救われないじゃないか……!



 かつて、スライアに対して放った言葉が思い起こされる。

 過去の自分が、童女の叫びにかぶって見えた。

 残される者の恐怖を、虚しさを、正しく理解しているつもりだった。しかし、自分が〈残す側〉になる可能性が、頭から抜け落ちていた。

 剣を取った彼女の覚悟も、剣を取らせた自分の覚悟も、すべてを無かったことにしてしまうところだった。


《……すまない。俺の考えが間違ってた》


 彼女の元へ向かいながら、少年は謝罪の言葉を述べる。


《……〈布〉は外しておいてください。つけたままじゃ、見つけられないのです》

《ああ、迷彩は近くまで行ったら解除を――》


 かけた少年の後方で、轟音が響いた。

 副視界の中、瓦礫が吹き飛ぶのが見える。倒された〈蒼雷〉が、自身に被さるコンクリかいをはじき飛ばしたのだ。

 機影が立ち上がる。流石というべきか、装甲板の塗料が多少剥がれた程度で、機体そのものへの損傷ダメージはまるで見受けられなかった。こちらを探しているのか、周囲を見回すように頭部を振っている。


《急いだ方が良いな》

《どっ、どうすれば……》

 足を緩めないまま、数瞬だけ考える。まずは合流しなければ始まらない。


《ルストが拡声器メガホンを持ってたな? 誰でも良い。思い切り声を上げさせろ。5つ数えるごとに3回だ。座標と進行方向を特定して、そっちに向かう》

《わ、わかったのです、訊いてみるのです》


 数秒後、微かにルストの声が届く。三度聞こえたところで、追加の指示を飛ばす。


《特定した。そのままの速度で走り続けるように頼んでくれ》


 通信を閉じる。そこで、背後の〈蒼雷〉に動きがあった。

 群青色の巨人が腰を落とす。戦闘機動の予備動作と見て取り、レイジは身構えた。顔はこちらに向いていないが、あれだけのことをしたのだ。脅威と捉えられてしかるべきだった。

 一瞬の溜めを経て、バネが解放される。巨躯に似合わぬ軽快さで、巨人が再び走り出す。


 ――ただし、こちらに、ではない。


 その機体はレイジに背を向け、まるで見当違いの方向へと駆けていった。


「は、あ……?」


 間の抜けた吐息が漏れる。敵機の意図するところを推し量ろうと、思考を巡らせ――ひとつの可能性に思い至った。


《ッ、テイラッド! 今どこに居る!? 賊の拠点は近いか!?》

《一度かなり接近したが、指示に従っている。既にかなり離れた。どうやってお前達と合流するか、経路を探っていたところだ》

 通信先の青年は至って冷静だった。フェムにさえ備わっていない感情発信抑制エモート・コントロールが彼に扱えるとも思えない。


《お前の方に向かってるんじゃないのか……? じゃあ、一体――》


 思わず足を止め、〈蒼雷〉が走り出した方向を確認する。あの機体は、自分たちが賊の拠点と仮定していた廃ビルへ向かっていた。


《テイラッド、拠点はあのデカい廃墟で間違いないんだな?》

《ああ。詳細に探る余裕は無かったが、中に結構な人数が居るようだった》


(拠点の防衛を優先したのか? だが、頭数がそろってるなら、わざわざ戻る必要は……)


 行動原理が理解できない。足音は徐々に遠ざかっている。


「こいつぁどういうことだ!? 勝手に動くなんてことがあるのかよ!?」


 と、そこで――少年の耳が、頓狂な声を捉えた。


「オレだって聞いたこたねえよ、なんで動いてんだ!?」


 遠方。機体が向かう先に、二人の男が立っていた。

 身なりからするに、盗賊の仲間なのだろう。簡素な防具と武器を身につけているところを見るに、歩哨の任についていたのか。

 彼らの存在に構うことなく、機体は猛然と疾駆する。


「おいおいおいおいおいこっちに来てんぞ! どっ、ど、どうすりゃいい!?」

「どうするったって――」


 巨人が跳ねた。


 獣さながらの動きでもって、言い合う二人の直上に、手のひらが落とされる。

 そこから声が続くことは無かった。赤黒い体液が跳ね、返り血が機体の装甲板を汚す。

 右掌を血に染めた巨人は、まるで意に介する風でもなく、ふたたび移動を開始した。相も変わらず進行方向の先には、拠点とおぼしき廃ビルが建っている。


「どういう、ことだ……?」


 予想外の光景に戦慄する。脳内に描いていた敵味方の区分に亀裂が走る。

 あの二人は、〈蒼雷〉が動いていること自体に驚いていた。

 機体の起動は彼らの想定に無かったわけだ。搭乗者パイロツトの有無はどうあれ、〈蒼雷〉の挙動が彼らの管理下にあるとは考えられない。

 言わば暴走したまま、一定の指針に則った戦闘行動を取っている可能性がある。

 ――〈蒼雷〉が、単純に熱反応ターゲットの多い地点を目指して進んでいるのだとしたら。


「……ッ、まずい!」


 機体の行動と、その先にある惨状を思い描き――レイジはすぐさま身を翻した。


《フェム! 合流地点を変更する! 中央に一番高い〈遺跡〉が見えるな!? そこに向かって全速で移動してくれ! 相手は歩行戦車の襲撃に対応しようとするはずだ、構わず突っ走れ!》

《レイジ!? 何が……一体どうするつもりなのです!?》

《あの機体は暴走してる。拠点を潰すつもりだ。このままじゃ人質ごと皆殺しになるぞ!》


 矢継ぎ早に状況を連絡しながら、少年は来た道を引き返す。

 手遅れにならないことを祈りながら、〈遺跡〉の中心部へ向けてひた走った。

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