34 黙した神に、虚偽の祈りを


 童女フェムはひとり、を前に立ち尽くしていた。


「……ふ、ぐぅ」


 両の目をぬぐっても、拭っても、ぼやけた視界が晴れることはなく。どれだけ耐えようとしても、しずくは頬を伝っていく。

 これは、涙だ。そんなことはわかっている。これまでの人生で幾度となく目ににじみ、そのたびに溢れないようこらえてきた体液だ。


「う、あ……うあぁあ、えっぐ。ひあ……」


 ――けれど、こんな感覚は初めてだ。


 胸に空いたどうしようもないむなしさも。

 押しとどめることのできない嗚咽おえつも。


 どちらも、自分はまだ知らなかった。

 この地に生まれ落ちてから六年。ジルコと同じく親として自分を導き、様々なことを教え諭してくれた存在。敵愾心てきがいしんをむき出しにする者もいるなかで、迷い無く家族と呼べるほどに親しかった


 家族を失うことがこんなにもつらく、悲しいことであるなどとは、ジルコも〈宿木〉も、これまで教えてはくれなかった。


 身体に力が入らない。涙を拭う腕も、もう上がらない。


「ふぐ、うああ……あぁぁっ……ぇう……」


 その場に膝をついて、声の限りに泣きはらす。

 外界の感覚が遮断される。暗く冷たい無風の空間で、ただ自分の泣き声だけが響いているような錯覚に陥る。何も考えられなくなる。


 いつまでも、いつまでも泣き続けて――それから、どれだけの時間が経ったのだろうか。


 気づいたときには、自分の近くに複数の人影が寄ってきていた。


「……ぇ、あ?」


 里の仲間たち、ではない。

 自分の目をのぞき込んでいる者も含め、そこに立っていたのは三名。いずれも真人ヒュマネスの男。身なりは簡素で、一様に武装していた。


 にわかに現実感が戻ってくる。同時に、焦燥が襲い来る。


 武器は無い。自分が乗っていたご神体も『死』んではいないようだが、これの四肢は完全に潰されている。迂闊うかつに繋げばまず間違いなく失神するだろう。


 ――殺される。


 これほどに近づかれるまで気づかないなど、どうかしている。いいや、間違いなくどうかしていたのだ。それほどまでに家族を失った衝撃は重く大きかった。

 言葉を失っている間にも、彼らは言葉を交わしあっていた。


「ここにいんのは、こいつだけか?」

「もう一体の中身は骨だけだぜ。どうやって動いてやがったんだ? 薄気味わりぃ」

「向こうにいっぱい家があんだろ。あそこから動かしてたんじゃねえのか? そういうことができる聖職者もいるって話だぜ」

「あん中はからっぽだ。一匹もいやしねえよ」

「ほんとかよ。なにが『巣を見つけた』だ、貴族連中め。適当な連絡よこしやがって」

かしらとも連絡がつかねえ。この〈遺産〉、ぶっ壊れてんじゃねえのか?」

「ひひっ、おめーの信心が足りねえんだろ。坊主どもの話じゃ、〈遺産〉の力は神さまの加護だって話だぜ」

「あ? おうなんだてめえ、やんのか」

「あ? 上等だこら」

「おうおう喧嘩すんな。まず、こいつをどうすっか、決めとかねえとよ」

「決まってんだろ」

「殺しとけ」


 がりがりと後頭部をかきつつ、言われた男が腰から手斧を外した。


「ま、そうなるか。獣人スロウプの血が混じってるようには見えねえし、売れば良い値がつくと思ったんだが……一匹やっといただけでも、言い訳は立つだろ」


 斧が振り上げられる。恐怖に目をかたく閉じる。



「――ッ、フェム!」



 そんな中、聞き慣れた親友の声が耳に届いた。


(……フィニス?)


 一瞬、死ぬ直前の幻聴かと思ったが、今のは明らかな肉声だ。

 思わず目を開ければ、猟犬に乗った三人の友人たちと、ジルコの姿が視界に入った。彼らはすさまじいまでの勢いでこちらへと駆けてきている。


「……あ?」

「その子から離れなさい!」


 次いで聞こえたのは、首長たるジルコの声。

 猟犬に乗ったまま、ジルコは懐から短刀を抜いた。戦士とは思えない細腕だが、構えは堂に入っている。加えて、唐突な接敵に浮き足だった敵方は依然として臨戦態勢ではなかった。

 距離が詰まる。手斧を振り上げていた男が胸を貫かれる。


「おぐ、ぷ……」


 血を吹き出しながら倒れたところで、その仲間たちがようやく事態を飲み込んだ。


「てめえ! ぶっ殺してやぶッ!?」

「大人だけが戦えると思うのは、愚か」


 一人が武器を構えたところに、ルゥの駆る猟犬が襲いかかった。顎を蹴り飛ばされた相手は一瞬で意識を途絶させ、地に伏した。


 その背後で、最後の残敵が動く。

 彼はジルコではなく、こちらに腕を向けていた。

 そこに装着されていたのは、小型の機械弓だ。


「フェムッ!?」


 ジルコが叫び、両者の間に割って入る。射出された小型の鉄矢が胸へと突き刺さる。


「ぐぅ……っ!?」

「ひひっ、ざまあねえな。てめえも死」


 言いきる前に、男の頭をジルコの猟犬が踏み潰す。


「……う、ぐ」


 彼は自身の胸に刺さった矢を抜こうとして――そのまま仰向けに倒れこんだ。


「ジルコッ!?」


 驚いて駆け寄る。息はまだあったが、苦しげにあえいでいた。


「り、リギィ! はやく、たた、助けを!」

「どこからさぁ!? 近くに大人はいないんだよぉ!?」

「――いい、のです。このままで、いい」


 慌てふためく友人たちを押しとどめたのは、他ならぬジルコの声だった。


「何を言っているのです、ジルコ! いま〈耳〉で大人を呼びました! だからすぐ――」

「いいえ、いいのです。これが償いになるとも、思いませんが、せめて、貴女を守ることができて、良かった。戦いに身を投じさせておいて、身勝手な感傷とは、わかっていますが……」


 ジルコがこちらの頬に手を触れる。


「……よく、私のわがままに付き合ってくれました、フェム。貴女には、とても辛い思いをさせてしまった。本当に、すみませんでした」

「そんなこと、ないのです。どれだけ見下されていても、どれだけ厄介者と思われていても、わたしは……みんなを守りたいのです」

「それは、私がそう言いつけたから、ですか?」


 問いに、首を横に振る。


「みんなを守りたいと願うのは、別にあなたのためではないのです。守れるはずの人を見捨てたなら……きっと、いつか後悔する時が来てしまうから」


 フェムはうつむいて深呼吸を繰り返した。表情はうかがい知れなかったが、緊張だけは固く引き結ばれた唇からありありと見て取れた。


「正直、あなたを恨んだことが無い、とは言えないのです、ジルコ。どうしてわたしを産み落としたのか。どうして――わたしを作ったのか」


 それでも、と。

 震えがちながらも、フェムは言葉をいだ。


「後悔、していたのでしょう? わたしが苦しむのを見て、わたしを作ったことを、あなたは悩んでいたのでしょう?」


 かすかに覗くジルコの瞳に、驚きの色が浮かぶ。


「何故、そのような……」

「ジルコの〈耳〉も、他の住人より強い力をもっているのです」

「私の考えは、まるきりお見通しだったというわけですか」

「全部、ではありません。けれど、強く考えていることは、うっすらと聞こえてくるのです。もちろん、わたし以外には聞こえていないのでしょうけど」

「隠すことは、初めからできてなかったのですね」

「わたしについて悩んでいるジルコは、とても苦しそうでした。それを見て思ったのです。わたしは、後悔したくない」


 息が詰まる。視界が滲む。


「果ての結末がどうであれ、わたしは〈わたし〉を選び取りたい」


 それでもなお、〈耳〉に頼ることなく、彼女は最後まで自身の声を絞り出した。


「だから、わたしは戦います、ジルコ。フィニスや、ルゥやリギィ。それだけではなく、里に住まう人々を、せめて、無駄に死なせることのないように」

「……ですが、これを無事に乗り切ったと、しても……終わりでは、ありませんよ、フェム。これから、きっと大きな戦いが始まるでしょう」

「……わかっているのです」

「貴女は確かに力を持っている。しかし……できることは限られています」

「それもわかっています。わたし一人で全てを守れるなんて、思ってはいないのです。……けれど、主様はもういない」


 言葉にすることで、欠落を自覚する。まだ新しい傷口がえぐられたかのように胸が痛み、言い様のしれない虚無感に襲われる。

 彼女は拳をかたく握りしめて、ジルコを見据えた。


「だから。……だからわたしが、いいえ、わたしたちが、今度はがんばらなければいけないのです。きっと、それが主様の望んだことだから」


 そして、おそらくは〈彼〉の主も、と胸の内で付け加える。

 それを聞いたジルコは、力なく、しかしほがらかに笑った。


「はは、なんと……なんとも、嬉しい言葉です。貴女がこれほどに強い子だとは、思いも寄りませんでした。どのような形であろうと、やはり……あなたは、私の――」


 その言葉が最後まで紡がれることはなく。頬に触れていた手が落ちる。


「いや、そんな……ジルコッ! ジルコ!?」


 必死になって、何度も呼びかける。そうする間にも顔から血の気が失われていく。


「死んではいけないのです、ジルコ!」







「んん~~~~ッ! いやっ、その通り! ここで死なれては困りますねえ~?」






 ――そこに割り込む、場違いなまでに陽気な声があった。


「ぴひゃっ!?」


 跳ねるように背後を確認する。視界に入ったのは、大柄な人影。


「だっ、だだ、誰なのです……?」

「おやん? 誰とは随分と他人行儀な――ああ、いやいやいやいや、なるほどなるほど。よくよく考えてみれば、ワタクシが取引していたのはヤドリギ氏とジルコ氏くらいのものでしたね。まあ、他の住人とも多少はやり取りしていましたけれども。失敬失敬」


 ――熊だ。


 服を着た、白い熊がそこにいた。

 外套のフードをかぶり、巨大な背嚢を背負っている。ただでさえ大きな体躯がそれでさらに大きく見えていた。

 唯一右腕だけに毛が無く、小麦色の肌がむき出しになっており――そこだけが真人ヒュマネスと同じかたちをしている。


 穏やかな笑みを浮かべて、彼はとこちらに向かって歩いてきた。


「ワタクシ、ルスト・トシュレ=リーグレイル=アヴァランチァと申します。長いんで気軽に『ルスト』、あるいは『ルーたん』とでもおよびくだされば。サンキルレシアの宮廷魔術師ウィザードなんぞやらしていただいております」


 そう言って、白熊の亜人種デミス――ルストは深々と礼をした。


 その背後には馬車が止まっており、幾人かの真人がそこから降りてきている。いつの間に接近してきたのか、まるで見当がつかなかった。


「サンキルレシアの、商隊の方、なのです……?」

「ええ、その通りですはじめまして。と、悠長にやっている場合ではありませんな」


 挨拶もそこそこに、彼はジルコの様子をうかがう。


「それではお嬢さん、ちょちょいと失礼。はいはいジルコ氏~、かっこよく死のうなんて都合がよすぎです。アナタはきっと無様ぶざまに死ぬのです。指導者の死が真に英雄的であったことなんて、現実には無いのですからね? まあ、いずれは死にますが、少なくとも今日じゃない」

「あの、えっと、あなたは、何を……?」


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔のまま、フェムは問いかける。


「お、毒ですか。毒ですねえ。こいつはよくない」


 フェムの声を無視してルストは巨大な背嚢の中身をあさり始め、そこから箱を取り出した。自分でもようやく抱え込めるくらいの大きな箱。


 それを片手で持ち上げると、地面に落として錠を解除する。


 中には、見たこともない器具や道具、液体の入ったガラス瓶などが詰まっていた。

 その中から一本の容器を取り出すと、その首を折り、針のついた器具で液体を吸い取っていく。ジルコの腕をとり、何かで濡らした布を滑らせ――針を刺し込んだ。


「え、いや、あのあの、ちょ、何を」

「〈小国連合〉の医療をつかさどるヘクトテレンスより仕入れた〈霊薬〉です。ちょうど、偶然、たまたま! ワタクシがコレを持っているなんて! ……いやあアナタは運が良い。矢も心の臓を外れているらしい。いやあ、幸運幸運」


 器具の中身を残らずジルコの体内へと流し込むと、彼は箱から包帯を取り出した。


「しかし、いや、このままでは血が足りませんな。血の型もわかりませんし、塩水でも入れときますか。はいはい、お注射ぶすぶす~っと。持ってて良かった医術箱、まさに一家に一個」


 陽気にしゃべりながら彼はジルコの傷口を縛り、針で次々と別な液体を注入していく。その中身は彼の言葉を信じるなら、塩水なのだろう。


「は、え、あう、塩水って、そんな……」

「いえいえいえいえ、大多数の馬鹿どもは認めようとしませんが、これはしっかりと効果が認められた治療法ですよ? アナタがたの主、ヤドリギ氏にもお墨付きをいただいております。生理食塩水とかなんとか言ってましたっけ。もちろん消毒も完璧に。ワタクシ天才ですゆえ


 ふざけた口調だが処置は正確だ。一切の迷いなく作業を進めていく。


「――うわジルコ!? ちょ、痙攣けいれんしてるのですがちょっとこれやべーのでは」

「大丈夫大丈夫。薬が効いている証拠です。死にゃしませんとも。ワタクシが保証いたします。天才のお墨付きでありますれば、ご安心をば」


 商隊の一員であるらしき真人の男が、こちらの肩に手を乗せて語りかけてくる。


「嬢ちゃんよ。大丈夫だ。こいつ、ときどき話が通じねえけど腕は確かだからよ。安心していいぜ。人格に問題があるから、信用はしない方がいいが」

「いやあの、それ安心できない要素のほうが明らかに多いのでは」

「心外ですねえ~? まあ、見てなさいなお嬢さん。ワタクシにお任せあれ」

「おう、ルスト。ぼやぼやしてるわけにもいかん。どうも、向こうでまだ戦ってるらしいぞ。神像の姿は見えんが……」

「ほう、では加勢に向かうとしましょう。彼を馬車の中へお願いいたします」

「中へ、って。こんな状態で動かしたら――」


 そんなやりとりを交わす中、ジルコの震えが止まり――うっすらと目が開いた。


「――フェ、ム?」

「うぇ、ジルコっ!? ほ、ほほ、ほんとに生きてるのです!? 変な〈遺産〉で無理矢理動かされているとかではなく? ほんとのほんとにジルコなのです!?」

「なにを、言っているのですか、貴女は……」

「ほうら言ったとおりでしょう? だから言ったのです。――では、彼を乗せてやってください」

「よ、よよ、よがっだのですぅ……」


 自慢げなルストの声をどこか遠くに感じながら、フェムはジルコの手を取ったのだった。



   ●



 商隊の面々がジルコや子供たちを馬車へと収容し、本陣への増援に向かわんとし始めた頃。

 ルストは〈宿木〉のむくろ――大破した巨人を見つめながら、ちいさく独りごちた。


「いやはや。いかに神と言えど、死がある以上、救いを求めるは道理というわけですか」


 目を細める。胸を割り開き、何かに向かって手を伸ばしている巨人の姿は、どこか痛々しくさえあった。


「魂ある者を見捨てたとあらば、きっと私は果ての裁定を受けることになるのでしょうねえ?」


 彼は残骸に向けて軽く手を合わせる。その後、フードを目深まぶかにかぶり直し、物言わぬ巨人から視線を切った。


「まあ、それも良いでしょう。……眠りなさい、せめて安らかに。貴方はいささか、危険すぎました」


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