6 流れる血は望みよりも色濃く


『あとちょっとだよ』というリクリエラの言葉を追加で三回ほど聞かされてから、ようやくフレイヴェイは目的地にたどり着いた。


「んしょ、んしょ……」


 リクリエラが木箱を押しのける。その奥には人が通り抜けられるほどに大きな穴が開けられていた。


「いや、これ、なんつー雑な隠し方だよ」


 思わずぼやく。

 脱出のアテにしていたのだから穴が存在するにこしたことはないのだが、いざ目の当たりにすると、帝国の都市管理の杜撰ずさんさを見せつけられているような気分になるのだった。

 これまで誰も調べようとしなかったのだろう。治安の悪い卑民街ゲットーに近寄ろうとする真人はめったにいない。警邏や夜警といった市街の巡回を生業とする者は例外だが、彼らもここ一年は亜人種の住む区画を足早に通り過ぎるのが通例だった。


「職務怠慢もいいとこだぜ、ったく」


 その怠慢のおかげで逃げられるというのは、なんとも皮肉だ。

 そんなことを考えながら、フレイヴェイは聖鎧を脱ぎ、穴へと這い込む。


 視界が開ける。その先は木々と雑草の茂る林だった。


 隣接する農業用地とは反対方向に出たのだろう。枯れ木でぞんざいに隠されているだけだが、穴が外側から発見されなかったのも合点がいく。


「さて、これからどうするか……」


 街を抜け出したわけだが、もう戻ることはできない。いや、そもそも――あの場に戻る理由などは無かった。


「……いっそのこと、帝国を出ちまうか?」


 関所を破るのは難しいだろうが、この〈遺産〉があれば多少の無茶は効く。やるならば国内が混乱している今が好機だ。

 だが、それには問題が一つ。


「嬢ちゃんはどうする。このまま戻るわけにもいかねえだろう」


 成り行きで助けることになってしまった少女、リクリエラ。

 亜人種の迫害が苛烈さを増している今、ここで彼女を置いていけば、どんな結末が待っているかは火を見るよりも明らかだ。

 そんなフレイヴェイの思いを知るよしも無く、リクリエラはかすかに顔をしかめた。


「でも、おかあさんがここで待ってなさい、って……。リクリエラには危ないからって」


 その一言で了解する。てっきり彼女の母親は死んだものと思っていたのだが、置いて出て行ったということらしい。


「あんまり遠くにいっちゃだめだって、だから、おるすばんをしてなくちゃいけないの」

「……おるすばん、ね。それができるってんなら、一番良いんだろうけどな」


 平時ならば、それも良いだろう。だが、生憎あいにくと今は非常事態だ。


 このままでは卑民街の亜人種が皆殺しにされる可能性もある。

 残った彼らを見捨てることに変わりはないが、せめて自分が関わってしまった彼女くらいは救いたかった。


 フレイヴェイはしゃがみ込み、少女と視線を合わせる。


「リクリエラ。さっきも言ったが、このまま戻るのは危険すぎる。下手をすりゃ、お母様に会うよりも早く、お前が殺されちまうぞ」

「でも……」

「どうしてもってんなら、俺が一緒にお前のお母様を捜してやる」

「……ほんと?」


 意外そうな表情でリクリエラは問い返してくる。


「ま、俺にしたって、あそこに居るわけにはいかねえからな。少なくとも帝国内じゃあ犯罪者の仲間入りだ。それに、この分じゃ戦争だって起きかねない。逃げるにゃいい時期だろうよ」

「せんそう?」


 独り言に、リクリエラが反応する。


「説明は面倒だから省くが、要するに危ないことが起きるってこった」


 アポステルの登場以後、強大な軍事力を手にした帝国だが、まだ他国との戦争には至っていなかった。しかし、このままでは開戦も時間の問題だろう。

 なにせ、他国との戦争に踏み切らなかった最大の要因はアポステル本人である。領土の拡大にはやる貴族も、国力の増強に息巻く皇帝も、彼の一存ゆえに戦争を起こさなかったのだ。

 神の力を得ていながら何故、という声は当然あった。しかし、彼は頑として侵攻を開始しなかった。〈小国連合エルニエスト〉という格好のがすぐ隣に存在するにもかかわらず、である。

『侵攻はしない』というアポステルの決定に、問いを重ねられる者などいようはずもない。下手なことを言えば首が飛ぶ。皆、『何か深い考えがあるのだろう』などと言って自分を無理やり納得させていた。


 だが、状況は変わった。変わってしまった。


 ひとたび開戦すれば帝国はその版図はんとを急速に拡大するはずだ。他ならぬ神の力、神像という強大無比なる兵器によって。


「ともかく、身の振り方は考えねえとな」


 どうにかして身を立てる方法を見つける必要がある。場合によっては、盗掘を行うことも視野に入れねばならないだろう。つい先日冗談で言っていた『遺跡に忍び込む』という行動を、まさか実行するような立場になるとは思わなかった。

 人間は案外あんがい図太くなれるものだな、と苦笑する。その横顔をリクリエラが不思議そうに眺めていた。

 その頬をなでながら、動きを考える。


「お前の母親がどれくらい前に街を出たのかは知らんが――生きてるとすれば、帝国内にとどまってるとは考えづらい。なんせ、この情勢だからな。わざわざ亜人差別がひどい中央部に行くってのもありえねえ。とすれば、国境を越えたあと戻れなくなってるってのが一番ありそうな線だ」


 本当に帰ってこようとしてるのなら、だが、と思いはしたが口には出さない。それくらいの分別はある。


「ここから一番近いのはサンキルレシアか。あるいはその南のエルダートンか……どっちにしろ、帝国を出た方が良いのは確かだな。落ち着いて動けねえ」


 何をするにせよ、街は出るつもりだったのだ。犯罪者になったとはいえ、今後の方針が固まっただけ良しとするべきだろう。


「ま、なんとかなんだろ。なんなら、この聖鎧を売っぱらってもいいしな」


 小国連合エルニエストまでたどり着くことができれば、仕事くらいはあるはずだ。帝国に比べて〈遺産〉の活用が遅れている小国連合では魔術師ウィザードは引く手数多あまたと聞く。

 自分は一般人よりマシな知識がある程度で、魔術師ウィザードとまでは行かないが、それでも有用性を売り込むことはできる。


「どうするよ? 結局、決めんのは嬢ちゃんだ。腹を決めて自分で母親を探しに行くか、いつかもわからねえ帰りを待ち続けるか」


 前者をことさらに美化しているという自覚はある。

 だが、後者を選んで欲しくはなかった。


 リクリエラがうつむく。

 これほど幼い子供にさせる決断ではない。それも承知している。それでも、彼女自身が選び取る必要がある。フレイヴェイは固くそう信じていた。


 少女が答えを出すのを、ただ黙って待つ。

 彼女が顔を上げたのは、ちょうど空が白みはじめた頃だった。



「――リクリエラ、おかあさんに会いたい。さがしに、行きたい」



 その一言を聞いて、フレイヴェイは静かにうなずいた。







「……これで後戻りはできねえな」


 急いで街を後にし、十分な距離を稼いでから、ようやくフレイヴェイは息をついた。


 振り返れば、帝国教会の象徴たる尖塔が街に影を落としている。

 アポステルの主導で急速に数を増やしたそれは、今では街ごとに必ず一本は立っていた。その高さは民衆から栄光の具現と称えられるが――立場が変われば忌々しさしか感じない。


 方々ほうぼうの領主は『貴族の威光が薄れる』などとぼやいていたが、これからはそうした不満が表面化していくことだろう。国内情勢のさらなる悪化は、もはや必定だ。


 ならば、さっさと逃げるに越したことはない。


 周辺の地理は頭に入っている。もちろん、警備が手薄な関所も知っていた。いくらでもやりようはある。


 今後の移動経路を思い描きつつ、フレイヴェイは空を仰ぐ。


 犯罪者の肩書きを得て、確実に身動きは取りづらくなった。


 しかし、不思議と以前よりも自由を感じる。あるいはそれは、家を捨てたが故の身軽さから来る感覚なのかもしれなかった。



 ――思っていたよりも、自分は『血』にとらわれていたらしい。



 先日半亜人クオルタの少女を処断するに際して、言い様の知れない嫌悪を感じたのも、さきほどリクリエラを捨て置けなかったのも、彼女らの身に流れる『血』を、自分の出自に重ねてしまったからなのだと、今になってようやく気付いた。


 まったく、我ながら気付くのが遅すぎる。

 自嘲気味に笑う。だが、きっとこの決別は価値ある行為だ。


「さって、面倒だが行くとするか。帝国から出られりゃ、多少は楽もできんだろう」


 晴れ晴れとした表情で、彼は一歩を踏み出す。


〈なり損ない〉の少女を、かたわらにともなって。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る