10 夜を駆けた先に

「ひ――ぃ、ぁ…………ッ!」


 腕の中に抱え込んだ少女が、声にならない悲鳴をあげていた。


 迫り来る石畳を目視しながらレイジは予備演算を終了させ、コマンドを叩き込んだ。直後、延髄部に装着されたメルの機能――重力制御機構アドグラヴが効果を発揮する。

 注視しなければわからないほどの薄い歪みが直下に発生する。ごく低出力の疑似斥力場だ。

 重力子の偏極に包まれて、二人は直前の落下速度からは想像もつかないほど軽やかに地面へと降り立った。

 素早く周囲の状況を確認する。

 路地裏に照明はほとんどない。眠ることができた時間がどれほどかはわからないが、明かりをこぼれさせている人家がほとんど無いことから、すでにかなり遅いことが推測された。少なくとも日付はまたいでいるはずだ。

 道幅は広いとは言い難い。どちらに逃げるべきか逡巡していると、不意に右方の薄闇が晴れた。

 距離は五十メートルほどか。たいまつの明かりが複数、こちらに近づいてくる。


「誰かいるのか!? ……おい、そこの二人! そのまま動くな!」

「わ、夜警やけい……!? ――まずい、逃げなきゃ」


 スライアのつぶやきが耳に入る。言葉の響きから察するにあれは警備隊や自警団の類か。


「なら、こっちしかないか」

「ちょ、ちょっと……ッ!?」


 スライアを抱えたまま、左に向かって走る。彼女は腕の中で抗議の声を上げていたが、いちいち下ろすよりはこちらの方が速い。


《メル、加速だ。足下に力場を作る》


 逃げながらもメルにそう呼びかけたのだが、返ってきたのは意外な言葉だった。


《警告、これ以上の重力制御機構アドグラヴの使用は不可能です。エネルギーが不足しています。いえ、厳密には使用できますが、私が起動状態を維持できません》

《エネルギー? ……そういえばお前、どうやって動いてるんだ?》

《当機のエネルギー源には光触媒式の発電機が用いられています。太陽光に限らず、光源さえあれば充電が可能ですが――日中は、ほとんど懐に入っていましたから》

《そういうことか。となると、一気に振り切るのは難しいかもな》


 見つかりやすい大通りに出るのはまずい。かといって、袋小路に追い詰められると打開が難しくなる。


 どちらもリスクは同等だ。ならば――


「スライア、ここからはお前が道案内をしてくれ」


 狭隘きょうあいな建物の隙間に駆け込み、抱えていた少女を下ろす。


 基本的に帝国の町は似たような構造を取っていると教えてくれたのは彼女だ。ならば、より経験の多い彼女にナビゲートを頼んだ方が逃げられる公算は格段に高まる。


「わ、わかった。……こっちよ!」


 少しばかり戸惑うように少女は目を伏せていたが、迷っている暇はないと思い直したのか、すぐさま先導を開始した。



 そうしてしばらく走り続けたのだが――意外に夜警とやらはしつこかった。

 右へ左へと細い路地を駆け抜けてもまだ追いかけてきている。たいまつの数を見る限りではいくらか脱落しているようだったが、それでも厄介なことに変わりはない。


「……町の外に出るわけにはいかないのか?」

「言ったでしょう、夜は門が完全に閉じられるのよ。そう簡単には出られないわ」

「このまま朝まで逃げなきゃいけないのか。……いや、この分だと朝になっても出られるかどうか、怪しいな」

「多分、門の方にも連絡が行くでしょうね」

「なにか手を考えないとな」

「それよりも、逃げ切るのが先よ」

「そりゃそうだ。――っと、先に行け」

「え、先って……なにをするつもり?」


 急に立ち止まったレイジに対し、スライアは疑問げな表情で足を止めた。

 彼の目前には大型の木樽きだるがうず高く積まれていた。中身が空であるところをみると、食堂かどこかで飲料を供した後の保存容器なのだろう。


「こういう、こと……だっ!」


 一番下に置かれている樽を力の限りに押し出す。

 直後――


 盛大な音と共に、大量の木樽が雪崩のように落ちてきた。


 それによって、これまで走って来た道が埋められる。


「ボサッとするな、行くぞ!」


 そのさまを呆気にとられた表情で眺める少女の手を取って、少年は再び走り出した。



   ●



 妨害がうまく働いたのか、十分も走ったところで追っ手の気配は完全に消え去った。荒くなった呼吸を整えつつ、スライアに小声で呼びかける。


「どうにか、振り切ったみたいだな……」

「ええ、でも……」


 言いよどみ、彼女は周囲へと視線を巡らせた。明かりと言えば月光くらいのものだが、その程度の微弱な光でも二人が立つ場所を照らすには十分だった。

 華やかな町の主要部とは対照的に立ち並ぶ建物はひどく老朽化が進んでおり、小屋が半壊したまま放置されていたりもした。路上にうずくまる影の数は一つや二つでは済まない。

 目をこらすと、彼らのほとんどが獣のような外見を有していることがわかる。


 亜人種デミスだ。


 彼らの見た目は昔のファンタジー小説に出てくるような、所謂いわゆる獣人によく似ていた。人間のような体躯に獣の毛皮が貼りついた生き物。実際に見るのは初めてだが、それも無理はない。帝国では亜人種デミスに対する差別が強く表れているのだから。


「……ここは」


 ――卑民街ゲットー


 レイジたちがいま立っているのは、そう呼ばれている地区だった。帝国における亜人種デミスの隔離居住区。日中に入りかけたが、治安が悪いと聞いて後戻りした場所だ。

 逃げ回っているうちに、いつの間にかここまで来てしまっていたらしい。

 その実情は想像以上に酷かった。襲われる危険もあると彼女は言っていたが――少なくとも視界に映る人々はそんな気力さえ無いようである。

 だが、それもここに限ればというだけの話だ。進んだ先もこんな状態が続いているという保証は無い。

 しかし、かといっていまさら戻るのもリスクが大きい。この周辺に留まるという選択肢も無いではなかったが、あまり良い考えだとは思えなかった。


 ここからどうするべきか。スライアの方を見てみるが、彼女も彼女で迷っているようだった。考え込んでいると――


「ねえねえ。どうしたの?」


 ――不意に、背後から声がかけられた。


「なんっ!? 誰……だ……?」


 驚いて振り返る。しかし、視界には誰も映らなかった。混乱して左右を見回してみるが、やはり誰もいない。


「そっちじゃないよ、こっちだよ」


 声はから聞こえてきた。

 視線を落とすと、そこには一人の少女が立っていた。背が低く、レイジの腹あたりまでしかないせいで視界に入らなかったのだ。


 存在に気付かれたのが嬉しいのか、彼女はにっこりと笑った。


「こんな時間に、なにしてるの?」


 そんな風に問う仕草しぐさや顔立ちは、小柄な体躯も相まって、少女というよりは幼子のそれといった方が近かった。年の頃は十を過ぎるかどうか、といったところだ。


 くりくりとした灰色の瞳や、柔らかな丸みを帯びた頬などはどこか小動物を思わせる。ただし、身体は全体的にほこりすすのような物で黒く汚れており、お世辞にも綺麗な格好だとはいえなかった。頭から伸びる金糸のような色の髪は背中に届くほどの長さなのだが、同じように各所が汚れている。

 決して清潔であるとはいえない格好だ。それは服装という点も同様である。伸びきった服は汚れているだけでなく、ところどころが破けたり裂けたりしており、服として最低限の役割しか果たしていなかった。

 両腕には黒ずんだ包帯が巻かれていて、その部分だけがレイジの目にはやたらと奇異に映った。


 身体の汚れや服装がボロボロであるという点に目をつむれば、見た目はの人間――真人ヒュマネスと変わりない。


「どうしてこんなところに……」


 真人ヒュマネスが、と言いかけて、気付く。


 破れたシャツの隙間から覗く肩口の地肌が、人間のそれとは思えないような毛皮に覆われていたのである。両腕に包帯をしているのはてっきり怪我かなにかのせいだと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。


「……あなた、半亜人クオルタなのね」


 それまで黙ったまま成り行きを見守っていたスライアが、少女に問う。


「うん? ……うん、たぶんそう」

「多分、って……あなた、こんな時間になにしてるの?」

「それ、さっきリクリエラがした質問だよー?」


 いかにも愉快そうに、からからと笑う。どうも調子が狂う相手だ。

 そう感じたのは自分だけではないらしい。スライアも毒気を抜かれた様子で、戸惑うようにこちらを見ていた。見られても困るのだが。


 みずからをリクリエラと呼ぶ少女は、奇妙な視線のやりとりをする二人を横目に話し始める。


「お昼はねー、リクリエラ、眠くなるの。だからいつもは夜に起きてるんだけど、夜だと起きてる人が少ないから、つまんないの」

「夜行性、ってことか?」


 獣との混血であるという亜人種デミス半亜人クオルタが元の動物から受け継いだのは外見だけなのか。あるいは習性なども一緒に変化しているのか。生物学についての知識が乏しい自分には判断がつきかねるが――おそらく、少女の言っていることはそういう意味だろう。


「んー? むずかしい言葉はよくわかんないけど、たぶんそうだよ。おにいちゃんとおねえちゃんは、こんな時間になにしてるの?」

「ちょっと訳ありでな、追われてるんだ」

「わー、たのしそう。おにごっこ? まぜてくれる?」


 少女はそう言って無邪気に笑った。やはり調子が狂う。


「いいや、鬼ごっこはおしまいだ。鬼は俺たちを見失ったからな」

「そっかー、ざんねん。……ん? んむむ?」


 まるで残念そうに見えない表情で彼女は言った。その後、ふとなにかに気付いたように顔を上へ向ける。目を閉じて頭を左右へ交互に傾けるその姿は鳥類を彷彿とさせる。

「あー、でも、。いち、にい、さん……すごいねーいっぱいだねー」


 感心したように息をつくリクリエラ。彼女は柔らかな笑みを浮かべたまま、こちらへと視線を戻した。


「おにいちゃんとおねえちゃんのおともだち?」


 思わずスライアと顔を見合わせる。


 どうやって感知したのかはわからないが、その「お友達」とやらはまず間違いなく夜警やけいだ。やはり、見失った後もまだ諦めていなかったのだ。


「……どうする?」

「いたずらに逃げ回るより、どこかに身を隠した方が良いでしょうね。このまま走り回っても体力が無駄になるだけよ」

「俺も同じ意見だが……隠れる場所なんてあるのか?」

「ねえねえ、かくれんぼ? かくれんぼ?」


 ためらいなど微塵も見せず、リクリエラは自分のペースで会話に割り込んでくる。


「俺らは遊んでるわけじゃないんだ。隠れ場所が必要なのは確かだが……」

「やっぱり、かくれんぼ。……じゃあ、リクリエラのおうちにくる? たぶん、ぜったい見つからないよ?」


 多分なのか絶対なのかはっきりしろと思ったが、それを言ったらさらに話が妙な方向へこじれそうだった。黙り込んだ二人などお構いなしにリクリエラは走り出す。


「――こっちだよ! こっち!」


 彼女は少し離れたところで振り返り、手招きしている。


「誰も行くとは言ってないんだがな。いや、だが……」

「……まさか、ついていくつもり?」


 不安げに問うてきたスライアに、しかし否定の言葉は返せなかった。

 リクリエラは自分の家を「見つからない場所」だと言っていた。

 子供の言うことだから多少の誇張はあるかもしれないが――案外、身を隠すのに適した場所であるのかもしれない。


「あてもなく走るよりはマシなんじゃないか?」

「……本気?」


 なおも問いを重ねる彼女に、レイジは黙って首肯した。



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