第12話『嫉妬』
ヴァンが歩けば佐藤も歩く。
のしのし。
ちょこちょこ。
ヴァンが座れば佐藤も座る。
ずかっ。
ちょこり。
あくび。
ふわぁーっ。
ふにゃ~っ。
くしゃみ。
うぇっくしゅ!
へっくちん!
遠目からその二匹の姿を見ていたイシャータはクスクス笑いながら隣にいるギリーに話しかけた。
「あの二匹、いつの間にあんなに仲良しさんになっちゃったのかしらね」
「そ、そうね……」
ヴァンが
そのイシャータが今、目の前にいる。ギリーはどう会話していいのかわからなかった。
「イシャータさんは……」
イシャータはそのまん丸な目でギリーを見た。
「ん?」
(ヴァンのことをどう思ってるんですか?)
だめだだめだだめだ。
そんなこと聞けるわけない。
「ヴァンのこと知ってるんですか?」
そう探りをいれるので精一杯だった。
ギリーの淡い気持ちなど知るはずもないイシャータはその言葉をそのままにしかとらえない。
「へ? ええと、まぁ、そうね──」
知ってるのかと問われてみても言葉につまる。『よくよく考えてみると私はヴァンのことなど何も知らないのだな…… 』とイシャータは目を細めた。
「歌がとっても上手だってことは聞いたことがあるわ」
…… 嘘だ。
ギリーは目を細めイシャータをそっと観察した。
なぜそんな嘘をつく必要があるのだろう? 何とも思ってないなら笑い飛ばせばいいじゃないか、『ヴァンは私の家の庭で何日も歌い続けていたバカな猫なのよ』とか。そう言わないのはイシャータもヴァンに気がある証拠だ!
…… だから、何だというのだ?
もし、そうだとしても私にそれを止める権利などはない。これっぽっちもだ。
心のGoogleで“疑い”という言葉を検索していけばそれはきっと際限なく広がっていく。どんどん枝わかれし続け増殖する一方だ。
本来ならばそんな気持ちになった時は考えを反転させるということが一つの方法となる。なぜなら“信じる”という言葉はわずかたった1ぺージしかないのだから。
だが、それをまだ年端もいかない今のギリーに求めることは難しいことであった。ギリーはもはや何に対しても疑いの気持ちが強まる自分に嫌気がさし始めていた。
▼▲▼▲▼▲
ヴァンは立ち上がると木の幹で爪を研ぎ始めた。
バリッ、バリバリッ。
急いで佐藤も真似をする。
コリッ、コリコリッ。
さすがにヴァンも口を開く。
「いったいこれは何の遊びなんだ?」
「べ、別になんでもあらへんよ」
単純な図式だった。ギリーはヴァンに恋焦がれている。ならばヴァンのようになればギリーもちょっとは自分の方に目を向けてくれるかもしれない、と。
とはいえヴァンと同じ行動をしたからといってそれがどうなるわけでもないことくらい佐藤もよくわかっていた。ただ何かをせずにはいられなかったのだ。
ヴァンは伸びをして言う。
「よし、佐藤。いっちょモンでやろう」
「え? な、なに?」
「おまえは筋がいいと言ったろう? 鍛えればもっともっと強くなれるぞ」
佐藤は真顔で答えた。
「…… ヴァンより?」
ヴァンはあっはっはと笑った。
「ああ、俺なんかよりもっともっと強くなれる」
「ほんま?!」
「ああ、ほんまだ。さあ、かかってこい」
佐藤はヴァンから少し距離をとり、そして振り向き様に言った。
「なあ、ヴァンは誰かを好きになったことってある?」
「俺がおまえくらいの頃はメスのことしか頭になかったぞ」
ヴァンはコキコキと首を鳴らした。佐藤は腰を落とし、その小さな体をさらに小さく丸めると狙いを定めた。
「ははぁ、さてはまたギリーのことだな?」
「そ、そんなんちゃうよ。い、いくで!」
そして弓を放つかのごとく自分の体の二三倍はあるであろうヴァン=ブランの体に飛びかかっていった。
ひゅっ。
「うわはははは、くすぐったいぞ! 」
ヴァンはブルルと背中を揺らすと 佐藤を振り落とした。
どすっ。
「佐藤?!」
何事が起こったのかとイシャータが心配して声を張り上げた。
それに対しヴァンは『なんでもない』というかのごとく片足を上げた。
地面に叩きつけられた佐藤はすぐに体勢を立て直し再びヴァンに向かっていく。が、今度は軽く前足で払いのけられてしまった。
どしゃ!
佐藤は再び土を噛む。
「無理やわこんなん! 体の大きさが全然ちゃうんやもん」
「体の大きさは関係ない。力づくでかかっていこうとするからだ」
「……」
「どうした。そんなんじゃいざという時ギリーも守ってやれんぞ? ん?」
なんだか小馬鹿にされたような気がして佐藤は少しカチンときた。
「うっさいわ!」
今度は後ろ足をすくおうと下からかかっていく。
ヴァンは体を下げ、しばらく取っ組み合う形になったがあえなく佐藤は押し潰されてしまった。
「今のはまあまあ良かったぞ。だがもっと頭を使え。考えて考えておまえがこれでいいと思ってるところから行動に移す直前にそれをあと半ランクだけ上げろ。それが相手の裏をかくということだ。さあ、本気で俺を倒そうと思ってみろ」
だが佐藤は今度は立ち上がることもせずぼそりと呟いた。
「ヴァンはずるい……」
「んぁ? 俺の何がずるい?」
「ヴァンは…… 強いし、デカいし、カッコええし……」
「? 」
「それに…… それに、歌だってうまいし、おもろいことも言うし、おまけに名前までカッコええし… 。ズルいわ」
「お、おいおい。いったい何の話だ?」
「逆立ちしたってボクなんかヴァンに勝てへんよ…… 」
佐藤はヴァンに背を向け、とぼとぼと歩きだした。
「ふむ」
佐藤の後ろ姿を見つめるヴァンの背後から声がした。
「ヴァン!」
黒猫のフライだ。ヴァンにその座を奪われたこの〈猫屋敷〉のリーダーである。
「いつまで遊んでるつもりだ。四日で計画を立てるんじゃなかったのか?」
「フライか。別段遊んでるつもりじゃないんだがなぁ」
「真面目にやってるとも思えん」
「深刻な顔をしてればいい案が浮かぶというわけではなかろう」
ヴァンは歩き出す。
「お、おい! どこへ行く?」
「ちょっと表へな。屋敷にばかりいるとクサっちまいそうだ」
「おい。おい、ヴァン!」
「そうだフライ。おまえも一緒に来ないか? 見せたいものもあるしな」
「?」
▼▲▼▲▼▲
佐藤は 縁の下に入り込んでごろりと横になった。冷たい土が心地よいものの気分がすぐれるとまでにはいかなかった。
──ヴァンなんて帰ってきぃへんかったらよかったのに。
そんなことを考える自分が疎ましく、またせせこましく思える。溜め息をつき、しばしクラゲのようにぐにゃぐにゃとしているとイシャータがそろりと顔をのぞかせた。
「いたいた。どうしたの、さっきは? ヴァンにベッタリかと思ったら…… ケンカ?」
「ちゃうちゃう。ちょっとモンでもらっとっただけやねん。心配せえへんでええよ」
「?」
「用がないならほっといてぇや。一匹になりたいんや」
「そう…… 。あのね、私、食料を探しに行こうと思うんだけど、佐藤も一緒に行かない?」
「食料?」
「うん。もう残りも少ないし、ホラ、私たちっていわば居候みたいなもんじゃない? ちょっとでもみんなの役に立てないかなと思って」
「メタボチックのやつが一匹で食い過ぎなんちゃう? 悪いけど今そんな気分じゃないわ……」
「そう…… じゃ、ギリーと私で行ってくるね」
× × × ×
「気分じゃなかったんじゃないの?」
「ボクが? そんなこと言うたっけ? ええのええの。メスだけやといろいろ危なっかしいからな。ボディガードっちゅうやつや」
イシャータとギリーは顔を見合わせて笑った。
「そりゃ頼もしいわサトー」
「よろしくね、小さなボディガードさん 」
「か、体の大きさは関係あらへんねんで!……ここやねん、ここ!」
佐藤は頭をちょいちょいと指した。
三匹は久し振りに吸う表の空気を満喫しつつ歩き始めた。
▼▲▼▲▼▲
一方、ヴァンと黒猫のフライはN区とS区の境にある小高い丘の上に佇んでいた。
「見ろ」
ヴァンは眼下に広がる公園の方を顎で示した。公園はN区とS区のちょうど中間地点にあるように見えるのだが実は地理的には微妙なところで“S区”の方に属している。
「公園がどうした?」
「あの公園は広さに比べて猫どもが少ないし人間たちも休日くらいしか訪れない。あそこなら三十匹くらいなんなく暮らせると思わんか?」
フライは目を細めて公園を見下ろした。
「俺はともかく皆は外での暮らしに慣れてない。ボスのいる縄張りの下では必ず食いっぱぐれるやつが出てくる。力で押さえ込まれたり苛められる子猫たちだって出てくるはずだ」
フライは笑った。
「ちょ、ちょっと待てよ。あの公園だってS区だぜ。S区のボス猫の縄張りなんだぜ?」
「独立国家だよ」
「どく……り…… なんだ、そりゃ?」
「つまりあの公園をN区でもS区でもない場所にするのさ。つまり俺たちの俺たちによる俺たちだけのコミュニティをつくるってわけだ」
フライは口をあんぐりと開けた。
「ずいぶん簡単に言ってくれるが……そんなことが可能なのか?」
「さあな。ただ、S区はもともと土地が広い割には猫の数が少ない。“交渉”次第ではあの公園くらい手に入れることは不可能ではないかもしれん」
「“交渉”って、誰に? おいおい、まさか…… 」
「もちろんS区のボス、ザンパノにさ。他に誰がいる?」
「ザンパノ?! 犬よりデカくて子猫を喰らうっていう、あのザンパノか?」
今度はヴァンが苦笑した。
「そんなものはただの噂だろ?
「だ、だとしても、ザンパノが応じなかったらどうする?」
「そうだなぁ……そんときゃヤツと闘って」
ヴァンの目が光る。
「めんどくせえから、公園だけなんてケチくさいこと言わずにS区を丸ごと全部頂いちまうとするか」
フライはごくりと唾を飲み込んだ。
「
「俺は冗談はメスにしか言わん」
ヴァンはあっはっはと笑うと空を見上げクンクンと匂いを嗅ぐ。
「おっと、こりゃ夕立ちになりそうだな……」
▼▲▼▲▼▲
「案外探してみると食べ物ってないものなのね……」
ギリーがぽつりと言ったその言葉はイシャータが野良猫になってからこちら痛いほど染み付いている感想だった。
今でこそわずかな食料を分配して食いつないでいるものの、飼い慣らされた三十匹が急にエサを調達していくなんてどだい無理な話ではなかろうか?
まさにヴァンが心配している事態をそんな風にぼんやり考えている時だった。
イシャータは鼻の頭に冷たいものが落ちてくるのを感じた。
「ギリー、佐藤。降り始めてきちゃったわ。そろそろ屋敷に戻りましょ」
「待って。これ、まだ食べられるんじゃないかしら?」
ギリーが見つけたのは家庭から出されたゴミ棄て場のポリ袋だった。エコだなんだと騒ぐこのご時世だが、こうやって分別をしないで生ゴミを捨ててくれるのは猫にとっては正直ありがたいのである。
「コロッケやメンチカツもあるで!」
ギリーと佐藤が協力してポリ袋を破ろうとした時だった。
《 ヴォルルルル…… ゥオルルルルル 》
──なんや、雷かいな?
そう思って振り向いた三匹の後ろに現れたのは自分たちの体ほどもある巨大な顔だった。犬である。
マズい。
そう、実際のところこれはヒジョーにマズかった……。
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