十九話 妹さんは今日もイライラ・前編(ブラコン注意!)

 フライパンをひょいとひねって目玉焼きを反転させる。

 見事な腕前。さすが私。

 できた目玉焼きをお皿に移し、壁掛け時計を見る。

 あいつ、また二度寝していやがるな。

 私はエプロンを脱いで二階に上がる。




 私の部屋の隣にあるのが兄貴の部屋。

 私はノックなんてしち面倒くさいことはしない。


「バカ兄貴! 起きろ!」


 ベッドの上でパンツ一丁の兄貴がぐで~っと横になっている。

 オチン○ンが露出していないだけ今日はマシな方。


「起きろっての! 毎朝手間かけさせるな!」

「んん~ん、後三十時間~」


 訳の分からんことをほざきやがる。

 ならば仕方がない。

 私はむんずと兄貴の乳首を摘まみ、そのまま、ぐいっと引っ張った。


「ひゃあぁんっ!」


 情けない声を上げて兄貴が飛び起きる。


茉莉まり、乳首はやめてよねっ!」


 自分の両胸を手で覆うバカ兄貴。涙目だ。


「なんだよ、そのオネェ言葉。いいから早く顔洗ってよ。ご飯はもうできてるんだから」

「うーん、でも眠い……」


 うつらとうつむきかける。


「三度寝したらそのちっちゃいオチ○チン引っこ抜くぞ! やると言ったらやる女だからな、私は!」

「分かった……分かったよ……」


 ようやくベッドから下りた。

 まったく、毎朝毎朝……。




 ダイニングに戻った私は家事をしている間はめていたヘアクリップを外す。

 明るい色のウェーブがかった長髪を散らして軽く整えた。

 昔はこの髪を指さして天パなどとはやし立てる悪ガキどもがいたものだ。

 私はひたすら自分の髪を呪ったが、連中が構ってくるのは私が可愛いからだと幼馴染みの女の子は慰めてくれた。

 そして今の私はみんなからうらやましがられる天然物のウェーブヘアの持ち主だ。

 丸刈りにするのを止めてくれた幼馴染みには感謝かな。

 やっとこさ朝食が食べられる。

 私は半熟の片面焼きで、兄貴は両面焼き。それが目玉焼きの好みだ。

 向かいでもそもそ食べている兄貴には言っておくことがある。


「兄貴、明日は分かってるでしょうね?」

「明日?」


 間抜け面の兄貴が首をかしげた。

 イラってくる。


「パフェ。都会にパフェ食べに行くんじゃない。約束したでしょ?」

「ああ、あれなぁ……。どうなの、あれ? 恋人限定のスペシャルパフェだっけ?」

「そうそう、すごいらしいよ」

「で、モテない茉莉のために、俺が駆り出される。何がうれしくて妹なんかと恋人ゴッコしないといけないんだ?」


 いかにもうんざりというふうに首を振りやがった。


「モテないはよけいだ! どうせ部活休みの日は家でゴロゴロしてるだけでしょ? たまには妹孝行しなさい」

「メンドくせぇなぁ。外は暑いし」

「ああ? 兄貴が今食べてる朝ごはん、作ったの誰ですかね? 毎日きれいなユニフォームで部活できるのは誰のおかげ? 遅刻しないで済んでるのは?」

「すべて茉莉様のおかげです。私の生活は茉莉様なしには成り立ちませぬ」


 ようやく感謝の気持ちが湧いたしいバカ兄貴が深々と頭を下げる。


「分かればよろしい。私だって兄貴とデートまがいなんてホントは勘弁なんだから。しかし、あのパフェには万難を排する価値があるっ!」


 強く拳を握り締める私。


「そんなにすごいのか、そのパフェ?」

「すんごいらしいよ? いや~楽しみっ! あ、楽しみなのはあくまでスペシャルパフェだからね。そこは勘違いしないように」

「分かってるっての。じゃあ行ってくるわ」

「ごちそうさま。私も行こうか」


 と、のそのそとゾンビみたいな奴がダイニングに入ってくる。


「おはよ~~~」

「おはよ、お母さん。昨日も遅くまで?」

「納期がぁ~、納期がぁ~」


 在宅でWebサイト制作をやっている母がうめく。

 とはいえ母が家事を放棄しているのは納期のせいではない。

 単に家事をしたくないダメ人間だからだ。

 我が家の母と息子は実によく似ていると言えよう。

 共にストレートのサラサラヘアでもあった。


「あ、お父さん宛の荷物は送っといたし。向こうは雨期で大変らしいよ」

「サンキュ~。茉莉ちゃんは出来た娘さんだよねぇ~」

「母親と兄貴がロクでもないからね。じゃあ、行ってくる」

「じゃあな、母さん。生きろ」

「は~い」


 うつろな目の母が牛乳パック片手に手を振る。

 今が夏休みで、娘たちは部活に行くのだとは分かってないだろう。




 兄妹が通っている高校は歩いて行ける距離。

 なんとなく出るのが同時になったので、なんとなく並んで歩く。

 こういう時、ぼんやりしている兄貴は何も話しかけてこない。

 その態度がイラつくので、私もあえて話を振ったりはしなかった。

 と、ふいに私の両肩に柔らかいものがのし掛かる。


「おはよ~、茉莉ちゃん、まこと君」

「お、おはよ、メイちゃん」

「おはよ、メイ」


 お向かいに住むメイちゃんに後ろから抱き付かれた。

 今私の肩に当たっているのは、この幼馴染みの巨大なおっぱいに違いない。

 寸胴な自分からは得ようがない感触に、私の心はかなりツラくなる。


「離れて、メイちゃん」

「ん~、もうちょっと。茉莉ちゃんの髪、いい匂~い」


 あなたからもいい匂いが漂ってきます。


「離れてやれよな、メイ。見てるだけで暑苦しい」

「そういうこと言うの、真君? えーい、真君にも抱き付いちゃえ~」

「ダメダメダメ!」


 ふわふわして危なっかしい女を後ろから抱き止める。


「あーあ、止められた。茉莉ちゃんのイジワル」

「イジワルじゃなくて! メイちゃんは自分のボディの破壊力をちゃんと知っておきなさい!」

「年下に怒られちゃった……」


 首をすくめてしゅんとなってしまうメイちゃん。

 私だってこの人の方が年上だなんて信じられない。


「ホントにちゃんとしなよ? 悪い男にホイホイ付いていくとかダメだからね?」


 私は二人より一才年下だけど二人よりずっとしっかりしているという自負がある。

 しっかり者としての責任感からメイちゃんを叱責した。


「大丈夫だよ……。私がすごい人見知りだっていうのは知ってるでしょ?」


 それは知っている。

 私たち兄妹にはよく馴れているが、それ以外の人間にはなかなか懐かない。


「そのくせ気を許したら隙だらけになるんだよ。兄貴相手にラッキースケベやらかしたの、今月は何回?」

「ん~? 昨日のパンツ見られちゃったのはラッキーに含むのかな?」


 と兄貴に聞く。

 こうやって聞く時点でこの子はどっか緩んでる。


「い、いや、わざと見たわけじゃないぞ? メイが監督にお辞儀したんだよ。深々と」

「そしたら後ろで真君がしゃがんでたんだよ。で、スカートの中見られちゃったの」

「ああ、それは兄貴の奴、狙ってやったんだよ」

「そうなんだ!」


 私の決め付けを真に受けるメイちゃん。

 丸くてかわいいお目々を大きく見開く。


「お、おい、茉莉。やめろっての、メイが信じるだろ?」

「別に真君だったら見られてもいいんだけどね。小さい頃、一緒にお風呂入った仲じゃない」


 メイちゃんがにっこりと天使の微笑みを兄貴に向ける。

 私は頼りなさすぎる先輩の両肩に手を乗せた。


「メイちゃん、幼稚園の頃と一緒にしたらダメだから。今の私たちは高校生。メイちゃんは爆弾みたいなボディを持つようになったし、兄貴はそのボディをケダモノみたいな視線で見るようになってるの」

「いや、ケダモノはヒドいぞ、茉莉」

「兄貴は黙ってろ! とにかくそうなの、メイちゃん。お手々つないでチョウチョを追いかけてたあの頃は、もう過去のものなの」

「そんなのイヤだよ……」


 泣きそうな顔をしてメイちゃんがうなだれる。

 私はなお心を鬼にして、この純真な女の子に言い含めねばならなかった。


「今年の三月、私の中学の卒業旅行ってことで三人で温泉に行ったよね? メイちゃんが企画してくれたんだ」

「そうそう! 楽しかったよね!」


 メイちゃんがにこやかな笑顔を見せる。


「楽しかったよ。でもね、メイちゃんは四人部屋一つしか取らなかった。私たち三人は同じ部屋で寝るハメになっちゃったんだ」

「楽しかったよね!」

「あのね、メイちゃん。私たちは高校女子で、あいつは高校男子。同じ部屋で寝ちゃダメなの。それを分かって?」

「でもみんな仲よしじゃない……」


 そんな悲しそうな目で見られると私の胸も痛くなってしまう。

 でも分かってもらわねば。


「仲よしだけど、女子と男子なの。昔と同じに考えちゃダメなの。それを分かって?」

「茉莉ちゃん、最近そういう話をよくするね?」

「メイちゃんが分かってくれないからね」


 今と似たようなやり取りはうんざりするくらい繰り返している。

 うまく説得できたと思ったらすぐに元どおりだったりで本当に際限がない。

 それでも私はやらねば。


「私はずっと三人で仲よくしていたいの。一緒にお風呂入ったり」

「ダメ! お風呂はありえませんっ!」

「茉莉ちゃんは茉莉ちゃんで意識しすぎだよ。真君は私の裸をケダモノみたいな目で見たりはしないよね?」


 メイちゃんが兄貴の方に顔を向けた瞬間、兄貴は思いっ切り顔を背けやがった。


「あれ? 真君?」

「ごらんなさい、メイちゃん。あれが、幼馴染みのボディをケダモノみたいな目で見る高校男子なんですよ」

「そうなんだ……」


 うなだれてしまった。


「分かってくれた?」

「うん……。結構ショックかも……」

「大丈夫。乗り越えられるよ、メイちゃんなら」

「ふふ……。ありがと、茉莉ちゃん」

「私とメイちゃんの仲じゃない」


 微笑み合う女子二人。美しい友情。


「おい、そろそろ急がないと遅刻するぜ」


 心にやましいところがある兄貴は少し離れたところから声をかけてくる。

 スマホを見ると確かにマズい時間なので、三人は急いで学校に駆け込んだ。

 なお、私はバトミントン部で兄貴たちはサッカー部。

 メイちゃんは人見知りのくせにサッカー部のマネージャーなんてしていた。

 癒やし担当なので、大抵の不出来は許されているらしい。




 夕方になって部活から帰ってきた私は、家事をひと通り片付けてから自分の部屋に引きこもる。

 一時間後、部屋には腕組みをしてうなり声を出す私がいた。

 そこへ玄関から兄貴のただいまの声が。

 お、ちょうどいいや。


「お帰り、兄貴」

「おう、ただいま。今日も疲れた~」

「あのさ、兄貴。水色とピンク、どっちが好き?」

「水色? ピンク? なんの話だ?」


 ぼさっとした顔がイラッとさせる。


「いいから、どっち?」


 厳しい目付きで私は聞く。


「ん? じゃあ、水色?」

「よし、水色な。明日、楽しみにしておくように」


 髪をなびかせくるりと身を翻す。


「あ、そうだ、明日だけどな……」

「ん?」


 後ろから声をかけてきたのでまた兄貴の方を向く。


「悪ぃ、ちょっと用事できちまった。パフェはムリっぽい」

「え、なんで? 部活?」

「ちょっとなぁ~。また今度でいいか?」

「いや、金曜日でスペシャル期間は終わりなんだよ。兄貴の部活が休みなのは水曜と日曜だけでしょ?」

「ああ、言ってたな、そういえば。でもなぁ~」


 顔をしかめて頭をかいている。

 随分困っているように見せかけているが、これは私を諦めさせるための演技に違いなかった。

 兄貴の考えることなんてお見通しだ。


「なんの用事なの? それ次第だよ」

「ん? ああ……メイがな、ライブのチケットが余ったとか言ってさ。今日になっておばさんに急な用事ができたとかで」

「へぇ、ライブ……」

「あの二人ってマニアックな音楽聴くだろ? 急には穴埋めが見つからないんだよな」

「そしてメイちゃんは人見知りだから一人では行けない、と」

「そういうこと」


 兄貴がうなずく。

 そんな話が出たならその場で私にメッセージでも寄こせばいいもんだ。

 それすらできないのが、このダメ兄貴という人。

 うーん、ライブなぁ。

 人見知りのメイちゃんが無理をお願いできるのは、このバカ兄貴くらいというのは確かな事実。

 しゃあねぇか。


「分かった。いいよ、メイちゃんと行ってきなよ」

「お、いいのか、サンキュ! あ、でもお前は?」

「ん? いやいや、私はメイちゃんと違って友だち多いですから。兄貴ごときの代役なんてすぐ見つかるよ」

「お、そうか。悪いな、また今度なんか埋め合わせするわ」


 片手で拝んで申し訳なさそうな顔。


「別にいいよ。兄貴がそう言って埋め合わせしたことなんてないんだしね」


 兄貴にそう言い捨てて、私は自分の部屋に戻った。

 私は部屋を出る前そうしていたようにベッドの前に立つ。

 ベッドの上には水色のワンピースとピンクのチュニックが並べて置いてある。

 そのうちのワンピースを手に取ると、クローゼットの中に押し込んでやった。




 水曜日。

 ピンクのチュニックを着た私がリビングに入ると、兄貴はのんびりテレビを見ている。

 出発は私より二時間くらい後だと行っていた。

 それだったらかけ持ちできるじゃん。とも思ったが、あえて私は何も言わない。


「じゃあ、行ってくるよ。兄貴」

「おう、今日は悪かったな」


 本気で反省してるんだか、一応顔だけ向けて謝ってくる。

 おめかしした私を見ても何も言ってこないのが、しょせんバカ兄貴。

 ちょっとイラってきた。


「いいよ別に。そのおかげで格好いい子が恋人になってくれたからさ」

「え? 恋人? 格好いい?」

「そうそう。背が高くて優しいの。今日は恋人のふりだけだけど、二人の仲は今日急接近しちゃうだろうなぁ」


 夢見がちな乙女みたいに両手を胸の前で重ね合う。


「う、嘘だろ?」

「ん? なんで私が嘘つかなきゃなんないの?」


 わざとらしいまでの怪訝な顔。

 実際本当の話なのだ。


「そ、そうか、よかったな。モテないお前には彼氏ができるチャンスだ」

「今日は楽しめそうだよ。兄貴には感謝かも」


 などとウインク。

 兄貴は目に見えて焦っていやがる。ざまぁみろ。


「じゃ、じゃあ、お気を付けて。早く帰ってこいよ」

「うん。はぁ、緊張しちゃう」


 珍しく玄関まで見送りにきた兄貴をさらに動揺させてから家を出た。




 最寄り駅の改札口前で待っていると、随分遅れてからタケオが来る。


「悪ぃ、悪ぃ。待った、マリ?」

「待ったに決まってるでしょ。なんでタケオってそうなの?」


 ハンドバッグをぶつけてやる。

 私の周りにはこういうダメ人間がやたら多い。


「お、今日のマリ、なんか気合い入ってんな。すげぇかわいい」

「それはどうもありがとう。タケオも格好いいよ」


 こいつはちゃんと分かっている。兄貴に爪の垢って奴を煎じて飲ませたい。

 そして都会のフルーツパーラーへ。

 恋人限定スペシャルパフェを二つ注文する。


「すごいね!」

「すげぇな!」


 二人して感嘆の声。


「でも、私たちでも余裕で注文できたね。やっぱタケオがそんな男前な格好だから?」

「なーんか、そういう訳でもなさそうだけど?」


 タケオと二人で見回してみると、私たち以外にも恋人限定スペシャルパフェを食べている女子二人組は結構いた。

 女性同士で恋人でも別におかしくはないが、それにしても数が多すぎる。この企画はかなりザルみたいだ。

 わざわざ男みたいな女、黄瀬竹緒きせたけおを動員するまでもなかったか?


「……で、兄貴は鼻の下なんて伸ばしながら電話してやがるの。民族音楽だとか興味ないくせにさ」

「ふーん、それはそれは残念だったな」

「残念? いやいや、私はドタキャンされたのに腹立ててるだけだよ」

「いやいや、ブラコン茉莉は大好きなお兄ちゃんを幼馴染みさんに横取りされてムカついてるんだろ?」


 にやにやといやらしい笑みを向けてきやがった。


「そんなんじゃないし。あーんな、バカ兄貴」


 私はぶーと口を尖らせる。


「でもマリの話にはやたらと兄貴が出てくるんだよ。兄貴がパンツ一丁で寝ててだらしない~、だとか。マリの前でも平気でおならする~、だとか」

「全部愚痴じゃない」


 それでブラコンだとかとんでもない言いがかりだ。


「その一方、昨日の魚はよく焼けた。兄貴も美味しいって言ってた、だとか。兄貴、昨日は試合でハットトリックを決めた、だとか。にまにましながら言うんだよ」

「む、むぅ……。それは……せっかく料理したんだから褒められたらうれしいじゃない? それがたとえバカ兄貴でも」

「ハットトリックは?」

「それは……あっ! 我が校の勝利を喜んだだけだよ」


 内心の焦りを隠しながら私は言い訳をする。


「あっ! って言ったよな? ホントは格好いいお兄ちゃん大好き~! なんじゃないの?」

「そ、そんなんじゃないよ」


 どうも旗色が悪い。

 このままではブラコンの汚名を着せられてしまう。

 どうしたもんだか私が頭をひねっていると、タケオがにんまりと意地悪げな笑みを向けてきた。

 イヤな予感がする。


「ていうかさ。小学校の時、将来の夢を発表したじゃん?」

「ち、ちょっと待って!」


 それは私の黒歴史!


「『私の将来の夢は、お兄ちゃんのお嫁さんになることでっす!』実に堂々と宣言したもんだ」

「ぐ、ぐぅぅぅ……」


 頭を抱えてテーブルに伏せる私。

 これだから小学校以来の友だちって奴は。


「マリは素直じゃないブラコン。それを認めるんだ」


 ぽんぽんと私の肩を叩いてきやがる。

 どうにか私は頭を上げた。


「違う違う。確かにさ、小さい頃は兄貴に懐いてたよ? でも今は違うもん。あんなだらしない男、私の好みじゃないんだから」

「ブラコンと男の好みって関係あんの? 兄貴はあくまで兄貴だと思ってた」

「ん? そりゃあ兄貴は兄貴だよ。語弊があったね、今のなし」

「びっくりした、ブラコンどころか禁断の恋とかまで突っ走るのかと思った」

「なんだそりゃ。あのさ、タケオは一人っ子だから兄妹の機微って奴がまるで分かってないんだよ」


 いい加減うんざりしながら私は言う。


「兄妹の機微? そんなのあるんだ?」

「そうそう。確かにさ、兄貴が格好よかったら妹としてはうれしいんだよ。自慢できるじゃない? でもそれは自慢したいだけ。ブラコンとは関係ないの」

「そういうもんかねぇ。一人っ子にはよく分からん感覚だ」

「兄妹って、結構難しいんですよ。ええ」


 ホント、自慢できるような格好いい兄貴ならどんなにいいか。

 ともあれ二人でパフェを堪能した。




 日が暮れる前に帰った私はいつものように夕飯を作っていく。

 人数分のタラのムニエルを作り終えても兄貴はまだ帰ってこなかった。

 メッセージを送ってみても既読にならない。

 何かあったのだろうか?


「茉莉ちゃ~ん、ごは~ん」


 よろよろとダイニングに入ってくる脳天気な母。

 イラってくる。


「盛り付けくらい、自分でしなよ」

「え~、してよ~、茉莉ちゃ~ん」


 こいつ、何才児だよ。

 ともあれこれ以上生みの親のみっともない姿を見せられるわけにはいかない。

 私が全部準備をして、母と二人で夕食を食べる。


「あれ? まーくんは?」


 ようやく自分の息子の存在を思い出したらしい母。


「兄貴はメイちゃんとおでかけ。夕飯前には帰ってくるはずだったんだけど、どこほっつき歩いてるんだか」

「デートかぁ。いよいよだね、あの二人も~」


 うんうん訳知り顔でうなずかれてイラッとなる。


「デートって何さ。おでかけなんてしょっちゅうしてるじゃない。まぁ、大抵は私も入れてだけど」

「そう、いつもは三人。でも今日は二人。しかも夜になっても帰ってこない。それはつまり……おっと、これ以上は十八禁だぁ」


 わざとらしく口を押さえた。

 兄貴といい、この母といい、どうしてこう私の身内は私をイラつかせるんだ?

 フィリピンに行ったきりの穏やかなお父さんが恋しい。


「あの二人だって今年で十七でしょうに。あり得ない。そっち方向はあり得ない」


 私が何度も首を横に振ってみせても母は訳知り顔をやめようとしない。


「でもメイちゃん、ずっと彼氏いないでしょ? すごいモテそうなのに。かわいいしおっぱい大きいし」

「実際モテてるけど、あの人すごい人見知りだもん」

「まーくんはまーくんでサッカー部の点取り虫なのに、まだ彼女いないでしょ?」

「あいつはバカじゃん」

「茉莉ちゃん、現実見ないと!」


 がしっと隣に座る私の両肩を掴んでくる。

 うぜぇぇぇ!


「あり得ません。どうせ道に迷ってるとかそんなんでしょ? これ食べ終わったら電話してみるよ」


 と、玄関の鍵を開ける音が。


「ただいま~」


 私はすぐさま玄関まで飛び出し、靴を脱いでる兄貴の前に立ち塞がる。両手を腰に当てて。


「おっそい! 何してたのさ!」

「あー、メシ食ってた」

「はあ? 兄貴の分も作ってあるんだけど! そういうのちゃんと連絡するようにって、いっつも言ってるよね?」


 睨み付けても頭をかくだけで反省の色なし。


「いや~、悪い悪い。全然そっちの方に頭回ってなかった。明日の朝食べるよ」

「む~。で、何食べてきたの? また牛丼?」


 こいつは女子を引き連れて牛丼屋に入るような男なのだ。

 いくら私とメイちゃんだからってそれはないだろ?


「あー、牛丼屋があったんだよ」

「またかよ。メイちゃんに同情するよ」

「その隣にイタリアンがあったんだよ。で、そこへ」

「イタリアン? え、イタリアン? 兄貴が? パスタをお箸で食べる兄貴が?」

「いやいやいや、スパゲッティーくらいフォークで食えるっての。……時間かかるけど」


 ホントかよ。

 パスタだろうとステーキだろうとお箸だろうが。


「一縷の望みをかけて聞くけど、チェーン店だよね? ファミレスみたいな」

「いや~なんか、すげぇいい雰囲気の店だった」

「うわぁ……背伸びしたら痛々しいことになっちゃった若造ですか?」


 数々の悲劇が生み出されたであろう。

 むしろ門前払いしてくれた方が慈悲があると言えた。


「ま、まぁな……」

「メイちゃんに心の底から同情するよ」

「やっぱ、呆れられたかなぁ……」

「別に今に始まったことじゃないでしょ? メイちゃん優しいし、きっとなかったことにしてくれるよ」


 ぽんぽんと肩を叩いてやる優しい私。


「それはそれでキツい……」


 兄貴はうなだれながら家へ上がり込んだ。




 私が自分の部屋に引き上げたと同時くらいにスマホの着信音がなる。

 メイちゃんからだ。


『ゴメンね、茉莉ちゃん!』


 いきなり大声でわめいてきた。


「何が?」

『今日、真君とお出かけのはずだったんでしょ? 私、横取りしちゃった!』


 感受性の高すぎる幼馴染みは涙声になっている。


「いいよいいよ、私は友だちと行ってきたし」

『そっか……。でも茉莉ちゃん、楽しみにしてたんじゃない? 真君と二人っきりのお出かけ』

「なんでさ。あんな兄貴と二人っきりなんて、ホントは勘弁だったんだから」

『そうなの? 茉莉ちゃん、真君のこと大好きなのに。私と取り合いっこしてたじゃない』

「いやいや、そんなの小学校低学年の頃の話だし。今は高校生ですから。あの兄貴のだらしなさにうんざりしてる日々なんですよ」

『そうなの? 真君、あんなに格好いいのに』

「んん? どこをどう見たらあれが格好よく見えるの?」


 この幼馴染みの感覚が時々分からない。


『サッカーじゃいっつも大活躍なんだから。女子のファンも多いんだよ?』

「そいつらは上辺しか見てないんだよ」

『でも優しいし頼もしいよ? 三人でお出かけしてナンパとかされたらいっつも追い払ってくれるじゃない』

「うーん」


 ここで私は前から聞いてみたかったことを聞いてみる気になった。

 ホントは聞いてはいけないのかもしれない。

 でも、聞きたかった。


「あのさ、メイちゃんって、兄貴のことどう思ってるの?」

『ん? 格好よくて優しくて頼もしい子』

「好き……なの?」


 声が上ずってしまったかもしれない。


『うん好きだよ』


 やっぱりそうなんだ?

 思った以上にショックを受けた自分に驚いた。


『茉莉ちゃんも好き。みんな大好き』


 のんきな声で言ってくる。

 うーん、手強い子だ。


「いや、そういうんじゃなくてさ。恋愛感情の話」

『恋愛感情? 真君に?』

「そう、兄貴のことが、男子として好きか、そういう話」


 メイちゃんが黙り込む。

 どう? どうなの?


『あははははは!』

「え? 大爆笑?」

『え~? だって茉莉ちゃん、すっごくおかしなこと言うんだもん。男子として好きなんてあるわけないでしょ?』

「そうなの?」

『だって真君は真君だもん。真君なのに男子としてどうとかおかしいじゃな~い」


 今いち判断に迷うが、どうもメイちゃんの中では『真君』と『男子』は結び付かない概念らしかった。


「じゃあ、恋愛感情はないってことで」

『ないよない。というよりも、恋愛感情ってどんななの? 私、今いちよく分かんないんだけど』


 こいつ、ホントに高校二年生かよ。

 教えてやろうとしてはたと気付いた。


「私も……よく分かんない……」

『そうなんだ? まぁ、別にどうでもいい話なんだけど』

「そうなの? 恋とかしたくないの?」

『うん、私は真君と茉莉ちゃんと三人仲よくいられたらそれでいいの』

「ふーん、私は兄貴なんかと仲よくは勘弁なんだけどね」

『あ、茉莉ちゃんみたいなのをなんて言うか知ってるよ、私』

「ん? なんて言うの?」

『ツンデレ』


 そんなんじゃねぇよ。

 この後ぐだぐだと一時間くらい話してから通話を終えた。




 水を飲みに一階へ下りる。

 ダイニングに入ると兄貴がもそもそなんか食べていた。


「びっくりした! 何してるのさ、兄貴」

「いや~、なんか腹減ってさ~」


 よく見ると今日の夕飯だったタラのムニエル。


「ムリしなくても明日食べればいいのに」

「ムリしたのはレストランの方かなぁ。マトモに食った気がしなかったぜ」

「もったいない話だ。せっかくの外食なのに」


 取りあえず水を飲む私。


「はぁ、やっぱ茉莉が作った料理はいいわ。うまい」

「き、急にほめないでよ」


 なぜだか顔が火照ってしまう。

 そのままなんとなく自分の席に座る。

 前には私が作った料理を食べる兄貴。


「茉莉。悪かったな、今日は」

「ん? 何が?」

「いや全部。約束すっぽかしたり、夕飯すっぽかしたり。怒ってるだろ?」


 ちらりと見てくる。


「うん、メチャクチャ怒ってるよ」

「やっぱりだ……。今度絶対埋め合わせするわ」

「兄貴がそう言って埋め合わせしたことなんて、一度もないけどね」

「まぁ、そうか……」


 あっさり納得するなよ。

 どこまでもこいつはバカだ。


「兄貴ってさ、メイちゃんのこと好きでしょ?」

「え?」


 驚いた顔でこっちを見てくる。

 私も驚いた。

 恋の話なんてバカ兄貴のガラじゃないのに。


「メイちゃんが好きなんでしょ? メイちゃんとデートしたかったから私との約束をすっぽかした。メイちゃんに格好つけたかったからイタリアン・レストランなんて入った。違う?」


 一度吐き出したら止らなかった。

 何言ってるの? まるで嫉妬した女みたいな台詞だ。


「何言ってんだよ。メイだぜ? 小さい頃からずっと一緒で、もう一人の妹みたいなもんだっての」

「まぁそうか」


 私のざわついた心が鎮まっていく。

 よかった、これで今まで通り……。


「でも好きだ」


 兄貴がつぶやく。

 聞きたくなかったけど、言わせたのは私だ。


「やっぱりだ。いつから?」

「分かんね。いつの間にか……」

「向こうは兄貴のことなんてなんとも思ってないよ?」


 わざと突き放して言う。

 傷付けるみたいに。


「だろうな……」

「どうする気なの?」

「どうしよう……どうしたらいいと思う、茉莉?」

「私に聞かないでよ!」


 怒鳴ってしまった。

 自分がなんでこんなに苛立っているのか分からない。


「だよな……。どうしよ……」


 情けなくうなだれるダメな兄貴。


「どうもこうもないよ。好きなら好きって言っちゃえば?」

「うーん、でもなぁ……。あいつ泣いちまうんじゃないか?」

「多分ね」

「あいつって、わぁわぁ泣くからなぁ」

「幼稚園児みたいにね」


 そういう純真なところが、私は好きだ。


「うーん。でも、やっぱり……」

「言うの?」

「そ、そのうちに?」

「ああ、それ絶対に言わない奴だわ」


 なんだか一人で苛立っているのがバカらしくなってきた。


「もういいや。私、寝る」


 席を立って自分の部屋へ。

 部屋の扉を閉め、鍵を締め、ベッドの上にごろりと寝転がる。

 クーラーなんて入れてないのに、身体が凍えて仕方がなかった。

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