十七話 明日から夏休み!

 今日は七月二十日。

 中学二年の一学期も無事終了し、明日からは夏休みだ!


「あ~、やっと終わった~。長いホームルームだったぜ~」


 後ろの席の砂川すなかわが文句を垂れた。


「先生も最後の最後で小言が多すぎるよね?」


 私は身体ごとイスを後ろに向け、砂川の机に両ひじを乗せる。

 そして机の上にあごを置いている友だちの頭を手のひらで撫でた。

 丸刈りに近いこいつの髪のチクチクはなかなか気持ちいい。


「でもこれで夏休みだ。いよいよ播磨はりまの季節だな?」

「おっ、私の名前が夏恋かれんだっての、覚えてたんだ?」


 細かいことだけど、こういうのがちょっとうれしかったりする。


「当たり前だろ? 夏に恋するで、夏恋。カレンって響きがまず似合ってないし、恋なんて文字はまったくもってガラじゃない。かろうじて夏ってところが本人の暑苦しい性格にぴったりだ。もうお前、夏って名前にしちまったら?」

「うるせぇよ」


 びたんと頭を叩いてやった。

 恋なんてガラじゃない?

 そんなの本人が一番知ってるんだ。悪かったな!


「そうやってすぐ暴力振うとことかな。九月まで顔を見ないで済むと思えばせいせいすらぁ」

「何言ってんの、夏休みの間もガンガン一緒に遊ぶんだよ? さっそく明日はさ……」

「あ、俺、夏休みの間はずっとお祖母ちゃん家なんだよ」

「え、なにそれ? 初耳なんだけど……」


 あれ? 夏休みも一緒に遊んで過ごすんでしょ、私たち。

 一日中ゲームしたりさ、カブトムシ取りに行ったりさ、商店街ぶらついたりさ。

 私はそのつもりでいたんだけど。

 何言いだしてんの、こいつ?


「そりゃあ、初めて言ったんだから初耳に決まってら」

「もっと前に言ってよ。なんで今言う?」

「いや~、忘れてた! スマン!」


 朗らかに笑いやがる。

 え~~~! なにそれ?

 散々遊んだ後にさ、高台にある神社行ってさ、きれいな夕日を二人で眺めてさ、ちょっといい雰囲気になっちゃってさ、砂川がそっと私の肩を抱いてきて……私が相手の方を見ると向こうは真剣な顔……お互いの唇が近付いていき……な~~~んてさ!

 最近はずっとそういう妄想ばっかだったんですが!


「いやいやいや、スマンではスマンですよ。え? いつから行くの?」

「明日の朝。出発が早いんだよなぁ~。今日も早く寝ないと」

「明日! じ、じゃあ、帰ってくるのは?」

「八月三十日」

「夏休み丸々じゃん!」

「だからそう言ってるだろ?」

「え? 夏休みの間ずっと会えないの?」

「ん? そんなに俺と会いたいのか?」

「いや~~~別にぃ~~~そぉゆぅわけじゃ、ないけどさぁ~~~」


 顔を背けてしまう素直じゃない私。

 ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待ってっ!

 このままじゃ夏休み丸ごとフイにしちゃう!

 小学校から今までただのお友達だった二人が急接近する、そんな素敵な夏がどっか行っちゃう!

 どうしよう? でもどうしようもないよ?


「じゃあ播磨も来いよ」

「えっ! そんなのありなの?」

「いいよ、去年も下田しもだと遊びに行ったんだよね」

「で、でも下田君は男子だよね? 私、これでも女子なんだけど。男子と女子が同じ家でお泊まりするとかいかがなものかと?」


 さすがに部屋は違うだろうが、お風呂なんかは同じものを使うはず。

 私がお肌をほんのり桜色に染めてお風呂から上がったところへ「ヤベェ~、スマホ洗面台に置き忘れたぜぇ~」とか言って砂川の奴が扉を開ける。裸をばっちり見られちゃう、向こうからすればラッキースケベイベント。……あり得る。

 それだけじゃない。

 夜中トイレに起きた私は寝ぼけて砂川がいる部屋に入っちゃう。そしてそのまま砂川に寄り添うようにして寝ちゃったり。闇の中、無防備な寝顔を晒す私から目が離せなくなった砂川は、ゆっくりと顔を近付けて……。あり得る!


「大丈夫、大丈夫、お祖母ちゃん家広いし」

「そうなの? いや、広けりゃいいってもんなの?」

「夜更かししてゲームしようぜ。それとかカブトムシ取りに行ったりさ」

「う、うーん、でもさすがに同じ屋根の下で一ヶ月半も過ごすのはどうかな? 二人の仲はどこまで進展しちゃうのやら……」


 さすがにキス以上は……中学生ですし……。


「え? お前、夏休み丸々来る気かよ。二、三日でいいだろ?」

「え? あ、うん、そうか。さすがに夏休み丸々は厚かましいよね」

「そうそう。夏休み丸々播磨の顔見て過ごすとか、真っ平ゴメンだぜ」

「私だって勘弁だよ。他の友だちとも遊びたいしね。ははは……」


 二、三日とはいえ、いろんなイベントが発生する可能性は相変わらずあった。

 地元で過ごすより、旅先の方が二人はより親密になれるかも?

 満天の星空を二人並んで見上げていると、砂川がぼそりと「夏恋、好きだ」とかさ!

 お祖母さん家がどこにあるのか、山か海か、そもそも田舎なのかもまだ聞いてないけど。


「お祖母ちゃん家に来たらさ、従姉のお姉ちゃんに会わせてやるよ。すっっっげぇ! 美人なんだぜ!」

「へ、へぇ……従姉の美人のお姉さん?」

「そうそう。俺、そのお姉ちゃんがすっげぇ好きでさぁ。従兄弟って結婚できるんだぜ。知ってた?」

「知ってるけどさ。え? もしかして?」


 そうなの?

 砂川には好きな女の人がいたの?

 従姉なんてまったくノーマークだった。

 そうか、私が期待していた素敵なイベントなんて起こり得ないのか。

 だって砂川には好きな女の人がいるんだし。

 私はただ、その美人のお姉さんにデレデレなこいつを眺めるだけ……。


「絶対結婚する気だったんだけどなぁ……。三年前に結婚しちまった……」


 遠くを見る。

 おいおい、三年前だったら私たちは小学生なんですが?


「ちなみにおいくつですか? その従姉さん」

「今、三十二」

「ババァじゃん」

「ババァって言うな!」


 くわっと目を見開きやがる。

 でも、ババァはババァだ。

 よかった、子どもにありがちなただの憧れでしたよ。

 素敵なイベントはまだまだ期待していいようだ。


「ま、そんなオ・ト・ナな女の人なんて忘れちゃって、目の前にいるピッチピチな女の子に目を向けるべきだよね、砂川は」


 さすがに今のは焦ったので、ちょっぴりアピールしておこう。


「目の前なぁ……」


 砂川が、じぃ~っとこっちを見る。

 二人、見つめ合う。


「誰もいねぇ」


 ため息なんてつきやがった。


「いや、私だってピッチピチな女子中学生なんですが。あのですね、砂川ってちゃんと私のこと女子だって認識してます?」


 砂川の肩を揺すりながら確認する。

 気軽にお泊まりなんて誘ってくるし、こいつは私のことを女子として見ていない危険があった。

 そんな状態では素敵なイベントは起こらないのでは?

 全部スルーされそうだ。


「そりゃあ、ちゃんと認識してるぞ。播磨は立派な女子だ」

「ならばよし」

「立派なおっぱいしてるもんなぁ~。何カップ?」

「Dカップ。って聞くな!」

「Dカップ! すげぇ……でかいとは思ってたけど。揉んでいい?」

「いいわけないだろ!」


 両手で胸を隠す私。


「ちっ、惜しい。もうちょいなのに」

「もうちょいなわけあるか。あのさ、そんな気軽におっぱい揉ませる女だと思ってるの、私のこと?」

「いやいや、気安い友だちじゃん? 俺たち」

「気安い友だちのおっぱいを揉もうとするな。はぁぁぁ……」


 深い深いため息をついてしまう私。


「悪かったって、怒るなよ。男子中学生はおっぱいに興味津々なんだ。仕方ないんだよ、こればっかりはさ」

「うるさい黙れ。なんかもう、すっごいイライラしてきた」


 私はうつむいてギリギリと歯ぎしりする。

 私の方は素敵なイベントを乙女な気持ちで待ち構えてるのに、向こうはケダモノみたいな視線で私を見ていた!

 何これ?

 丸っきり私バカじゃない?

 ふつふつと沸き上がる私の怒りはすさまじく、胸の内にあったはずのふわふわで甘々な奴は残らず溶けてどっかへ流れてしまった。

 残されたのは胸の奥の方にあった純粋な想い。

 こいつを、ただこいつだけを、目の前の男にぶつけてやる!

 私はゆらりと立ち上がり、イスに座る砂川を見下ろした。

 腕組みをして眼光鋭く。


「ゴメン、マジ切れ?」

「砂川君。キミに言いたいことがあります」


 事ここに至って、私の心は極めて平坦になった。


「砂川君。私はキミのことが好きです。ずっと前から好きです」

「え? 何それ?」

「お付き合いしてください。お願いします」

「え? お付き合い? 告白?」

「告白です。返事を聞かせてください。お付き合いしてくれますか?」

「え? 今答えるの?」

「な~う!」


 砂川は右を向いたり左を向いたり思いっ切り挙動不審。

 こんな奴なのに、私はこいつが好きだった。


「いや、そんなすぐには……。だって、俺とお前って友だちだろ? 小学校からの」

「小学時代から好きでした。その間抜け面が私にはとってもキュートに見えちゃったりするのです」

「う、うう……。あの、時間をください……」


 どこまでも情けない奴。

 そんな姿を見ているうち、私の怒りは徐々に冷めていった。

 あーあ、告白しちゃったよ。

 いろんな素敵なイベントを期待してたのに、全部フイにしちゃった。

 もういいけど。


「じゃあさ、二週間だけ時間をあげるよ。八月四日? その日に砂川のお祖母さん家に行くから返事を聞かせるように」

「えっ! お祖母ちゃん家に来る気なの?」

「さっき誘ってくれたじゃない」

「で、でも、男子と女子が同じ家に泊まるのはいかがなものかと?」

「お祖母さん家は広いんでしょ?」


 自分で言ってたくせに。

 私はもう、突発的な素敵イベントなんて期待していない。

 だって今さっき最大級のイベントを自分でやらかしちゃったのだし。

 怒りに任せてだったけど、意外に私は後悔してなかった。

 甘々なイベントに憧れはあるものの、待ってるだけじゃ本当にやってくるのか分からない。

 今、ヘンな形だろうととにかく一歩踏み出したら、新しい展開が自分の前に広がった。

 もっと踏み出してみよう。

 この際、ロマンティックでなくてもいいじゃない。


「ホ、ホントに来るの?」

「行く。お祖母さん家の近くに海か川かプールある?」

「全部あるよ」

「じゃあさ、すっごい水着着て見せたげるよ」

「えっ! マジで!」


 目を輝かせて身を乗り出す男子中学生。


「Dカップはナカナカのもんだぜ? 期待してろよ!」


 私は、びっ! と親指を立てると、砂川に背を向けて教室を出た。

 さーて、まずはお腹のぷにぷにをどうにかするぞぉ~っ!




(「明日から夏休み!」 おしまい)

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