第18話 いじられる又吉

「ここには何も無さそうね」


じっくり吊り橋の下を見ていた紗季が又視線を

真理蛙湖に戻した。


「泊まるところあるかしら、あそこ」


こんな時間だ。

今から自宅には戻れない。

とりあえず今夜はここに泊まるしかない。

 紗季はそう言っている。


又吉も真理蛙湖に視線を向けた。

心臓の鼓動が早くなるのを感じた。


「来る前に調べてきましたが、宿泊施設はあり

 ましたよ」


声が枯れて上手く話せない。

 場合によれば、宿泊する可能性があることは

わかっていたが、どうしても紗季に聞く事が出

来なかった。


「空いてるかしら」


二人は黙ったまましばらく真理蛙湖を眺めていた。

夕陽はもう完全に沈もうとしている。


「タクシーの運転手さん待ちくたびれてるかも」


紗季が突然又吉を見た。

思わず又吉は視線を外した。

 帰りの事を考え、タクシーを吊り橋の前で待

たせたままだ。

あれからもうかれこれ、一時間は経っている。


「戻りましょうか」


又吉が言うと


「戻れる一人で?」


「はい?」


「ビビりは大丈夫かって」


紗季は笑っている。

よく考えれば、紗季がこうして又吉の事をから

かうなんて初めての事だ。

というより、こんなにじっくり話したこともあ

まりなかった。

 いや、全然ない。


 いつもは陽子がいた。

又吉の立ち位置は陽子の恋人という立ち位置だ。

変則デートとはいえ、紗季はいつも(おまけ)

扱いだった。

 陽子が主導権を握り、紗季はいつも聞き役だ

った。

それが昨日から、おかしなことになっている。

陽子がいなくなったのだから当たり前と言えば

当たり前だが、妙におかしな気分だ。

 

「何度も言いますが僕はビビってなんかいま

 せん」


「でも腰が引けてますよ」


「帰りますよ」


又吉はわざと拗ねた態度を見せ、吊り橋を渡り

始めた。

 陽子にはいつも(いじられ)役でからかわれ

ていたが、こうして紗季にいじられると妙に

(こそばゆい)。


 陽子がいなくなったことに、もう少し緊迫感

が出てもよさそなものだが出てこない。

沙希の方も、最初こそ戸惑い、悲しんでいたが

時間が経ち、陽子探しが始まると、だんだん落ち

着いてきたのか、軽口まで出るようになって来た。

 むろん又吉としては喜ばしいことだ。

しかし、なにか漠然とした違和感がある。


 何なんだ、この違和感は。

そして、もっと苛立つことは、この違和感が決し

て不快なものでないことなのだ。

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