第8話 おこちゃまか、シンリは!

 中々中に入らない又吉にしびれを切らした

のか、小首をかしげながらも紗季はそのまま

部屋の中に戻って行った


「あ、紗季さん」


又吉は慌てて沙希の後を追った。


「部屋の鍵、ちゃんと締めてくださいよ」


紗季はそのまま台所に行くと、調理台の前に

立って何やら味見をしている。

 台所は、香辛料の効いたカレーの匂いが漂

っていた。

料理をしていて、呼び出しに直ぐ出られなか

ったのは本当のようだ。


少し拍子抜けの感を覚えながらも、又吉は台

所の手前で立ち止まると


「思い出したこがあるんです」


ポケットから陽子からもらったマッチを取り

出した。


「なんですの?」


振り返った紗季の顔が眩しく感じる。

陽子がいなくなったと言うのに、又吉は妙

に高揚する自分の感情を持て余していた。

 この部屋には紗季と又吉の二人しかいな

い、こんな状況は初めての事だ。


 紗季がもう少し落ち込んでいると思ってい

たのに、思いのほか元気なのも拍子抜けだ。

電話の声は沈みこみ、今にも泣きそうだった

くせに。


 「思い出したことってなんですか?」


紗季が鍋をテーブルの上に置くと又吉を見上

げた。

 長い髪がさらり垂れると、又吉は慌ててテ

ーブルに乗った鍋に視線を移した。

カレーは又吉の大好物だ。

紗季の作った特製カレーは特に好きだ。


 始めて紗季が作ったカレーを食べ、大好物

であることと、旨いと絶賛したら、紗季は続

けざまに三人のデートの時カレーを出してき

た。


 あまりにカレーが続くので陽子が皮肉を込め

「お子ちゃまか、シンリは」と冷やかしてから

カレーは出なくなってしまった。


「カレーですね」


「姉がいないから作っちゃいました」


紗季は小さく舌を出した。

やはり陽子に気兼ねして作るのを控えていたの

だ。


「食べながらお話しましょうか」


紗季はさっさと、皿を並べると、カレーを器に

盛った。

 よっこいしょと、鷹揚に椅子に腰かけると立

ったままの又吉に


「シンリさん、早く座って食べましょ」


深いため息をつくと、又吉を見た。

 二三度、大きな瞳を瞬きさせると、もう一度

深いため息をつくと、突然、まるで溢れる泉の

ように涙が零れ落ちてきた。


 「さ、紗季ちゃん」


慌てて沙希に駆け寄った又吉に


「姉さんは、どうして黙って・・・」


テーブルのカレーをひっくり返した。

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