妖精さんと異界屋さん

despair

Ⅰ:私と異界屋さん

「寄ってらっしゃい見てらっしゃい。摩訶不思議な異界屋だよ」


 人や動物が暮らすこの場所に、私は棲んでいます。

 ある日、私は御遣いのための買い物をしに、少し大きな町に行きました。

 そこで、あの人と出会う事になります。


「そこを出歩く妖精族のお嬢ちゃん。うちのお店を見ていかない?」

 小ぢんまりとした藁で屋根を覆った建物の横を通り過ぎようとしたとき、私は男性の声に呼び止められました。その方は人間族の成人男性のようで、背丈は優に二メートルを超えているように伺えます。ですが、頭髪の手入れを怠っているせいか、服装に汚れが目立つせいか――。それは分かりませんが、小汚い印象をその人から受けました。

「私、ですか?」

「そうそう。うちのお店に寄ってかない?」

「いいですけど……ここって、何を売っているんですか?」

「異世界さ!」

 店主の男性は嘘偽りなんてついていないように、すぱっとそう言い切りました。

「異世界……ですか?」

 世界を売るお店という言葉に私は驚きを覚えましたが、それと同時に「どういうことなんだろう」と、興味が湧きました。

「そうだ。僕はお嬢ちゃんを、異世界に送ることが出来るんだ」

「もしかして、魔法使いさんですか?」

 私がそう聞くと、目の前の魔法使いさんは「うーん……」と少し悩むような仕草をしてしまいました。「変なことを言っちゃったかな」なんて考えていると、言葉が思い浮かんだのか、私の目を見てこう答えました。

『魔法使い』と言うよりは『魔術師』かな」

「それって、何が違うんですか?」

「そうだねえ……。魔法使いよりも偉いのが魔術師だよ」

「そうなんですか! 魔術師さんって偉いんですね!」

 そう言うと魔術師さんは「なんか照れるな……」と上擦った声で呟いて、頭をくしゃくしゃと掻きました。

「あ、そうだった。お嬢ちゃんは『行きたいところ』とかないかな?」

「行きたいところ、ですか?」

「ああ」

 行きたいところ……私たち妖精族は、深い深い森の奥を中心に、木々が生い茂る自然豊かな場所で生活していますが、いきなり行きたいところと言われてもとっさには思い浮かびません。そもそも、私は御遣いを言いつけられていたので、このお店に長く居ることはできません。

「私は御遣いを頼まれて来たので、今行きたいところは特に……」

「そうか……。ならお嬢ちゃん」

「なんですか?」

「お嬢ちゃんって、森に棲んでるんだよね?」

「はい。そうですよ」

「それじゃあ『ウミ』ってのは知ってる?」

 聞き慣れない単語が飛び出しました。『ウミ』とはいったいなんなのでしょう。

「ウミ……って何ですか?」

「よし。ならウミへ行ってみないかい?」

「行ってみたいです!」

 魔術師さんは私の声を聞くと、私をお店の中へ案内して、一冊の黒い本を手渡してきました。

「じゃあ、この本を持って」

「はい。……こうですか?」

 私は魔術師さんに渡された本を両手で掴んで、体に抱き寄せました。

「そうそう、それでいいよ。それじゃあ目を瞑って」

 魔術師さんの指示に従い、私は目を瞑りました。すると、魔術師さんが何かを唱え始めました。直後に目がぐるぐると回る感覚にいたり、私の意識はそこで途切れてしまいます。


「ここは……?」

 目が覚めると、黄色いさらさらとした粉のような物が敷かれた場所に、私は倒れていました。すくなくとも、地面に敷かれているものは土ではないようです。

「お、やっと目覚めたか」

 どこからか、魔術師さんの声が聞こえます。ですが、辺りを見回しても魔術師さんの姿がありません。そこにあるのは、どこまでも続く粉のような物が敷き詰められた場所と、こちらに迫ってきては消えていく、水たちのきらめきだけです。

「魔術師さん、どこに居るの?」

「僕かい? 僕は元の世界に居るよ」

「ここはどこ?」

「そこは『スナハマ』だよ」

「スナハマ?」

 またまた聞き慣れない単語です。

「そうだな……近くに水はない?」

「水ですか? 目の前にありますよ」

「その水がある所が『ウミ』で、今お嬢ちゃんが居る所が『スナハマ』だよ。あと、地面にある土みたいなのは『スナ』だよ」

 はじめての場所ではじめて知ることがいくつも。私の頭がパンクしてしまいそうです。

「ウミ……スナハマ……少し難しいです……」

「ははは。まあ、無理して覚えることはないさ、それよりもそこで遊んでみたらいいよ」

 遊ぶ? この……『スナ』で?

「遊ぶって、何をすればいいの?」

「例えば……あっ」

 何かに気付いたように、魔術師さんは大きな声を出します。

「そうだった。僕うっかりしてたよ……」

「どうしたんですか?」

「ウミは複数人で行く場所だった。ごめんごめん……」

「どういうこと?」

「えっと、友達とかと一緒に遊ぶ所ってことだよ」

「一人じゃ遊べないの?」

「遊ぼうと思えば遊べるんだけど、一人じゃちょっと寂しいと思うよ」

 たしかに、こんだけ広い場所で、

「そうですか……。あ、この水って飲めるんですか?」

「『カイスイ』の事? ちょっとそれは飲まないほうがいいよ」

『カイスイ』というはじめて聞く言葉を使いながら、魔術師さんがお水を飲まないように言いましたが、私はその言葉を聞き流して、その水を手で掬って飲みました。

「うげぇ……しょっぱいです……」

「言わんこっちゃない……。ねえお嬢ちゃん、さすがに一人は寂しいと思うから、ちょっと日を改める事にして、一旦戻ってこない?」

「わかりました……」

 口の中に塩辛さは残りましたが、これも経験のひとつとして心に留めておきましょう。魔術師さんが再び目を瞑るよう指示したので、そのとおりにした所、ここに来た時と同じようなことが起きて、元の世界に戻りました。


「おかえりなさい」

「た、ただいまです」

「どうだった? 『ウミ』は」

「どうだったと言われても……。で、でも、はじめて見る素敵なところでした」

「そう……喜んでくれてよかった」

「あとしょっぱかったです……」

「ははは」

「魔術師さんって、凄いんですね」

「そうでもないよ。 僕なんか……」

 急に魔術師さんは顔を俯けてしまいます。どうしたのでしょうか。

「どうしたの?」

「何でもないよ。 それじゃあ、気を付けて御遣いに行ってきてね」

「そうでした! 御遣いに来てたんでした!」

 私は魔術師さんに一礼をして、お店の外へ出ようとしました。

 その時、魔術師さんはこう言いました。

「また来てね。 お嬢ちゃん」

 私は、魔術師さんに微笑んで、そのお店をあとにしました。

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