偽愛
大村あたる
皮愛 ―片桐真己の場合―
「ねぇ、私って綺麗かな?」
そうやって聞いてくるのは僕の今の彼女だ。はた目から見れば綺麗な彼女が、裏でどういう努力をして今の格好を維持しているのか知らない僕じゃなかったけれど、そんなこと知らないようなフリをして、僕は彼女に綺麗だよ、と返した。
彼女の嬉しそうに笑う目じりにはうっすらとカラスの足跡が浮かんでいたけど、どれだけ彼女がそれを気にしているかはその仮面の厚さからよく分かっていた。僕だから気付いただけで、他の人なら目を凝らさなければ気付かないはずだ。
「よかった、綺麗じゃないって言われたらどうしようかと思った」
安堵したように微笑む彼女を見て、少し罪悪感に駆られた。僕は本当の君が綺麗じゃないことも、そんな自分を憎んで今の自分を作り上げていることも知ってる。それを指摘したらきっとこの場で縁を切られるであろうことも。だけどそんな君だからこそ、綺麗だと思うし愛したんだ。
でもそんなことは口が裂けても言えないから、不安だったの? 気にする必要ないよ、皆綺麗だって言うだろう、なんて気休めしか返せない。騙してるようで心が痛むけれど、彼女に傷をつけないようにするためにしかたのないことだと割り切るしかなかった。
「あ、ごめんね。ちょっと」
そういってハンドバッグを持ち席を立つ彼女。分かってるよ、と苦笑しながら返答する。トイレに行くの一つでも女性は体裁を気にするようで、彼女もいつも「ちょっと」と言うだけだった。
高いヒールの靴を上手に乗りこなして店の奥に合ういていく彼女の後姿はまさに理想的なプロポーションで、それも努力の上に成り立っているものなのだと思うと本当に興奮する。
想像する。トイレに入ったらまずなにから整えるのだろうか。化粧は洗面台を使うからきっと後回しだろう。さっき後ろから見たかぎりだとうっすらとラインの出てきてしまった腰回りの補正下着の着直しからだろうか。左手の装飾用義手の手入れからか。右足の義足の調整からか。はたまた靴の踵に軟膏を塗るところからだろうか。化粧は目から?鼻から?それとも眉から?肌の手入れも忘れずに。
ああ、それとも。と、僕はさらに思いを馳せる。まずはSNSに愚痴を描きこむからだろうか。理想的な彼女であれと演じている彼女は、その代償にその胸に大きなストレスをかかえて、たびたびそれを僕が知らないはずのSNSのアカウントへと投下し、そのストレスを吐き出す。彼女の表のアカウントはもっと朗らかで明るい、理想的な女性を演じていて、表面上は僕はそちらしか知らないことになっている。
僕はそういう人間の努力が好きだった。自分の醜いところをひた隠しにし、仮面や衣装で自分を覆い、表面上は理想的な人間を演じる、そんな人間を心底愛していた。欠けていてこそ人間らしく、その穴をなんとか埋めようと努力する姿はとても愛らしいと思えた。
彼女と付き合ったのはそんな理由からだった。会社で知り合った際に他の女性から聞かされたのは、彼女がどんなに自分を弄繰り回しているか、という話。顔は既に整形済みで、元のパーツなんて一つもないということ。胸にも尻にもシリコンを入れているということ。左右非対称な手足が気に入らなくて、わざわざ左右片方ずつ切り落としたということ。そんな話ばかりを、彼女のいないときに散々聞かされた。きっと彼女たちはそんな話を聞いて、僕ら男性陣に彼女の評価を下げてほしかったのだろうと思う。
でも僕は違った。感動した。なんて健気なのだろうと。何て向上心のある人なのだろうと。人の悪口を言いふらし、他人を貶めることでしか自分を上げることのできないこいつらとは彼女は違う。自身をただひたむきに見つめ続け、ひたすらに自信を高め続ける、その姿のなんと気高きことだろうかと。
戻ってきた彼女から目を背け続ける男たちの中、僕は一人彼女を口説きつづけた。あなたは美しい、僕はあなたのような人と付き合うために生まれてきたのだと。その時の彼女はまさに天女のようで、必死に話す僕を優しく受け止めてくれた。その甲斐あって、今僕は彼女と付き合っている。
二十分もしないうちに、彼女はテーブルへと戻ってきた。男性諸君から見れば長いと思うかもしれないが、彼女にしてみれば早いほうだった。
「ごめんね、長かったよね」
そうやって謝罪してくる彼女の眼尻にはもうカラスの足跡は見えなくなっていた。大丈夫だよ、と僕は柔らかく微笑み返した。僕も彼女に見合うような、立派な男にならなければならない。彼女のその完璧な仮面に似合うような、同じ仮面の持ち主でなければならない。今の僕はそうなれているだろうか。それだけが、不安でたまらなかった。
しばらく話したのち、こんどは僕が席を立つ。
「ごめんね、ちょっとお手洗いに」
男だからこのくらいは言わなければならない。彼女はただ、いってらっしゃい、とにこやかにほほ笑んで手を振ってくれた。
店の奥に入ると左が男子トイレ、右が女子トイレとなっていた。僕は迷わず、右に歩を進めた。
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