救済の密室

半社会人

救済の密室

 

 ギリシャ神話では、五つの時代について、言及されている。


 曰く。


 <金の時代>。<銀の時代>。<青銅の時代>。<英雄の時代>。


 そして、現代にあたる<鉄の時代>。


 人類は、それぞれの時代で、繁栄と絶滅を繰り返してきた。


 現代はその中でも、最も堕落した、混迷の時代だという。


 だとすれば。


 現代――<鉄の時代>に、そんな混乱した世界を、独特の論理によって秩序を戻す存在。


 『探偵』は、存在しうるのだろうか??

 

 *・*・*


 如月楓は変わった男だ。


 鼻筋の通った綺麗な容姿の持ち主なのだが、いかんせん定職というものについておらず、学生時代ならまだしも、現実というものが見えてきだした20代の異性達には、残念ながら見向きもされていない。


 そして、持ち前のぬけぬけしさと誇大妄想から、男性の友人も数えるほどしかいないというありさまだ。


 そんな楓の数少ない友人である私は、つまりそんな彼の欠点を知ってなお付き合っている、徳に富んだ人物ということになる。


 「別に君が聖人君子というわけではない。類は友を呼ぶという、ただそれだけの話だ。」


 私がいかに彼にとってありがたい存在かを説くと、決まって楓は以上のように反論するのだが。


 失礼な話だ。


 とにかく、楓は冷笑的な、社会不適合者なのであった。


 さて、私はそんな楓と違って、真面目な公務員という身分に勤しんでいるので、交際の必要上、話の種として、そんな変わり者の我が友人について、彼の預かり知らぬところで他人に話すということが、ままあった。


 多少誇張を含んだ表現であったことは否めないが、私としては、至極客観的に、彼等に事実を述べていたつもりである。


 そうすると、理性的な社会人達は、決まって次のような質問をする。


 つまり。


 「そんな人が、いったいどうやって、生計を立てているんです??」


 もっともな疑問だ。


 そしてこれは、非常に微妙な問題でもある。


 なぜかといって、これまた事実でもってありのままに答えようとすると、彼は裕福な親戚のご夫人(彼の言うところ、『柳叔母さん』)に、養ってもらっていることになるからだ。


 つまりは典型的なニートである。


 どうしようもないやつだ。


 しかし、勘違いはしないでほしい。


 確かに社会的には何の勤労も果たしていない楓だが、だからといって、自分を養ってくれる叔母さんに対して、まったく何の奉仕もしていないということにはならないのだ。


 いや、むしろ彼は彼なりの特殊な形で、彼の叔母さんの『欲求』を満たしてあげているのである。


 こういうと、真面目な社会人達は決まって眉を吊り上げる。


 「……いや、欲求といっても、これはそのような、下世話な意味ではなくてですね!!」


 ここには、断じて性的な意味合いは含まれていない。


 彼はただ、いつも何らかの不安を抱えていないと安心できない柳叔母さんの、言わば私的なカウンセラーを務めているのであって……


 つまりは、真の意味での、彼女のプライベート・アイ(叔母さん専用の私立探偵)なのであった。


 ……如月楓は、変わった男なのである。


 *・*・*


 都心から、大分遠ざかって、人々の喧噪が聞こえなくなった頃。


 優に6時間は車に揺られていた我々は、やっと目的の地に降り立った。


 「なんて暗い場所だ!!」

 

 如月楓が、ふんと不満気に鼻を鳴らした。


 「…………はぁ」


 私も思わずため息をつく。


 疲れた肩をトントンと叩いた。


 体の節々に、痛みを感じていた。


 ろくに舗装もされていない往路を、いつ着くとも知れなかった苦痛を伴いながら、過ごした結果だ。


 車窓から見た景色は、海岸沿いに集まった工場が、鉄の煙を放出し、それがちりぢりになって空を覆う、雲に変わっていく様子が、ひたすら繰り返されていた。


 まるで壊れてしまった映画のフィルムのようだと思ったものだ。


 「なんて暗い場所だ!!」


 道々を運転してきた楓が、もう一度不満気に言葉をもらした。


 ……確かに暗い。


 太陽はこの地上を照らしているのだろうか。


 雲が黒い天井となって、光が我々に届くことを遮っているせいで、そんな疑問が胸中に湧いてくる。


 名のしれぬ樹木に囲まれて、異様な臭気もあたりに漂っていた。


 広がる雲に、天蓋のように生い茂った豊かな木々。


 まるで風景全体が、迫りくるように感じられてくる。


 土はぬかるんでいた。


 足元がゆるい。


 「どうしてああいう輩は、こんな辺鄙な場所に住みたがるんだ」


 理解できない、といって楓が大きく首を振った。


 私は再びため息をつく。


 「しかし、逆に辺鄙な場所にあるからこそ、神聖味を帯びているのかもしれないよ。」


 そう言って私は、目の前の「それ」を、改めて仰ぎ見た。


 暗い背景を土台にして、それに合うように、綿密な計算の下に立てられた建築物。


 それでいて、奇抜だった。


 普通、宗教施設といったら、西欧式の、荘厳な教会のような建物をイメージしてしまいがちだ。


 しかし、目前にそびえ立つ「それ」は、西欧建築に付き物の破風も、また左右対称な様式美というものも備えていない。


 「それ」は、ただその場所に屹立していた。


 深い静寂を持って、周りの暗闇を剥ぐかのように、その先端を高く掲げることに、一心になっている。


 塔。


 一つの影となって、我々人間を睥睨している。


 「『聖ペテロの指』」。


 最近巷で話題の新興宗教。


 その本部だった。


 *・*・*


 --数時間前のこと。


 「『神』が消えたそうだ」


 受話器から耳を話すと、そんな言葉を吐いて、楓は苦笑した。


 それはどうみても突拍子もない言葉であったが、しかし楓の『柳叔母さん』にとっては、それがいたって普通のことであるのだから、困った話だ。


 彼女は、『常に不安に苛まれていないと不安になる』神経の持ち主であり……つまりは悩むことそのものに生きがいを感じている人種であったので、いつも何かしら、悩みの種を抱えていた。


 些細な刺激であっても、彼女の中では天変地異に匹敵するのである。


 そしてその妄想が閾値を超えると、彼女は多大なる混乱に陥り、周囲に自分の世界を侵犯させんと、暴れ出すのであった。


 「叔母さんはいつもあんな感じなんだよ」


 楓はそんな彼女の、一種のカウンセラー、あるいは精神科医のような役割を果たしていた。


 『いきなり光が降ってきたのよ!!』


 『魂が体を離れて、天上の世界を渡り歩いていたの!!』


 こんな性質の悩みを的確に解いて見せるのだから、楓はニートでありながらも、中々に有能であると言えるだろう。 


 「『神』が消えただって…………?」


 そんなわけだから、私にも多少耐性がついてきて、今回のような妄言も、落ち着いて受け止めることが出来たのである。


 ……その内容に眩暈がしてくることに変わりはないが。


 「『聖ペテロの指』という団体を、聞いたことがあるかい?」


 楓は椅子の背に体をもたせながら、何でもないような口調で尋ねた。


 「聞いたことがあるなんてレベルじゃないよ」


 『聖ペテロの指』。


 教祖である大地アレンは、京都府内の大学の神学部出身で、卒業後は都内の民間企業に勤めていた。


 そして会社員生活を4年経て、神の『啓示』を聞いたのである。


 最初は、あまたある自己啓発セミナーの一種にすぎなかったが。


 誕生から数年の内には、日本国内でも有数の宗教団体になっていた。


 「『聖ペテロの指』の新しいところは、従来のキリスト教の大半が、聖書の記述というものを絶対として、不可侵だと考えていたのに比べて、あくまでそれらは人間の手を経た『テキスト』にすぎないと捉えていたところだ。……これは非常に危険な行為で、保守的な論客からは目の敵にされたのだがね。」


 「それは……どういうことだい」


 「聖書も『テキスト』である以上、そこに『語り』の問題が絡んでくる。『語り』が問題となる以上、その『語り』手がどのような性質の人間であるかもまた、問題の範疇になっていく。つまりは……どちらかと言えば、文学部の範疇だろうな」


 楓は肩をすくめる。


 「まあ、とにかく、宗教者としてはタブーな立場で、大地アレンは、自分のキャリアをスタートさせたわけだ。」


 異端な立場の人間は、幸運か不運、大抵どちらかに転ぶものだ。 


 大地アレンは幸運側の人間だったのだろう。


 「それで、『神』が消えたというのはどういう意味だ?」


 「……実際に行った方が早いだろう」


 楓はしぶしぶといった様子で立ち上がった。


 叔母からのお悩み相談。


 ニートが動く唯一の瞬間である。


 「この塔は一切動かないのにな」


 数時間後の東京郊外で。


 楓が自嘲気味に呟いた。


 *・*・*


 「消失という言葉は正しくないですね……アレゴリーとしては、天上に帰化されたといった方が、正しいでしょうか」


 大地アレンは、マスメディアに登場する時にはいつも身につけているネクタイをいじくりながら、淡々とした表情で答えた。


 30代に突入したばかりの、いかにもエネルギーに溢れた人間だった。

 

 宗教者というイメージとはほど遠い。ビジネススーツが良く似合っている。


 楓の質問にも滑らかに答えた。


 「叔母からの要望で、こちらに伺ったのですが」


 「柳さんですね……勿論、存じておりますよ。今は『お籠り』の季節ですので、優秀な信者さんには、一諸にこの塔に、来ていただいているんです」


  お籠り。


 『聖ペテロの指』にとって、神は、『見える』ものであるらしい。


 まるで民族学者の唱える<まれびと>のようだが、1年の間の限られた期間において、神は『降臨』する。


 その神を丁重に扱う為に、彼ら『聖ペテロの指』は、籠るのだ。


 …………教祖自らが選んだ信者と共に。 


 「はあ……優秀ですか」


 楓の口調には明らかに戸惑いが見られる。


 「叔母はかなり感情的な人間だと思うんですが……」


 「理性というのは、信仰にとって邪魔なものですよ」


 アレンが綺麗な笑顔で答える。


 「西欧の歴史は、理性と信仰の、繰り返される反復と共にあります。そして少しでも書物を紐解いたことがおありの方なら、理性がいかに神への愛を曇らせるか、お分かりだと思いますよ」


 「……そうですね」


 宗教者特有の、押しつけがましい言いぐさが出ている。


 楓がイライラしているのが分かった。


 ……関係がこじれるのはまずい。


 「それで、その『神』というのは、どういう風に現れるのですか?」


 私は不穏な空気を断ち切る意味でも口を出した。


 「主は我々とは違う位相で存在されています。存在は、自然と『現れる』ものなのです。」


 ハイデガーかよ、と楓がひっそりと呟いた気がした。


 アレンはそんな彼の様子には、いっさい頓着していないらしい。


 「では、取りあえず、神が帰化なされた部屋に、ご案内いたしましょう」


 ……まっしろな歯が眩しい。


 部屋に赴く足取りまでも、どこか優雅に見えるほどだ。


 彼の案内に大人しくついていきながら、私は楓に話しかけた。


 「理性的な君には、『神』なんてものは信じられないんだろうね」


 「別に俺は、『神』を信じていないわけじゃない。むしろ理性的な人間ほど、『神』を信じるものなのさ」


 「……どういうことだ?」


 最近、楓にこう尋ねることが多い気がする。


 「『パスカルの賭け』さ。神が仮に存在しないとしても、『神を信じること』それ自体によって、確率的には、マイナスの効果など、何一つ起こりはしないんだ」


 そう言って楓は、遠ざかっていくアレンの背中を見やる。


 「だから俺は、神を信じる。……どこまでも理性的じゃないか??」


 確かに理性的だが、それは『神』の『不在』を前提にした信仰なのではないかと、私は思った。


  *・*・*


 「ここが、『神』がお還りになられた部屋です」


 そこは、部屋というより一つの劇場だった。


 塔の内部は、螺旋階段によって貫かれており、通路の両脇に、部屋が配置されるつくりになっている。


 かなり階段を昇ったところで、大地アレンに続いて足を踏み入れようとして、私達は、文字通りその入口で立ちつくしてしまった。


 ……まず目に飛び込んできたのは、部屋の中央に配置された、大きな十字架だ。


 いつの時代のものかは分からない。


 ただその上には、細かな文字が流麗に記されていた。


 簡素な板と棒で支えられているだけなので、かなり危なっかしい。


 だがそれが逆に、その異質さを際立たせているように思われた。


 「これは……すごいな」


 さらに異様だったのは、そこが書物で囲まれていたことだ。


 ほとんど足の踏み場がないほどに、部屋の至る所が、書物で埋め尽くされている。


 そして十字架は、本の壁によって、その周囲を占められていた。


 中に足を踏み入れるのにさえ、我々はいくつかの大型本をまたがなければならなかったほどだ。


 「『天路歴程』に、『失楽園』……。随分大衆的なんですね」


 楓が、落ちていた書物の題名を、目で拾いながら口にする。


 大地アレンが笑った。


 「大衆的なのは重要なことですよ。この世界の住人のほとんどは、大衆なのですから」


 「だからバニヤンの著書を置いているんですか?彼は聖書以外に学が無い、まさしく大衆的な人物であったはずだ」


 「ええ」


 アレンが相変わらず、穏やかな物腰を崩さずに続ける。


 「私は、『神』の言葉を伝えるのに、身分の貴賤など関係ないと、考えています。」


 そう言って彼は本の合間をぬって十字架に近づくと、その上の文字を愛おしげに撫でた。


 「この石碑もまた、大衆的です。……主の恵みを伝えるものなのですよ」


 楓はふんと鼻を鳴らした。


 私はそれにびくっと体を震わせる。


 彼を小声で咎めた。


 「おい、楓!!……態度には気をつけろ」


 「済まない……余りにもくだらなさ過ぎてね」


 そんな言葉を平気で口にしてしまうのだから、困ってしまう。


 無神経な男だ。


 「…………」


 不穏な空気が、私の肌をそろりと撫でた。


 …………その部屋にあったのは、十字架と書物だけではなかった。


 「お静かにお願いします。」


 何の感情も込められていない声が、私の耳朶を打つ。


 その部屋には、教祖によって<お籠り>することに選ばれた信者達もまた、居合わせていたのだ。


 十字架を一心に見つめて。


 まるで劇を見守る観客のように。


 ……劇場。


 「『神』は、この時期になると、毎朝この十字架の上に降臨なされます。その『現れ』方は、我々とは違う位相にあるものですが、だからといって、我々がそのお姿を捉えられないというわけではありません。我々『聖ペテロの指』は、『神』を丁重にお出迎えし、祈りという形で、奉仕させていただきます。」


 劇の主役は、『神』。


 書物の埃が舞うこのステージを、白い衣をまとって歩き回る老人の姿が脳裏に浮かぶ。


 「そして、一定の日数を経た後に、『神』はあの部屋に入られて、そのまま『お還り』になるのです」


 アレンが笑みを見せながら、部屋の奥に配置されたドアを指差す。


 ……劇場の舞台裏?


 「ご案内しましょう」


 アレンと共に、その神聖な場所に近づいていく。


 楓が無遠慮にも、アレンを押しのけてそのドアを開いた。


 「これは……」


 私も慌てて彼に続く。


 そこは。


 窓一つない。

 

 出入り口と言えば、このドア以外に存在しない。

 

 ……小さな部屋だった。


 「……今日が丁度、その『お還り』の日だったのです。『神』はこの部屋に入られた後、天上の理によって、この部屋からお還りになりました。」


 密室。


 密室からの、『神』の消失事件。


 立ち込める異様な雰囲気に、私は眩暈がしそうだった。


 「……くだらない」


 楓が静かに呟いた。


  *・*・*


 「ここが、最後の希望なんです」


 重い口を開いて、彼はそう口にした。


 まだ若い男だった。そこら辺によくいる、ごく普通の男といった風情だ。


 しかし彼の背負うものは大きかった。


 「病気って宣告されちゃって……難病です。あと何年生きられるかもわからない。そう思うと、もう神様ぐらしか、お金をかけられるものが、ないじゃないですか??」


 「神なら救ってくれると?」


 楓の静かな声。


 「ええ」


 青年は力強く頷く。


 「あなた方には分からないかもしれませんが……私は『神』のお姿を見ることによって、実際に健康になれたのです!!教祖のおっしゃられたとおりに」


 「……分かりました」


 そこは薄暗い、塔の中の一室だった。


 大地アレンの特別な配慮により、信者の一人一人に(といっても十数名ほどだ)、質問をすることが許されたのである。


 「だからといって、彼等を乱暴に扱うことはやめてください……レトリックを使って言わせてもらえば、彼等は迷える子羊なのです。各人色々な物を背負っている。……それが、『神』の恩恵によって、やっと救済されたところなのです。ただでさえ、この極東の国においては、受難の物語というのが、西洋の『それ』ほど立脚していないというのに。」


 求めよ、さらば与えられん。


 マタイ伝だ。


 マタイが誰なのか、私はよく知らないが。


 「教祖というより、聖書学の学者みたいな男だな。」


 楓がよく分からない感想を述べた。


 私は次の女性を呼んだ。


 入ってきたのは、これまた若い、それでいてなかなかに美人な女性だった。


 思わず立場を忘れて見入ってしまう。


 彼女は私達の言葉を待つ前に、椅子に腰かけた。


 そして鋭いブローをかましてきたのだ。


 「あたしの寿命は、後一年なんです」


 「ほう」


 楓が興味を覚えたような声をあげる。


 ……彼と違って極めて良識的な人間である私は、このような場合に、どういう顔をしていればいいのだろうか。


 「でも、もう大丈夫です。例えこの世で幸せになれずとも。『神』を目撃したことで、あたしは救われるのですから。……これも、哀れな私を導いて下さった、教祖様のおかげです」


 「それが良く分からないんですがね」


 恍惚とした表情を浮かべる彼女に向かって、楓が鋭い視線を向ける。


 「『神』を『見る』とは、どういうことなんです??そして、『神』が消えるとは!!」


 「『お還り』です」


 彼女の口調には批難するような響きがあった。


 「……そのお還りも含めて。いったい何をもって、あなた方『ペテロの指』は、『神』を『目撃した』と言ってるんですか?」


 まさか薄衣着た爺さんが歩き回ってるのを見てるわけじゃないでしょう、と彼は皮肉に付け加えた。


 空気がさらに重苦しいものになる。


 彼女はキッと楓をにらみつけた。


 「……『神』は光を放っておられるのです。」


 「光?」


 「我々とは存在の位相が違いますから」


 そして彼女はそれきっり口を開かなかった。


 その後も、私立探偵よろしく楓は訊問をしていった。


 しかし、返ってくる答えは、どれも同じようなものばかりである。


 『神』の姿は??


 曰く。


 「『神』は神聖な光りを放っておられる」


 曰く。


 「『神』は神聖な衣をまとっていらっしゃる」


 曰く。


 「『神』は太陽の如く、ご自身を取り囲む光に、身を浸していらっしゃる」


 etc.....


「『神』とやらは、『髪』のないハゲたおっさんのことを言ってるんじゃないだろうな」


 最後の一人が出ていった時、楓が苦笑して呟いた。


 私は首を振る。


 「そんなわけないだろう……でも、何らかのトリックが使われていることは確かだろうな。その『降臨』の場に居合わせたわけじゃないから、確かなことは言えないが」


 例えば、電球と釣り針と白い袋を使った、古典的なトリック……。


 アレンが十字架の後ろの影に隠れ、糸でそのハリボテの人形を操る。


 そして今日、その人形を劇場と隣室の部屋に入れた上で、操ることを止め、静止させる。


 後は『お還り』の確認だのなんだの理屈をつけて、素早く「それ」を回収するだけだ。


 「そんな簡単なものではないだろう」


 楓が私の心を読んだように言う。


 「それくらいで、彼等全員が騙されるとは思わない。藁にもすがりたいような彼等信者でもね」


 「じゃあ、他に何が考えられるというんだ」


 私は憤慨する。


 彼は肩を竦めた。


 「まあ、確かに信者の中に叔母がいなければ、それも有力な説の一つではあったんだけどね」


 楓の叔母さん。


 ……すっかり失念していた。


 「彼女がそもそも、『神』が消えたといいだしたのが、発端なんだし、究極彼女を満足させることが出来たら、それでいいんだから……俺が呼んでこよう」


 やがて楓に伴われて入ってきたのは、年齢の割には若々しい、老婦人だった。


 きれいなスカーフを首に巻き、服装にも適度に気を使っている。


 髪は薄めの紫に染めてあった。


 「悪いねえ、楓。……いつもいつも苦労をかけて」


 柔らかい口調。


 しかしこんな彼女も、神に救いを求めなければならないほど、常に何らかの事象に心を捉えられていなければいけないほど。


 か弱い存在なのだ。


 「何言ってるのさ、叔母さん……俺は二ー……気楽な高等遊民だし」


 そこは言いなおす必要があったのか。


 「それに、俺は叔母さんの『目』なんだから」


 柳叔母さん。


 ……彼女は、『盲目』の女性だった。


 そして、楓は、そんな彼女が迷った時の、プライベート・『アイ』だったのだ。


 二重の意味で。


 「さて……叔母さんは、どんな風に、『神』を『見た』のかな?」


 楓が穏やかに尋ねた。


 *・*・*


 他の信者に付き添われて、叔母さんはその部屋を出ていった。


 楓は立ち上がり、うーんと伸びをする。


 「どうだ?何か分かったか??」

 

 「ああ……なんとなくは」


 楓にしては珍しい、浮かない顔だ。


 将来のないニートには、これくらいの方が、むしろふさわしい表情だとも思うが。


 「目の見えない、苦しみだらけの叔母さんにも見える『神』。そしてその密室からの消失。……余りにも単純な、ありふれた話だ」


 楓は大きくため息をついた。


  *・*・*


 大地アレンと我々二人は、向かいあって立っていた。


 場所は劇場に隣接する、『神』が『お還り』になった、例の部屋だ。


 「それで、くだらない推理ごっこは終わりましたか??」


 カリスマ教祖はニコニコして尋ねる。


 「ええ」


 強く頷く。


 「十分データは集まりました。」


 ばっと大きく手を広げる。


 「この、いかにも堅牢な密室。そんな密室からの、『神の消失』。そのカラクリの全てがね」


 うんうんと、アレンも嬉しそうに頷く。


 楓はためらっているようだった。唇を強く噛んでいる。


 重い沈黙。


 やがて、意を決したように、深呼吸一つして、楓は口を開いた。


 「密室のカラクリ……それは。……そもそもそんな『神』など、『存在しなかった』ということだ」


 アレンがにやりと笑った。


  *・*・*


 「これは、ご挨拶ですねえ……」


 無言の睨み合いの後、アレンが、やがてゆっくりと口を開いた。


 「信者達は、皆『神』を『見た』と言っているのですよ」


 「それは嘘だ」


 楓がするどく返す。


 アレンが薄く笑う。


 二人の視線が交錯する。


 「酷いこと言うなあ」


 「……嘘というのは、言葉が強すぎたかもしれない。……むしろ、お前の言葉に強制された、無理やりな証言と言った方がいい」


 「私の証言??」


 「……『裸の王様』だよ。」


 あのずるがしこい商人達のように。


 例えどんなにおかしなことでも。


 自分の対面、社会的地位を守るためなら。


 自分の命を救うためなら。


 「お前は、教祖として、ただこう言えば良かったんだ。……『救われるはずのものには、『神』の降臨された姿が見れるはずです』。」


 それは字義通り解釈すれば、ただ『神』は救われるものが見ることが出来るということでしかない。


 しかし。


 音は。


 声は。


 対話は。


 分裂し。


『誤解』されるものである。


『カラマーゾフの兄弟』において、イワンの言葉を、スメルジャコフが誤解したように。


「信者達は、誤解したんだ。……お前の言葉を、『『神』が『見えない』ものには、救いが訪れないと』」


「お前は、そうやって教唆しやすいような、騙されやすい、心の弱い人間達を、『お籠り』をする信者に選んだ」


 誰一人として『見れなかった』。


 だから『こそ』、全員が『見れる』と言った。


 救済されたいがために。


 ……こうして、『密室』は完成した。


 「あなたの叔母さんは?もともと盲目なのに、そんなことしたんですか??」


 「違う。叔母さんには、唯一『見えて』いたんだ。……こういって悪ければ、唯一、神の存在を『感じて』いた」


 彼女にとって、外部を感じ取れるのは、自らの触覚でしかない。


 そしてそこで、もしも自分の眼の代わりになっている同じ立場の信者達が、『見えない』神に、祈りを捧げるポーズをわざと取っていたとしたら?


 皮膚感覚に頼る彼女は、他者が取る行動を、そのまま解釈するしかないのだ。


 必死になって手で探り、世界を把握しようとする。


 そうして、やっと作り上げて。


 ……彼女の世界の中には、確かに『神』は存在していた。


 「だが、もう『消失』した!!」


 楓が狡猾な教祖を睨む。


 盲目の彼の叔母は、他者によって、『神』の『いる』世界を構築され。


 そして、彼女の『神』は、『密室』から、『消失』したのだった。


 そんな怒りの視線を受け止めた若きアレンはーーー。。


 ……ただ、笑っていた。


 *・*・*


 <鉄の時代>においてもなお。


 論理によって、世界に秩序を取り戻す名探偵は存在し得る。


 ただそれが。


 救済になるかは分からない。


 




『救済』の密室。了。


 

 


 

 


 


 


  


  


 


 


 


 

 












 










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